月曜日, 11月 09, 2009

「つらいこと一つひとつが心の栄養になる」-☆森のクマさん☆


先週土曜日、講演で東北大学へ
行ってきました。
仙台の気候は予想以上に暖かく、
東京と変わらないほどでした。

午後に講演を行い、そのまま他の
講演やグループワークにも参加
して、その晩は仙台郊外に住む兄家族の所へ。
暫くぶりに会った3人の甥達(高3、高1、小6)は皆、
心は素直なままで、身体はがっしりと逞しくなっており安心。

仙台は紅葉の盛りで、新幹線の車窓より東北の他の街々(福島、栃木
など)の其れを見ることができました。
いずれも樹々が綺麗に色づいて、赤、黄、橙、紫と豊かな色彩を
葉に化粧しており、日本の四季の彩りの美しさをあらためて
有り難く思いました、

それにしても毎回東北の地にふれる度、自分の中に何かほっとする
気持ちが起こるのを感じます。
この国の古より中央政府が「陸奥(みちのく)」と呼び、
縄文の文明を脈々と色濃く持ち、深き自然に抗うことなく
人々が調和して暮らしてきた東北地方。
きっといずれかの前世にて深き縁を持っていた土地であるのではと
思っています。


さて、新幹線の車内誌にあった「仙台の曲がりねぎ」の話。
葱のみならず人間にも通じる話と感心しました。

『形は曲がっているが、食べてみると甘みがあって柔らかい
 「仙台の曲がりねぎ」という葱がある。
 この曲がりねぎは、現在、県内各地で作られているが、
 特に味のよさで評判なのが仙台市岩切地区の余目地区の
 「余目ねぎ」。他地区の葱は「仙台まがりねぎ」と
 呼ばれている。
 
 曲がりねぎは、その名の通り曲がっているが、
 これは独特の育て方によるもの。
 余目地区は地下水の水位が高く、真っ直ぐ育てると
 水分によって腐ってしまう。
 そこで、ある程度育てたら一度畑から抜いて、
 斜めに植え替える。
 地上に出た部分は、太陽を求めて真っ直ぐ伸びようとするので、
 そこで曲がりが生じる。

 「一度抜くことで根が切られて、それが葱にストレスをかける。
  ストレスが掛かることで、柔らかくなり甘みが増す。
  火を通すとより甘みが増す」

 旬の宮城の味と合わせて、朴葉焼きや鍋で身も心も温まる。』
 
ストレスが掛かることで、柔らかくなり甘みが増すそうです。
人生もまた同じですね。

苦労が人を育てるという言葉があります。
その体験を繰り返すことにより、己が性根は磨かれていき、
人間味を増していくのだと。

そういえば大好きな空海さんの言葉にもこうあります。
『心暗きときは、すなわち遇うところ、ことごとく禍なり。
 眼明らかなれば、途に触れて皆宝なり』(性霊集)
 
つらいこと一つひとつが「心の栄養」になるのですよね。
そう思えば、今までの苦労は報われ、明日からの日々は明るく
見えることでしょう。


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月曜日, 10月 12, 2009

「百穀満る季節に横綱の品格をみる」-双葉山


この三連休は、爽やかな秋空に心地よい
風を感じられる日が続きました。

「秋」は多くの穀物や果実が実る季節。
新井白石が「百穀既に成りて、飽満るの
義にもやあるらむ」と書き残したように、
作物が飽きるほど満ち溢れる季節です。

先週の日曜日、息子は初めて相撲大会
に出ました。幼稚園に入った頃からかテレビで大相撲を見て、
そのすばらしさに魅かれ、以来本場所が始まる毎に夢中で見ています。

一番のお気に入りは、横綱の白鵬関。
最近、「心技体」の大切さを父親から聞き、白鵬の相撲道にそれを
見ているようです。

そして、白鵬関が憧れとし、目標としているのが相撲史上屈指の
大横綱である双葉山関(本名.時津風定次)。
69連勝という不滅の数字が燦然と輝く中で、横綱の品格を常に
向上させようと努め、相撲界の発展に大きく貢献した大人物です。

昭和14年1月場所で安藝の海関に敗れた際、
『未だ木鶏足りえず』との言葉を言ったことは有名です。
これは、「荘子」に出てくる寓話の「木鶏の話」を修行中に
知人から聞いた双葉山関が、魂に強く印象づけられて斯く在りたいと
日々精進されていたもの。

『その昔、闘鶏飼いの名人に紀省子という男があった。
 あるとき、さる王に頼まれて、その鶏を飼うことになった。

 十日ほどして王が、”もう使えるか”ときくと、かれは、
 ”空威張りの最中で駄目です”という。

 さらに十日もたって催促すると、かれは、
 ”まだ駄目です。敵の声や姿に興奮します”と答える。

 それからまた十日過ぎて、三たびめの催促を受けたが、かれは、
 ”まだまだ駄目です。敵を見ると何を此奴がと見下すところが
  あります”といって、容易に頭をたてにふらない。

 それからさらに十日たって、かれはようやく、次のように告げて、
 王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したという。
 ”どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。
  ちょっと見ると、木鶏(木でつくった鶏)のようです。
  徳が充実しました。まさに天下無敵です”』

相撲という勝負の世界に生きる双葉山関にとって、
この話は実に得がたい教訓であり、心ひそかに「この木鶏」の境地に
いくらかでも近づきたいと心がけていたという逸話です。

大分県の小さな漁村で生まれ育った双葉山関は、10歳のときに
母親を亡くし、16歳のときに借財のあった実家のことを考えて
相撲界入りを決意し、頑張り番付を上げていき、
体も精神面も大横綱に上り詰めていく様子はまさしく見事。

相撲界という因果な社会の中で、強くなればなるほど自らを
厳しく律し、鍛え上げていかねばならない状況に置かれる。
横綱になるために苦労してきた人間が、ようやく横綱を勝ち取った
瞬間、引退のことを考えるようになる。

横綱は地位にふさわしい成績を収められなくなったら引退するしか
ない。体力や技は維持するだけでは落ちていく。精神面も然り。
そのためにいつ辞めても悔いのないように努力をしつづけなければ
ならない。
まさしく、「地位が人をつくる」のですね。

息子の初土俵は、惜しくも負けてしまいました。
前日に父と練習したにも関わらず。
でも、「相手に負けまい、勝つぞ」の強い気持ちを持って、
土俵に上がり、一所懸命に相撲をとったその姿勢がよく見えました。

負けてがっかりと下り、足洗い場にいた息子に
「惜しかった。負けたけどいい相撲をとったよ」と褒めてやりました。
息子は、「もう少しだったね。次は勝ちたい」と。

いつか息子に、この双葉山関の話をしてあげようと思っています。


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土曜日, 10月 03, 2009

「美しい日本の自然を愛する」-C.W.ニコル


9月中旬、長野県黒姫にある
「アファンの森」へ行ってきました。

今年初の訪問であり、会社の環境
ボランティアリーダー研修の事務局
として行ったものです。
夏から秋へ季節が移ろうとする
アファンの森は、2日間のうち金曜
が晴れ、土曜が雨という天候で、
森の異なる光景を見、また夜の静かな森を歩いて、生き物の
多様性にあふれるすばらしい森の楽しさと魅力を十分に満喫
してきました。

20年前、わが師であるC.W.ニコルさんが長野県黒姫に居を構え、
地元で幽霊森と呼ばれた暗く荒廃した土地を少しずつ買い取り、
森の達人である松木さんの協力を得て、
荒地に植樹を行い、腐り曲がった木を整理し続けました。

その結果、今では木々の間から陽光が差し込んで地表まで届き、
野生の動植物が共生できる豊かな生命力あふれる明るい森に
再生したのです。
ニコルさんはこのアファンの森にいると、我が家にいるような
気持ちになれるといいます。

『1995年に日本国籍を取り、以来、私は日本人になった。
 私はそのことをとても誇りに思っている。
 それでも今なお、たいていの日本人は私を見て
 ”外人”に区分けする。
 それはかまわない。
 自分で自分を見ても、同じように思うだろう。

 しかし、”アファン”と名づけた我々の森にいると、
 私はすっかり我が家にいる気分になる。
 森は私のことを知っていて、私の”国土への愛情”を
 受け入れてくれる。
 森はわかってくれる。
 私には自分が歓迎されているのがわかる。
 だから、私は日本を愛する”愛国者”だ。
 でも、うまい言葉が見つからない。
 私の父は日本人ではなかった。
 母もそうではなかった。

 私にとって日本とは何か。
 例えば、それは国であり山々であり、
 森であり、川であり、島や海岸、
 つまりはその自然だ。
 このすばらしい列島を住処とするありとあらゆる生き物たちだ。
 
 ”国土への愛情”を持たない日本人は、私には認めがたい。
 もし彼らが利己的で自分勝手で、この国の遺産を無駄にし
 破壊するなら、私は彼らを哀れみ、たんに嫌うだけだ。
 
 ありのままの日本を愛し、
 自然のままの日本のほんの小さな部分の一部になりたいと
 努めながら、私はこの国すべてを愛するようになった。
 そして、とうとう、ここを故郷と感じるようになった。

 それが、黒姫の森で、私がケルト族の心の奥深くで
 考え感じていることだ。』 
 

これからアファンの森は紅葉に彩られた美しい姿へと変わり、
杉だけしか植えられていない国が管理する周囲の人工林から
際立った美しさを見せてくれることでしょう。
心の中でその姿を想像すると、私の心は豊かになれます。

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水曜日, 9月 16, 2009

「「一日」を中心に生きる」-酒井雄哉


先日、酒井雄哉師の「一日一生」
読みました。
師は天台宗の大阿闍梨。
かつて比叡山千日回峰行を二回
行った行者として知られています。

1926年に生まれ、太平洋戦争時、
予科練へ志願し特攻隊基地・鹿屋
で終戦を迎えます。
戦後はラーメン屋や菓子屋、証券会社代理店など職を転々と
しますがうまくいかず、縁あって40歳のときに得度。
比叡山延暦寺に入り、明治時代に死者が出て以来中断していた
常行三昧という厳しい行を達成します。

そして約7年かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を開始。
(不動明王と一体となることを目指す行で、十二年籠山行を終え、
 百日回峰行を終えた者の中から、さらに選ばれたものだけに
 許される行。
 行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、
 そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。
 頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどったヒノキの笠をかぶり、
 白装束(死に装束)をまとい、草鞋ばきといういでたち。
 700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれ、無動寺谷明王堂
 で足かけ九日間にわたる断食断水断眠の行に入る。
 入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。
 出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨となり、
 信者達の合掌で迎えられる)
 
酒井師はこの「千日回峰行」を80年、87年の2度満行。
60歳という最高齢でやり遂げたもので、2度の回峰行を達成した
ものは1千年を越える比叡山の歴史の中でもわずか3人しかいません。

『よく、千日回峰行をすると、歩く距離は4万キロ近いので、
 「地球一回りしたことになるんですよ」っていわれるの。
 「阿闍梨さんは二度やったから、地球を二回回ったんですね」と。
 そういうふうにいわれると、本当に地球を二回、回ったのかなって
 思うけど、毎日毎日繰り返しているうちに、気がついたらそんな
 距離になったというだけのことなんだね。
 急に2千日歩いたのではなく、毎日毎日の積み重ねなんだ。

 たとえば僕は82歳になる。じゃあ何日生きてきたのかなと思ってね
 計算してみると、ようやく3万日を少し超えるくらいだった。
 80年だっていっても、たったの3万日しか生きていないんだね。
 そう思うと、自分達の命って、本当に短くてはかないものだなあと
 思うよね。
 地球が生まれて四十何億年とかっていうでしょう。
 なかなかイメージがわかないほど途方もないけど、その中の
 3万日なんていったら、霧や塵までもいかない、ふっと消えて
 しまいそうなかすかなものだよね。

 そんな小さな存在なのに、こうして大きな世の中に送り出して
 いただいたんだから、それこそ地球のため、みんなのためって
 考えないといかんなって思うの。
 こんな大きな地球だって、あと何億年たったら大きな流星が来て
 なくなっちゃうとか、寿命が尽きるとかいわれている。

 こんな小さな存在でも、せっかくこの地球に生を受けたんだから、
 地球の命がある間に、みんなが楽しく生きていく方法を考えたいと
 思うんだ。
 一つひとつの命は小さくても、みんなで心を一つにして考えること
 ができたら、やがては大きな力になるんじゃないのかなあって。

 80年といっても、地球の命に比べたらほんのはかないもの。
 八十何年生きたからどうの、これまで何をしてきました等ではなく、
 大事なのは「いま」。そして「これから」なんだ。
 いつだって、「いま」何をしてるのか、
 「これから」何をするかが大切なんだよ。

 朝起きて、空気を吸って、今日も目が覚めたなあってときにね、
 さあ何をするかなって思って、起き上がらなくちゃ。
 それが今を生きているっていうことと違うかな。
 たとえば、若くして亡くなった人の悲しい話を聞く。
 だけど、その人が一生懸命生きて、世の中の人たちになるほどなあ、
 っていうような何かを残して亡くなったのであれば、それは
 素晴らしい。
 
 大きな存在から見れば、10年も80年もそれほど違いはないのかも
 しれないよ。
 だからこそ、何のために生きているのか、何をやって生きて
 いるのか。今なんのためにこの場所にいるのか。今何のために
 息をしているのか、ということを一生懸命考えなくては。
 とても無駄なことはできない。

 だって、だれにとっても、人生はほんのわずかな時間なんだよ。
 一生懸命、今を大切にして、今をがんばらなかったらいけないのと
 ちがうかな。』

回峰行という荒行の日々の中で得た「生きる」ということの意味を
酒井師は私たちにわかりやすく問いかけられます。
そしてこう励ましてくれます。
『大丈夫、明日はまた、
 新しい人生が生まれてくるから』



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月曜日, 8月 31, 2009

「生成発展する幾億万の水の粒子に思う」-☆森のクマさん☆


台風11号が関東に接近しています
が、それにしても今夏は豪雨や
台風、地震という天災の猛威を
あらためて感じさせられています。
お盆の頃での豪雨は西日本の
各地に多くの被害を出しましたが、
戦後に植樹した木の間伐がされず
に土壌が脆くなっているところへの大雨で土砂流出した事故
であり、人災でもあることを思いました。

温暖化の影響で、世界的に洪水などの水災害の深刻度も増しており、
ヒマラヤ地域では洪水リスクの警告が出ています。
この地域の氷河が解けて巨大化した氷河湖が決壊し、大洪水が起きる
可能性が高まっているのだとか。

一方で、FAO(国連食糧農業機関)によると、現在途上国を中心に
12億人の人々が水の不十分な地域に居住し、近い将来さらに5億人が
水不足に直面する恐れがあります。
水不足と劣悪な衛星状態の結果、世界では毎年180万人の乳幼児が
亡くなっているそうです。

現在より古の時代に孔子は、「水は生成発展する」という根源的な
宇宙観を表していたといいます。
『子 川上に在り。
 曰く、逝く者は斯くの如きか。
 昼夜を舎かず』

小川環樹氏の説によれば、水流に物の本質を感じとり、
そこから学び修養に努めることを、
水流のやむことのないのと同じように絶えず行うようにという
意味だそう。

孔子が観た、川の流れに無限の水の力強いエネルギー。
先日10年ぶりに訪問した屋久島で、清流の流れる様に
龍の如きダイナミックな水のエネルギーを体感してきました。

水が太古より人々にもたらしてきた有り難さと恐ろしさ。
遠い昔からこの地球の大地を幾度も潤してきた水は、
時に大きな恩恵を与え、時に無慈悲に災害を起こしてきました。
そして人は、水から多くのことを学んできてはずです。

孔子は論語の中でこう説いています。
『子曰く、
 仁に里るを美と為す。
 択びて仁に処らずば、いずくんぞ知たるを得ん。
 (人を思いやり、世のため人のために生きられるのは
  美しいことだ。
  そうでなければ、どうして知ある人になれるか)』


地球の生成期から絶え間なく循環し、生成発展を繰り返してきた
幾億万の水の粒子に心から感謝し、
孔子が唱えた「仁(思いやり)」の大事さを思います。


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土曜日, 8月 08, 2009

「偉大なるものを偉大ならしめた母なる森に感謝して」-山尾三省


先月18日から21日にかけて屋久島に
行きました。私は10年振りで、妻と息子は
初めての訪島。

かつて13年前に初めて訪れたこの島の
森の中で、私は「命の再生を体験」し、
自然生態系を守っていくことの大切さに
目覚めました。

屋久島には九州沖縄地方で最高峰となる宮之浦岳(1935m)
や永田岳など標高千mを越える高峰が46座もあります。
これまでの訪島でこの高峰を歩き、深粛な生命の森の懐の中で
数千年もの間聳えてきた縄文杉などの屋久杉たちにも会ってきました。

今回訪れたのは、何よりも息子にこの巨樹たちに直に触れ、
巨大ないのちの肌感を通して、何千年、何万年という時の中で
生と死の循環が脈々と流れる森の生命という無限に大きな
自然のいのちにつながることを実感してほしいという希望からです。

屋久島の森には、至るところに圧倒的な樹の生命力が溢れています。
それはふだん街中の公園や寺社の境内で見る木とはまるで別のもの。
森を歩いた中で息子が出会った老杉たちの中の1本に、
樹齢1,800年という「仏陀杉」の巨樹があります。
1,800年前といえば卑弥呼の時代。「この間読んだ「三国志」
時代だよ」と言われた息子は、『えっ、そんなに大昔から
生きているの』と、とても驚いていました。

この巨樹の幹には他の巨樹同様に十数種もの別の木が着生しており、
共生の姿を見せています。
そしてこうした森の生産者たちを支えているのが森の底にひろがる
無数の苔。さまざまな種類の苔こそはこの島の「森の母」というべき
とても大事な存在。
地面も岩も、倒木も枯枝も、木々の幹にも苔がびっしりと張り付いており、
巨樹や清流と共に深い森の中で生命のエネルギーを溢れだし、
素敵な協奏曲を奏でているのです。


以前、森を愛する作家高田宏さんが屋久島のことを書いた文の中で、
島の原生林や巨樹を愛した詩人山尾三省氏と縄文杉に関わる逸話が
紹介されていました。

山尾さんは、1977年屋久島の廃村に一家で移住し、
以後白川山の麓で田畑を耕しながら、2001年に亡くなるまで

詩の創作を中心に執筆活動を行っていた方です。

瀬切川地区の原生林の伐採を当時の営林局が決め、
地元の心ある若者たちがその阻止運動を進めていたあるとき、
その中の一人が山尾さんにこう問いただしました。

『「あなたは常日頃、縄文杉縄文杉と言っているが、
  今度営林局が伐るという8百haの原生林と、
  縄文杉のどっちかを残すということになれば、
  どんなものだろうか。
  あなたはどっちを選びますか」

 縄文杉はもちろん伐ってはならないものであり、
 瀬切川地区の8百haも絶対に伐らせてはならないものである。

 「両方とも伐らせないことを選びます」と私は答えた。
 「それであなたはどうですか」と今度は私が尋ねた。

 「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」
 彼は明確に答えた。』
 
この答えを聞いて、山尾さんは、自分の中で崩れてゆくものが
ありました。
縄文杉にのみこだわっていた自分の、いまだに観光客的な気分から
ぬけ切れないでいる個的な感覚が崩れていったといいます。

『彼の答えは、明確であった。
 
 瀬切川流域が残れば、当然縄文杉も残るのである。
 逆に、この流域が伐られ、また別の原生林が伐られ、
 全ての原生林が伐られて、
 その果てに縄文杉一本がこの島に取り残されたとしたら、
 それは無残というよりは、独善ですらある。
 
 屋久島の原生林があって、そこに縄文杉も自生しているのであり、
 その逆では決してない。
 これは人間を含む生態系についての根本認識であるはずである。

 私はその時より、縄文杉への愛と尊敬はいささかも変わらないものの、
 縄文杉と呼ぶより、「屋久島の森」と呼ぶことの方に、
 より深い意義と喜びを見出すようになった。』

この中に出てくる「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」と言って
伐採反対に強い信念をもった方、長井三郎氏は縄文杉のことを
「生まれては死に、死んでは生まれる無数の生命の流れを見つめ続けきた
 偉大なる生命体」
と讃えています。

そして、それにつづけて、
「その偉大なるものを偉大ならしめた母なる森は、もっともっと長大な
 道のりを歩いてきたのである」
と誌しています。』

日本という急峻な山々が豊かな森に覆われて、
多様な生き物たちの生をつつみ、山裾に住む人々の暮らしを見守ってきました。
この母なる森に目を向ければ、いかに人の手が関わり、また離れたことで
惨憺たる荒廃の姿に変えてしまったかがよくわかることでしょう。

その恩恵を遠き先祖の時代から受け、また現代も受け続けている中で
自分の生命を育んでくれている森に感謝する気持ちを多くの人々が持ち、
再生に関わっていくことを願っています。


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火曜日, 7月 14, 2009

「山高きが故に貴からず」-☆森のクマさん☆




今春から小学校に通うようになった
息子も今週が終われば夏休み。
週末から行く予定の屋久島に思い
を馳せて、楽しみにしています。

一学期の間に一度だけ参観日の日に息子の受けている授業
の様子を見ることがありました。
学年主任であるベテラン先生の落ち着いた、一人一人を
よく見ながら声をかけての授業内容は安心できるもので、
子ども達の受ける態度にもよくそのことが表れていました。
学級崩壊などとかく教育現場の荒廃もいわれる中で、
現場の先生の人間としての包容力が子どもを安心させて
いるのだろうと安心して帰ってきました。

かつて江戸時代に行われていた子どもの教育は、世界の
最高水準にあったといわれています。
元禄時代に来日したフランス人は、寺子屋に通う子ども達を見て
『日本人の子育て教育は世界の理想であり、とうてい
 外国人のおよぶところではない』
と驚嘆し、目を見張ったといいます。

当時の教育は、現代の学校教育で進めてきた進学や就職に
役立つという名声や富を得ることにつなげる「利の教育」ではなく、
「叡智」の重要さと学ぶことの必要性を教えるものでした。

「近思録」の本には、こうあります。
『学ぶ者はすべからくこれ実を務むべし、名に近づくことを
 要せずして方に是なり。
 名に近づくに意あるときは則ちこれ偽なり。
 大本すでに失す』
(学問の目的は本来、自分の能力や人格を磨くことにある。
 だとすれば、学問によって名声や利益を求めようとするのは
 本末転倒であり、本物の学問ではない)
 
ホイットマンは、かつての日本人の顔つきを見て
『考えぶかげな黙想と真摯な魂と輝く目』と評したといいます。
それは学校においても家庭においても、自己の品格を磨く
修身教育が行われた自然の結果であったのでしょう。

品格を培養するのに必要なこと。
それは自己の鍛錬であり、身を慎むという修養の精神をもつこと。
いくら知識を持っていたところで、あるいは雄弁であったところで、
それは二の次です。
そしてこの「自己を鍛える」教育は、武士階層のみならず
一般庶民の間でも行われていたのです。

翻って我が身を思うと、自己の鍛錬において先人に遙か及ばないと
深く自省するばかり。
実利、功利という「利」「得」が重視されてきた現代社会の中での
教育の盲点を感じます。


深田久弥氏の名著「日本百名山」。
深田氏は、単に山が高いというだけで名山を選ぶということは
しませんでした。
選定の基準の第一に「山の品格」を置いたといいます。

『高さで合格しても、凡常な山は採らない。
 厳しさか強さか美しさか、
 何か人を打ってくるもののない山は採らない。
 人間にも人品の高下があるように、
 山にもそれがある。
 人格ならぬ山格のある山でなければならない』


かつての日本で重視されてきた教育。
それは、人間の品格を高めることでした。
そして、明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁のたぐいは
第二義的なものとされたのです。

いつでも穏やかで礼儀正しく、周囲を楽しませる教養があり、
相手に対する思いやりを決して忘れない。
威張ったり自慢したりするようなことはなく、
好奇心を忘れない。
このような人こそ品格をもって、どこの場に出ても恥ずかしくない
優美な人間なのでしょう。

『山高きが故に貴からず
 樹あるをもって貴しとなす
 人肥えたるが故に貴からず
 智あるをもって貴しと為す
 人学ばざれば智なし
 智なき者は愚人なり』
という先人の言葉を深くかみしめたいですね。


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水曜日, 7月 01, 2009

「百億の昼と千億の夜と阿修羅」-光瀬龍


先日終了した「国宝 阿修羅展」。

行列が苦手な私は、見に
行きませんでしたが、子どもの頃
に写真で見た阿修羅の
少女とも少年ともとれる姿と
愁いと喜びを併せ持つ表情の
清らかさに、何か不思議な好奇心を感じたことを覚えています。

かつて私は小学6年の時に、1冊のSF小説の虜になりました。
その題名は百億の昼と千億の夜』。
SF界の巨星、光瀬龍氏が詩情豊かに、時の流れの膨大さと非常さ、
その中での人間の営みを謳いあげた名作。
現在でも強く惹かれる作品です。

『寄せては返し  寄せては返し  返しては寄せる波』
という独特の静謐さと淋しさを湛えた文体は、静かに深く心に
沁みこみ、読後に本を閉じた後の気持ちは、
何とも言い表しようのない物悲しさ、透明な悲哀といった
寂寥の思いに陥るのです。

萩尾望都氏によりマンガ化もされましたが、
人類の永遠の命題である
『人はどこから来てどこへ行くのか』『生とは何か』『永遠とは』
を問いかける内容に、12歳の私はしばらく真剣に考えていました。
今は懐かしい思い出です。

先日亡くなられた中島梓さんは、この作品を表す言葉は
『無常感』であるといいました。
そして、破滅と永遠と、そして喪失の、悲しく、透明な、
しかしどこかしら不思議に甘く快い静寂をたたえている、
世界でいちばん美しく、悲しいSF小説のひとつだと評していました。

古来からある阿修羅の伝説の一つに、帝釈天を相手に
勝てぬ戦いを永遠に続けているというのがありますが、
光瀬氏は、興福寺の阿修羅像は戦いの虚無の中で「なぜ」
自らに問いかけているのだといいました。

『神と戦うのか。』
『おお、そうとも。 
 私は相手がなに者であろうと戦ってやる。
 このわたしの住む世界を滅ぼそうとする者があるのなら
 それが神であろうと戦ってやる!』

『百億の昼と千億の夜』に登場するあしゅらおうは、”シ”(死)と
いう生命が、時間が、必ず出会う運命の存在である敵と戦っています。

『・・・・転輪王・・・・
 この世に現れた”シ”とはいったいなんだ・・・・その正体は?』

『彼らは彼岸に住む超越者だ』

『彼岸とは・・・・またはるかな言葉だな
 それはこの世の者にはたどり着けぬ宇宙の果てか』

『阿修羅、宇宙の果てとはなんだ』

『宇宙の膨張速度が高速に達した所に果てがある・・・・
 その時、宇宙全体の質量のため空間が閉ざされ、
 一個の球体の内部を構成する・・・・』

『では阿修羅、その球の外とは?
 閉ざされた内部ということは、さらに外があるということだ
 しかも無限に

 こう考えてくれ、阿修羅
 時もまた同じ

 この内の世界では二千億年の昔
 原初の時点から時は流れ始め
 二千億年のかなたでやむ

 しかし、それすら外の世界の無限の広がりに比べれば
 超時間のほんの切片だ・・・・』

『転輪王、”シ”とは二千億年すら一片となす
 無限の時を支配する超越者のことか?』

『・・・・阿修羅よ・・・・
 すべての時にも、人の心にも
 願いは常にあった

 深い海から生まれた生命にも
 滅びゆく都市にも
 この宇宙にも

 願いとは・・・・
 何だったのだろうか?

 神・・・・超越者にとって
 われわれや宇宙はなんだったのか?

 われわれの・・・・存在の意味とは?

 この世界の外に
 さらに大きな世界の変転があり
 さらにその世界の外に世界が
 そしてまたその外にも

 さらに永遠に世界がつづくのなら

 わたしの戦いは
 いつ終わるのだ・・・・?』

『すでに還る道は無い
 また新たなる
 百億と千億の日々が始まる』

無常と久遠という壮大な世界を
宙空にかかげた3対の腕に抱く阿修羅像。
いつの日か対面したいと願っています。

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土曜日, 6月 20, 2009

「棺を蔽うて後、はじめて定まる」-隆慶一郎



大河ドラマ「天地人」の人気で、
書店に行くと必ず
「上杉謙信」、「直江兼続」関係の
本がならんでいるのを目にします。

少し前まで「直江兼続」の名前は
一般にはあまり知られておらず、 やはり大河ドラマの効果
というのはとても大きいものだなとあらためて思いますね。

昨年の「篤姫」人気も相当のものでしたが、息子はこれをつづけて
見るようになってから、大河ドラマの面白さを知ったようで、
「天地人」は最初から欠かさず見ています。
さまざまな登場人物のやりとりを見ながら、いろいろな質問をし、
彼なりにこの時代の人々の生き様を学んでいるようです。

そして、「義」に生きるという志を持って生きた謙信や兼続という
人物の器量と誇りが、私たち親子の感情を揺さぶっています。
戦国のドラマに関心を持つ息子を見て、かつて自分も同じ歳の頃に
日本の歴史がひたすら面白く、暇さえあれば百科事典を
開いていたなぁと懐かしく思います。
そのおかげでか、高3の時に受けた全国模試で日本史は5位の点数を
とれたのは、学校の勉強をほとんどせずに試験ではよい思い出のない
私にとって唯一といっていい心地よい思い出です。

さて、6歳の息子が繰り出してくるさまざまな質問に触発され気味の
私は、戦国時代という15世紀後半から始まった日本全国の各地で
群雄が割拠し抗争が繰り広げられた時代に、あらためて興味を
持ち始め、これまで読んだ本を読み返したり新しく購入したりと
しています。

このところずっと惹きつけられている歴史作家が、
隆慶一郎氏。
89年に逝去されてから読んだ作品が多いのですが、どの作品にも
共通して感じているのが、主人公が生涯において発する
強烈なエネルギーを持って美しく生を生き抜いていること。
人生のさまざまな濃淡を知っている作者であるから描ける
主人公の明るく清々しく烈しい生き様。

先日読んだ隆氏の随筆の一編。
『戦国期の終わりから江戸初期にかけてを題材にする仕事が
 ほとんどなので、その頃の史料を読む機会が多いのだが、
 当時の男たちの生命の軽さに驚くことがある。
 些細なことで誠に無造作に死んで行く。

 そのくせ、それなりの感銘を後世に遺すのは、大方の男どもの死が
 己の誇りのためだったからのようだ。
 誇りといっても千差万別で、馬鹿げた見栄の場合も多いのだから、
 死んだ本人は「阿呆らし」の一言で葬り去られても仕方ないのだが、
 死んだ本人はおそらくそんなことは百も承知の上のことであり、
 それでも死んでしまったとなれば、これは「阿呆らし」ですむ
 問題ではなくなるように思われる。

 大体僕は「一人の人間の生命は地球より重い」などという言葉が
 嫌いである。
 この言葉ほど人間の思い上がりを示すものはない。
 まるで地球は人間の持ち物だと言わんばかりではないか。
 冗談ではない。
 地球上には人間以外の動物も植物もいる。
 彼等から見れば、人間は正に天敵以外の何物でもあるまい。
 恐竜のように早く絶滅してほしい種族であろう。 

 少なくともその視野あるいはすまなさを持たぬ人間は、
 僕には破廉恥に見えて仕方がない。
 ましてや人間を人間たらしめている条件であり誇りの念を持たず、
 いたずらな長命を求める人種は醜悪な貪欲の塊のように思える。
 長生きは決して美徳ではない。』

物に溢れ飽食に飽きた現代日本に生きる私たちには、
いささか耳に痛い言葉。
しかし本質をよく突いた言葉。
『棺を蔽うて後、はじめて定まる』という言葉があります。

『志を立て、それに殉じた』という潔い生き方をしてきた
先人たちの誇りが、こちらの生き方に訴えかけてきます。



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土曜日, 6月 13, 2009

「未来圏から吹く風」-宮澤賢治


『われわれは
 どこから来たのか?  
 われわれは何者か?  
 われわれは
 どこに行くのか?』
                                                     
この有名な言葉は、画家ゴーギャンがタヒチに
長期滞在していたときに描いた作品のタイトル。
人類の生成時からずっと続く命題です。

大好きな宮澤賢治も、この命題に取り組んだ一人でした。
素晴らしい作品の根底を流れる人間の未来像から、
それがうかがえます。

賢治は、行こうと思えば、すうっと自然の世界に行けた人。
彼こそは、空であり、風であり、森であり、野原であり、
一本の木でありました。

そして、未来圏の旅人でもありました。

『吹雪はひどいし
 けふもすさまじい落磐

 ・・・・・どうしてあんなにひつきりなし
 凍った汽笛を鳴らすのか・・・・・

 影や恐ろしいけむりのなかから
 蒼ざめてひとがよろよろあらはれる

 それは未来圏からなげられた
 戦慄すべきおれの影だ』

『諸君はこの颯爽たる
 
 諸君はこの未来圏から吹いてくる

 透明な清潔な風を感じないのか』

どちらの詩も賢治の作品であり、未来圏という言葉を
使っています。
にも関わらず、二つの詩はあまりに対照的です。

私たち人間の未来は、不安に満ちたものなのか、
明るいものなのか。
この二つの像の間を行き来し、彷徨しているのかも
しれません。

そう思いながら、私は愛する息子にはきっとこの
『透明な清潔な風』を感じさせたい。
そう思います。


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日曜日, 6月 07, 2009

「地球まほろばの尊さを伝える宇宙からの贈りもの」-毛利衛


以前見たNHKの番組「宇宙飛行士
はこうして生まれた~密着・最終
選抜試験」。

とても素敵な内容でした。
子どもの頃から「宇宙に行きたい」
という夢をかなえるため、宇宙飛行士になることを望み、
厳しい選抜試験を受け、最終選考の10人に選ばれた30代の男女
10人の候補者たち。

番組は選考試験の内容を密着取材し、彼らの過酷な試験や
応援する家族とのふれあいを通して何をつかみとったのかを
ルポで見つめたもの。

■NHKスペシャル 宇宙飛行士はこうして生まれた
        ~密着・最終選抜試験~

「2月25日、10年ぶりに2人の日本人宇宙飛行士の候補者が誕生。
 今回、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が実施した選抜試験には
 過去最多の963人の応募があった。
 宇宙飛行士の募集は10年間行われてこなかったため、いったんは
 夢を諦めてそれぞれの人生を歩んでいた人達が「最後のチャンス」
 と、家族や職場を説得し試験に臨んだのだ。
 1月、最終選抜試験まで残った10人も、サラリーマン、技術者、
 パイロットなど、いずれも30代の男女。
 宇宙ステーションを模した施設に閉じこめられて共同生活の様子を
 監視され、2週間にわたる実技試験が行われた。
 その結果、大西卓哉さんと油井亀美也さんが宇宙飛行士として
 選ばれた。」

数年前、日本科学未来館で行った環境シンポジウムにて、館長である
毛利衛さんに講演していただく機会があり、私は事務局であったので
幸運にも舞台の袖でお話を真近に聞くことができました。

毛利さんは、92年と2000年の二度、宇宙飛行士として
あふれるほどの贈り物を受け取ったといいます。

『ますます増えていく人間の数と地球環境との調和を保つのは、
 21世紀に活躍する若い皆さんの役割です。
 若人たちの前途は輝いていると共に、多くの困難も待ち構えて
 います。それに直面するときに、一人一人に必要なものは、
 地球全体と宇宙を視野に入れた透明で強い意志、そして
 生命全体を考えるやさしさだと思います。

 二度目の宇宙飛行でのミッションにおける日本のテーマに
 「地球まほろば」がありました。
 20世紀の最後の時期、日本は経済的にも低迷していて、
 今までの繁栄してきた夢が挫折する感じだったのです。
 それと同時に、今までの高度経済成長が何だったのかということを
 考えさせてくれる、すごくいいチャンスだったような気がするの
 です。
 
 未来ばかり見るのでなくて、やはり過去を見て、今まで日本が
 どうだったのか、地球環境がどうだったのかということを見て、
 はじめて次の21世紀を新しい気持ちで生きていけるのかなという
 思いがずっとありました。
 それにぴたっとくる言葉がないかと探していたところ、
 日本の古来の言葉に「まほろば」があることを思い出しました。
 「まほろば」は、すぐれたいいところということですから、
 誰もが住んでいたいという気持ちになるところだと思うのです。

 私は、地球に帰ってきたときに、湿度とか、空気の匂いとか、
 花が咲いたり、虫がいたりする環境が、やはり人間にとって一番
 いいんだろうなという気持ちになりました。
 もしも地球全体が人工環境になってしまったら大変だという思いが
 ありました。
 
 21世紀は、自然をコントロールして、その人工的な環境に
 近づいていくと思うのです。
 人工環境にするためには、自然を変えていっているわけです。
 しかし、一度自然を変えてしまうと、例えば生物は絶滅すると、
 もうそれが生まれることはないのです。
 新しい化学物質がどんどん生まれてきていますけれども、
 そういうものが地球の生命になじむには、とても千年とか二千年では
 すみません。
  
 人間が生きている間にすべきことは、やはり何千万年、何億年という
 歴史を変えてしまわないことだと自信をもって言えます。
 そういう意味で、もともと「まほろば」と感じているものを大事に
 したいと願っています』

毛利さんが宇宙体験を通して感じた「宇宙からの贈りもの」。
地球に生命が生まれ、40億年かけてその時その時の環境に
適応するように多様化した結果が、現在の地球環境であることの
真の理解。

そして、この自然の適応力と多様性こそは、
人類がこれからも生きていく上で大事にすべきものだと
教えてくれます。


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木曜日, 5月 28, 2009

「地球の生命維持システムの大切さを知る」-ポール・エーリック


5月22日は「国際生物多様性
の日」。
日本ではおそらく多くの方が
知らなかったのではないで
しょうか。
来年2010年は「国際生物
多様性年」ですが、10月
には名古屋で、第10回「生物多様性条約締約国会議」が開催
される予定です。

私たち人間がこの地球という星に住み、生活を送っていられるのは
様々な生き物たちの生命活動によってだということが、あまりにも
あたりまえになっており、その大事なことが意識されていません。

人間社会が作り上げてきた20世紀型の仕組みは、多くの資源を浪費し
大量の生産・消費・廃棄を繰り返しています。
地球のありとあらゆる場所で、穀物や動物、石油、ミネラル、森林、
そして魚介といった資源を消費しているのです。

これを支えてきたのは生態系からの無償のサービス。
しかし、止むことををしらない貪欲な人間社会の活動のために、
破綻し始めています。

私たちは何か新しい体系に転換を図ることが必要です。
それこそが「持続可能な社会」とよばれる地球の生命の循環に
則ったこれからの社会システムです。

「人口爆弾」の著書で知られるポール・エーリック博士は、
こう語っています。

『私たちにとって、またすべての生物学者にとって明らかなことは、
 環境の中で起こっていることが、大勢の人間が地球上に存在して
 いる結果だということです。

 貴重な生息地や農地の上に道路やショッピングモールを人々が
 建設するのを目にすると、大きな感情的衝動にかられます。
 私がこれまでに野外調査をした場所のほとんどが、私の生きてきた
 間に壊されるのを見てきました。

 私たちはつい最近、インドと中国を訪問しましたがショッキングな
 思いをしました。
 先進国の過ちのコピーに走り、超消費文化に向かって狂気のように
 突き進んでいます。
 これはこの国の人々のみならず、他の全ての国々に住む人々に
 とっても悪い前兆です。
 
 私たちは自分達の生涯を現場で、それも主に貧困な国々で過ごし
 ました。盲目的に消費し、破壊し尽くして、その後に訪れる途方も
 ない貧困を見てきました。
 先進国に対抗して破壊を進めようとすることは、発展途上国を破産に
 追いやります。
 
 
 私たちの生存は地球の生命維持システムに頼っているのです。
 生命を宿している惑星は、私たちが知っている限りでは地球だけ
 ですが、このシステムについてはほとんど何も知りません。
 ほとんどの人たちはこの点について無関心ですが、自然の法則に
 無関心であることが、破壊する言い訳にはなりません。

 生命共同体の中にいる生物と、その生息している物理的環境との
 関わりあいが、生態系をつくっています。
 気候は地球規模の生態系の一部で、その中にいる生物によって
 大きな影響を受けます。
 
 たとえば、陸地上の天気は植生によって制御されています。
 植生は地表の温度を変化させるからです。
 大気中の二酸化炭素の量は、生物によって劇的な影響を受けます。
 森林や植物の集落は、陸地と大気の間での水の循環を制御して
 います。
 
 森は水を捕らえて、保持し、そして再循環させます。
 森の中では雨が土の中に染み込み、地下水の補給をし、
 川の流れとして絶え間なく、少しずつ流れています。
 対照的に、ほとんど植物の生えていないような場所では、
 水は地表を流れ、土壌を洗い流しながら洪水を引き起こします。

 自然の生態系は、地球が生物の居住に適するように保つために、
 積極的に働いています。
 私たちがこの生態系を形づくっている生物を絶滅させていくたびに、
 私たちを守ってくれる地球の力を危険にさらしているのです。
 
 私たちの生命維持システムを守れば守るほど、私たちひとりひとり、
 そして私たち全体の生存の可能性も高くなるのです』

私たちが何を食べるか、どこで暮らすか、職場や学校までどうやって
通うかなどのあらゆる選択が、環境に影響を及ぼします。
日本や欧米など最も豊かな国々における資源の消費量は、
最も貧しい国々の平均10倍以上もあるのです。

私たちがどのように自然から恩恵を受けているかを知ることは
生物多様性を保全し持続的に利用していくことへの重要な第一歩と
なります。
私たちを含めてこれからの未来の世代のことを考え、
次の一歩を踏み出していきませんか。


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土曜日, 5月 23, 2009

「38億年受け継がれてきた命を伝える」-小菅正夫


昨夏に生まれたカブト虫の子どもが
少し前からさなぎになりました。

2年前の夏から森でつかまえた
カブト虫を息子と家で飼育し、
昨年はオスとメスが死んでしまった
後、土の中に産んでいたとても
小さな卵を見つけて、以来腐葉土を旺盛に食べる幼虫6匹を
育ててきました。

息子はそれぞれに、
「せかいくん」「ようくん」「まったくん」「やったくん」
「あじあちゃん」「めんくん」
と名前をつけ、
土替えのときにそれぞれが大きく成長をしている姿を
見る度に喜んでいました。

そしていよいよさなぎの姿になりました。
私は子どもの時にやはりカブトを育てていましたが、
土替えをきちんとしていなかったため、さなぎになるまでは至らず、
大人の今になって見れたことに感動しました。

このままいけば7月には成虫の姿を見せてくれることでしょう。
私も妻も息子も皆心待ちに楽しみにしています。


昨年7月に初めて行った「旭山動物園」。
日本最北にして日本一の入園者を集めるこの有名な動物園は、
本当にすばらしい動物園です。

水に飛び込む大迫力のホッキョクグマや、
地上17mの綱を危なげもなく渡るオランウータン、
地上でのよちよち歩きからは想像もつかないようなスピードで
泳ぐペンギンたち。
真近に見えるオオカミやトラ、ライオンたち。
人間の能力をはるかに超えた彼らのすばらしい能力を示す姿に
会えました。

一方で、この旭山動物園では、動物が弱って動けなくなり
死ぬところまできちんと展示しています。
それは『死を伝えることなくして、命を伝えることなどできない』
いう園長の小菅正夫さんを始めとする園の方針からです。

小菅さんはこう語っています。
『動物園にはいろいろな相談の電話がかかってきます。
 あるとき、小さな子どもを持つお母さんから
 「うちの子供が、どこかからカメをもらってきたのですが、
  どうやって飼うのでしょう」という電話がありました。
 
 どこかで知識を得た様子のお母さんは、
 「カメは何か病気を持っているのではないか」と心配して
 いたのです。
 それで、「病気の原因になるサルモネラという菌を持っていますよ」
 と答えると、そのお母さんは、
 「そんな菌を持った恐ろしい生き物は、とても家の中で飼えません
  よね」と言いました。

 カメにとって腸内にサルモネラ菌を持っているのはきわめて
 普通のことで、それでカメが病気になることはありません。
 触った後に手を洗うなど、ごく基本的な注意を守って飼っていれば、
 それが簡単に人間にうつることはないし、
 そもそも、菌が存在すること自体、特別なことではないのです。

 もちろん、お母さん達が知識を持つのはいいことだし、
 子どもたちの心配をする気持ちもよくわかります。
 でも僕は、こんなふうに生き物をきたないもの、人間だけを
 特別なものと考える最近の風潮が、とても気になります。

 少なくとも僕が子どもの頃は、生き物をきたないと感じたことなど
 ありませんでした。
 動くものを見れば触ってみたくなる。
 それが普通の子どもだったのです。
 生き物に触れて、一所懸命育てて、その死に遭遇してわんわん泣く。
 そうした生活の中で、命というものをだんだん理解していきました。

 今、ほかの人の命も、自分の命も大切にできない子ども達が
 増えています。
 これは、人間だけを特別視し、人々の暮らしから人間以外の
 生き物(飼い犬や猫は除く)を遠ざけてきた結果では
 ないでしょうか。
 
 人間だけが清潔で、人間以外の生きものはきたない-こうした、
 ”潔癖症”ともいうべき姿勢が、結果的に「人の命」も
 わからなくさせているのだと僕は思うのです。

 人々が病院で死を迎えるようになったことで、日常生活の中から
 「死」というものがどんどん遠ざけられるようになったことも、
 「命」をわからなくさせている一因かもしれません。

 こうして、現代の日常生活でなかなか伝わらなくなってしまった
 「命」を、何とかして伝えたい。
 僕が今、旭山動物園の園長をしながらいつも心で願っているのは
 このことです。』

私たち人間は今まで、自分たちだけのことを考えて発展してきました。
そして、動物たちの棲む自然環境を破壊してきましたが、
それは当然自分たちの住む環境を破壊する結果になり、
持続不可能な社会を作ってきてしまいました。

地球上に生息しているといわれる生き物は数百万~数千万種と
言われています。
最初に誕生した生き物は、今から38億年前といわれており、
全ての種は人間よりも早く誕生した先輩たちです。

人間以外の生き物と共存して暮らしていけるように、
私たちはまず自分達以外の生き物を見て、
その命を考えていくことが大切ですね。


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金曜日, 5月 08, 2009

「天いっぱいに子どもの星をかがやかせよう」-東井義雄

GWの前半は、埼玉の実家に行き
近場でゆっくりと過ごしました。
息子は歳の近いいとこ達に会えて
大喜び。ワイワイいいながら
家の中で、屋外の公園で
走り回って遊具で遊び、賑やかに
遊んでいる子どもたちの嬉しそうな
姿にとても癒されました。

尊敬する藤尾秀昭さんが以前紹介されていた東井義雄先生の
お話を紹介します。
東井先生は『日本のペスタロッチー』と呼ばれた名教育者。
これは、東井先生が68歳の頃に中学生を前に
あるお婆さんの話をしたそうです。

『私は主人が早くに亡くなりました。
 女の子一人の母子家庭だったんですけど、
 主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、
 女の子を養いました。

 幸い、小学校の頃は、いい子だ、やさしい子だと、
 皆さんから誉めていただいていたんですが、
 中学校になってから、ぐれ始め、
 とうとう中学二年の時には警察の
 お世話になるようなことになってしまいました。

 あのいい子だいい子だといわれた子が、
 なぜこんなことになったんだろうか、
 どう考えても分かりません。

 それが偶然わかったことですが、
 「いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか」
 といわれたことが大きなショックになって、
 「お母さんがあんな仕事をやってるから、
  いくら勉強やったって、みんなからバカにされる」
 と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。

 しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、
 もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
 かといって、ただ一人の女の子が、
 そんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。
 長い間、ずいぶん迷いましたが、
 結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと考えつきました。

 ある時、
 「お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、
  足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、
  家まで車を引いて登ることができなくなってしまったんだ。
  すまんけど、あの下のポストのところまで、
  明日の晩迎えに来てくれないか」

 「ボロ車の後押しなんかイヤだ!」
 思った通り、はねつけられてしまいました。

 「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。
  でもお母さん、足腰がもう痛んで、
  どうにも車があがらなくなってしまった。
  頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか」

 いくら頼んでも、
 「ボロ車の後押しなんてイヤだ」
 「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんて、イヤだろうな。
  でもな、6時には間違いなしに帰ってくるからな。
  あのポストのところまで迎えに来てくれんかい」

 「じゃあ、6時ちょっきりやで。
  すこしでも遅れたらよう待たんで』
 ということで、どうにか承知してくれました。

 あくる日、車を引いてポストのところまで帰って来ると、
 ポストのかげに、恥ずかしそうに、
 しゃがんで待っていてくれました。

 そして、後を押してくれたんですが、
 車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、
 どんな思いで後押ししてくれているかと思うと、
 こんな仕事やってきて、
 そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、
 たまらん思いでしたが、おかげさまで
 家まで車を引いて登ることができました。

 「あんたのおかげで、今日は久しぶりに
  車を引いて帰り着くことができた。
  明日もすまんけどな、お願いするよ」

 そのあくる日も迎えに来てくれていた。
 そんなことが五日ばかり続いたある日、
 ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。

 後押しをしながら、
 「お母さんの仕事って、大変なんだな!」
 と叫んでくれました。

 「お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。
  でも私のために、この仕事、
  足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。
  私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて」

 気付いてくれていたんです。
 そのあたりから、立ち直ってくれました。
 今ではおかげさまで、いい母親になって、
 二人の子どもに恵まれているんですが。
 と聞かしてくれました。』

藤尾さんによると、この話の後に東井先生は
こう語ったそうです。

 『自分を生かしてくれるものに、目が覚めてみるとね、
  ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまが
  できなくなってしまうんですね。
  願いの中に自分が生かされている。
  どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです』

常に子どもの側にある教育を目指し、
命の不思議、命の素晴らしさを説いてきた
すばらしい教育者を思い、胸がいっぱいになります。

『どのこも子どもは星
                 
 どのこも子どもは星
 みんなそれぞれがそれぞれの光をいだいて
 まばたきしている
 ぼくの光を見てくださいとまばたきしている
 わたしの光も見てくださいとまばたきしている
 光を見てやろう
 まばたきに 応えてやろう
 光を見てもらえないと子どもの星は光を消す
 まばたきをやめる
 まばたきをやめてしまおうとしはじめている星はないか
 光を消してしまおうとしている星はないか
 光を見てやろう
 まばたきに応えてやろう
 そして
 やんちゃ者からはやんちゃ者の光
 おとなしい子からはおとなしい子の光
 気のはやい子からは気のはやい子の光
 ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
 男の子からは男の子の光
 女の子からは女の子の光
 天いっぱいに
 子どもの星を
 かがやかせよう

 「東井義雄詩集」より』


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水曜日, 4月 29, 2009

「最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる」-立石一真


GWに入りました。
私は1日だけお休みをもらって
後は暦通りですが、
世間では16連休という
長い休みにした企業もあり、
景気の悪化の中で少しでも
コストを下げたいということで、社員の方からすると
「たくさんの休みはあっても収入がその分下がるのでは・・」
という方もいることでしょう。

米国発の国際的金融危機(ある人に言わせると金融腐敗だそう)が
世界中の経済をおかしくしてグローバル不況が現在も続いています。

競争社会、弱肉強食、マネー優先、格差拡大、貧困連鎖、などの
活字が連日の新聞メディアに載せられていますが、
人間の際限のない欲の拡大によるマネーゲーム、市場の取り引き、
人間性の入り込む余地のない、損得、リスクが口を開けた社会は、
一日も早く変革していかねばなりませんね。


立石一真氏はATMや自動改札機を独自に開発したことで有名な
オムロンの創業者。

 創業時に極貧の中で妻を亡くし、七人の子どもを育て上げたことで
 有名ですが、30代で母を、40代で父を亡くし、
 親を喜ばせることが最後までできなかったことを
 深く悔いていたそうです。

 そして自分にできることは何かを問い、
 『両親の代わりに他人を喜ばせたい、人の喜ぶ顔を見たい、
  役立つことをして幸せになってもらいたい、
  それでこそ納得できるし、自分も幸せといえるのではないか』
 こう考えました。

 1933年33歳の時、大阪東野田に「立石電機製作所」を創業。
 1940年、東大航空研究所からマイクロスイッチ国産化の依頼があり、
 研究を重ねて、国産初のマイクロスイッチの製品化に成功。
 『世の中Badと決めつけるのはたやすい。
  しかし、Need Improvement(改善の余地あり)でなければ、
  創造の将来はない。
  「まずやってみる」がわれわれが築き上げてきた企業文化なのだ』


 難しいと思うことにできませんと言うのは安易だが、
 それでおしまい。
 しかし、いい加減にしないでどうすればできるかを考え抜いてこそ
 頭は鍛えられ、人間は成長する。
 氏の姿勢は終生、変わりませんでした。

 オートメーション市場の開発に取り組む中で、
 氏は「毅然たる経営方針」を模索します。
 1956年、経済同友会で「経営者の社会的責任とその実践」を
 研究し、『企業は利潤追求のためのみにあるのではない、
  社会に奉仕するために存在するのだ』
と結論します。

 また立石氏は情の人であり、
 「身障者が働ける工場をつくってほしい」という訴えに応えて、
 「オムロン太陽」社を設立。
 後に多くの企業が福祉工場を建設する中での先駆けとなります。

 サリドマイド障害児が学齢期を迎えた頃、近畿圏の
 ライオンズクラブで「サリドマイド児に手を与える運動」を展開。
 義手の開発依頼を受けると徳島大学医学部整形外科と協力して
 研究し、一年後に開発に成功。
 初めて電動義手をつけた障害児が、義手の指先に握ったチョークで
 黒板に字や図形を書いたところを見て、
 技術者として経営者として、このテーマに携わったことに
 誇りと満足を覚えたといいます。

 オムロンの社憲は
 『われわれの働きで、われわれの生活を向上し、よりよい社会を
  つくりましょう』
というもので、
 氏は1959年の創業記念日に従業員へこう話したと言います。
 『われわれの生活とは、小乗的には全社員の生活であり、
  大乗的には全人類なのです』

 立石一真氏の言葉
  『最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる』

人を喜ばせ、人の役に立つ、人を幸せにする、他人のためになり
自分も幸せになる、自他共に栄えるということ。
このすばらしきことは、自然本来の原理であり、社会の仕組みでも
あるのです。
この基本に立ち返るということが、現代社会に大きく求められている
のではないでしょうか。


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月曜日, 4月 20, 2009

「自然の原理は大いなる循環」-山下惣一


春麗らかな休日、息子と一緒に
ジョギングをしました。
先週から行っているもので、近所にある
手賀沼沿いのウォーキングコースを
ゆっくり走りながら周りの自然にも
親しむことができます。
川沿いに咲く満開の菜の花が風に
揺れる様は、まるで黄色い花々が
こちらに手を振ってくれているようです。

樹々は新緑の葉を目にやさしく
輝かせており、傍の田んぼや畑、草地にはスズメ、ツバメ、
ムクドリ、セキレイの野鳥達がしきりに虫や植物の種などを
探して忙しくしています。
キジも姿を現し、水辺にはカワセミやコサギもいて小魚を
じっと探していました。

これら様々な生き物を養っているのは、母なる大地、自然の力です。
人間にしても、自分達の食べ物を産みだすことはできず、
他の生き物と同様に自然の恩恵に依存しています。

農民作家として知られる山下惣一さんは、こう語っています。
『私は佐賀県の小さな村で農業を営んでいます。 
 農作物を育てているのは土の力であって人間ではないのです。
 人にできることはその土の力をつけてやることと、
 せいぜい作物の手助け程度のことで、太陽と土と植物それ自体の
 生理によって農作物は育つのです。
 
 だから農業では「つくった」といわずに「できた」というんですよ。
 今年の稲は「出来が良い」とか「出来秋」というのです。
 「できた」という表現には人智の及ばない自然界への感謝と畏敬が
 込められているのです。

 農産物は工業製品と同じような自由貿易には馴染まないと
 思います。
 農産物は人類にとって命のもとであり、それに代わるもの、
 代替品がないわけですから、他の商品と同じように安易に
 売り買いしてはいけないのです。 

 工業であれば世界のナンバーワン企業が同業者を駆逐しても、
 世界中に自社工場を建てれば製品の供給は可能です。
 しかし、農業ではそれは不可能です。
 耕地という制約があるため世界一の競争力をもった国の農業が
 他を駆逐したら、その後の供給ができないのです。
 それゆえにこそ、それぞれの国で食料自給に努力しているのです。

 周知のようにカロリーベースの食料自給率40%の日本は先進国中
 最低、穀物自給率の28%は世界173の国や地域の中で124番目の
 低さです。
 これで不安を感じないということこそが、私は不安ですね。

 また、農産物の自由貿易が世界の飢餓を救わないことも
 はっきりしてきました。
 事実が示すように農産物の貿易は物が余っているところから
 不足しているところへ輸出されるのではなく、
 値段の安いところから高いところへしか異動しないのです。 
 
 そのため、世界に飢えている人たちがいるのに、
 そこへは届かずに日本のように食べ物があり余っている飽食の国に
 世界中の食べ物が集中し、食べ残され、飢餓が拡大するのです。
 日本人のために世界中で農業生産に使われている面積は
 1200ヘクタールで、日本の農地面積の2倍以上になるのです。

 世界中に食べ物があり余っているわけではないのです。
 どこの国の農業生産にも限界があります。
 繰り返しになりますが、それは生命のもととなる食べ物を
 産み出すのは人間ではなく、母なる大地、自然の力、
 自然の恩恵だからなのです。
 
 農業の土台となる自然は近代化も効率化もできません。
 どんな力を使っても沈む夕陽は止められないし、
 オンドリは卵を産まず、オス牛は乳を出しません。
 農業は自然の制約の中でその摂理に従い調和しながら営むしか
 ないのです。

 農業に競争や成長や効率を求めすぎた結果がBSEや
 鳥インフルエンザなのです。
 これは同じ命の一つながりにある家畜たちの死をもっての抗議で
 あり、母なる大地の警告と受け止めるべきです。
 
 自然の原理は大いなる循環であって成長ではありません。
 なんとももどかしいような営みではありますが、
 それでも、どんなに科学技術が進歩しても、工業ではコメ一粒、
 葉っぱ一枚生産できず、しかも、これがなくては
 人は生きられないのです。
 そこに競争や経済を超えて、それぞれの地域、それぞれの国に
 それぞれの農業が存在しなければならない根源的な理由が
 あるのです。』

38億年の歴史を持つ生命の世界を、私たち人間がわずか300年余りで
破壊してしまうかもしれないという現実。
しかしこれは大いに猛省し、変えなくてはいけない現実です。
わが子や孫たちがこの地球上で健やかに生きていくことを
願わない人はいません。
自然に対して謙虚になり、自らの生き方を考え直す時に来ていますね。


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日曜日, 4月 12, 2009

「多様な生命に満ち溢れた地球を感じられるように」-☆森のクマさん☆

9日は息子の入学式でした。

本人は学校に行く前からわりとリラックスしていたので、
私も妻もふだんの延長のような気分で楽しく式を
見守ることができました。

息子がこれから通う小学校は、今年109回目の
入学式を行ったという明治時代の創立で、
かつては妻も通っていた縁ある小学校。
学校にある樹齢が何百年もあろうかという大楠の樹たちが、
これから息子の成長を見守ってくれます。

桜満開に恵まれた入学の式典では、
さまざまなお祝いのお話を聞いた中で校長先生のおっしゃった
『新入生の皆さん、相手のいいところを見つけるようにして
 お友達をつくっていってください』
という言葉が印象に残りました。

1年4組の教室に入って一番前の席に座り、
担当の先生の話を聞いている息子の姿を廊下から見ながら
これから彼の新しい人生の経験が始まっていくのだなあと思うと
感動が胸の裡に湧いていました。


幼い子どもの心は、日々刻々、樹木の芽立ちのように芽を出し、
育ち、伸びてゆきます。
その人生の早期にめぐり合う人々(親や教師)は、
はつらつとした感受性を持って、若々しい子どもの心に
豊かな何かを得させることができるという点で
極めて重要な役を演じるものです。

先の日記でも紹介した服部祥子さんは、
『子どもを囲む大人たちは、多くの知識をふりまわしながら、
 めまぐるしく子どもに働きかけることよりも、
 幼い子どもの心に瑞々しく感ずる感受性を養うことが、
 何よりもまず大切と思う。

 私は幼少期に自然との出会いを持つ幸運に恵まれた。
 岡山の田舎の小さな谷間の村落で育ったため、
 凍て付く冬や、かすかな早春の息づきや、日盛りの夏を、
 身体全体で深く味わい、吸い込んで幼い日々を過ごした。

 家の前の庭は小さな生き物の住処で、私はよくありの行列を
 眺めた。
 一つの穴から出てきた無数のありが、一列になって庭を横切り、
 向こう端まで歩いていくさまを私はまじろぎもせず見つめていた。
 
 私にとって自然は言葉に言い表す必要もないほど
 親しみ深いものであり、自然と自分が何かしらハーモニーを
 盛っているように安らかな心地がしたように思う。
 
 後年母が私の幼少期を振り返り、しばしば語ってくれた。
 「あなたが空や山を眺め、野原や地面に寝そべって草や虫を
  一心に見つめている姿に胸を打たれ、
  そんなあなたの姿を自分も物陰から黙って静かに眺めて
  暮らしたよ」と。

 今は亡き母は、子どもに対する養育や教育に多くのまちがいや
 失敗をしたとよく口にした。 
 しかし私の幼少期をあれほど大切にして、やさしく繊細に
 育んでくれたことだけでも、私の生涯に何ものにもまさる
 宝を与えてくれたわけで、母のことを思うつど、
 胸いっぱいの感謝の念が湧き起こってくる。』
とおっしゃっていました。


息子には、多様な生命に満ち溢れた地球という
この素晴らしい世界を深く理解していってほしいと願っています。

そのために親である私がすべきは、
人生の最良の教師である自然とのめぐり合いを幼い心が
果たせるよう、静かな配慮をしてやることと
自然で素朴ではつらつとした人間の生きた姿を眺められるよう
心がけてやること。

この二つを大事にしていきたいと思っています。


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月曜日, 3月 30, 2009

「生涯に大きな宝ものを授けること」-服部祥子


大相撲春場所の千秋楽、白鵬が全勝で
10回目の優勝に花を添えました。
「心技体」の充実が感じられた今場所
で、これからの相撲道の精進にますます
期待がかかります。

先場所1月の優勝決定戦で、
白鵬が朝青龍に敗れた際、 6歳を
迎えた息子は大粒の悔し涙を
流していました。
2月に観戦した大相撲トーナメントで白鵬が優勝した時、
花道の上から声援を送ることができたと思い出しては
うれしそうに語る息子。

毎日帰宅連絡で電話をかけると、開口一番その日の
取組み結果を話す息子は、白鵬の優勝を心から喜んでおり、
こちらも嬉しい気持ちでいっぱいになりました。


 『 六つになった       
              A・A・ミルン

   一つのときは、
   なにもかもはじめてだった。

   二つのときは、
   ぼくは まるっきり しんまいだった。

   三つのとき、
   ぼくは やっと ぼくになった。  

   四つのとき、
   ぼくは おおきくなりたかった。

   五つのときには、
   なにからなにまで おもしろかった。

   今は六つで、
   ぼくは ありったけ おりこうです。

   だから、いつまでも 六つでいたいと
   ぼくは思います。  』

服部祥子さんは、この詩を紹介し、こう語っています。

『六つの子どもは人間の一員としての知性や情感や意志力の
基礎を相当堅固なものにしてきた。
 自分が「ありったけおりこう」だから
 「六つのままでいたい」という六歳児。
 彼は自分の存在や自分の持つ力に信頼を寄せ、明るく積極的に
 自己肯定をしているのである。

 自他への愛と信頼を積極的に育てるためには、
 豊かな世界に子どもを置いてやることが必要である。
 子どもを囲む人や物-
 洗濯をし、夕餉のごちそうを並べ、やさしい言葉でものをいう母、
 大きくて力強い父、親しい人々、家具や家庭で使っているもの、
 話される言葉、まわりに見える山や河、木々や花々、
 影や日の光等々-
 
 子どもをとりまく世界が豊かであればあるほど、
 子どもはその瑞々しい眼や耳や身体で見たり、聞いたり、
 感じ取るものが多い。

 A・A・ミルンの詩のように、子どもは年ごとに精神発達の
 階段を一歩ずつ昇っていくが、同時に人間関係をも深めていく。
 もちろん愛や信頼関係を確立するまでにはこれから先長い
 歳月が必要である。
 しかし幼き日に、自分及び他者への愛と信頼を積極的に
 育てようと親が努めることは、その子の生涯に大きな宝ものを
 授けることになると私は信じている。』

 
3年間楽しく通った幼稚園を無事卒園し、
今春4月から新1年生となる息子。
新しい環境の中で、良き出会いとそれによって培われる
人間に対する「基本的信頼感」を得るようにと願っています。

理屈でも何でもない、我が子を可愛いと思うこと。
我が子に触れて素直に喜び、自然の生命が満ち溢れるように
愛おしく感ずること。
妻と共にいつも息子への愛を感じ、人生の意義を学べています。


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月曜日, 3月 16, 2009

「混沌とした時代の中で」-星野道夫


夜、星野道夫さんの本を開く。

地球環境問題という正解のない
問いに対し、日々取り組み
前に進み続けようとする中で、
誰かの言葉に後押しされたい時、
この方向でいいんだよと
言ってほしい時、 彼の言葉はいつも
私の心を落ち着かせてくれます。

『混沌とした時代の中で、
 人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、
 私たちはある無力感におそわれる。
 それは正しいひとつの答えがみつからないからである。

 が、こうも思うのだ。
 正しい答えなど初めから存在しないのだと・・・
 そう考えると少しホッとする。

 正しい答えを出さなくてもよいというのは、
 なぜかホッとするものだ。

 しかし正しい答えは見つからなくても、
 その時代、時代で、
 より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。』
                  星野道夫 

そう、私たちには現在において
より良い方向を模索してゆく責任があるのですね。


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日曜日, 3月 08, 2009

「自然を思想することにより魂を取り戻す」ー鶴岡真弓


前の日記では、わが師C.W.ニコル氏の日本でのすばらしき出会いの一つを紹介しました。

ニコルさんは英国のウェールズ出身であり、ケルト民族の血が流れています。彼の桁外れに豊かな感性は、”多様性”を大事にしてきたことから生まれてきていると思います。
鶴岡真弓さんは、このケルト文化をやはり守り継いでいるアイルランドの人々の
自然観についてこう語っています。

『自然や自然環境について語るというのは、
 人間や世界を考え続けていくときの答えのない扉の鍵、
 「考えるきっかけ」のようなものではないでしょうか。

 歴史という人間の危うい経験を何とか役立て、
 私たちが忘れ去った宝物を見つけ出すきっかけにしたい、
 そう思います。
 自然に対する人間の想像力というものが希薄になってきている
 いまだからこそ、余計にその重要さを感じるんですね。

 自然や風土や風景というのは、正直なもので、
 その国民や民族の思想を目に見えるかたちで映し出してしまう
 鍵なのだと思います。

 戦後60年以上経って、いま、日本人の誰もが
 心の中で気づき始めているわけですが、
 戦後の日本人は、アメリカから授けられた民主主義や
 欧米の合理主義の中で生きてきました。

 しかし、その中で日本人の精神文化の中身は、
 得たものより失ったものがあまりにも大きいと思うのです。
 日本の歴史を通じて、もっとも自信のない日本人、
 つまり自然と風土の中に思想を持たない日本人になってしまった
 という落胆があります。

 いくら破壊されたとはいえ、
 まだまだ緑と水に覆われ囲まれているのが日本であって、
 子供のころに山野を駆け回っていたときに感じた
 あの自然というのは、
 超越的な恐ろしいものではなく、
 すぐ自分のそばにある親しみのある自然だったと思うのです。
 そういう環境の中で、日本人は自然を親しい神々と感じ
 敬ってきたのだと思います。
 
 つまり、日本人の神々というのは、
 自然のかそけき声や、風の微妙な肌合いを身近に感じるもので、
 その緻密さとか、微妙さといったものが、
 私たちの思想や文化の根源になっていると思います。


 しかし、そうした風土の思想を持つ日本に、戦後、
 アメリカという強力なプロテスタント国家の自然観が
 教条的に入ってきました。
 
 世の中の全ては、絶対不変の原理と法則によって美しく
 完璧に管理されている、
 自然もまた完璧に人間の英知と科学で統御されるものなのだ、
 という一神教の方法論が、明治以来日本に入り活用されてきた。

 特に戦後は、工場の汚水が自然を破壊したという
 物理的な問題以前に、
 いわば形而上学的に杭が打ち込まれ、
 それによって日本人の自然観は、わずか60年の間に
 大きく変容させられることになってしまいました。

 これは、悪いという意味ではなく、
 キリスト教社会では唯一絶対の「神」が精神生活から
 生産形態、自然までも統率する管制塔なのですが、
 日本において、
 この管制塔方式の「型」が真似された結果、
 それがむりやり学校とか家庭の日常の心情の次元でも、
 その型だけが教え込まれ、
 管理の形だけの民主主義とか、形だけの生活というものしか、
 手元に残らなくなってしまいました。
 
 もうそこには、親しい「自然」の山野を駆け巡ったときの、
 躍動する楽しい心も、アニミスティックな自然への敬いも
 忘却されてしまって何もありません。

 アメリカ人の自然観は、ディズニーランドの池であろうが、
 アンクル・トムの小屋の森であろうが、西部劇の荒野で
 あろうが、すべて彼らの「神=創造主」の管理の下で
 完璧に造られた、神の「完全性のユートピア」としての
 自然なんですね。

 それは、先住していた北米先住民の自然崇拝的自然とは
 まったく異なります。


 この60年の間に、なぜ、日本人が「魂」を失って
 しまったのか。

 それは、自分たちの手で自分たちの表象としての自然、
 環境を度外視して、西洋の借り物である爪先立った
 自然観の中で愚直に生きてきた結果です。
 
 「物理的に自然環境が変わってしまった」と嘆く前に、
 自分たちがしっかりと「自然を思想しているか」を
 自問しなければならないと思います。』


自然を思想するということは、自己の本性に気づき
近づくことにつながります。
名嘉睦稔さんは、そのことについてこんなヒントを与えています。

『私たち一人ひとりの中にある原初的な力
 -自然界(神)と同化するための畏敬の念や
  たくましい野生、深い感性や霊性-
 
 それらをもう一度思い起こし、
 自らの手でスイッチをオンにすることです。
 難しいことはありません。
 自らの奥にあるものを当たり前に認めれればいいのです。』



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土曜日, 2月 21, 2009

「昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う」-バーナードリーチ、C.W.ニコル


縁(えにし)とは、深く味のあるものですね。
人の縁、土地の縁などまるで茶の湯の如く。

先日、息子が入ったばかりのビーバースカウトの活動で、
我孫子駅から手賀沼の辺りまで名所を訪れながら歩く
ハイキングに参加しました。

そこで思わぬ収穫だったのが、我孫子はかつて昭和初期『民藝運動』
を始めた柳宗悦氏が住居し彼を慕い、志賀直哉、バーナードリーチ、
濱田庄司、棟方志功、河井寛次郎という『白樺派』と呼ばれた
一流の芸術人達が集まった土地だったことを知ったことです。

バーナードリーチ氏。
彼は、六代乾山に師事し、東西の伝統を融合し、独自の美の世界を
創造した英国人陶芸家であり、本国でも高い評価を得ています。
私が彼の名前を知ったのは今から10年ほど前のこと。
我が師C.W.ニコル氏を黒姫に訪ねたときのことでした。

いつも執筆に使っている書斎に特別に入れてもらうことができ、
そこで目にした数々の原稿と数冊の本。
私は氏の本はたいてい所有していましたが、その中に未だ
目にしたことのない題が。

『バーナード・リーチの日時計』
来日して間もない頃に知り合った仲省吾さんという老人との交友に
ついて語っている随筆。
この本を元にNHKが1983年、ドラマ「日時計」を放送しています。

 ”英国の若者と日本の一老人の心の交流を1枚のタイルの陶板で
  作られた日時計をなかだちに描く異色のドラマ。
  作者C・W・ニコル氏は長野県在住のイギリス人。
 
  1964年、日本に留学していた24歳の若者ウィリアムは、ある日、
  武蔵野の林の中で日本人の仲さんに英語で話しかけられる。
  ウィリアムは、自分の祖父に対するような親しみを覚える。
  仲さんは老人ホームの庭に日時計を作っていた。
  そこにはめこまれた陶板は、英国の陶匠・バーナード・リーチの
  ものだった。

  秋、仲さんは病いに倒れる。
  仲さんの脳裡を去来するのは、リーチと共に過したロンドンの
  日々である。
  ウィリアムを昔の仲間と思いこむようになった老人をなぐさめる
  ために、彼は仲さんの思い出の中の人物の役をつとめるように
  なる。
  64年冬に老人は衰弱しうわごとのようにリーチについて
  語るのだが、ある日ニコルは新聞でリーチ来日の記事を読み、
  連絡を取ってリーチを老人に引き合わせる・・・。”

その後、1969年仲氏が亡くなった後にニコルさんは氏が生前を
過ごしていた老人ホームを訪ねます。
庭にあった日時計は、既に取り外されていましたが、真鍮の台座は
残されており藪や誇りに覆われていた碑板には、
一人の人の人生の宣言がこう書かれていました。

『昼は栄光の恵に浴して歩み
 夜はその懐に憩う』

ニコルさんはその時のことをこう語っています。
『私はその時初めて、老人が書き残したこの詩の真のこころを
 感じた。
 長い年月の間人の目から隠され、今再び自分が掘り出した、
 その日時計と碑板の前に立っていると、
 何だか老人の霊が私の傍らに立って、微笑んでいるような気が
 するのであった。』


若かりしバーナード・リーチ氏が火災のために自分の家と窯とを
焼かれて困窮していた時に、彼を助けて立ち直らせたのが
仲省吾氏でした。

再びニコルさんの言葉から。
『この二人の人物の間には疑いもなく深い友情があった。
 二人はそういう友情がもっとも大切な人生の時期に助け合い、
 啓発し合った。
 そしてやがて時と戦争と身辺の事情とが二人を引き離して
 しまった。
 しかしどんな邂逅にも、どんな友情にも断ち切ることのできない
 何ものかが常にひそんでいる。
 
 当時、私はまだ24歳の若者で、やっと自分自身の人生に踏み出し、
 冒険や困難や悲劇にまだこれから遭遇することになる時のことで
 あった。
 その私にとって、仲省吾氏は人生の黄昏にいる、やさしい明治人の
 老紳士に過ぎなかった。
 私たちの出逢いはまったくの偶然の賜物であった。
 そうとしか私には思えない。
 大切なのは、私たち二人がお互いにとって役立つ時を持ったことで
 ある。』


ニコルさんの旧い記憶にある懐かしい物語のことを、
私は我孫子の土地を歩きながら思い出していました。
それにしても、『昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う』
という言葉の何と奥深いことと思うばかりです。


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水曜日, 2月 11, 2009

「心優しき金剛力士と息子」-☆森のクマさん☆


先日、大相撲トーナメントを観に、
家族3人で両国国技館へ行ってきました。

6歳になったばかりの息子は以前から大、大、大の相撲ファン
場所中は、ほぼ毎日16時から18時、テレビの前で
NHKにかじりつき、歓声を上げて楽しんでいます。
妻の『そんなに好きなら!』ということで、今回行くことにしたもの。

両国駅に着いてすぐ横にある国技館に向かうと、後ろから
「あ、把瑠都だ」との声が。
見るとたしかにテレビで見る大きな姿が近づいてきて、
握手をしてもらえたと息子は大喜び!
(把瑠都関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=2731


その後、受付を通り中に入ると取り組みを終えて部屋に帰る途中の
力士の姿が。
愛想よく撮影に応じてくれ、息子に「がんばってね」との声まで
かけてくれました。とても優しく感じのいい関取。

帰宅後調べるとその力士は「四ツ車大八」関。
この名前は江戸時代からの由緒ある四股名だそうですが、
ぜひこれから頑張って昇進してほしいと願っています。
(四ツ車関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=1458


館内では二階席からの観戦でしたが、結構よく見ることができ、
息子は取り組みを直に見ることができ、とてもご満悦。
トーナメントが始まると、息子は取り組み表を片手に夢中で
見ていました。

特に、準決勝で「琴欧州」が「朝青龍」に勝つと、先場所の
優勝決定戦で「白鳳」が「朝青龍」に負けて、悔し涙を流していた
息子は「あ~すっきりした」と喜びの笑顔

今回優勝の白鵬が表彰式後、退場していくときには、
息子は2階席の一番前まで行き、手すりから身を乗り出して、
白鵬に向かってこう叫んでいました。

『白鵬~!!! 白鵬~!!
 オレは幼稚園で一番強いんだぞーー』

さぞ、満足したことでしょう。


そして、昨日は「北桜関」と写真を撮ってもらうこともできました。
大勢のファンに囲まれた人気者の「北桜関」の横に息子が行くと、
関取はひょいと軽く抱き上げてくれました。
息子は本当に嬉しそうでした。

後で知ったのですが、「北桜関」は相撲普及に腐心し、
特に子供のファンには、「子供の良心を信じて」自らの
携帯電話の番号を教え友達になって相撲をより知ってもらおうと
しているそう。
現在37歳だそうですが、まだまだ頑張って子ども達にぜひ勇姿を
見せてほしいと願っています。
(☆北桜関のブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/meiko1fight555

初めて観に行った大相撲は、とても楽しいものでした。
今回お会いできた力士の皆さんを来場所応援するのを
今から楽しみにしています。

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木曜日, 2月 05, 2009

「一日接すれば一日の愛が生じる」-西郷隆盛


如月に入りました。

本来であれば真冬の凍て付く寒さに朝晩の通勤が辛いはずですが、
今年は年明け1月からさほど厳しい寒さを感じた記憶が
あまりありません。
たしかに駅へ向かう通勤路でわずかに残された土の見える場所を
朝方通っても、霜が降りた様子を見たのは数回程度でした。

昨日は立春。
昔から、「東風氷を解く」と言われ、春が一歩近づくことを
感じられる時節。

今晩私は、ふと気が向いて「老子」を読み、
ある一章の言葉に心が深く寄せられました。

『埴をこね、もって器を為る、
 その無に当たりて器の用あり』

(粘土をこねて、茶わんや花びんをつくる。
 それぞれの器の内部の、からっぽの「無」の部分があるから、
 役に立つのである。
 粘土をこねてつくった茶わんの形のあるところも、大切だ。
 が、もうひとつ、茶わんの中のからっぽの部分があるから、
 ご飯を入れたり、みそ汁を入れたりすることができる。 
 有形の茶わんを役立たせるのは、
 なんにも見えない茶わんの中の「無」であるということを、
 深く見つめ、その働きを考える)

かつて、人間のえらさを測る一つの物差しは、
その人間がなしとげた事業の大きさであり、
もう一つは、そういう仕事を行ったのがどのような人間であったか
である、と聞いたことがあります。

この「腕と人柄」を両方兼備していたのが、西郷隆盛でした。
徳の高さと私心のなさから、多くの人々に敬愛されました。

『西郷先生は不思議な人格だ。
 一日接すれば一日の愛が生じ、二日接すれば二日の愛が生じる。
 おれはもう数ヶ月接してしまった。
 おれはもう西郷先生とともに死ぬしかなくなっている』
 
 西南の役の折、大分県臼杵の士族隊の隊長が、
 敗戦濃い日、国もとから早く帰れと言ってきたので部下を
 帰国させた時にこう歎じたといいます。

こういう仕事をした人だというよりも、
こういう人柄の人であったという方が、いつまでも
人をひきつけるものですね。
その人の品性の高尚さと、徳の高さが大事なのだと思います。

『敬天愛人』まさしく西郷さんは、天を敬い人を愛した、
無為自然の巨人でありました。


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火曜日, 1月 20, 2009

「自分自身よりも大きな理想を追いかけたときに初めて、本当の可能性に気づく」-バラク・オバマ


20日は、米国の新大統領であるバラク・オバマ氏の就任日。
世界中の人々が高い関心を持っていることでしょう。
「キング牧師記念日」である1月19日、氏は地域社会での
奉仕活動に加わるよう国民に呼び掛け、
自らはワシントンのホームレス支援施設でボランティアの人々と共に壁の塗装を行ったそうです。

約1年前の昨年2月10日、アブラハム・リンカーンに縁の
深いイリノイ州で大統領選の出馬宣言を行ったオバマ氏は、
集まった群衆にこう語りかけました。
『あなたがたは、この国の未来を信じるからここへ来たのです。
 私たちは一つの国民になり、可能性を切り開き、
 もっと完璧な連帯を築くことができると信じているはずです』

そして、新世代が奉仕への呼びかけに応えるときがきたと
訴えたのです。
『この選挙運動は、市民であることの意味を定義し直すもので
 なければなりません。
 力を合わせて何かを成し遂げるものでなければならないのです』



私はこの演説の言葉を聞いてから、旧世代の政治家とはあきらかに
異なる強いリーダーシップに期待を持ち、彼の言う「変革」
未来への望みを持ちたいと想い、大統領に就くことを願ってきました。

オバマ氏は、彼が受け継いだユニークなアイデンティティ-・・・
実父はケニア出身、実母はカンザス出身、幼ない頃に実父と別れ、
ハワイで少年時代を過ごし、6歳から10歳までは義父の住む
インドネシアで過ごし、大人になってからはシカゴで過ごすという
実に複雑で多様な社会の経験をしています。

シカゴでは、大学卒業後にコミュニテイ・オーガナイザーの職に
就きます。
『その仕事は、私の人間としての成長に役立った。
 牧師や専門家でない普通の人々と仕事をした経験を通して
 私は社会奉仕活動のリーダーになる決意を深めた・・・
 私の人種的アイデンティティ-が強まったし、
 普通の人にも普通以上のことができる能力があると
 信じる気持ちも確固たるものになった』

氏はここで一所懸命に活動を行い、最初は関心を持たなかった
地域の人々から次第に高い信頼を得ていきます。
一緒に働いたことのある人たちは、
オバマ氏は献身的で、勤勉で、知的で、人の心を動かし、
聞き上手であったと語っています。

そしてここでの経験が政治家としての考え方を形成したのです。
この仕事から得られた多くのテーマ-
『さまざまな意見の共通の土台を見出す努力、普通の市民を信じる
 気持ち、問題を検証して勝ち目のある立場に持ち込みたいと願う
 気持ち』
-は大統領選で多くの国民から共感を得られました。

07年5月、サウスニューハンプシャー大学の卒業式の講演で
オバマ氏は奉仕への呼びかけを行っています。

『この国では、連邦政府の赤字について多くの議論がなされています。
 しかし、私たちがすべき議論は、思いやりの赤字についてでは
 ないでしょうか。
 すなわち相手の立場になって考える能力や、自分達とは違う人々-
 飢えた子ども達、解雇された労働者、あなたの寮の部屋を掃除して
 くれる移民女性 の目を通して世界を見る能力の欠如についてです。

 歳を重ねると、この思いやりという資質を養うことは、
 容易になるどころか難しくなります。
 現実の世界では、コミュニティへの奉仕は義務づけられている
 わけではありません。
 他人を思いやることは、強制されはしないのです。
 自分とまったく同質な人々が集まる地区に住み、
 皆と同じ学校に子どもを通わせ、自分達の小さな輪の中で起きる
 出来事のみに関心を示して生きる、それもその人の自由ですから。

 しかし、関心の間口を狭めずに広げるよう心がけてください。
 それは、自分よりも恵まれない人々に対して義務があるからでは
 ありません。たしかにその義務はありますが。
 いまの自分に到達する過程で力を貸してくれた人々全員に恩が
 あるからでがありません。たしかに恩はありますが。

 それは自分自身に対する義務だからです。
 また、私たち一人ひとりの救済が、全員の救済にかかっているから
 なのです。
 自分自身よりも大きな理想を追いかけたときに初めて、
 自分の本当の可能性に気づき、
 そして成熟した人間になれるからなのです。』

あと3時間後、オバマ氏はどのような就任演説を言うでしょうか。
混迷する世界経済、不安定な社会情勢、強く望まれる世界平和への
期待の中、彼は現実の世界に真正面に向き合いながら、
こうあってほしいと思う世界を求め続けることでしょう。

そして私たちもこれから彼と共に持続可能で明るい未来社会を
創造していけるはずです。
彼が言い続けてきた言葉、『 Yes, We can ! 』と共に。


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月曜日, 1月 12, 2009

「自然のなかにあるさまざまな時間を感じる」-中村桂子


昨晩は満月が夜空にとてもきれいに輝いて見えました。
寒いのを忘れて、しばしうっとりと魅せられてしまう力を
持っていました。
月を見ている自分と、地球の多くを照らしている月と。
この瞬間に自分と月との間には境がなく、一体化しています。

そしてこの月は、これまでに地球に存在し生成してきた幾多の生命を
見つめてきたことでしょう。
悠久というとてつも長いさまざまな時間が流れてきたことを
感じさせられます。

生命誌の研究に取り組まれてきた中村桂子さんは
こう語っています。

『いまの世の中は効率第一、時間も時計の示している時間
 だけですよね。
 だから何時何分に会いましょうとか、五分でやりましょうとか。
 それはきめないと世の中動きませんから、この時間ももちろん
 大切ですし、速くやる必要のあることもあるんですけれど、
 一本の木が立っていたときに、
 この木がここまでなるのに何年かかっただろうと思うと、
 百年だったり五百年だったりするわけですね。

 そのことを感じないと、ここに家をつくろうと思うと、
 ぱっと伐ってしまうわけでしょう。
 私の家の近くでも、昨日まですてきな雑木林だと思っていた
 ところが、今日歩いてみたら、 
 一本も樹が残っていない平らな宅地になっているということが
 しばしば起きています。
 しかも、その土地を買った人はまた小さな苗を植えるのです。
 伐らずにそのまま売れば買った人は、一本一本を大事に考えて
 家を建てるでしょう。
 この木は何十年立ってるかと思うと、これを生かしてつくる方法は
 ないだろうかと考えると思うんです。

 しかもそれを生かして建てた方が質の高い生活環境になる。
 実は、百年、二百年という時間は、身の回りにたくさんあるのに
 気づかないのです。
 そういう風に考えると、長い時間が身近になるはずです。 
 私が生きものは四十億年も続いているんですよというと、
 そんな時間考えられませんと言われてしまうんですけれど・・・。

 身近な木の時間とか、どうして私はここにいるんだろうと
 思ったときに、両親がいて、そのまた両親がいてと思うと、
 すぐに千年や二千年は戻っていけますよね。
 そうやって、いろいろな時間を自分の気持ちの中に持つと、
 単に大急ぎでやったり、じゃまだから伐ってしまおうみたいには
 ならないでしょう。
 しかも技術は否定しないで生きていくという選択はできると
 思うのです。

 ですから私はみんなが時計の時間だけでなく、自然のなかに
 入っているさまざまな時間を感じて暮らして欲しい。
 それは、自分のなかに入っている時間でもあるわけですから、
 そういう複数の時間を、日常のなかでも感じ取るというのが、
 命を大切にするということの一つの具体的な方法ではないかと
 思っています。』


近年の反省に立ち、科学技術を人間や自然を破壊するのではない形に
変換していくことが求められています。
自然破壊とは外部の自然を壊すだけでなく、人間自身の内なる自然の
破壊でもあることに気づき、「人間が自然の一部である」という
基本を真ん中に置いた発展を
私たちは目指していかねばならないと思います。


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日曜日, 1月 04, 2009

「名こそ惜しけれの心に息子とふれる」-司馬遼太郎、石原靖久


新年あけましておめでとうございます

昨年末からの腰痛は回復し、すっかりよくなってきています。
年末年始は、自分と妻の両親・兄弟や家族8名で冬の北陸を
楽しんできました。
長野、岐阜、富山、新潟の4県をまわり、冬の年始にすっかり
身も心も浄化されてきました。

そして、今日は息子の6歳の誕生日。
心身とも健康に育ってくれていることに大きな感謝の気持ちです。

いよいよこの春からは小学校に入学。
社会に接する場がまた一つ広がります。
私は、息子が小学校に上がったら司馬遼太郎さんの
「21世紀に生きる君達へ」を読んで聞かせたいとかねてから
思っていました。

司馬さんは、小学生にあてたこの手紙の中で、
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
を持つことの大切さを語り、それらは訓練して
身につけるものだと言っています。

『その訓練とは、簡単なことである。
 例えば、友達がころぶ。
 ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
 そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。』



作家の石原靖久さんは、この司馬さんの名文について
こう述べています。

『想像力とは、単純化してしまえば
 自分を見ているまなざしを感じることです。

 友達が転ぶ。
 平然としている自分がいます。
 しかし、それはまずいんじゃないか、
 なぜ手を差し伸べないんだと叱咤する自分もいます。
 他人がいようがいまいが、心の中にいる「もう一人の自分」が
 つねに自分を見ています。

 この「自分を見ている自分」を感じること。
 これこそが「名こそ惜しけれ」で育まれる自律です。

 自分という生身の人間は「名」を持っています。
 生身の自分はさまざまな欲望を持っているけれど、
 それを垂れ流してしまえば「名」まで汚れると考える。
 それが「名こそ惜しけれ」です。
 司馬文学の登場人物たちは、その一点で清々しいのです。

 司馬文学は、誰が「何をしたか」というより
 「どう生きたか」に重心があります。
 読み取るべきは”一人の人間としての生きざま”です。
 
 自分の名に誇りをもつこと、
 自己の人生にいさぎよい覚悟を抱くこと。

 いさぎよさも、清々しさも、勇気も、自立心も
 かつての日本人の説明原理になりえた「名こそ惜しけれ」の
 精神からしたたるようにして出てくるものでした。

 司馬さんは「言葉の正直さ」について
 こだわりを持っていました。
 どうも今の日本人にはそれが足りないのではないかと
 考えていました。
 国会で正論をぶつ政治家が、じつは自分自身その言葉を
 信じていないし、聞く国民も信じていない。
 すべてが茶番めいているのです。
 
 情報化社会を生きる子どもたちの目に映る大人の姿は、
 「あざやか」でも「さわやか」でもないのです。
 今、大人の値打ちはほぼ底値に近いのではないか。
 
 そういう大人が「心の教育」を語り、モラルを語り、
 果ては「日本人の心」や「愛国心」まで語るのです。
 うまくいくかどうか、ハードルはとても高いはずです。

 かつて田中直毅さんは「自分が最初に司馬さんから
 感得したのは、背筋を伸ばす、という人の生き方だった」
 と言いました。
 「名こそ惜しけれ」という言葉は、その背骨に流れる血液のような
 ものなのです。

 「背筋を伸ばす」という生き方を、背筋を伸びた大人が語る。
 これなら子どもにとってはわかりやすいはずです。
 背筋の伸びた大人はときどき暗がりに入って、
 人に言えないようなことに手を染めたり、つまみ食いをするような
 ことはしないからです。
 司馬作品に親しむということは、そういうことがわかるということ
 です。

 父と子が同じ目線で「読み」、そして語り合ううちに、
 背景におのずと「日本人とは何か」「大切にしたい心とは何か」
 という和音が快く横たわっていることに気づくはずです。』

   
 
司馬文学の底流を滔々と流れる日本人のモラルの根幹をなす
「名こそ惜しけれ」。
それこそが、目下の焦眉である子どもたちの「心の教育」
資するものではないでしょうか。

息子良篤のこれからの成長を楽しみに、
こちらも父として恥じぬよう背筋を伸ばすようにし、
この日記のような会話を父と子で紡いでいきたいと願うものです。


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日曜日, 12月 28, 2008

「私の存在も、隣の人の存在も、皆有り難いこと」-村上和雄


「ぎっくり腰」になりました。
ドイツでは別名「魔女の蹴り」と呼ばれ、
かかったことがある方は皆さんの中に
いらっしゃるのではないでしょうか。

25日朝のこと、数日前から続いていた
腰痛が突然ひどくなり立っているのが困難な程強烈な痛みに。
トイレに行くのに四つん這いでやっと(苦笑)

夕方、妻が予約してくれた鍼灸整骨院に初めて行くため
床から起きて立ち上がる時の痛さは本当にきついものでした。
杖をつきながらようやく歩く自分に、
足腰の弱い方やお年寄りの方達が苦労して歩く大変さを
身に沁みて感じました。
世の中には身体が不自由な方が多くいることを思い、
ふだん当たり前のように動けているという健康が、
実は当たり前では決してなく、
どれだけ有り難いことかとつくづく感じられました。

藁にもすがる思いの中、
中国出身の林(リン)先生の治療を受けました。
一昨日の晩は身体を少し動かすだけで激痛になり
ほとんど眠れなかったのが、
先生の安心を与えてくれる丁寧な施療により痛みが
少しづつとれて、何と有り難いことかと感謝の思いです。
また家族からの愛もあらためて感じ、
こちらにも本当に感謝しています。

22日伊勢神宮に初参拝してきたのですが、
その帰路に感じた腰痛からつながっている今回のぎっくり腰。
きっと意味あることと、神様からの示唆を思います。
尊敬する村上和雄先生は、有り難いという言葉について
こう語られています。

「『ありがとう』という言葉は、英語のサンキューとは異なる
 ニュアンスがあります。
 この言葉の背景に大自然とか宇宙というものがあるからでは
 ないかと思うのです。
 人間は自然の力だけで生きているのではなくて、
 大自然のお陰で生かされているという感覚です。
 『お陰様』『ありがとう』という言葉には、大自然に対する感謝が
 入っているはずです。
 
 『ありがとう』というのは『有り難い』ということです。
 人間の存在というのは、その細胞一個ができるのだって
 一億円の宝くじを百万回連続で当てるよりも、
 はるかに不思議なことが起こっている。
 そうすると、まずここに存在すること自体が『有り難い』わけです。
 この世に生まれてきて存在しているということが
 滅多にない大事件なんです。

 だから私の存在も有り難いのだけれど、
 隣の人もまた有り難い存在なのですよね。
 その滅多にない有り難い私が、
 滅多にない有り難いあなたに感謝する-
 そういう感覚が日本人の精神にはあると思います。

 そして、存在そのものが有り難いと思えるのは、
 その背後にサムシング・グレートを感じる感性があるからでしょう。
 これは全世界に通用する考え方だと私は思うのです。
 サムシング・グレートは、国も民族も超えるわけですからね。

 だから、日本人が築いてきた『お陰様』や『有り難い』という
 文化は間違いなく世界に発信できる。
 環境問題も民族問題も、すべてそれによって解決していけると
 思うのです。
 そういう文化を持っていることを、まず私たち日本人が自覚して、
 それを積極的に世界に向けて発信していくことが
 とても大切だと思っています。 

 言っているだけでなくて、行動で示さないと意味がない。
 そのためにどういう行動をとれるのか。
 それは単に経済力だけではない、もちろん軍備だけではない
 はずです。

 日本人が持っていた文化の力とかメンタリティ、あるいは
 スピリチュアルなものをどうやって世界に出していくか、
 それが私たちに課せられた大きな問題じゃないかと思います。
 
 これは他人事ではなくて、一人ひとりの日本人が
 自分の生き方を問い直すことと言っていい。
 それぞれの人が『自分はどういう生き方をするのか』と
 自問自答して、一人ひとりが答えを出して、自覚して行動する。
 そういう問題なのです。 
 国の方針をどうするのかというのももちろん大切ですけれど、
 最終的には個々人がどう自覚して行動するかに
 かかっているのです。」

自分だけの力で生きている人はどこにもいない。
太陽も、水も、空気も、地球も、何もなければ生きていけない。
そして、その太陽や地球の後ろで働いているサムシング・グレートの
力がなければ、生きていけない。
だから、生きていることはどんなにすばらしくすごいことか。

村上先生のおっしゃるこの言葉に学び、
生命の有り難さに深く感謝しながら生きていくようにと
思うばかりです。 


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日曜日, 12月 14, 2008

「溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる」-鎌田實


昨日までの「エコプロ2008」展が終わりました。
開始前に扁桃腺が腫れてしまい、
毎日ブースを訪れたお客様への説明を繰り返す中、
3日間が終わるとホッ。

この数日の暖かさから今日は一転して、寒い雨の日。
柳田邦男さんの本から一つの実話を読み、
心が深く揺り動かされました。


1986年4月、ウクライナ共部にあるチェルノブイリ原子力発電所で
起きた大規模な事故は、世界中の多くの人々に衝撃を与えました。

大気中に出された広島原爆の500倍という放射性物質が、
周囲に撒き散らされ、北接のベラルーシでは人口の1/5近い
約2百万人が被爆したといいます。
汚染地域では、年月が経つうちに、癌になる人々が増え始め、
とくに子どもの白血病と甲状腺癌が急に増えました。

長野県の諏訪中央病院の鎌田實先生らの医療専門家グループが、
1991年からこの子どもたちを救う活動を開始。
そのきっかけは、ソ連崩壊直前の国内混迷の中で現地からの悲痛な
助けてほしいとの要請を受けたものです。

鎌田先生らを現地で迎えたソ連科学アカデミーのクズネソフ教授は
「ひとりの子どもの涙は、
 人類すべての悲しみより重いと、
 ドストエフスキーが言っているが、
 チェルノブイリの子どもたちは今、泣いています。
 しかし悲しいことに、
 わたしたちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。
 日本の人に期待しています。
 助けてください。」

ベラルーシの現地の病院では、医療スタッフの水準は高いのに、
財政難ゆえに、白血病治療のための設備も薬もなく、
日本でなら救える子も救うことができないという厳しい現実が
そこにあったのです。

その後、「日本チェルノブイリ連帯基金」が立ち上がり、
会費や寄付を基に、治療に必要な抗がん剤や輸血バッグ、
無菌装置など約6億円分を、現地の州立病院に送り続け、
医療チームを70回以上も派遣しているそうです。
これにより、入院した子どもたちの生存率も飛躍的に向上したと
いいます。

その間、日本の医療関係者はベラルーシの患児、家族や医療スタッフ
との深い交流から、様々な”人間の絆”が生まれました。
鎌田先生は「雪とパイナップル」(集英社)で、患児と日本人医療
関係者との心を通わせ合った日々をつづっています。

アンドレイ・マルシコフ君。
彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きました。
母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園を散歩していました。
死の灰が降っているなどとは知らずに。

10年後、アンドレイ君は急性リンパ性白血病を発症します。
通常の抗がん剤治療では効果のない難治性の白血病に。
ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、少年のいのちを
必死につなぎとめようとする厳しい闘いが始まりました。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる幹細胞を
取り出して戻すことにより白血球を増殖させる移植医療を行います。
アンドレイ君の病状はいったんかなりよくなりました。

しかしやがて再発し、治療によって再び安定しても、また再発。
そして、抵抗力がなくなっていき、
2000年7月、14歳で生涯を終えました。


鎌田先生は、それから2年後、リンゴの花が咲き乱れる5月に、
アンドレイ君の母親のエレーナさんをを訪ね、
感謝とともに心温まるエピソードを聞かされたのです。

『骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れないアンドレイ君に
 日本から来ていた看護師のヤヨイさんが
 「何なら、食べられる?」と何度も聞くと、
 アンドレイ君は小さな声で
 「パイナップル」と答えました。
 
 寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを
 食べたのが忘れられない記憶になっていたのでしょうか。

 ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて、パイナップルを
 探し回りました。
 しかし、経済崩壊の最中にあるベラルーシでは、容易に
 見つけることができません。
 
 日本の若い女性がベラルーシの子どものために、パイナップルを
 探しているという噂が町に広まり、缶詰を持っている人から
 病院に届けられました。 

 そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたことが
 きっかけとなり、食事がとれるようになって、
 少しづつ元気になっていったのです。』
 
エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、
『あるはずのない、パイナップルを探して雪の街を
 歩きまわってくれた彼女のことを考えると、
 わたしは人間ってあったかいなって思いました。
 
 わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、
 わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
 生きている意味が見えなくなりました。
 
 でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、
 忘れていたものがよみがえってきました。
 
 それは感謝する心でした。
 わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがってきました』 


この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言っています。
『人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
 少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は
 支えられていないのだと思った。

 人間ってすごい。
 溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
 人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、
 文化が違っていても、歴史が違っていても、理解しあえる。』


私たちが生きていくうえで欠かせない”温り(ぬくもり)”。
その温かなこころにふれたとき、人は生きていく勇気や元気が
満ちてくるのでしょうね。
感謝の念と共に。


「日本チェルノブイリ連帯基金」
 http://www.jca.apc.org/jcf/home.html


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日曜日, 12月 07, 2008

「全体をとらえる観察眼」-養老孟司


養老孟司さんは、解剖学者であり、「バカの壁」などの本で
世の中に対する鋭い見方を披露されたりしていますが、
一方で実は、昆虫採集の名人でもあります。

養老さんの世界を見る眼、自然を見る眼、人間(特に日本人) を見る眼は、全体から細部に至るまで実に行き届いています。

本質を見抜き、虚飾でない本当の自己を通して、鋭い観察を
通しての言葉を語られている方。

オーストラリア原住民のアボリジニのおばさん二人が
世間話をしている風景をみて、日本の「茶道」を連想されたと
いう話を紹介しましょう。

「二人のおばさんが向かい合わせの形で、
 芝生に腰をおろして話を始めた。

 それだけの風景なのですが、じっと見ていたら、
 おばさんが座りながら後ろ手で芝生の上を探っているのです。
 
 それは何をしているかというと、
 そこに落ちている落ち葉を探っているのです。

 公園ですからプラタナスか何かの大きな木が何本かあって、
 大きな葉が落ちている。
 
 それを手探りで探して、一枚拾う。
 そして、その上に手をつくんです。
 そして反対側もこうやって探して、また一枚拾って、
 適当な場所に置いて、手をつく。

 実に見事な優雅な動きなのです・・・・

 その動きを見ながら、
 僕は「これはお茶だ」と思いました。」


日本に限らず、世界の各地にはさまざまな身体技法があります。
これを、権威化することで中身を薄いものにしてしまうのではなく、
日々のふるまいの中にいかに取りこんでいくことができるか、
美としてとらえることができるか、ということこそが大事なのだと
思います。

従来型の大量生産・消費の価値観から転換し、自然生態系の持つ
循環の素晴らしさを私たち現代の人間社会に活かしていくことが
求められていますが、
それには、頭のみに頼って物事を考えるだけでなく、
身体全体でとらえるということが必要ですね。


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日曜日, 11月 30, 2008

「子どもたちの能力を信じ、その力を引き出す努力」-宮崎駿監督


昨日、「トトロのふるさと財団」記念シンポ
にて宮崎駿監督と一緒にお話させて
いただきました。

これは、映画「となりのトトロ」の舞台で、
東京都と埼玉県の境に広がる狭山丘陵
の自然保護に取り組む「トトロのふるさと
財団」が、設立10周年を迎えその記念
に開かれたもの。

同財団は、会員から寄付を募り土地を買い取るナショナル
トラストの手法で、里山の環境保全に取り組む日本で初めて
の財団法人。これまでに約1万5千平方メートルを取得して
います。

私は、所属する会社が財団の応援を行っており、
社員の方達が里山保全を積極的にお手伝いしていることから、
最初に同財団とのつながりを持った縁で登壇の栄誉を
いただきました。

シンポジウムのパネルデイスカッションのパネリストは
所沢市在住で財団顧問でもある宮崎駿監督や私など5名。
監督は「美しい風景が少しずつできている」と10年間の
財団の活動を評価されていました。
また自然保護活動について、こう述べられました。
「いろんな所で俺のやり方が正しい、いやこっちの方が正しいと
 やりあってうまく進んでいない所が日本のあちこちにある。
 正しいという言葉をみんなが使いあうからおかしくなるのです。
 正しいということの押し付けはもうやめましょう。
 私は自宅の300M範囲の中で関わることだけに絞って
 責任持つようにしています。
 毎日ごみ拾いを行うとか、変な開発が起きないように
 気をつけるとかしています。
 でも、狭山丘陵はトトロの名前を使ってもいいと言った時点で縁が
 できたので範囲を超えて応援することにしているのです」

とおっしゃっていました。


監督は「ルパン三世カリオストロの城」,「風の谷のナウシカ」,
「天空の城ラピュタ」,「となりのトトロ」,「もののけ姫」,
「千と千尋の神隠し」,そして「崖の上のポニョ」
など幾多の名作を
生み出してきた世界中に多くのファンを持つ映画の巨匠。

私は10代の頃から現在に至るまでこれらの名作に感動し、
物語の奥深さに深く引き込まれてきました。
初めて間近に接し、横に座ってお話をさせていただくことのできた
至福の時間に、私の感じた監督。

何を描く時にも自分が見てきた風景を必ず基礎にするという姿勢から
語られる言葉を横で聞いて感じたのは、
物事の有り様をシンプルにかつ普遍的なものに捉えるこだわり。

誰でも通る誰でも感じる人生の社会での様々な喜怒哀楽を、
いかに普遍的に表現するかというために深く深く掘り下げていく
ことを徹底する大いに尊敬すべき愛すべき頑固な名職人。

かつて黒澤明監督が「もののけ姫の推薦文」に、
「私は、日本のアニメーション映画のファンである。
 見ていて、ニコニコ笑ったり、ポロポロ泣いたりしている。
 自然で素朴で理屈っぽくないのがいい。」
と書いていますが、
まさしくこの自然で素朴で理屈っぽくないというのが
宮崎駿監督の実物でした。


「今、私たちの社会は潜在的な不安に満ちています。
 私たちの職場(スタジオ・ジブリ)でも、それは同じです。
 自分のかわいい子どもたちにどんな未来が待っているかと
 いうことについて、 非常に大きな不安を親たちが持っています。
 それから、子どもをどういう風に育てたらいいのかということに
 ついても大きな不安を持っています。

 それで映画を作りながら、私たちはジブリで働いている人間の
 ための保育園を作ってしまったのです。
 地方自治体から補助をもらうと、いろいろややこしいことが
 くっ付いてきますので、好きなことをやるために、
 まったく企業負担でやることにしました。

 部屋の中に階段やはしごがあったり、穴が空いていたり、 
 それから伝統的な日本の畳や床の間や障子が入っているような
 不思議な建物です。
 庭には山や大きな石や、いかにもぶつかると痛そうな石の階段や
 砂の坂道や、それから落っこちそうな池があります。

 今年の4月から始めたのですが、子どもたちをそこに放つと、
 ハラハラドキドキ鳥肌が立つような恐怖を感じます。
 しかし、子どもたちは環境を利用して、敏しょうに転がって、
 泣きもしないのです。
 池の中に入って遊び、木の実を拾って食べ、はいながら砂の坂道を
 登り、滑り降り、本当に見事なものです。
 この保育園を作った結果、私たちは子どもの未来を不安に思う
 よりも、子どもたちの持っている能力に感嘆する毎日になりました。

 この国に立ち込めている不安や将来に対する悲観的な考え方は、
 実は子どもたちには全く関係ないことなのです。

 つまり、この国が一番やらないといけないことは、
 内部需要を拡大するための橋を造ったり、道路を造ったりすること
 ではなく、この子どもたちのための環境を整えること。

 常識的な教育論や日本の政府が言っているような
 くだらないようなことではなくて、
 ナショナリズムからも解放されて、
 もっと子どもたちの能力を信じて、
 その力を引き出す努力を日本が内部需要の拡大のためにやれば、
 この国は大した国になると信じてます。

 実際に子どもたちを取り巻いている環境は、私たちの
 アニメーションを含め、バーチャルなものだらけです。
 テレビもゲームもそれからメールもケータイもあるいはマンガも、
 つまり私たちがやっている仕事で子どもたちから
 力を奪いとっているのだと思います。
 
 これは私たちが抱えている大きな矛盾でして、
 「矛盾の中で何をするのか」をいつも自分たちに問い続けながら
 映画を作っています。
 でも同時にそういう子ども時代に1本だけ忘れられない映画を
 持つということも、
 また子どもたちにとっては幸せな体験なのではないかと思って、
 この仕事を今後も続けていきたいと思っています。」


昨日のシンポジウムに来ることをとても楽しみにしていた息子は、
パネルデイスカッション終了後舞台裏で大好きな宮崎駿監督に
会えました。
息子が腕に抱えていた絵本「となりのトトロ」をぱっと見て
監督は「はい、握手」と手を差し出してくださり、
息子はすこし照れながら握手をしていました。

夜に開かれた懇親会では幸いなことにここでも隣の席となり、
いろいろなお話をざっくばらんに聞かせていただくことができたのは
本当にうれしいことでした。

監督がサインに書いてくれた中トトロの絵を見ては、
うれしそうにする息子にとっても、私にとっても
まさしく一生の宝の時間をいただいた幸せな日です。


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日曜日, 11月 09, 2008

「目に見えないものに価値をおくことができる社会へ」-星野道夫


夜8時、テレビをつけたところ
、「トーテムポール」が画面に・・・
番組は「NHK探検ロマン世界遺産」
カナダ・スカングアイ編。
なつかしいクイーンシャーロット島、そして
ハイダ族の人々が登場。

私は2001年12月、新婚旅行と兼ねた星野道夫さんの足跡を
辿る旅をしました。
2週間ほどをかけてカナダやアラスカ各地を回り、
星野さんのつながりのある多くの方達と交流することができた
とても貴重な旅。

番組には島でお会いし、私たちにとてもよくしていただいた
先住民ハイダ族のデイビッドお爺さんも登場していました。
今年70才とありましたが7年前にお会いした際の写真をアルバムから
取り出して見ても、全然変わらぬお元気そうな姿になつかしく、
嬉しい気持ちになることができました。

デイビッドお爺さんはトーテムポール作りの名人。
今作っているというトーテムポールを私たちに見せてくれながら、
いろいろな話をしてくれました。
ハイダ族の歴史、伝統文化、言語・・・。

島のスカングアイは、19世紀終わり頃にヨーロッパ人が持ち込んだ
天然痘の流行により、当時暮らしていた6千人の7割が死に、
生き残った人々は村を捨て別の場所に移り住みました。
20世紀になると、列強各国の博物館が世界中の歴史的な美術品の
収集に乗り出す時代が始まります。
そして、スカングアイの多くのトーテムポールも異国の地に
むりやり運ばれていきます。
中に収められていた先祖達の遺骨と共に。

「ニンスティンという場所を訪れた時に出合った
 ウオッチャーの話は忘れられない。
 彼はなぜ白人たちが他民族の神聖な場所を発掘し、
 さまざまなものを持ち去ってゆくことができるのか
 わからないと言った。

 多くのトーテムポールが持ち去られた後、
 生き残ったハイダ族の子孫は次第に立ち上がってゆくのである。
 彼らはその神聖な場所を朽ち果ててゆくままにさせておきたいとし、
 人類史にとって貴重なトーテムポールを何とか保存してゆこうとする
 外部からの圧力さえかたくなに拒否していったのだ。

 『その土地に深く関わった霊的なものを、
  彼らは無意味な場所にまで持ち去ってまでして
  なぜ保存しようとするのか。
  私たちは、いつの日かトーテムポールが朽ち果て、
  そこに森が押し寄せてきて、
  すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っているのだ。
  そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。
  なぜそのことがわからないのか』

 その話を聞きながら、目に見えるものに価値を置く社会と、
 見えないものに価値をおくことができる社会の違いを
 ぼくは思った。
 そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。
 夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、
 より根源的であるように。」
                   (星野道夫氏の言葉より) 

デイビッドお爺さんは、ハイダ族の長老の方達が集まる場所に
今日会ったばかりの私たち夫婦を連れていってくれました。

そこでは、数人の長老達が思い思いに座って話をしながら、
ベイマツの樹皮で部族の伝統的な帽子を編んでいて、
私たちが入ると皆さんが温かな言葉をかけて歓迎してくれたのです。

ハイダのお年寄り達はかつて子供の頃、政府により強制的に寄宿舎に
入れられて英語での教育を受けさせられました。
ハイダの言葉を使うと鞭で体を叩かれ、家族が恋しい、早く家に
帰りたいと毎晩泣いていたのだそうです。
自分達の伝統文化を否定された時代に生きてきた人々の深い悲しみ。

しかし今では、ハイダ族や多くの先住民族の長老達が、
残された生命の時間を捧げて、自分達の伝統文化を、言語を
次の世代に残そうとしています。

民族の歴史と長い時間の中でそれぞれを生きたさまざまな人々の
自分の血が流れる故郷への熱い思い。
これこそ遺すべき世界遺産なのではないか。
番組を見ながら、旅の懐かしさと共にそんなことを思いました。


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土曜日, 11月 08, 2008

「命の尊さを知り、生命を大切に守るのが天の命であり人の道」-☆森のクマさん☆


11月2日に息子の七五三のお祝いを
行いました。
息子、私と妻、両祖父母が集い、
氏神様である北星神社にて、
いつも見守って下さっている
御祭神の天御中主大神様からの
お祓いと祝詞奏上をいただきました。

息子の成長に深く感謝し、
これからも末永く健康であるようにと祈願することができ、
心爽やかなとても気持ちのよい一日でした。

現代は医療技術の向上のおかげで、
昔と違い乳児の生存率がとても高くなっていますが、
昔は3歳まで子どもが生き延びるということは
とても大変だったそう。
5歳、7歳までとなるとさらに率が低かったそうで、
7歳まで子どもは人間ではなく、
神様からの預かりものという認識を
持っていたのだそうです。

「すべての命あるものには、
 産んでくれた親があります。

 すべての生き物と自分自身は個体としては
 別のものですが、
 すべては自分自身に通じているのです。

 すべての命ある生き物は
 自分の子や自分自身と同じで、
 宇宙には区別や差別は存在しません。

 ですから個体は別であったとしても、
 人は命あるものに対して
 慈悲の心が生じるものです。

 命の尊さを知り、生命を大切に守るのが
 天の命であり人の道なのです。」
         (池口恵観氏の言葉より)

健やかに大らかに育っている息子の現在あることに
深く感謝し、これからもたくましく成長していき、
今後自己の自主性・自立性を練磨して自由を確立していき、
発達する自己を通じて世のため人のために尽くす
心豊かな人物になってほしいと願っています。


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水曜日, 10月 29, 2008

「時代を超えた竜馬の魅力」-司馬遼太郎


NHK大河ドラマ「篤姫」。
高い視聴率をずっと維持し続けていますね。
話の中身は、幕末の動乱を描いており、
維新の英雄達が多く登場しています。

混迷の中にある現代日本において、
久しく待望されているのが社会を正しく強く
引っ張っていくリーダーの登場。
決して最近議員辞職を表明した元首相の
ように社会のゆがみを生み出すような人物ではありませんね。

維新の英雄達の中でも、傑出した世界観を持っていたのが
坂本竜馬でした。
名作「竜馬がゆく」を書き、この日本人として桁の違った好漢を
描いた司馬遼太郎さんは竜馬の魅力をこう語っています。
「竜馬という人はくさみのない人でした。
 競争心とか、自分を押し出してよく見せたいという意識がなかった。

 どういう訓練を経てきたのか、そういう意識が非常に薄かった。
 この薄かったことが重要でした。

 薩長連合という成しがたい、仇敵のように憎み合っていた
 両者を結びつけたのは、竜馬のくさみのなさでした。
 幕末において薩長が連合すれば幕府を倒せるということは
 誰でもわかっていたのです。

 幕府を倒さなければ日本が滅びます。
 アヘン戦争のようなことが起きるかもしれない。
 列強の植民地になるかもしれない。
 侍たちはそう思い、庶民だって思っていた。

 理屈はみんなわかっていた。

 竜馬は言い出しっぺにすぎません。
 しかし、坂本が言ったから両方ともOKということになった。
 薩長連合を成功させて自分の手柄にするといった
 意識がまるでなかったのです。

 時期も時期でした。両藩とも弱っていました。
 今だ、ということを見抜く能力も竜馬天性のものでした。

 大政奉還も坂本竜馬の構想であります。
 竜馬には勤王も佐幕もなかった。
 革命家でありながら、アウトサイダーではなく、
 インサイドにいて日本の設計図を持っていた。
 おそらく竜馬が持っていた設計図は、アメリカに似た
 制度だったと思うのです。

 ただ薩長の考え方は違いました。
 西郷、大久保らは社会学的な頭を持った革命家ですが、
 国学者の中にはファナテイック(狂信的)な国粋主義者も多かった。
 彼らを抱き込んで革命は成功したため、
 「太政官」という言葉に代表される復古的な要素が明治維新
 にはつきまといます。

 そのにおいを竜馬はかいだのでしょう。
 どうも自分が思っている国家の青写真とは違っていると、
 少し絶望的な気持ちもあったと私は思います。

 あれやこれやで新政府の準備が始まります。
 西郷は、新政府の名簿を作ってくれと竜馬に頼みます。
 竜馬がいまでいう閣僚名簿を作り、それを西郷は見る。

 しばらくして西郷が言いました。
 「坂本さん、あなたの名前がありませんぜ」

 竜馬に同行した陸奥宗光は生涯、このときの様子を語り続けました。
 陸奥は明治20年代に外務大臣をつとめ、日本の外交史上、
 不世出の働きを残した人でした。
 紀州の出身で、竜馬が好きでたまらなかった。
 竜馬の人柄、思想、世界観、全部が好きで、心酔しきっていた。

 竜馬は柱によりかかりながら西郷に答えます。
 「私は役人になろうと思ったことがないんです」

 さすがの西郷も驚きます。
 西郷も欲の少ない人ですが、ここまで無欲ではありません。
 新政府の指導者にはなろうと思っていましたから、
 やや鼻白む思いにもなった。

 「では、あなたは何をするんだ」
 と聞くと、竜馬が言いました。

 「世界の海援隊でもやります」
 世界を相手に貿易したいということですね。
 西郷はますます驚いた。

 竜馬は世界に出たかったのです。
 カネもない浪人を集めて、長崎で商船隊をつくったのも
 そのためでした。
 はじめが亀山社中、のちの海援隊でした。

 「竜馬がゆく」を書き終り、情けないことですが、
 私はようやく気づいたのです。
 竜馬にとっては明治維新そのものも片手間だったのです。
 それぐらい世界が魅力だった。


 坂本竜馬は勝海舟の弟子でした。
 神戸海軍塾に入り、塾頭になっていたことがあったのです。
 海舟は竜馬が可愛かったのですね。
 「氷川清話」という本の中に、33歳で死んだ青年、
 かつての弟子に対し、過剰なまでの言葉を残しています。

 どういうことかと言いますと、西郷隆盛と関係があります。
 西郷は言うまでもなく、幕府の反対勢力になりつつあった
 薩摩藩の指導者です。
 幕臣の海舟としては警戒すべきなのですが、
 海舟は西郷も好きだったのですね。
 大変な人物だと思い、友情を感じていた。

 自分の好きな人間同士を会わせたいと思ったのでしょう。
 あるとき簡単な用事を竜馬に頼み、京都の薩摩藩邸に
 行ってもらった。
 神戸に帰ってきた竜馬に西郷の印象を聞くと、
 竜馬は表現力のある人でした。

 「小さく突けば小さく鳴り、大きく突けば大きく鳴る。
  西郷は釣り鐘のような人ですな」

 このことに深く海舟は感じ入ったのでしょう。
 「氷川清話」のなかで、竜馬をこう評しています。

 「評するも人、評さるるも人」

 人とは、巨大なる人という意味でした。
 巨人が巨人を評したのだと言っている。

 日本人として桁の違う、実に大きな人、
 それが竜馬でありました。」


竜馬は同時代の人々が、倒幕とか攘夷とかを唱えている中で
只一人そういった世界を突き抜けていました。
自然と大きく物事の本質を押さえ、全体像をつかむ。
そして目指すべき方向に皆を動かしていく。

待望すべきリーダー像に坂本竜馬を思い浮かべるのは、
私一人ではないことでしょう。


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木曜日, 10月 23, 2008

「森の世界(敬愛する二コル先生のこと)」-☆森のクマさん☆


私(森のクマさん)の先生は、
C.W.二コル氏です。

先生には本当にいつも
可愛がっていただいています。
同じクマだからかな!? 
きっと森を愛する心、日本と
いう国を愛する心に共通性を
持っていると思っていただいているからかもしれません。
もちろん二コル先生の自然を愛する巨きな意識には
とても及ばないのですが・・

先生はお酒が大好きで、ご自宅に遊びにいくといつも
「何飲む? コーヒー、紅茶、ミネラルウオーター、
 日本茶、何でもあるよ」
「じゃあ、コーヒーください」
「ノンアルコールじゃ、話が広がらないよ。
 おいしいワイン飲もうよ。焼酎もあるよ」

そして、自然の話を聞かしてくださるのです。
時にシリアスに。時に腹をかかえて大笑いに。
(そして私は、開高健さんも座ったという椅子に腰掛けながら、
二コルワールドにてしばし至福の時に漂います)

先生は20年ほど前から、長野県黒姫に少しずつ森を購入して
森の再生を行なっています。
(アファンの森といい、アファンとは先生の生まれ故郷の
 ウェールズ語で”風の通る谷”という意味)

アファンの森には、われわれが知っているだけで、
 こいつだとわかるクマが6頭、たぶん全部で10頭は
 来るんだよ。 
 それからオオタカ、フクロウからヤマネなど、めずらしい
 生き物もいるよ。

 この国の森林面積は70%というけど、原生林は2%以下。
 原生林は日本のDNAの銀行です。
 北には、流氷、南には珊瑚礁がある世界でも稀な国で、
 それぞれの原生林が独特のDNAを持っているのに、
 きちんと調査もされないまま、
 ばさばさ切られてしまっているんだ。

 この国の自然の多様性はこの国の未来の可能性。

 自然が日本人をつくって、文化をつくってきたんだ。
 その自然が壊されると、この国が変わってしまう。

 いずれこの国が目が覚めたときに、このような森があれば
 そこから生き返るかもしれない。

 見ても何でもない森です。
 でも何でもないということはすごく大事だね。
 私は田舎の料理でいちばん好きな料理は、
 「今日は何もないですが・・・」
 といって出されるもの。
 山の中でマグロの刺身はでない。

 私は、日本の美しさは日本の自然から生まれたと
 思っている。
 とても美しい鳥の一つ、カワセミ。
 カワセミがいられるところは小魚がいるところで、
 その小魚が見えるところなんだ。水が濁ってはだめ。

 近くに土の土手があって木がある。
 そういう自然があったら、自然自身が美しいものを
 置いてくれるんだよね。

 僕はカワセミは飛ぶ宝石だと思います。
 家の近くにカワセミのための池を作ったんだ。
 カキツバタも植えて、土手を残して、フナを入れたところ、
 そしたらカワセミが来るようになったんだよ。

 これからはやり直しの時代になっていくね。
 自然を復活しないと、日本人の健康も美意識も
 よくならないよね。
 ひとりひとりが、地球そのものを慈しみ、
 大切にすることが求められているんだ。

 話が長くなったね。
 さあ、これから森の恵みをいただきに行こうか!」

二コルさんやアファンの森に興味を持たれた方は、
こちらをぜひご覧ください。

「C.W.ニコル・アファンの森財団」
 http://www.afan.or.jp/


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水曜日, 10月 15, 2008

「情緒の中心が人間の表玄関である」-岡潔


食の安全のゆらぎが問題になっています。

今日は、「中国産冷凍インゲン」から
大量の農薬が検出されたとの
ニュースが流れていました。

先日は、カビ毒や残留農薬で汚染された
「事故米」が不正転売され国内の様々な流通ルートにより
食品・飲料品で使用されていたとの報道と、中国で深刻な
健康被害をもたらしている有害物質「メラミン」が国内で流通
している菓子類や惣菜から検出されたとの別の報道。

前者は食品衛生法の規制対象であり、
国内輸入後に工業用でなく食用として不正転売されたもの。
後者は合成樹脂や接着剤である「メラミン」のような工業物質は
そもそも食品に添加されることは想定していないとため、
規制対象外として輸入検査ではチェックできなかったもの。

転売過程と製造過程という違いはあるものの、
両ケースに見られるのは欲に目がくらんだ業者の作為が
原因であるということ。

食の安全管理においては、性善でなく性悪に対する対応が
必要となってきており、輸入時、流通時での検査が
いっそう必要となり、
結果として検査コストによって価格が上がり、
安全・安心のために消費者負担が増すということが
考えられます。

一方で、格差の拡がりにより低所得の方々にとっては、
ますます厳しい現実となっていくことでしょう。
ここでも国の政策が問われています。

事が起きてからの後手後手の対応をとり続けるのではなく、
予防原則にたった政策が必要です。

「ある意味では最悪のシナリオが実現してしまったときに、
 将来の人々が負うかもしれないリスクを防止し緩和する
 ためには、我々に何ができるのか、世代間倫理によって
 このような問いを立てて、それをやろうじゃないかと
 いうのが予防原則」(村上陽一郎氏)


サブプライム問題に見る全てのものを金融商品化しようとする動き、
上記の食の安全を揺るがす化学物質の使用・転売。
金欲に躍る物質優先の心が見えてなりません。

このような時代において大事に思える言葉を紹介します。

「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。
 社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。

 そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で、
 もう春にチョウが舞わなくなり、
 夏にホタルが飛ばなくなったことが
 どんなにたいへんなことかがわかるはずだ。

 これは農薬のせいに違いないが、農薬をどんどんまいて
 はしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを
 作っても、いったい何になるのだろう。

 キャベツを作るほうは勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、
 こちらの方が表玄関なのだ。

 情緒の中心が人間の表玄関であるということ、
 そしてそれを荒らすのは許せないということ、
 これをみんながもっともっと知ってほしい。

 これが私の第一の願いなのである。」
世界的数学者として知られた岡潔氏の言葉。

かつての日本にはあり、現代日本に見られなくなっているものが
「情緒」だと思います。
人が日々生きるにあたり、社会が人により創られるにあたり、
何よりもその基盤であらねばならないのが「情緒」なのです。

「人と人との間にはよく情が通じ、
 人と自然の間にもよく情が通じます。
 これが日本人です。」(岡潔)


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日曜日, 10月 12, 2008

「名優 緒形拳さんに涙して」-☆森のクマさん☆


俳優・緒形拳さんが今月5日に死去されたとの
報に接しました。享年71歳。

私が緒形さんの姿をスクリーンに初めて
観たのは、今から31年前のこと。
名作「八甲田山」での雪中の迫真の演技に心惹かれました。

その後も緒形さんでなければ演じることのできないといわれた
渋く味のある名演技を見せた「鬼畜」や「楢山節考」などの
数々の名演技。

最近ではナレーションや声優などでもご活躍されており、
70歳を超えてさらなる円熟の姿を期待していただけに、
突然の訃報を聞いてとても残念です。

半世紀にわたる演技生活を、
「演じることはものすごく奥が深い。
(惰性に陥るほど)役者はつまらなくない。
 すごく面白いよ」

と語っていたのを記憶しています。

私は、一昨年に涙した映画「長い散歩」を思い出し、
まだ残されていた予告編を久しぶりに観て、また涙が流れました。


映画史に残る本当に素晴らしい名優でありました。

心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌。


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火曜日, 9月 30, 2008

「モノ創りを尊ぶ資本主義へ」-寺島実朗

連日、米国の金融不安の報道がメデイアで踊っています。

先日の米証券大手リーマン・ブラザーズ社の経営破たん。
「米大手銀行・証券が破産法の適用を申請するのは異例。
 身売り先が見つからず、自主廃業を迫られた山一証券と
 似た状況。
 3月に事実上、破綻した米証券業5位のベア・スターンズ
 に続いて、半年間で3社の大手証券が淘汰にさらされる
 異常な事態。」

米住宅市場の低迷や景況感の落ち込み、失業率の上昇などから、
大恐慌以来最悪の不況になる恐れがあるとも言われています。

これを受けて、欧州主要株式市場は急落。
金融市場の混乱を抑えるため
欧州中央銀行(ECB)は、300億ユーロ(約4兆5000億円)を
市場に緊急供給。

この余波は当然日本にもあり、
休み明けの証券取引にどれだけの影響が出るでしょうか。
今後、金融システムの安定に日米欧当局がどれだけ連携し、
対応していくか注目されます。

私は今回の低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」
問題に伴う昨年夏以降の混乱を新聞メディアで見ながら、
日本国内でのライブドア、村上ファンドなどと同列にある
競争主義・市場主義の浸透によるマネーゲーム手法の破綻であり、
当然の帰結であると思っています。

24時間オンラインでの金融商品や先物商品の売買、
何にでも金になる売買の対象としての証券化。

米国流の資本主義によれば、経営の目的は「株主価値の最大化」。
株価が高く、配当が多く、株主への説明責任を果たしている経営が
評価されるのだといいます。

そして、バブル清算以降、日本の社会、企業もまた
この企業統治を目指してきたのです。


かつて寺島実朗氏(日本総研会長、三井物産戦略研究所所長)が
話されていた今日を予言するかの如く、
企業経営の再考を促すような言葉を思い出しました。

「ITは産業社会を変え、情報ネットワーク技術革命が
 進行しなければ成立しえない金融ビジネスモデルを肥大化させた。

 マンハッタンの摩天楼から下界を見下ろすように、
 オンラインでつながったパソコンの画面を眺めながら
 金融商品の利ざやを漁り、
 企業を商品のように売買するMBA取得のエリート達に
 違和感を覚え、
 経済行為とは何かを自問自答した思い出がある。

 額に汗する産業活動を軽視し、世界の不条理に無関心な
 経済行為が健全といえるであろうか。

 資本主義とは本来的に勤勉、誠実、信用をモチーフとして
 事業を育てる意思によって成立したものであり、
 悪知恵を競うものではない。


 この十数年の日本は、それまでの日本型資本主義とか
 日本的経営といわれたものを、
 「右肩上がり時代の残骸」として排除し、
 競争主義・市場主義の徹底と米国流の株主資本主義への
 傾斜を強めた。

 しかし、中間層を厚く持ち、勤労を尊ぶ健全な産業観を
 醸成したことが
 日本社会の安定をもたらしてきたことを再考すべきでは
 ないのか。

 世界における資本主義の在り方に関する議論は一歩前に進み、
 CSR「企業の社会的責任」の大切さを問いかけている。

 「会社」という仕組みを社会的問題解決のために
 機能させることが大事である。


 本来、米国の軍事技術して開発された情報ネットワーク技術が、
 冷戦の終焉によって民生転換されたのがインターネットである。
 そのIT革命のプラットホームの上に多くの富を得た存在は、
 社会責任を自覚しなければならない。

 資本の横暴を批判された時代を経ながら、
 資本主義は自省の中で進化したはずだ。

 この仕組みに参画する者の節度と経綸が
 新しい可能性を開くことを自戒したい。」
 

現代の資本主義体制の社会の中で生きる者として、
表層的な言葉に踊らせられることなく、
短絡的な損得に手を貸すことなく、
本質を探求しながら自己の価値基軸を模索して、

額に汗して技術を開発し、モノを創り出すことを尊び、
勤勉と節約の価値を大切にする資本主義の正統性を担う側に
生きていこうと思います。


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月曜日, 9月 08, 2008

「目に見えない「何か」を見ること」-北米先住民

爽やかな秋の風が森の中を通り、樹冠の間から差し込む
陽光を心地よく受け止める時間。

自分の五感を通して、同じ空間にある様々ないのちとの
交流を楽しめる時間。

己の息吹と、自分を取り巻く自然(じねん)の存在たちとの
やりとりを楽しみながらの至福の時間。

目には見えない「何か」が確実にあること、
その何かにふれることで、
生きていることの喜びを感じられた時間でした。


「一粒の砂の中に世界を見ること。

 一本の野の花の中に天国を見ること。

 自分の手のひらの中に永遠を持つこと。

 そして一時間の中に永遠がある。」


           北米先住民の言葉


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日曜日, 8月 24, 2008

「自然と語ることの大切さ」-佐野藤右衛門

私は樹木が大好きです。
特に巨樹の木が。

森の中を歩いたとき、
巨樹に出逢えると嬉しくなって近寄ります。

「貴方はこの場所に立って、
 ずいぶんいろいろなものを見てきたのでしょうね。」

木肌に触りながら、心の中でそう話しかける私に、
おやおや変わった奴が来たぞ、と
巨樹のおじいさんは笑っていることでしょう。

巨樹に惹かれる理由は何でしょうね。

それは、自分の半生を省みたときに、
通じるものを強く感じるからです。

「曲がり曲がって、真っ直ぐに伸びていく」という人生。


私は学生時代、
神話や先住民の精神世界を学び浸っていたのですが、
卒業後に選んだのはSEの仕事。

機械的な世界に入る中、
その反動で有機的なものに触れたいということから
登山に踏み込み、
屋久島で遭難しそうな体験をしました。

そこで生かされて生きている己に気づくことができ、
生命の尊さと有り難さを学びました。

第二の人生は、生命を育んでいる自然に深く感謝し、
これをケアしていくことと決意し、自然環境保全を学び、
現在の仕事に至っており、
「人と自然とのつながり」、「人と人とのつながり」
取り戻していくことがとても大事であると常に思っています。


この「曲がり曲がって、光を求め真っ直ぐに伸びていく」
生き方をしている大先輩が森の樹木たち。

彼らは、それぞれが最初に与えられた場所に適応しながら
生きています。

自己の生命を毎年積み重ねていく中で、
環境条件に応じて自己を適応させ、
陽光を求め伸びていく方向や枝の張り方を変えていきます。

周囲を高木が囲んでいたら、
しばらくじっとして少しの光で我慢しながら育ち、
やがて高木が倒れると、
「それ、そっちだ」と頑張って伸びていく。

植物たちは、周囲の動物たちとも共生しあい、
命をつなげあって逞しく生きています。

森の世界は、実に多様で美しいものです。


自然を愛する方の御一人、佐野藤右衛門さん。
当代きっての名桜守です。

以前にTVで、佐野さんを知って以来、
その生き方や言葉に強く共感しています。

佐野さんは、現代において大切なことは、
「自然と語ること」とおっしゃっています。

「今なあ、自然破壊やら地球温暖化防止やら、
 いろいろと声を上げておる人がようけおるやろ。

 それも大事や。
 わしもだいぶ前から、自然がおかしくなってきとる、
 と思うてたんやから。
 木を育てる仕事をやっとるとなあ。

 けど、そうしたのは、人間やで。

 人間が勝手に人間だけの都合で、
 ものを進めてきたからなんや。

 もう人間は、
 自然との接し方がわからんようになってきてる。

 というより、
 「人間は自然の一部」という基本を忘れてしもてんねん。

 で、大上段に言葉だけで自然保護を叫ぶのはあかん、
 と思うんや。

 そやのうて、わしらひとりひとりが、
 土と語り、水と語り、木と語っていくことが大切なんや。

 それが自然を知ることや。」


夏の暑い日差しの中、
森に入ると自然の涼しさに身も心も癒されます。

見上げると、その目に映し出される大きな樹木の有り難さ。

さあ、明日からまたがんばっていこうと、
大きな励ましをもらいます。


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日曜日, 8月 17, 2008

「人を愛し、土と水と緑を守る」-直江兼続

夏季休暇の今週、前半は越後の国新潟へ行ってきました。

南魚沼市に入ると街の商店街には多くの小旗が。
「天地人」、「愛」と書かれています。

この地は、2009年の大河ドラマに決定した「天地人」
主人公・直江兼続とその主君・上杉景勝という
二人の英雄の生誕地。


上杉景勝は、名将上杉謙信の養子であり、
謙信死後の越後国主。

豊臣政権下では、会津120万石という大名になり、
秀吉亡き後の関ヶ原の戦いの後、米沢30万石となるものの、
物事にこだわらず、己の信念を貫き、
爽やかに戦国を生き抜いた名将。
そして、兼続の最大の理解者でもありました。


直江兼続は、主・景勝と共に謙信の遺風を尊び
義を重んじ、民心を安んずる治政を第一としました。

窮地にあっては、常に義の真理を貫き、
強者に屈せず堂々と対峙して上杉家の威風を示したと
いわれています。
学問を尊敬し、当代一流の高僧たちとの親交を深めた
文化人としての素養に、かつて秀吉は、
「天下の治政を任じ得る人物」として
兼続の人品を武士の典型と絶賛しました。


私は今から17年前に読んだ、「北の王国」(童門冬二著)で、
直江兼続を知り、以来心の中に名前が記憶されてきました。

それは、兼続の思想の中心にあった「土と水と緑」
惹かれたからです。

彼の生きた時代、一次産業の農が基本であり、
兼続は人を愛し、素朴な土と人間に対する愛情が上方中央政権に
巣くっている権力者たちに破壊されている現状を見て、
「これはならない」と決意し、
「中央政権とは別な自治の政府が、地方にあってもいいのではないか」
と考え、実行します。

しかし、時代の趨勢で徳川が勝ち、
戦後仕置きの結果、主人の上杉景勝を自分の領国に
転がり込ませるような参謀としての失敗をしながらも、
その景勝からも上杉家の人々からも恨まれなかったといいます。

兼続の目指す道を、皆が手を組んで歩んでいったのです。
とくに、領民たちが一緒になって。


兼続の兜の前立に飾られていた「愛」という一字。
このような武将は、数ある中でも彼だけであったことでしょう。

師であった通天存達の教え、
「国の成り立つは、
 民の成り立つをもってす。」
ということを理想としたものです。

彼は、領民を愛するために、
生命をかけて戦い、命をかけて国を守り抜いたのでしょう。

かつて二人の英雄が生きていたこの魚沼の地。
この地のすばらしき「土と水と緑」の自然にふれて
生き生きと遊ぶ息子を見ながら、そんなことを思いました。


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日曜日, 8月 03, 2008

「蝶になった子供たち」-エリザベス・キューブラ・ロス

エリザベス・キューブラ・ロス。
皆さんはご存知でしょうか。

2004年に亡くなった彼女の死を世界中で多くの人たちが
悲しんだといいます。

彼女が多くの人の死を看取る中で経験したのは、
「現実の肉体=さなぎ をまとっていても、
 人は亡くなると魂=蝶 になって解き放たれていく」
ということだったそう。


ロスの話の中でも、
医師から余命3ヶ月と宣告されたダギーという
9歳の少年とのやりとりには、
深く胸をうたれます。

「大好きなロス先生。
 あと一つだけ聞きたいことがあります。
 
 いのちってなんですか?
 
 どうして子供が死ななくちゃいけないの?」

ロスは答えます。
「ほんの短い間だけ咲く花もあります。
 
 春がきたことを知らせ、
 希望があることを知らせる花だから、
 みんなから大切にされ、愛される花です。

 そしてその花は枯れます。

 でもその花は、やらなければやらないことを
 ちゃんとやり終えたのです。」


人生の中で、人はさまざまな試練にあいます。
辛く悲しい思いを繰り返します。

しかしその時こそ実は、
この上ない”学び”のチャンスなのだと
ロスはいいます。

前向きに生きていくことができるか。
苦しみを成長の機会に転じうるかどうか、
試されるのです。

その試練に合格したなら・・・


癌にかかり死を目前に控えた子供にロスは、
次のような手紙を差し出しています。

「地球に生まれてきて、
 あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
 もうからだを脱ぎ捨ててもいいのよ。

 からだは、そこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
 たましいをつつんでいる殻なの。

 ときがきたら、からだを手放してもいいわ。

 そしたら、痛さからも、
 怖さや心配からも自由になるの」

輝いているいのちは本当に美しいと思います。


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月曜日, 7月 28, 2008

「森の保全は、国の保全」-☆森のクマさん☆

人の心と自然の状態は、比例するといわれます。

戦後、この国は経済的に豊かになったけれど、
心の豊かさを忘れてしまい、
欲望民主主義というような形態が生まれ、
他者よりも自己優先といった風潮になりました。

その結果、他国に比べて
とても豊かと評されていた日本の自然は
荒廃しつつあります。

昔から人々と共にあった、きれいな川、緑ゆたかな森、
そしてそこに生きる様々な生命達が
次々に失われつつあります。

この流れを変えていかなければ、
自然を守っていかなければ、といつも強く思います。


ある方が言っていましたが、
「今日の森林問題が抱えている深刻な問題は、
 森林がいかに美しく豊かで、
 日々の暮らしに役立つものであっても、
 市場経済の尺度でみれば、
 たいした価値を生み出さない。

 木材生産が森林経営として成り立たないかぎり、
 市場経済的には森の価値はほとんどなくなっている。」

かつて、里やまの文化では
伝統的な村の暮らしとして、村人が豊かな森に包まれ、
その恵みを生かしながら暮らすことが
可能であった経済が存在しました。

森のなかから山菜や茸を採取し、
山にマキを求め炭を焼き、
森の木を育て敬う、営みが存在したのです。


日本の森林2,500万haの4割にあたる1,000万haが、
人工林になっていますが、
そのほとんどは戦後に植えられたものです。

戦中・戦後復興期の乱伐によって生まれた
ハゲ山に植林されたもの。

国有林の拡大造林政策、
生活スタイルの変化(消費は美徳、大量生産・大量消費など)により、
里やまにあった広葉樹林は次々に消え、
市場経済で価値を持つスギ・ヒノキなどの針葉樹林へ
変わっていきました。

しかし、アジア諸国からの安い輸入材に
その位置をとって代わられ、
国内の森林経営はどこも成り立たなくなりました。

その結果、林野庁の莫大な赤字と国民への負担、
民間経営の破綻による森林管理の放棄、
そして森林の荒廃。

森を育てるということは、
実に時間がかかり根気のいる仕事であり、
これを工場の自動化生産のようにしようとしたのは、
短絡的な試みでした。


今日、国が行っている森林保護政策としては、
林野庁が全国の主たる森林地域を
「森林生態系保護地域」と設定しています。

知床半島、白神山地、屋久島など
過去に「自然保護か伐採か」をめぐって
大規模に争われた地域が指定されています。

この「森林生態系保護地域」には、
いっさいの利用を禁じ保護する「保存地区」、
保存地区を包み込むように設定され、
生態系が変わらないように保護することに重心をおいて、
その範囲で利用する「保全利用地区」
などの区分けがあります。

一見、これはその地域を荒らすものが
ないように見えます。

しかし、もともとその地域を利用してきた
村の人達が入ることを禁止されるという、
森と人との関係を絶つものになっています。

保護か利用かの二者択一の発想で、
この制度は考えられたように思えます。

そこには森林の利用は、
商品経済の中で木材を生産するゾーンと
保護するゾーンに分けただけという
浅慮が見られてなりません。

森林と人との関係は、ただそれだけにあるとは思えません。

昔の利用そのままでなくても、
今の時代を考えた利用が他にあるはずです。

このことを考え、
森林を守り維持していくことが必要だと思います。


森林の保全を考えるとき私が参考にしているのは、
かつて99年に訪れた北海道富良野にある
東大演習林の保全方法。

当地では、初代林長であった
高橋延清先生(どろ亀先生)による
世界的に評価の高い「林分施業法」を用いて、
林内をグループ分けし、10~20年の周期で択伐を行っていました。

林内での平均の樹木の量は、
他の森林の倍以上になっており、
緑の豊かさを保ちながら木材を供給し続けています。

人が手を加えることによって、
森の生命をより豊かにするという森林保全のすばらしい例。


日本人は、もっと自然との関わりを深く考え、
自分達の文化を考える必要があります。

どの道をこれから歩んでいくことがいいのか、
真剣に考えていく必要があります。

そうでなければ、
亡くなられた司馬遼太郎さんが生前心配していたように、
この国は滅ぶのではないか、そう思えてなりません。

そうならないように、
森林を愛する意識ある人々と共に、
この国のすばらしい自然を守り、
子供たちにつないでいきたいと願っています。


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月曜日, 7月 07, 2008

「どのような状況でも自分の使命を果たす」-齊藤慶輔

「プロフェッショナル~仕事の流儀~」(NHK)

人気の番組ですが、先日観て驚いたのは、
かつてお会いした方がゲストだったということ。

彼の名は、齊藤慶輔さん。
北海道・釧路湿原で野生動物を専門に診る獣医師。

彼が治療するのはオオワシやオジロワシ、シマフクロウなど、
絶滅の危惧にある猛禽類。

私は、今から9年ほど前に2年間、自然環境保全を学んでいました。

夏休みのある時期、北海道の道東地区にあった動物病院で
開かれていた獣医を目指す学生たちをメインにした、
野生動物保護研修に応募し、入れていただいたのです。

院長が講義の合間に、我々受講生を道東の様々な現場に連れて
行ってくださったのですが、その時にお会いした方の一人が
齊藤さんでした。
お会いした場所は、環境省のシマフクロウ保護センター。

シマフクロウの保護の意義を語って下さった当時も、
今日の番組を観ても変わらないと感じたこと。

それは、彼の澄んだ瞳と「野生のものは野生に帰す」
ということ。

単に「環境のため」という表層的な言葉などでは決してない、
深い決意を持ったすばらしい方。


”治療の対象は、絶滅の危機に瀕したシマフクロウや
オオワシなどの猛禽類だ。
 広げると2メートルを超える大きな翼、鋭いクチバシや
爪を持つ野生動物を相手にしなければならない。

 ペットや家畜と違い、野生の猛きん類の治療に教科書はない。
 齊藤は、試行錯誤を重ね、自ら治療法を編み出してきた。

 だからこそ齊藤は、野生動物と向き合う時、覚悟をもって臨む。
 「動物の前にいるのは自分しかいない。最良を目指し、
 最善を尽くす」

 野生動物の命をつなぎ止めるために、自らを追い込み、
 全身全霊で治療にあたる。


 齊藤の仕事は、治療だけでは終わらない。
 最終的な目標は、鳥を野生に帰すことにある。

 野に戻せるのは、運ばれてくる鳥の2割ほどに過ぎない。
 さらに自然に適応できず、再び救出されるものも少なくない。

 それでも齊藤は、鳥たちを野に放ち続ける。
 傷の完治ではなく、野に放つことが野生動物の獣医師としての
 ゴールだと信じているからだ。

 「人間が判断して、野生復帰は無理だと踏んでしまえば、
 それで終わってしまう。
 少しでもチャンスのあるうちは、野のものは、野へ帰してやりたい」


 現場は、まさに救急医療そのものだ。
 強制的な水分の注入や止血剤、ビタミン剤、抗生物質など
 命を救うためにありとあらゆる手を尽くす。

 だが、そんな齊藤が最後に信じているのは、野生動物が持つ
 ”生きようとする力”だ。

 齊藤は、ひん死の重傷を負ったワシに、あえて肉を見せる。
 ”生きる意志”を見るのだ。

 「自分で治る力があるはずだから、それをアシストする。
  『治す』なんておこがましい事じゃない、手助けをするだけ。
  それが僕らの仕事」と齊藤は言い切る。”
 (プロフェッショナル~仕事の流儀~)


かつてお会いできたことをなつかしく光栄に思いながら、
同年齢の者として、また同じく生き物たちの多様な生命を
守る者として、どのような状況にあっても自分の使命を果たすという
大きな勇気をいただきました。


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日曜日, 6月 29, 2008

「長すぎる雌伏の時を終えて」-ジョセフ・E・スティグリッツ

先月、「第4回アフリカ開発会議(TICADⅣ)」が横浜で開催されました。

私は、仕事で携わっている森林生態系保全のプロジェクト視察で
昨年の暮れ、西アフリカにあるガーナ共和国へ2度目の訪問を行ってきました。

現地のプロジェクトは、 森林の伐採による非持続的なカカオ栽培を
行っていた原生林の周辺にある村の人々に、
森林を伐らず農薬や化学肥料にも頼らない持続的な森林農法での
カカオ栽培を勧めながら、
野生動物による自然の力で森林回復を進めているものです。

この取り組みにより、4年の間で予想以上の成果が上がり、
カカオの収穫量が増え、 農民の方たちの収入が比例して増えています。

収入が増えて何が一番よかったか、 という私の問いに、
村の人々は皆異口同音に
「子供を学校に通わせることができるのが何よりも嬉しい」、
そう答えていました。

何かモノを買えるので嬉しいという人は、
一人もいなかったのです。

この取り組みとはまったく別に、
ガーナ自体の経済成長率は年々高く伸びており、
首都アクラでは街のあちこちで ビル建設などの現場が見られました。

そして、この成長への胎動は、ガーナのみならずアフリカ全体に
広がってきているようです。

BRICSを始めとする新興国の台頭などから、
今世界中で各資源の急激な需要が起きており、
アフリカは原油やレアメタルなど様々な天然資源を豊富に持つ
地域として、注目を浴びています。

日本政府は、今回のTICADではODAの倍増を表明しており、
国内企業も資源高を背景に経済成長が加速していけば、
社会インフラや消費財の需要拡大が見込まれるとして、
アフリカ市場への進出が本格化してきています。

しかし、一方で、貧困や医療の問題はなかなか解決に進んでおらず、
アフリカ地域内での経済格差、各国内での所得格差はますます
広がってきています。

資源を持つものと持たざるものとの格差。
ODAを倍増しても、現地のインフラを整備しても、
その恩恵を受けるのは、アフリカと日本での一部の関係者ばかり。

アフリカの多くの国では、多部族が一つの国に混在しており、
政権をとった大統領の身内や部族が優遇され、
そこから生まれる格差が、内戦を呼び国の混乱へとつながっています。

もともと、欧米の植民地化が原因で、資源統治を重視して
部族の境界を無視して土地の区割りを行ったことから
第二次世界大戦後に各国の独立の際に、
部族間の対立が生まれているものです。

混乱で傷つくのは、昔から寄り合って貧しくとも協力して生きてきた
小さな集落の人々たち。
お年寄りや子供、力のない人々。

どの国であっても、同じ地球に生まれてきた生命をもつ人間として
個人の尊厳が保たれなければならないはずです。

経済全体が成長すれば社会の隅々まで利益が行き渡るという
トリクルダウンの経済学は、きれいごとの言葉でしかないというのは
多くの方がわかることでしょう。

曽野綾子さんによれば、
「日本では、今や高校の卒業生のうち、専門学校・短大などを含めれば  
7割の若者たちが大学へ進学しています。  
親に金がなくても、ほんとうにやる気があって成績もよければ、  
必ずどこかで奨学資金が受けられるのです。  

 しかし、世界の多くの土地では、子供たちは、小学校さえまともに  
卒業できません。  
親は子供が学校に行くより、労働をして生活を支えてくれることを  
期待しています。  

 親が高利貸しから金を借りていて返せなければ、  
子供は親共々、農奴的強制労働に使われます。  
貧困を理由に子供を捨てる親がいれば、  
子供たちは冬の寒さを避けて下水道の中で子供たちだけで  
身を寄せ合って越冬します。  

乞食や盗み、或いは児童労働に当たる物売りや農業の手間賃稼ぎに  
行って、今日食べる分くらいは稼いでおいでと言われる子供たちは  
少しも珍しくない。」

ノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ氏は、
「現在進められているグローバル化で、恩恵に浴すのは
ひと握りの富裕層だけである。  

たしかにGDPの統計値はよく見えるものの、 伝統的生活様式や
基本的価値観は存亡の危機に立たされている。  

なかには、わずかな利益とひきかえに莫大なコストを押しつけられる
国々も存在している。  

これはグローバル化の本来あるべき姿ではない。  
金と力を持つ人々のためではなく、  
最貧諸国を含む全世界の人々のために、  
われわれはグローバル化をうまく機能させることが可能なのだ。  

もちろん、簡単な作業ではないし、一朝一夕に成し遂げられる
ものでもない。  

しかし、われわれは長すぎる雌伏の時を過ごしてきた。  
今こそ始める時なのだ。」

今回のTICADのテーマは、
・成長の加速化
・平和の定着
・環境問題、気候変動問題への取り組み

日本の支援が、格差の上にある者だけを対象にするのでなく
アフリカの土地に住む私たちと同じ命を持つ全ての人々に
夢と希望を与えるものにならなければ、
真の支援ではありません。

ぜひそうなるように願っています。


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水曜日, 6月 18, 2008

「人づくりは木づくり」-細川重賢

国家100年の計は人にありといわれます。

国・地域・家庭の基盤である人材育成をいかに行なうか、
日本人としてのアイデンティティを見据えた上でのものでなければ、
漂流する日本の状態を食い止めることはできないと思います。

教育のあり方が社会の各所で議論されていますが、
「人づくり」というものの本質を踏まえたものではなく、
これまでの焼き直しをいかに行なうかという表面上のやりとりが
多いように見られてしかたがありません。

歴史に学ぶ、という大切な視点から、
一つの例を挙げましょう。

”江戸時代中期、
 肥後の国熊本の藩主であった細川重賢は、
 時習館という藩校を設立して、
 秋山玉山という人を初代校長に任ぜました。

 重賢は、玉山に
 次のようなことをお願いしたといわれています。

 「先生は国家の名大工であり、
  木づくりの名人だと思います。

  したがって、教育にあたっては、
  「人づくりは木づくり」
  と考えていただけますか。

  そのために、木配りを大切にしてください。」
 (木配り:学ぶ子が、杉なのか、松なのか、
      欅なのか、樫なのかなど、
      何の木にあたるかを確定するという意)”

木の種類により、
養育方法は異なるものであり、
施肥の仕方、剪定の仕方など全然異なるものです。

つまり、重賢は教育にあたって、
「一本一本の木の性格が異なるように、
 その木に見合った教育をしてほしい」
ということを依頼したのです。

画一化の弊害がとかく言われる中で、
人間というものの多様性を理解して
人材づくりを考えた重賢さんの素晴らしさを
私たちは現代に活かすべきでしょうね。


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水曜日, 5月 28, 2008

「ものづくりは創造、価値を決めるのは時間」-三代徳田八十吉

先日の晩、ある人間国宝の方を紹介する番組を見ました。

三代目徳田八十吉氏。

現代九谷焼の彩りに新しい感覚を吹き込んだ氏の「耀彩」。
耀彩とは「光り輝く色という意味」
多彩な釉薬を重ね合わせることで、段階的に色彩を変化させるという
独特の技法。

耀彩の色彩は、焼成温度によっても微妙に変化する。
ふつう上絵窯では焼成温度は700から800℃までといわれるが、
徳田氏は1000℃を超える高温で焼くことで釉薬を溶かし、
混ざり合わすことで耀彩を創り出しています。

初代八十吉より伝授された350年前の古九谷の色と、伝統を受け継ぎ
新しいものに取り組む精神が深い輝きを放つものです。


三代八十吉の陶房は、四季を映す梅ノ木山と郷谷川の流れ、
美しい自然に恵まれた石川県小松市金平町にある。

古九谷は江戸時代初期に焼かれた初期の九谷焼。
光り輝く透き通った色調は、計算しつくされた多彩な彩色をした上に、
千度以上の高温で焼くことにより初めてできるもの。

加賀古九谷の中の青手古久谷は、赤を使わず青・黄・紫・紺青の4彩を
用い、特に輝くような翠は好んで使われている。

古に埋もれていたこの技法は、九谷焼を志すものの多くが
その色を再現しようと長年努力してきたが難しいものであった。

明治時代、初代八十吉は、誰も再現することのできなかった
古九谷の五彩を再現することに成功。
初代は、優れた九谷焼の技術が認められ、無形文化財に指定された。

釉薬の調合は秘伝。
天秤秤で1/100gの誤差もないように計り、調合する。
顔料の組み合わせや、調合の量により、様々な緑色の釉薬を作る。
初代は秘伝の色を全て伝えぬまま他界した。

初代が口癖のように言った
「色のことは誰にも言うめえぞ」という言葉。
三代もそれをかたくなに守っている。

色の調合の秘伝こそが、九谷焼の全てである。
昭和31年初代が亡くなる半年前、三代は病床の初代から色の秘伝を
教わった。当時三代は若干22歳。
半年という期間は、あまりにも短く12通りの調合を学ぶだけに終わった。

九谷焼にはもっと多く色がある。
それを学びきる前に初代を亡くし、三代は途方に暮れた。

ある日仏壇の前で、お経をあげていた時に目に入った
「帰命尽十方無碍光如来」
「どこかで聞いたことがある」と三代は思った。

そして初代が残した数冊の手帳の中に、
暗号のように残された文字に思い当たった。
誰にもわからないように、10文字ある経のそれぞれの字の1部を使って、
1~10の文字を表したのだ。
教わった12色の色を数字に当てはめていき、
ついには100色以上あった初代の色を全て解き明かしたのだった。

その時から三代は、九谷焼製作を運命として受け入れ、
製作に命をかけるようになったという。

しかし、三代八十吉は、九谷焼の技術で最高のものをもつ
祖父初代八十吉との比較対象に若い頃苦しみます。
九谷をやっている限り祖父の知識、技術と比較され続けると。

ある時、祖父の親しい友人であった、洋画家の中村研一氏から
こう言われました。

「九谷のど真ん中にいて、毎日のように九谷を見ている。
 それでいて九谷を作りたくないというのは、
 九谷を作っていく素質をもっている。
 だから自分の作りたい九谷を作ってみればいい。」

三代目八十吉として、自分の九谷を作る決心を固めた時。

そして、辿り着いた伝統の概念は、これまでの九谷の精神を
受け継ぎながら、自分らしい新しいものを作っていくということ。


耀彩は、色絵の具を使って特定の絵や模様を描くだけでなく、
色が作り出す模様が表現するという色主体の新しい概念があります。

今までの九谷の上絵ではなく、自分にあった九谷を作るという思いで
挑戦してきた三代八十吉。

二十代の頃、宝石の澄んだ色と輝きに魅せられ、
古九谷の色を使って宝石を表現したいと考えるようになった。

成分を微調整した数十種類もの色釉を用い、グラデーションを創造。
乱反射を防ぐ磨きの工程を丁寧に行い、輝くような光彩を生み出した。
しかし、発表当時は作品を否定する声も聞かれた。

「こんなものは九谷焼じゃないといわれましたよ。
 しかし、色絵に秀でた窯に生まれたからには、形ではなく
 色彩の新しい表現を追求したかった。
 30歳を過ぎた頃から、まわりの反応は変化してきました」

耀彩は九谷焼の新しい技法として認められ、
高い評価を受けるようになった。

若手作家にはよく次のようなアドバイスをする。
「新しいことをやれとはいわない。
 好きなことをやればいい」


「アートは創造、
 その価値を決めるのは時間だ」


三代徳田八十吉の作品は、「創造すること」をものづくりの根本に
すえた考え方から生まれています。

「人まねではないものを創ることに意味がある」
という信念を貫き、新しい道を切り開いた三代八十吉の言葉。
後進の作家たちに大きな力を与えていくことでしょう。


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土曜日, 5月 10, 2008

「人間は、必ず一人には一人の光がある」-藤尾秀昭

大型連休の前半、妻と息子と私の家族3人で
長野へ小旅行に出かけました。

戸隠神社、アファンの森、小布施、善光寺といった
各所をまわり、その土地土地でのさまざまな出会いや縁に
心豊かになりました。


縁について、藤尾秀昭さんが本の中で紹介していた、
鈴木秀子先生から聞いたというすばらしいお話。

「その先生が5年生の担任になった時、
 一人、服装が不潔でだらしなく、
 どうしても好きになれない少年がいた。

 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
 記入するようになっていた。

 ある時、少年の1年生からの記録が目に留まった。

 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
  勉強も良くでき、将来が楽しみ」とある。
 
 間違いだ。他の記録に違いない。
 先生はそう思った。

 2年生になると、
 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
 と書かれていた。

 3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
 教室で居眠りする」。

 3年生後半の記録には「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」
 とあり、

 4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症になり、
 子どもに暴力をふるう」。


 先生の胸に激しい痛みが走った。
 だめと決めつけていた子が突然、
 深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
 自分の前に立ち現れてきたのだ。

 先生にとって目を開かれた瞬間であった。


 放課後、先生は少年に声をかけた。
 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
  あなたも勉強していかない?
  分からないところは教えてあげるから」。

 少年は初めて笑顔を見せた。

 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
 
 授業で少年が初めて手をあげた時、
 先生に大きな喜びがわき起こった。
 
 少年は自信を持ち始めていた。


 クリスマスの午後だった。
 少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
 あとで開けてみると、香水の瓶だった。
 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

 先生はその1滴を付け、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
 気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

 「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。

 卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。
 「先生は僕のお母さんのようです。
  そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」


 それから6年。
 またカードが届いた。

 「明日は高校の卒業式です。
  僕は5年生で先生に担当してもらってとても幸せでした。
  おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」


 10年を経て、また、カードがきた。

 そこには先生と出会えたことへの感謝と
 父親にたたかれた体験があるから
 患者の痛みが分かる医者になれると記され、
 こうしめくくられていた。

 「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
  あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
  神様のように感じます。
  大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
  5年生の時に担任してくださった先生です」


 そして1年。
 届いたカードは結婚式の招待状だった。
 「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。 」


 藤尾さんはこの話に
 「たった1年間の担任の先生との縁。
  その縁に少年は無限の光を見出し、
  それを拠り所として、それからの人生を生きた。
  ここにこの少年のすばらしさがある。

  人は誰でも無数の縁の中に生きている。
  無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
  大事なのは、与えられた縁をどういかすかである。」

 と語っている。 


「人間は、必ず一人には一人の光がある」という先達の
言葉があります。

真の光をどのように放てるか。

それは、自己の自覚と行動次第によるとは思いますが、
人生において与えられた縁を活かすということを相重ねながら
心がけていくことが大切なのでしょう。




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土曜日, 4月 26, 2008

「あるべき正しい方向にめざめ、あるべきゴールをめざす」-内橋克人

4月に入り、毎週のように雨が降っています。
それも強い風混じりの降り方で、熱帯化を感じさせられるような雨。

気候変動を徐々に肌で感じつつ、膨大な財政赤字、相次ぐ企業倒産、
際限なく膨張する国民負担・・・など、膨れ上がる社会の歪みを
日々耳にします。

展望なき未来への「不安」の重さに対して、
持続的な社会を築いていくための強いリーダーシップと
私たち一人一人の取り組みが求められていると強く思います。


20世紀、各国が追い求めてきた果て無き経済成長。
この経済成長の結果、われわれ日本を含めて先進国は
物質的な豊かさを得ることができました。

しかし、その繁栄は一部の先進国だけが謳歌するもので、
世界の大半の国は途上国という扱いで、さまざまな格差が広がり
富を持つものと持たざるものに分け、また地球環境を劣化させ続け、
決して持続可能でない不公平な大小のシステムが世界中を
覆い続けています。


経済評論家の内橋克人氏はこう語ります。

「長い時間、私たちは経済成長を追い求めてきました。
 しかし、同時に成長にともなう「うしろめたさ」から自由では
 ありえなかったのではないでしょうか。

 経済成長は地球資源と人の浪費をともなうことなしには
 達成不能という思い込みが、日本に限らず、
 20世紀世界を支配してきたからです。

 そして、それはまぎれもない現実でした。
 また、同時にその道は貧しい国から富める国へと資源、マネーを
 移し植える過程でもありました。
 国と国との格差は否応なく拡大し、経済成長を求めて
 「浪費こそが美徳であり価値だ」と人びとは
 思い込むよう強制されもしました。

 そのような20世紀を支配したのは「見えないモノは存在しない」という
 確信に満ちたトリックの政治と経済だったのです。
 公害もゴミも、この世の厄介もの、迷惑ものは
 すべて「見えない」ように隠蔽することで済まそうと躍起だった。
 これが過ぐる20世紀の実像だったのです。

 バブル崩壊後、なぜ私たちの必死の努力がそれにふさわしい
 実りを生むことがなかったのか、
 なぜ成果でなく労苦がいや増すばかりの改革であったのか、
 いまや猜疑の眼を為政者に向けない日本人は少なくないことでしょう。

 なぜ私たちはむなしい「徒労の経済」のなかに足をすくわれて
 しまったのでしょうか。

 改革を叫ぶものも、その改革に抵抗すると称されるものも、
 あるいは痛みの後の光を約するものも、その光へ向かう速度を
 めぐってスピードが遅い、と糾弾の声を上げるものも、
 よくよく考えてみれば、結局、
 すべての発言者がまったく同じ方向めざして靴音そろえ
 一斉行進しているに過ぎなかったこと、
 ここに明らかにすることができます。

 90年代から21世紀初頭にかけ、私たちの社会はすでに過去の風景へと
 通り過ぎた幻影を追って、まさに後ろ向きの営為を積み重ねたに
 過ぎなかったこと、次第に明らかになっているのです。

 景気対策といい、国民負担といい、過去の夢、戻るはずもない
 仮想の経済大国の復活へ向けて、資源にとどまらず、
 国民精神まで総動員して、必死の形相で入れ込んだということでした。

 いま私たちはこの壮大な「世紀のトリック」を見抜き、
 「巧妙なレトリック」からも脱出しなければならない。
 それが可能なときがきているのだと思います。


 従来概念における「経済成長」ではない、ましてGDP(国内総生産)の
 量的拡張をもってする「成長」の計量評価尺度とも違う。

 真の「成長」とは、人間生存の基盤をより強靭なものとする
 条件の前進、そして充実のことをいっているのです。
 
 過ぎ去ったものに未練を残し、間違った方向を目指すとき、
 前途に立ちはだかるのは悲観材料ばかりです。

 しかし、あるべき正しい方向にめざめ、
 あるべきゴールをめざすならば、
 私たちは確実に明るい未来へ、と近づきつつある自分の姿を
 発見することができます。

 人が人として尊重される、
 人間生存の条件をより確かなものとする
 社会をめざす。
 
 このゴールめざして方向性を定め、
 しっかりと眼を凝らしてみれば、
 日々確かな努力の一歩を重ねている私たち自身の姿に気づき、
 あらためて自分たちの健気な努力や涙ぐましいほどの頑張りに
 感動さえ覚えることができます。

 大事なことは、政治や企業が社会を変えるのではなく、
 社会こそが政治や企業を変えるのだ、
 というかけがえのない真理の覚醒です。

 生きる場である地域社会が日々に吐き出す生ゴミを集めて、
 それを原料に無公害ガソリンを生み出す、
 地域社会のなかで生産、消費が絶えることなく循環する、
 そのような「生き続ける町」を可能にするためにこそ、企業はある、
 とすでに多くの現場の企業人が声を上げています。

 東京・永田町、霞ヶ関を渡る「天空回廊」でなく、
 地方、辺境の地、農業、
 何よりも生きる・働く・暮らすの場で、
 ほんとうに強靭な「もうひとつの日本」がむっくりと
 頭をもたげ始めている。
 
 確信をもってそう断言することができます。」


真の「成長」とは、
人間生存の基盤をより強靭なものとする条件の前進、
そして充実のこと。

まさしくそうなのではないでしょうか。

私たちの世代は、次代を受け継ぐ子どもたちのために、
「もうひとつの日本」をたしかなものにしていくことが、
強く求められています。 
 

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金曜日, 4月 18, 2008

「花の命をいただく」-志村ふくみ

先週の土曜日のこと。

春麗らかな日差しがとても心地よい中、
外の景色には桜の残り花が見られ、
家のベランダには、妻が愛情をよく籠めて育てている植物たちが、
色とりどり様々に美しい花を競うように咲かせています。

身近な中に生命の美を感じられる爽やかな季節です。


先日聞いた志村ふくみさんの言葉。
「百の植物に百の色が生まれる」と、
自然に寄り添い、草や木の声に耳を傾けるように制作する染織家で、
紬織りの人間国宝。

常に自然の色をいただく、という感謝の念と謙虚さを忘れず、
植物から丹念に採取した草木の色で糸を染め、紬を織る。
縞や絣など古来の平凡な模様を用いながら、
独自の豊かな感性と創造力、高い技術をもって、紬織を
芸術作品にまで発展させたといわれています。

昨年亡くなった社会学者の鶴見和子さんは、
日常的に着物を愛用していましたが、鶴見さんは亡くなる直前、
「植物染料で染めた手織りのきものを着た時、創造力がわいてくる」
という言葉を志村さんに贈られたといいます。

志村さんは、そのことについて
「私にとっては遺言ですね。
 衣装は命や心を包む布なのに、
 現代の私たちはファッションにすり替えてしまった。
 今、若い人たちが着物に関心を持ち始めたみたいですが、
 それもファッション。
 そこから入ってもいいけれど、民族衣装というのは、
 民族が守ってくれる知恵の深いもの。
 民族を意識しなかったら、着ても何にもなりません。」
と言われました。


「私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、幹、根を
 染めてきました。

 ある時、私は、それらの植物から染まる色は、
 単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が
 色を通して映し出されているのではないかと思うように
 なりました。

 それは、植物自身が身を以て語っているものでした。
 こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ、
 色は命を失うのです。

 ある日、私はふしぎの国のアリスが
 小さな穴からころがり落ちるように、
 植物の背後の世界にころがり落ち、垣間見たように思うのです。

 扉がほんの少し開いていて、そこから、
 秋のはじめの深い森がみえ、
 紅葉しかかったさまざまの樹が、
 陽の光と少しの風にきらめいているようでした。

 一枚一枚の葉はしみじみと染めあげられ、
 その色の美しさはこの世のものとは思われませんでした。
 その後二度とその森をみることはありません。

 ただ、こちらの心が澄んで、植物の命と、
 自分の命が合わさった時、
 ほんの少し、扉があくのではないかと思います。

 こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、
 扉はかたく閉ざされたままでしょう。」


先日の風雨の強さで、今年の桜の花々も徐々に散りゆく中、
美しく咲いた今年の姿と同じものは、
二度と見ることはできないのだ、そう思いました。

それゆえに、その姿はより美しく厳粛なのでしょう。


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日曜日, 4月 13, 2008

「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」-高倉健

先週から新年度に入りました。
現在の仕事である環境社会貢献の仕事に就いてから
8年目になります。

07年度の仕事もなんとか無事に終わりました。
森林生態系保全の仕事で行った、中国雲南省、ガーナ共和国、
沖縄やんばる。
それぞれの地域で出会った様々な人々。

環境NGO、政府関係者、村人、そして子どもたち。
皆、それぞれの未来への期待や夢を持ち、決して甘くない現実の中で
生きている人々でした。
一つ一つの出会いに多くを学ばされます。

年度を終えたという束の間のほっとした気持ちと同時に、
08年度の展望からさまざまな仕事の内容が浮かび、
どのようにそれぞれの良き成果を上げられていくかに
思案が向きます。

昨年度から継続して行う仕事に加えて、
今年度から新しく行う仕事も増えました。


年度が新しく移ってから初めてとなる休日の今日は、
気分転換にと、息子と一緒に、久しぶりに手賀沼周辺をサイクリングし、
そのまま頑張って輪を走らせ、手賀丘公園でたくさん遊んできました。

息子は、春の麗らかな陽気の中で、思い切り走り回り、
体を動かし、たくさん満悦していました。

私は、自転車を走らせる中で、道なりに続く桜並木に咲く
満開の薄紅の花々を多く心の中に収めることができました。


帰宅後読んだ、高倉健さんの随筆。
下記の章に心動かされました。

「映画「南極物語」の撮影ロケで入った南極大陸。
 基地には、小さなデイパック一個しか持って入れなかったんですが、
 一冊の本を詰めていったんですね。

 南極大陸での強烈な、本当に地獄のようなシーン。
 判断を一つ間違えば生命に関わる、
 生命を落としてもまったく不思議ではないという凄まじい場所が、 
 この地球上にはたくさんあるんです。

 ニュージーランドのスコット基地に特別に入れてもらい、
 この間に、恐ろしいブリザードも体験しました。
 人間って本当に、あっけなく死ぬんだなと思いました。
 小さな小さな雪上車の中に、八人の人間が立ったまま、
 外を吹き荒れているブリザードを窓ガラス越しに眺めていた
 あの時のことを今も忘れられません。


 南極に持っていったその本を、懐かしいなと思いながら、
 ページを捲っていると、本文中に、赤で傍線が引っ張ってあるんです。

 「苦しみつつなお働け。
  安住を求めるな。
  人生は巡礼である」

 凄まじい言葉だと思います。

 「人間の真価は棺を覆うた時、
  彼が何をなしたかではなくて、
  何をなそうとしたかで決まるのだ」

 「南極物語」は、1983年の封切りですから、
 随分前のことなんですが、当時迷っていた自分が、
 こうした言葉に励まされ、勇気を貰っていたんだと思います。


 何をなしたかではなくて、何をなそうとしたか。

 近頃もう一つ気になることがあります。
 「何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」

 「何のためにしたか」―――。
 そう問いかけることが、とっても大切な時が来ているように
 思います。

 どんな映画を撮るかではなく、何のためにその映画を撮るのか。
 自分はこのことをとっても大切にしていきたいと思います。


 そして、最後に、この言葉を―――。
 
 「身についた能の、高い低いはしようがねえ、
  けれども、低かろうと、高かろうと、精いっぱい
  力いっぱい、ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
  おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
                 (山本周五郎「ちゃん」より)」
 

桜花の満開の美しさ、散り際の見事さ。
健さんの言葉にある「何のために仕事をするか」という本質。

心に留めながら、今年も仕事に励んでいこうと思います。


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土曜日, 4月 12, 2008

「幸福であるための条件」-エドワード・グレイ

先日読んだ本の中に、シンプルな中にとても深みを感じさせられる
言葉が載っていました。

その「人間が幸福であるための条件」という言葉を言ったのは、
日露戦争当時の英国外務大臣であったサー・エドワード・グレイ。

彼は回想録に
「日本は多年イギリスにたいする公正にして名誉ある誠実な同盟国であり、
 且つまた日本政府の自重のおかげで、
 第一次世界大戦の期間中、太平洋の諸問題について、
 英米両国との間に何等重大な摩擦を起こさないですんだ。」
と記しています。


「人間が幸福であるための4つの条件
 エドワード・グレイ

 第一、自分の生活の基準となる思想。
 第二、良い家族と友達。
 第三、意義のある仕事。
 第四、閑を持つ事。        」



人生の義務を重んずるとともに人生の悦びを大切にし、
鳥を愛し樹木を愛し、釣りが好きで園芸が好きで、
自然の静かな美しさほど人生に大きな悦びを与えるものはないと
生前語っていたというグレイ氏。

まさしく幸福な人生を自ら築いていったのでしょうね。
かくありたいと思います。


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土曜日, 4月 05, 2008

「自ら意志することで、己が生命を輝かせ深い花を咲かせる」-☆森のクマさん☆

先月の20日から23日まで、仕事で沖縄の「やんばる」
行っていました。

30年ぶりの沖縄訪問でしたが、最初に行ったときの記憶は
はるか遠くにあり、ほぼ初めての訪問といっていい状態でした。

「やんばる(山原)」とは、沖縄本島北部の国頭村、東村、大宜味村の
辺りの総称で、深い緑につつまれた亜熱帯の森が広がっています。

森の総面積は340K㎡、平均気温22度、年間降雨量3,000mm、
熱帯から温帯までの多くの生物が棲息し、動物は3,700種、
植物は1,200種を超えているといわれており、
様々な生命の多様性に富んだ「奇跡の森」と呼ばれています。

現地では地元の環境NPO「やんばる森のトラスト」がこの地域の
自然の大切さを地元の子どもたちに伝えながら、森を守る様々な
取り組みを地道に継続して行ってきています。
http://www.wbsj.org/nature/hogo/others/iba/search/sites/nansei/159-yambaru.htm

私は、今回初めて現地の自然環境を目にし、
短い滞在日の中で、ヤンバルクイナやノグチゲラ、サシバ、
リュウキュウコノハズク、リュウキュウツバメ、イソヒヨドリ、
リュウキュウアオガエル、ハナサキガエル、シリケンイモリなどに
出会うことができ、多様性の豊かさを実感してきました。

夜、林道を車で走っていると、前方にリュウキュウイノシシが現れたり、
専門家の方と一緒に真っ暗な中を島最高峰の与那覇岳の登山道を
懐中電灯1つを照らしながら歩き、ハブに気をつけながら
真剣に目をこらして必死のナイトハイキングを冷や汗で楽しんだり・・・

しかし、この地域はすばらしい自然を奇跡的に持ちながらも、
国立公園に未だ指定されていません。
ダムや林道など土地の開発が進み、ハブ退治のためにかつて外部から
持ち込まれたマングースが繁殖して、飛べない鳥で希少性の高い
ヤンバルクイナなどの生き物たちが絶滅の危機にあります。

昔から残されてきた伝統文化を守る人々がいる一方で、
種々にある開発などの問題。
これをめぐる様々な考えや立場の組織・人々。

持続的な社会の構築に向かって、人と人、人と自然との関係の見直しが
現地で少しずつですが、徐々に起き始めています。


3月後半のやんばるの森は、芽吹きの季節を迎え、
黄緑色に森が染まっていました。
スダジイの黄色い若葉、イジュの赤い新芽、シロダモの若葉など。

様々な木々が茂り、多様な生命に彩られたやんばるの森に入り、
藤尾秀明氏の言葉をひたすら実感していました。

「生きるとは、ただ生き切るということである。

 この地上にある生命あるものはすべて、
 ただ生きるという目的に向けて、
 全力をあげて生きようとしている。

 そのことだけを信じて躍動している。

 それが生命の本質である。

 そして、それが天の意思である。」


私たちは自ら意志することで、
己が生命をさらに輝かせ、
深い花を咲かせることができる。

やんばるの森は、私にそう教えてくれました。




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水曜日, 4月 02, 2008

「心田を耕し、心の花を咲かせる」-藤尾秀明

日を重ねるごとに明るく強く、
春の日差しは暖かなものになってきていますね。

先日目にした藤尾秀明さんの言葉に、
とても共感しました。

「近所に、それほど大きくはないが、
 手入れの行き届いた庭を持つ家があった。
 植木もきれいに手を加えられ、季節の花々がいつも、
 彩りあざやかに咲き、道行く人の目を楽しませ、
 心を和ませていた。

 ある日突然、その家の主人であった人が亡くなり、
 若い夫婦が二人、その家に住むようになった。
 
 それから数ヶ月、道行く人の目を楽しませていた庭は、
 みるみるうちに荒れ果て、無残な姿になった。

 同じ庭がこうも変わってしまうのか、
 一種悲しいような思いで、その庭を道すがら、眺めている。


 これは一つの例である。

 心の時代、といわれている。
 しかし、人間の心とはそれほどきれいなものではない。

 人間の心は宇宙、自然と似ていると、言えなくもない。
 雑草は放っておいてもまたたく間に繁茂する。
 しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、
 虫を除け、丹精込めて育てなければ花開かない。

 人間の心も、それと同じである。
 放っておくと、雑草が生える。
 
 心の花を開かせるためには、絶えず心を見張り、
 雑草を抜き取らなければならない。


 二宮尊徳は、
 「あらゆる荒廃は人間の心の荒蕪から起こる」
 と言った。

 そして、心を荒れ放題にしないためには絶えず、
 心の田んぼ、
 つまり心田を耕さなければならないと説いた。

 
 いつも気持ちをさわやかにしておく。
 いつも、さっそうとした気分でいる。

 心の雑草を取り、心の花を咲かせるために、
 欠かせない必須の条件である。」


これから春の花野をさわさわとそよ風が吹き、
色が付き始めて華やかになる季節。

己の心の花を美しく咲かせていくために、
心の田んぼを精魂こめて耕していこうと励ましてくれる
よい言葉だと思いました。




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日曜日, 3月 30, 2008

「日光の仁王尊を息子と共に見ながら」-花岡大学

今月の初め、弥生の暖かさに入り、家族で日光へ出かけてきました。
義理の両親の還暦祝いを兼ねての小旅行。


仏像好きの父親に似たのでしょうか、
5歳の息子が早、昨年からさまざまな神仏に関心を持ち始め、
とりわけ荒々しい相を見せる仏像に強く惹かれています。

不動明王を始めとする諸明王や毘沙門天などの四天王、
馬頭観音、仁王尊、金剛力士、風神雷神、の諸仏。

昨年、近くの公園に遊びに行った際に、
隣接のお寺の山門に立っていた「仁王様」。
仏像の本で見ていたのとは異なり、
実物はとても大きく威圧感ある恐ろしい表情を持った存在として、
息子に強いインパクトを与えました。

その仁王様は、宇宙で一番の力持ちであり、悪魔から人間を守ってくれる。
そして、心のきれいなよい子にはとてもやさしくて、
意地の悪い子やわがままな子にはとてもこわい。

そう父親から聞いた息子は、ある日駅のポスターで見かけた
日光東照宮の山門に立つ仁王様を見て、
いつか会いにいきたいと思っていて、
こうして会うことができたのです。

山門に聳え立っていた「阿・吽」二対の仁王様。
心なしかやさしい表情に見えました。

おかげで最初は怖がっていた息子も、おそるおそるながらも
近づいて見て、そっと上を見上げると、
どこか笑顔にも見えるその赤いお顔に親しみを持ったようでした。

「パパがいつも言っているように、心のやさしい子には
 こうして笑顔を見せてくれるんだよ」

「うん、本当だったね」


私も息子と一緒に、仁王様のお顔を見ながら
以前に読んだ花岡大学さんのお話を思い出していました。

それは、おしゃかさまの傍にいた弟子たちの中で、
仁王様の持つ金剛のきねを持ち上げようとして、
三人の弟子が挑戦するが、
いずれもうまくいかないという話・・・

”その場は、しばらく、しゅんとしずまり返っていた。

 すぐれた力を持っている三人が三人とも、
 金剛のきねを持ち上げることにしくじり、
 おしゃかさまから力が弱すぎるからだといわれたことが、
 どうしてだか、はっきりわからなかったからだ。

 そのようすを見てとったおしゃかさまは、
 そっと仁王さまをおよびになり、
 『ひとつ、みんなのうたがいをはらすために、
  金剛のきねを持ち上げて見せてあげなさい』
 といった。

 仁王さまはうなずいて、きねのそばへよると、
 あれほど三人が一生けんめいになっても動かなかったきねを、
 右手でひょいと取り上げると、
 空中で風車のようにひゅうひゅうと、ふりまわした。
 高く投げ上げて、ひょいと受け取って見せたりもした。

 『どうだね。わかったかい』
 と、おしゃかさまは笑いを含んだやさしい顔で、
 みんなを見まわしながら、言葉をつづけた。

 『はじめに、仁王がいったように、金剛のきねは、
  持つ人の心によって、重くもなり、軽くもなるのだよ。
  
  アジャセ王には、自分は誰よりも強いのだという、
  たかぶりの心があるからだめで、
  帝釈天にも、自分の力をたのみ、アジャセ王の鼻をあかして
  やろうという下心が働いているから、
  きねはいっそう重くなるばかりだし、
  モクレンは、みんなからうやまわれて、いい気になろうというような
  心があるから、金剛のきねは、須弥山より重くなって、
  にじり動きもしなかったのだよ。

  仁王には、そういう自分を買いかぶったり、
  たかぶったりする心が、少しもないから、
  同じきねでありながら、あんなにかるがると持ち上げることが
  できたのだよ』

 おしゃかさまは、やさしいほほえみをうかべながら、
 じゅんじゅんと説き続けた。

 『なにもわたしは、三人をとがめているわけではない。
  人間には、みんな、多かれ少なかれ、
  そういう自分中心の心があって、そこから逃れられないものだが、
  逃れられないのが当たり前ではなく、
  なんとかして逃れるようにつとめなければならない。
  きょうの出来事をしずかにかみしめて、
  ほとけになる道を、
  しっかり見つけ出してほしい』”

 

この子どものときから愛読してきたお話は、
自分が何歳になろうが常に、
「もし自分だったら」「もし、そこにいたら」
「もし、そう言われたら」
という自分を省みずにいられない気持ちにさせられます。

スピリチュアルという言葉で、さまざまなカタカナ言葉の
霊性開発につながるといううたいのものがもてはやされ、
ある種ブームのようにもなっています。
そのようなものを否定するものではありませんが、
安直なブームには決して乗りたいとは思いません。

人にはそれぞれ成すべき使命が与えられており、
それを成就するために、
人には人生という期間が与えられています。

私の場合は、このお話のような
子どもの心をうつような話を
自己のこころの火として灯しつづけてゆくことで、
小さいながらもいのち宇宙の清浄をまねく
灯のひとつとなっていきたいと願うものです。


息子と共に仁王尊を見ながら、そんなことを思っていました。



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土曜日, 3月 29, 2008

「桃の節句と母親のおんぶの愛」-二部治身

3月3日は「桃の節句」の日。

女の子の厄除けと健康祈願のお祝いの日であり、お七夜やお宮参りと同じく
女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う古来からの大切な行事の日。

そんなことを思いながら、以前に聞いた二部治身さんの言葉を
思い出しました。

「アジアのお母さんは赤ちゃんをよく負ぶっている。
 日本ではあまり見かけなくなったのはどうしてだろう。
 昔は負ぶい紐で子どもを背中におんぶしていたもんや。

 これはどうもアジアならではの文化らしい。
 子どもを体に密着させて、背中で愛情を感じていたんやね。
 
 日本人が子どもをおんぶしなくなったことについては、
 警鐘をならしている研究者もいる。

 母親が子どもをおんぶしていれば、
 子どもはいつも親の呼吸や体温を感じ、
 母親はいつも子どもの息遣いや体調を感じることができるんや。

 それをしなくなって、赤ちゃんをすぐベビーカーに乗せたりする。
 あれでは子どもは単なる荷物になってしまう。

 そういった親と子どものじかの接触が少なくなることは、
 子どものためにも、親のためにもよくないことだと思う。
 子どもを虐待する親や、子ども自体が変になったり、
 いまの日本は本当に滅茶苦茶になっているけれど、
 こんな現実も、昔のように日本人が子どもを
 負ぶらなくなったかもしれない。

 やっぱり背中の重みをかみしめることは大切なんやね。

 子どもだったら、その子の息遣いや体温、
 籠だったら季節の花や野菜の香り、収穫の喜び。
 たえずそんなことを感じながら、女たちは家路についたはずや。

 いまはなんでも楽なほうへ人間は向かってしまうが、
 こんな時代だからこそ、もう一度人の背中で感じることを
 見直すべきだと思う。

 私がもっているアジアやアフリカの子どもを背負う布には、
 気が遠くなるような時間を使って、それぞれまったく違った
 刺繍が施してある。

 ひと針、ひと針、愛情をたくさん込めた飾りを競うように
 縫い付けてあって本当に美しい。

 それはお母さんの心が現れた美しさなんやね。」

この言葉から、私も小さき日に母親に負ぶってもらっていた頃の
ことの記憶が甦りました。

そして、息子が赤ちゃんの時、背中に負んぶしていたところ
スヤスヤと眠ってしまった寝顔を妻と共に
「何と子どもとは可愛いものか」と、幸せを感じながら
いつまでも飽きずに見ていたことを思いました。

世界中の子どもたちが、日々幸せでありますように。


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日曜日, 3月 09, 2008

「才覚を持つものと発掘するものとの良縁」-森口華弘

先月20日にお亡くなりになった重要無形文化財保持者(人間国宝)で
京友禅作家の森口華弘(もりぐち・かこう)さんの素晴らしい話を
聞きました。


「斬新な意匠で、現代的な息吹を友禅の世界に吹き込んだ重要無形文化財
 保持者(人間国宝)の森口華弘さん。

 森口さんが学童のころ、図工の時間に「みかんの絵を描きましょう」と、
 担当教師が生徒に指示した。

 森口さんが描いたのは、
 画用紙からはみ出るほどの大きなみかんだった。

 教師はスイカではなく、みかんを描くようにいった。
 「みかんはもっと小さなものでしょう」。

 森口さんは、
 「みかんはとても甘くておいしいけど、小さい。
  だからスイカみたいに大きなみかんがあればいいなあ」と
 思って描いたという。
 でもそれはいわなかった。
 

 次にまたやってきた図工の時間。
 今度は汽車を描くようにいわれた。

 森口さんは画用紙の中央やや右側に、上から下に伸びる
 日本の線を描き、それに短い横棒を入れていった。
 線路である。

 その右手には、たわわに実る稲穂で埋め尽くされた田を、
 左手には麦畑を描いた。

 面積では右の稲が七、左の麦が五、線路部分が三という
 構成だった。

 「汽車を書くようにいったのに、この絵には汽車がないじゃないか」と
 教師から言われた森口さんは、
 「汽車はもう先に行ってしまった」と答えた。

 そんなことがあって、二枚の絵はどちらも、
 甲乙丙の「丙」になった。
 おそらく、トンチンカンな絵しか描けない子という評価を受けたのだろう。


 そんなある日のこと、臨時に赴任してきた美術の教師が
 森口さんの絵をじっと見ていった。

 「この絵はおもしろい。あなたは夢を描きたかったのか?」

 森口さんはうなずいた。
 大きくて甘いみかんが欲しかったし、汽車が通り抜ける
 のどかな風景が好きだったからだ。

 「それなら丙でなく、甲をあげよう」と臨時の教師から言われた。

 図工で、美術の先生から「甲」をもらえた。
 ひょっとしたらぼくには、絵の才能があるのかもしれない。
 それが絵を描くきっかけになったと、
 森口さんは振り返った。」


京友禅をプロとしてやり続け、人間国宝にまでなった森口さんには
才覚がありました。

その才覚を発掘したのは、臨時に赴任してきた美術教師です。

才覚があっても目利きがいなければ才覚は発掘されず、
開花しないまま埋もれてしまうことをよく物語っていますね。


無限の可能性を持つ子供の親として、
深く考えさせられる話です。


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日曜日, 3月 02, 2008

「日本の社会に求められるヒューマン・ファクター」-柳田邦男

房総半島沖で19日早朝に起きた、
海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」がマグロはえ縄漁船「清徳丸」
と衝突した事故。

清徳丸の親子2人の行方は依然不明で仲間の漁船が必死の捜索を
続けており、地元の千葉県勝浦市では家族や仲間が生還を祈り、
真冬の海に必死に手を合わせています。

私もお二人の方が早く見つかるように、心から祈るものです。


今回の事故について、これまでの情報では
乗組員による目視が不十分だったため清徳丸に気付くのが遅れ、
回避動作が間に合わなかった可能性が高いと言われています。

”当時、あたごは当直体制で夜間航行をしており、
 艦橋に10人程度の乗組員が目視などで洋上を監視。
 さらに、前方の船舶を映す水上レーダーでチェックしていた。
 海自幹部によると、300~400メートルより近くなると
 レーダーは役に立たず、乗組員の目視に頼ることになる。
 目視が不十分だった可能性がある。”

一方で、「あたご」はハワイ沖での試験を終え、約4ヶ月ぶりの
帰国。東京湾に入る手前での事故には、乗組員の気の緩みは
なかったかとも言われています。


私は、7年前に起きた海上事故のことを思い出しました。

2001年2月、ハワイのオアフ島沖で米海軍の原子力潜水艦
「グリーンビル」が愛媛県立宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」に
衝突、沈没させた事故。

柳田邦男さんは、自著の中の一節、「ヒューマン・ファクター」
この時の事故のことを取り上げられていました。
 
「衝突の直接的な原因は、原潜が海上の安全を十分に確認しないまま
 急浮上したことにあるのだが、なぜそのような危険な急浮上を
 あえてしたのかという点にある。

 これまでに明らかになった事実(事故を起こした要因)の
 主なものだけでも、次のように多い。

 ・「グリーンビル」はデモンストレーションだけの目的で、
  乗組員数が2/3足らずのまま出航したので、安全担当員が
  不足していた。
 ・民間人の昼食で予定が遅れたため、艦長は見せ場の特殊航法(
  左右に高速蛇行や緊急浮上)の実演を急いだ。
 ・ソナー(超音波探知機)室には、訓練生一人しかおらず、
  「えひめ丸」と見られる船影を一度とらえたのに、訓練生は
  追跡しなかった。
 ・艦長は緊急浮上を命じる前に、潜望鏡を1分20秒しか見ず、
  潜望鏡の海面上への出し方も不十分だった。
 ・艦長より上の上級の参謀長は艦長の手順が速すぎると感じたが、
  艦長と部下の信頼関係にひびを入れてはいけないと思い、  
  口出しをしなかった。 
 など。

 このように列挙すると、艦長や関係乗組員の心理と行動を
 支配していたものは何であったかがくっきりと浮かび上がってきて、
 海軍の中に安全のための何が欠けていたかが自ずと明確になってくる。

 米国の全米科学アカデミーが1999年に医療事故の実態と
 取るべき対策に関する研究報告書を出した。
 この報告書のタイトルは、”To Err Is Human”
 (エラーをするのは人間の本性)


 つまり、人間はエラーを起こしやすいのだということを前提に、
 作業手順や機械・装置の設計や組織のあり方を決めないと、
 事故は防げないという意味


 人間のエラーをこのようにシステムの構造の中でとらえる時、
 重要なキーワードとなるのは、「ヒューマン・ファクター」だ。
  
 エラーという言葉には、非難・攻撃する意味がまつわりつくが、
 ヒューマン・ファクターという用語は、責任問題を論じるより、
 事故をもたらした諸々の要因の中で、
 人間(業務遂行にかかわったさまざまな立場の人々)がどのように
 かかわったのかを、まず明らかにしようという考え方がこめられて
 いる。

 そういう考え方でエラーをヒューマン・ファクターとして
 とらえる時には、
 「なぜその人のエラーは生じたのか」
 「その誘発要因は何だったのか」
 という突っ込んだ分析が重要になってくる。”


今回の海上事故についても、ヒューマン・ファクターを明らかに
することで、今後同様の悲惨な事故の防止につながることになります。

製紙会社各社による再生紙の古紙含有率偽装をはじめとする
さまざまな表示偽装、防衛省の装備品輸入に絡む不正・汚職、
スポーツ界をゆるがしているドーピング疑惑・・・

しかし、日本社会を見ているとこのような偽装、不正、疑惑の
後処理がどうもすっきりするものとはなっていません。

起きた直後には、責任者が頭を下げて記者会見。
頭を下げるということの意味が、軽いものへとなりつつあります。
先日の赤福の営業再開では開始から次々に大量に買い求めていく
人々の姿がテレビに映し出されているのを見ましたが、
何か違和感を感じてしまいました。

人間社会の中で、組織と人間の資質の著しい低下が顕著に見られる現在、
ヒューマン・ファクターへのアプローチを行うことは、
事故調査だけでなく、様々な失敗の分析の視点と方法として、
何事につけ失敗をうやむやにしてきた日本の社会に定着させるべき
大事な課題だと思います。



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土曜日, 2月 23, 2008

「如月の夜に月を見上げて」-城山三郎

一週間前のことです。
その日は午後から仕事、夜は所用で出かけており、
帰宅したのは夜10時前でした。

駅からの帰路、人気のない道を歩きながら
ふと見上げると冬の夜空に月が浮かんでいます。

少し前に、上弦の月だったなあと思いながら、
何か今日一日の心の平安を有り難く思えるような気持ち
にさせてくれるひとときの時間。


昨年亡くなられた城山三郎氏のエッセイの中に
「月見て歩け」という文があったことを思い出しました。

”所用のため、大阪へ日帰りした。
 早朝、家を出て駅に向かうと、ほの白く透き通った月が、
 歩いていく先の西空にかかっていた。

 帰りは、逆に、東の空に、血の色を帯びた月が待っていた。
 満月がやや欠けたばかりのまるい月である。

 早朝の月も、夜の月も、それぞれ美しく、
 それぞれ何か語りかけてくる。

 わたしは月を仰ぎ、月から目を離さず歩いた。
 いい気分であった。
 いろいろ考えねばならぬことや迷っていることもあるのだが、
 すべてが消えてしまって、生まれたばかりの心に
 戻る気がする。

 月を見ているだけで、いつかはいい知恵や新しい元気が
 沸いてきそうな気がするのだ。


 地上の花々が終わる季節になると、代わって月や空が
 きれいになる。
 空がかすむ季節になると、地上の花々が咲き競うようになる。
 この世は、うまい具合に満ちている。

 それにしても花を賞でるほど、わたしたちは空を見ることが
 ないのではないか。
 空や雲のたたずまいをじっくり仰ぎ見ることが少なすぎるのでは
 ないか。
 

 空を見上げることは、浮き世の思いをしばし忘れることである。
 もともと忘れるというのは、「人間の自己防衛の機能」なのに、
 現代人は「忘れることを忘れたのではないか」。

 ついでにいえば、空には仕切りがない。
 心の中にも仕切りのないのがいい。

 年中行事といえば、いまは盆踊りのような騒々しいものだけが
 幅をきかせている。
 多くの人々は、いよいよ画一化され、
 みんなといっしょでなければ生きられなくなっていく。

 それに反し、月見はひとりで静かに宇宙に向かい合う。
 弱々しい大衆の心とはちがった何かがそこには
 生まれてくるはずである。”


数々の名作を送り出された氏の言葉には、こうもあります。

”悠久の大自然の営みを前に人生など、
 波しぶきのひとしずくにも過ぎまい。

 そのひとしずくではあっても、
 いや、ひとしずくであるがゆえに、
 ひとは、
 短いおのが人生をわがものとして
 大切に過ごすほかはない。
              (わたしの情報日記より)”


月に励まされ、昨日より、今日より、明日を思う気持ちに
させてくれる珠玉の言葉です。


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水曜日, 2月 20, 2008

「誰かのために自分を献げて生きてごらん」-山田無文

産経新聞の連載記事「溶けゆく日本人」。

この連載記事は、様々なテーマにより
現在の日本社会と日本人の姿を多方面から描いていて、
とても参考になります。

今週書かれたのは、「蔓延するミーイズム」。

モラルを破壊する自己中心主義の”肖像”を描いたもので、
 ①キレル大人たち-増え続ける”暴走”
 ②”自子中心”の保護者-不安が生み続ける連鎖
 ③衝突避ける家庭-癒すのは自分だけ
 ④すぐ辞める若者-入社→ギャップ→怒り
の題で、社会の様々な層の意識と行動が映し出されていました。

 ①豊富な社会経験を積み、分別を備えているとされる大人、
  とりわけ高齢者が、ときに自分勝手にも思える言動を繰り返し、
  怒りを抑えられず”暴走”するケースが増えている。

 ②言ったもの勝ち、やったもの勝ちの風潮がはびこる現代社会。
  保護者の教育現場への「いちゃもん」(無理難題要求)が増え、
  その根幹には、自分の子供のことしか考えず、ほかのことは
  どうでもいいという”自子中心主義”がある。

 ③今の社会は「誰かや何かの犠牲になるのはいけないこと」という
  共通認識がある。その上、無理や我慢をしてストレスをためるのは
  「体に悪い」。家族の間でも、いや家族だからこそ、面倒な衝突や
  努力を避け、互いに負荷をかけない努力をするという暗黙の了解が
  成り立っている。

 ④「自分が主役」。そんな考え方から抜け切れず、社会に出て戸惑う
  若者が増えている。就職をして、現実と理想のギャップを克服できず、
  自分の情報不足と社会常識がないことを棚に上げて、「話が違う」
  「騙された」と怒り、すぐ辞めてしまう。


そんな社会の閉塞感、個人の心理状況が日本全体に蔓延って、
日々のアンビリバボーな事件・事故につながっているのかもしれません。

仕事場においては、メールなどで即座に回答を求められる機会が増え、
仕事の評価も成果主義に変わる。ストレスが蓄積しやすくなる一方で、
会社には余裕がなくなり、発散する機会が減り、職場などでため込んだ
ストレスを公共空間で爆発させる。

偽装問題の続発、サービスを受ける消費者意識の高まり。

良識を逸脱した言動や行動に対して、トラブルを避けるために
過剰防衛したり、見過ごすことで社会全体がおかしくなってくる。
勝手な行動を抑止する役目を果たしてきた地域コミュニティは崩壊寸前。
歯止めがなくなり、エゴが露出しやくなってきている。

世間は安易な”癒し”にあふれ、軽いノリでのスピリチュアルブームが
広がり、流行歌ではナンバーワンよりオンリーワンをたたえ、
そのままの自分を大切にすることがよしとされている。

「がまんするのはよくない」「楽しめるときに楽しもう」と言って
もらえることで気が楽になるが、それは容易に
「好きなこどだけする」「いやなこと、面倒なことはしない」に
転換されていく。

おかしくなった社会全体のツケは、子供たちにたまる。
子供もはけ口が必要になり、陰湿ないじめなどにつながっていく。
社会にじわりと広がる悪しき連鎖。

 

このような記事を読みながら、私がふと思い出した話があります。
秋月龍珉さんの本で書かれていたお話。

”私の本師(得度の師)は、山田無文老師である。
 あるとき老師は駅で電車を待っていた。

 一人の青年が来て、
 「僕は何をしたらいいんですか」と問うた。

 老師は、「僕の好きなことをしたら、ええじゃないか」と
 言われた。

 すると、青年は「その僕が分からないから、東京から来たんです。
 僕とは何ですか」という。

 老師は言われた。
 「昔から、”汝みずからを知れ”と言われるが、
  一番身近にありながら、一番分かりにくいものだ。
  時間がないから結論だけ言おう。
  
  君は今から誰かのために自分を献げて生きてごらん。
  自分のことを勘定に入れずに、他人のために尽くして、
  そして自分が”よかったなあ、幸せだなあ”と
  思えるような自分が分かったら、
  それが本当の”僕”だと私は思う」。”


無文老師の言葉には、こうもあります。

”自我は尊重されねばならぬであろう。
 が、尊厳ではない。

 個性も尊重しなければならぬ。
 が、真理ではあるまい。

 徹底して、自我と個性を否定し尽くしたとき、
 そこに偉大なる普遍的人間が自覚される。”


人間と人生の本質に対する深い洞察と英知が込められた
無文老師の言葉から、不安と迷い多き現代を生きるための
知恵と勇気を与えられます。
 


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土曜日, 2月 16, 2008

「風花の中にいのちの全体性を感じる」-玄侑宋久

先日の休みの日のことです。

冬の朝、カーテンを開けると、窓硝子越しに
雪が舞っている姿が見えます。

一面の白い世界です。
あ々、今日は休みの日でよかった。という少し安堵の気持ちで
このいきなりの昨日とは異なる外の景色を見ました。

まだ今は寝ている息子が、これから暖かな布団から起き出して、
この白景色を見たらきっと驚き、そして喜ぶことでしょう。

「霜やけの手を吹いてやる雪まろげ」

子供にとっての雪は、天の与えてくれた一時の遊びもの。
私も子供のとき、雪が降ると意気揚々と外に出ては、
雪をころころと転がして、だんだんと大きな塊にすることを
楽しんだものです。

無心にただ雪に触れ遊ぶ。
雪をただひたすらに転がす。
塊をただただ大きくする。


そんなことを思い、雪が深深と降る様を見ながら、
数週間前に読んだ「般若心経」(玄侑宋久著)に書かれていたことを
想い出しました。

「般若波羅蜜多」という普遍的真理であり、
全体が一つの「陀羅尼」である。

この「陀羅尼」とは「総持」の意であり、
これは普遍的な真理を理解し、記憶し、それを保つ能力を
「総て持つ(すべてたもつ)」ことが大事。

すなわち、「総持」とは「全体」を持つこと。
理解し、記憶し、そして保つこと。

こう単純に書くと、できそうに見えるのですが、普通の人間
とりわけ大人にはこれを同時に行うことはそう簡単ではありません。

玄侑氏が言うには、
 理解から記憶に進む際に、
 断片的な知識を記憶するのは「私」であり、
 全体をまるまる記憶するのは「私」ではないそう。

 いったん記憶された音の連なりは、一切の思考を伴わずに出てくる。
 あらゆる思考はその表出を邪魔する働きしかない。

 全体がまるごと記憶され、それは再生される度に「識」を
 浄化していくのではないか。

 再生しながらその力を保つことで、
 「識」そのものも「空じられる」と考えてもいい。

 断片化された世界を安易に「全体」と勘違いし、
 知的に明確に知ることでやすらぎでなく「単なる満足」に
 陥いる危険性を持つ「私」。

 そして長年、世界の中心であるかのような意識をもちつづけた
 「私」の殻は、相当に強固である。

 こうして「人間の知恵の限界を知る」ということが大切なこと。

 「花」も「私」も自立的でも恒久的でもなく、
 隔てなく融合しながら同じ「いのち」の「縁起」のなかにあることを
 感じ取る。

 これが、「全体」との本当の関係性のなかで、自分が再生していく道。


ところで、先月5歳になった息子は、数週間で「般若心経」を
暗唱できるようになりました。

子供の持つ本来制限のなき能力の広さをあらためて知るとともに
無意識に社会に適合しようとして、その能力に枠をはめ込もうとする
大人社会を自省させられます。


弘法大師は、「般若心経秘鍵」の中で
「それ仏法遙かにあらず、
 心中にして即ち近し、真如外にあらず」

と説かれています。

「本来の自分、ありのままの自分」を大事にして、
「自分自身に帰る」ことが、生の真のやすらぎを得られること

なのでしょうね。

雪の風花を無心に見ながら、そんなことを思いました。


***************************

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至無意識界。無無明亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽。
無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、
心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、
能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経


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水曜日, 2月 06, 2008

「偉大なる魂の生き方」-マハトマ・ガンディー

1月30日は、インド独立の父、マハトマ・ガンディーが
暗殺されてから丸60年となる日。

インド各地では、首都ニューデリーでの追悼行事や
ムンバイでのガンジーの曾孫による遺灰をアラビア海に流す行事などが
行われたそうです。

インド独立の翌年1948年1月30日、
ニューデリーの滞在先で、ヒンズー教至上主義者に銃撃され、
ガンディーは死亡。

20世紀の知性を代表するアルバート・アインシュタイン博士は
「道徳的衰退が一般的な我々の時代にあって、
 彼だけが政治領域における
 より高い人間関係の概念を
 体現する唯一の政治家であった」

と哀悼しました。


私は、小学校卒業の記念文集に「ガンジーを読んで」という題で、
このインドに生まれ、丸メガネをかけた痩せた小さな身なりに
腰布で体を包んだ半裸のインド人のすばらしい生き方に
感動したことを書きました。
それから30年が経っています。

歴史が大好きで、様々な英雄・好人物の伝記を
読み漁っていた自分が
ガンジーという人物を取り上げたのだろうか?
その後文集を読み返す度に、
自分でもその時なぜ彼を取り上げたのだろうかと
思い返してみたものです。

これこれこうという理由はよく思い出せないものの、
はっきりと言えるのは、
子供ながらにこの半裸のインド人の持つ偉大な魂の生き方に、
自分が強く惹かれたということです。

そしてその後、自分の歳が増え、
様々な人々のその様々なる人生、社会の不公平と不条理、
家族という存在の有り難さ、
同じビジョンに共感する人々との素敵なつながり、
などを通して、
この「ブッダ以来最も影響を持ったアジア人」(寺島実朗氏)
生き様とそれを支えた魂に益々強く惹かれています。


1869年、ガンディーはインドのグジャラート州に生まれ、
19歳の時に英国留学へ行きます。
地位と金を求めて弁護士資格取得を目指す植民地からの
留学生でした。

その英国生活の中で、彼は次第に大英帝国の繁栄の陰に
悲惨な貧困者が存在する矛盾に気づき始めます。
そして英国的生活にあこがれる気持ちも次第に萎え、
「インド回帰」ともいうべきインド人としての自覚を高めていく
ようになります。

1900年、南アフリカに渡り青年弁護士として現地で働くインド人を
応援しながら、次第に「真理への確信に基づく不服従の闘い」
という思想の基軸を醸成していきます。

そして、実験農場を開設し、新聞の発行を行うなどして、
機械文明への過剰依存を嫌い、額に汗して働くことを尊ぶ
ガンディーの思想、民衆を分断し差別する支配の構造に対する
静かな抵抗思想が段々と形成されていったのです。

当時の英国のインド統治は「分断による統治」であり、
それはヒンズーとイスラムという宗教の対立、根強いカースト制度、
人権・言語の多様性、地方主義へのこだわりなど、
インド社会に横たわる多様性を分裂し敵対的に分断させることで
結束させないことに苦心することで行われているものでした。

この分裂・分断に対して、インド国民の自尊を求め徒手空拳で
大英帝国に立ち向ったのがガンディー。

母国に戻った彼は、
「サティヤーグラハ」(真理への確信に基づく不服従の闘い)という
手段により、武器や暴力は使わず、愛と条理を貫き、
徹底して相手の良心に訴えかける方法をとりました。

その後、1948年にインド独立。

大英帝国の植民地からの解放という目的は達せられたものの、
彼の夢であったヒンズーとイスラムの和解と協調に基づく
インドの統一的独立は実現しませんでした。
それぞれがインドとパキスタンとして分離独立し、現在に至っています。


ガンディーを銃弾で倒した民族や宗教の壁は、21世紀を迎えた今日
容易に崩れることはなく、世界の各地でテロの悲劇が見られている。

しかし、この偉大なる魂を持ったガンディーの思想と行動は、
キング牧師やマンデラ氏など世界各地でいわれなき差別や圧制に
苦しみながらも、社会の不条理に立ち向かう多くの人々に
勇気とインスピレーションを与えています。

それはまさしく地球の生物の進化においてまだ幼年期にある
人類に対して「良心」を種蒔いたものであり、地球市民の高い
意識を持った人々がこれを芽吹かせてきていることを感じるものです。


「汝が声、 
 誰も聞かずば、
 一人歩め、一人歩め」


ガンディーのこの励ましに、これからも多くの魂が
目覚めてゆくことでしょう。


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日曜日, 2月 03, 2008

「自然とは、神が自分自身を愛しむ気持ち」-☆森のクマさん☆

先月、5歳の誕生日を迎えた息子。
彼のここ最近の関心は、様々な生き物のつながり。

昨年の夏・秋と「虫の探検隊」に出かけたことで、
森の中や草原、田圃などに見られる様々な自然の生き物達の暮らしに
強い関心を持っています。


平日の朝起きた途端に、
「パパ、カマキリはバッタを食べる?」
「カブトは何を食べるの?」

・・・・

私は朝の支度に忙しい中、最愛の息子の質問になるべく
答えてあげたいと思うのですが、なにせ朝の1分は貴重な1分。
そうそう丁寧には答えられません。
「良ちゃんが寝ちゃう前に帰って来れたら、答えてあげるよ」
そして出かけます。

仕事を終えて、帰宅すると
待ってましたと息子のニコニコ笑顔。
「パパ、フクロウは何を食べるの?」
「木の蜜に集まる虫の中で、スズメバチは何番目に強いの?」
「タガメとタイコウチがいるところに、
 メダカがやってきたらどっちが食べるかな?」

・・・・

因みに、休みの日は、この質問がずっと続きます。
子供の好奇心のすごさに感心すると共に、
大人のエネルギー、集中力は子供のそれにはかなわないと脱帽です。
私は自然のことをある程度は知っているので、
何とか息子の質問に答えられていますが、段々質問のレベルも
上がってきています。

息子は父親とのやりとりを通して、
自然界には、
・草食もいれば肉食もいる。雑食もいる。
・生き物の生息する環境には、様々なものがある。
・生き物の世界には、競争もあれば協力もある。
とうことを何となく理解してきているようです。

やりとりを繰り返しながら、
息子が自然や生き物の世界の不思議さに驚き、惹かれていることを、
とても嬉しく思っています。

一方で、何よりも大事なことは知識での満足ではなく
自然そのものに直接ふれること。
そのことこそが、子供の成長に大きな役割を果たす。
自分の子供時代を懐かしく振り返り、きっとそうであると
確信しています。

冬の今は、生き物たちは休眠期ですが、これから暖かくなり、
生き物達の春の活動を見たら息子はさぞ喜ぶことでしょう。
親馬鹿の私はその日を心待ちにしています。


そんなことを書きながら・・・
以前に読んだ本の中に載っていた米国ウエスト・バージニアの
山頂の保護活動を行っている女性の話を思い出しました。

 ”ジャネットさんは自分自身が自然の中で過ごした子供時代を
 振り返る時、それが現在の環境活動の源であるばかりでなく、
 精神の栄養になっていることがわかるのだ。

 子供のころには、叔父夫婦の牧場に行くのが大好きで、そこにいると
 想像力と精神とが大きく広がるのだった。
 彼女は、納屋へ、鶏小屋へ、丘の麓へ、牧場へ、渓谷へと、
 目の前に横たわる豊かな自然の中での宝探しの冒険に飛び出していった。
 
 それが猫の赤ん坊が生まれるのを見ることであろうが、
 死んで地面に横たわっている羽毛のない鳥の雛に涙することであろうが、
 命についてのジャネットの好奇心に対して、
 ありあまるほどの学びのチャンスをくれた。
 そして死は避けられないことであることも教わった。

 「私はいまだに、彗星や日食や月食、流星群といった天体の出来事に
  畏怖の気持ちをもっています。

  そうした不思議を見ていると、なぜだか、私が生まれる遥か前にも
  同じように感じていた、数知れない人間や生き物と自分が
  つながっているのを感じるのです。

  無限の宇宙とその神秘とのおかげで、
  私は人生に対して大きな見方をすることができます。
  自然界のありふれたもの、たとえば一枚の鳥の羽が
  100万もの部分からなることに対して、今までよりも大きな驚きで
  いっぱいです。

  子供のころの私は、自然の中に自由の喜びを見つけていました。

  そして今でも流れる小川の脇や、星の天蓋の下にいるときには、
  最も深い喜びを感じます。」

 ジャネットは、自然の中には適切な言葉を超えた何かがあると
 感じるという。  
 彼女はそれを「神が自分自身を愛しむ気持ち」と呼ぶ。

 彼女の娘は成長し、今では遠く離れた都会に住んでいるが、
 やはり同じように感じている。” 
 

自然は子供たちに、彼らが一人ぼっちでないこと、
世界の真実や多様性は彼らの身の丈にあったものだということを
教えてくれます。 


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木曜日, 1月 31, 2008

「つつましい方丈に無限の宇宙を見る生き方」-☆森のクマさん☆

前回の日記では、地球環境問題が大きく顕在してきている中で

「私たち日本人や先進国に住む人々が、サステナブルの意識を持ち
 自分のできることを行動し、地球上の他の生命とのつながりに
 感謝して生きていくことが求められている」


ことを書きましたが、先日ある新聞記事を読んで深く心が
揺り動かされました。
皆さんに共有したく以下にご紹介します。

”昨年末、東南アジアから南アジアと、いくつかの国々を訪れた。
 地球温暖化の影響が懸念される地域と、
 インド洋大津波(2004年12月)から3年を迎えた被災地の取材が
 目的であった。

 インドネシア・アチェ州西岸のラムプーク村は、大津波で
 モスク以外が水没してしまった村だった。

 この村は、米国の支援を受けた後、
 トルコの住宅企業が約700戸の被災者住宅を建設するなど
 他国の支援を受け続けてきている。

 村に住むナスミンさんに聞いてみたところ、
 彼はこう嘆いた。
 「住民たちの心はすっかり変わってしまった。
  村の仕事も以前なら共同作業で助け合ったのに。
  今ではお金にならないと動こうとしない。」

 自然災害とそれに伴う援助によって村のありようが左右される。
 守ってきた風習や文化が変質してしまうこともある、
 と思った。


 ヒマラヤ山脈の王国、ブータンは国土の70%以上が森林に
 覆われた秘境である。

 だが、地球温暖化で北部の氷河が解けて氷河期の水量が急増し、
 深刻な事態が懸念されている。

 同国の南北標高差は実に7千mあり、
 ひとたび氷河湖が決壊すると、
 森林をなぎ倒しながら一気に土石流が流れ落ちることになるのだ。

 ブータンは森林伐採を厳禁するなど環境保護を国是としている。
 主要産業の水力発電を維持するためにも不可欠な政策なのだが、
 何よりも国民が自然を守るという意識を共有していた。

 中部のポブジカ村には、毎年越冬のために飛んでくる
 ツルを保護する理由から、電線を引くことをあきらめた
 住民たちがいた。
 ツルは民話や民謡に登場する大切な生き物である。

 「あなたたちは温暖化の問題を少し科学的にとらえすぎてはいませんか」
 
 国営ブータン放送のツェワン・デンドゥプさんは
 こう疑問を投げかける。

 「私たちにとってそれは精神世界の危機なのです。
  ブータンの文学や音楽は山から生まれました。
  森林破壊とは、私たちの魂が崩壊することだと思っています」

 日本の温暖化論議に欠けているもの、
 それは日本も被害者であるという当たり前の視点ではないだろうか。

 温室効果ガスを削減しなければならないのは、
 他国のためばかりではなく、日本のありようにも
 影響する問題だからなのだ。

 温暖化で失われるかもしれない、日本の守るべきものとは何か。 
 足下から見つめ直す必要がある。”(1/13産経)


森林破壊とは、私たちの魂が崩壊すること。
というブータンの男性の言葉は強く印象に残ります。


”ヒマラヤの麓にブータン王国という小国がある。
 昭和天皇の大葬の礼で喪に服してくれた親日国だ。
 
 いま、この国は国民総幸福量(GNH)という独自の国家戦略で
 国際社会の熱い関心を集めている。

 人口も資源も限られた小国が物質的指標にのみ依拠していれば、
 容易に負け組に転落する。
 ヒマラヤという最高の自然遺産もグローバル化で観光の大波が
 押し寄せれば、たちまち荒廃してしまう。

 国民総生産(GNP)より国民総幸福量(GNH)。
 小国は小国らしく。

 それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも
 言えるのだが、
 経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から
 ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、
 極めて示唆的である。
  
 日本も今こそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。”(1/1産経)


そして、1月1日元旦のこの記事には、こうあります。

「温故知新という。
 つつましい方丈に無限の宇宙を見るような
 日本古来の節度ある生き方を、
 いまこそよみがえらせ、
 その知恵と哲学を世界に伝えたい。」


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日曜日, 1月 20, 2008

「サステナブルの意識を持つこと」-☆森のクマさん☆

2008年年明け、新聞各紙では地球環境問題についての
連載記事を載せ始めました。
産経「生き物異変 温暖化の足音」、朝日「環境元年 エコウォーズ」。

私たちが生きている現在は、人類がかつて直面したことのない
気候変動が起きつつある状況にあります。

この100年間で世界の平均気温は0.74度高くなっています。
たった0.74度ではなく、0.74度も上がってしまったという数字。
その影響が、自衛手段を持たない生き物たちの命に表れてきています。
草虫木魚鳥獣、彼ら多様な命が次々に亡くなりつつあり、
また絶滅の危機に追いやられています。

私たち人類は、自然の一部。
どんな国であれ、どんな人であれ、自分だけでは生きていけません。
誰もがそう言われれば、その通りと肯くことでしょう。

でありながら、自然の生態系からはみ出すだけでなく、
その生態系の調和を大きく乱すことを行ってしまっています。

地球環境の現状を知れば知るほど、「すぐに何かやらねばならない」と
皆さん思うはずです。

では何を行えばよいのか?
答えは簡単です。
「自分でできることをすぐに行いましょう!」

・水や電気の消費を減らす。
・買い物の時に包装や袋はもらわず、エコバッグを使う。
・車の使用を減らして、電車や自転車・歩きをときどき行う。
・家でも外でも食べ物の余りが出ないようにする。
・ゴミをなるべく減らし、余分なものは買わない。
などなど。

途上国では、貧しさから上記のようなことは当たり前の
環境にある人たちがたくさんいます。
世界では多くの人が1日当たり100円以下の生活を強いられています。

私たちは、いつのまにか欲しいモノはすぐに手に入る生活に
すっかり慣らされてしまいました。
たしかにそのお陰で生活は格段に便利になりました。
でも、大量生産・大量消費・大量廃棄ではサステナブル(持続的)では
ありません。その大きなつけが、地球環境問題となって表れている。


温暖化対策を考えることは、自らのライフスタイルを見直すこと。
私たちは、消費者として実は大きな力を持っています。
意識を変革し、環境に調和して製品を求めていきましょう。

これからの時代は、サステナブルということを意識しながら
自分のできる範囲で工夫や我慢をして、自分達の社会のため、
未来の世界のためにちょっとしたことの積み重ねが大事です。
それは結局、自分のためになります。


人間の本当の豊かさとは何かを模索しながら、
答えを出していく時代に入りました。

これからは、私たち人間を含めて
この地球上に生きる全ての生き物達が互いにつながりあい、
生命を支え合っているということも自覚していきましょう。

生命の多様性に感謝して。




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土曜日, 1月 12, 2008

「笑顔、笑顔、にっこり笑顔」-仙臺四郎さん

謹賀新年
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

大晦日から正月2日にかけて、 「実父の70歳のお祝い&会社からの引退の慰労」
兼ねて 実父・母、兄や妹の家族と一緒に総勢14名で、兄の住む仙台市内にある
秋保温泉へ。

大人数が久しぶりに揃い、とても賑やかで楽しい新年です。
息子も従兄弟たち5人に会えて、大はしゃぎ。
「楽しい、楽しい」と嬉しそうに言う息子の笑顔を見て、 とても幸せ。
皆がにっこり笑顔の、本当によい一年の始まりとなりました。

「笑うかどには福来る」と昔からいいますが、
仙台には、かつていつもにこにこ笑顔がすばらしく、 生きながらにして
すでに福の神と呼ばれ人々に大変慕われたという 不思議な人物がいました。

その方の名は、仙臺四郎さん。  
江戸末期、仙台に生まれた実在の人物。  
明治時代、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていたそう。    

それは、四郎さんが立ち寄る店は必ず大入り満員となり、商売繁盛したからだと言う・・・。  

生前、四郎さんが立ち寄る家や人々に福をもたらし、  
「四郎さん、四郎さん」 といくら招いても見向きもされない家には福が来なかった
お話は有名だそう。  

四郎さんは人を見抜く力があり、ずるい人や意地の悪い人間は大嫌いだったのでしょう。  
四郎さんの肖像画は、家運上昇、商売繁盛にご利益があるといって  
仙台の古い商家には必ず飾ってあったという。  

そもそも四郎さんは、少々知的障害を持った人物だったとか。  
初めは、何となく、他人の家に来ては 愛想の良い笑顔を振りまいて帰っていく、  
ただそれだけの人と思われていたそう。  

ところが、不思議なことに  四郎さんが来た家は、なぜか運が向いてきて  
良いことばかり起こるようになりそのことが町中の評判となった。  

ある日の事、仕事がうまく行かず死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、  
ふらっと現れ四郎さんはこう言い放ったという。  
「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」  

四郎さんにそう言われて、ふと自分の顔を鏡で覗いて見ると、  
そこには鬼のような顔をした男が。  
はっとして目が覚め気づいたという、これでは商売ができるはずもないと。  

玄関に戻るとそこには四郎さんはいなかった。  
自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるために
がんばってくれている妻と子供が立っていた。  
この時はじめて、なぜ自分の商売がうまく行かなかったのか、  
その原因が何となく理解できたような気がした。  

その後、商売もうまく行くようになり  元気さを取り戻したという。  
そればかりではない、なぜかは知らないが、それ以外にも幸運が押し寄せてきたという。  
今でもその家の家宝は、小さな額に入った四郎さんの写真であるという。  

そんなこともあり、仙臺四郎という人は、何時の間にか福の神さまではないかという
噂が立つほどの評判を呼んだ。  

四郎さんは、明治35年頃47才で死去されたと仙台市歴史民俗資料館に
記録が残されている。  
四郎さんは「バヤン」という言葉しか話すことができなかったそう。  
そこに不思議な力の源があったのかもしれません。  
人々を幸福にする為に生まれてきた人物だったのでしょうね。

記念の土産に買った仙臺四郎さんの絵が描かれている暖簾の言葉。  
「四郎が笑へば 福来る」

笑顔で福をたくさん呼び込み、 よい一年を過ごしていきましょう!


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水曜日, 1月 02, 2008

「私たちには世界を創造していく力がある」-☆森のクマさん☆

昨年末、無事仕事を納め、
家の大掃除の総仕上げを妻と頑張りました。

家中をきれいにすることができ、
清々しく新年をお迎えすることができています。

こうして健康でいられ、仕事もより充実して
行うことができ、家族仲良く、一年を過ごすことができました。

本当に有り難いことです。
支えていただいた方々、縁あってつながった方々、
見守っていてくださった方々に深く感謝いたします。


さて、2008年はどんな年になっていくでしょうか。

大切なことは、
この世界が、社会が、よくなるも悪くなるも
私たち一人ひとりの意識と行動の産物によるものだと
いうことです。

与えられた世界、与えられた社会に生きているのではなく、
自分たちの創り出した中にあるということですね。

私たちに求められているのは、
状況の犠牲者になるのをやめ、新たな環境を創ることに
参加していくということです。

健全な世界を、私たちの子ども達や未来の世代に
確実に渡していくのに欠かせない重要な転換は、
今までと同じことを繰り返していては実現しません。

絶えず現実について理解を深め、
あらゆるものがつながり合う世界にしっかり参加できるように
していくことが大事なのです。


今年最後の日記に、
次の言葉を皆さんへお贈りします。

「何かを強く望めば
 
 宇宙の全てが協力して

 実現するように助けてくれる」
             (「アルケミスト」角川書店)


多様性ある生命のつながりの中で、
こうして生きていられることの素晴しさに深く感謝して。





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