火曜日, 1月 30, 2007

「真の豊かさに感謝する」-北米先住民(ナバホ族)

かつて、8年ほどまえに北米を旅したことがあります。

アラスカの各地やヨセミテ、キングストン&セコイヤ、
そしてサンタフェ。
全て先住民の方たちの縁の土地であり、原生の素晴らしい
自然が広がる場所。

サンタフェで知り合ったナバホ族の方からは名前をいただきました。
日本語で”子熊”を意味するナバホ名。

先住民の人々の歴史は過酷なもの。
自分達より後に土地へ入ってきたメキシカンやアングロサクソンなどの
白人たちに迫害を受け、
もともと住んでいた自然豊かな場所から辺鄙な場所へと追い立てられ、
暮らしています。

彼らの住む居留地、周辺に広がる砂漠には、幾多の涙と亡骸が
眠っています。
大地の一部となり。

彼らは今も戦っています。
テレビやメディアなど白人文化は容赦なく
次から次へと攻撃をたたみかけてきます。
止むことを知らない広告。
彼らの文化を飲み込もうと襲い掛かってくる見知らぬ文化など。

現代のテクノロジーが運んでくる猛攻撃に抗って、
何とか自分たちの価値観を守り、生き方を守ろうとしています。

ネイティブは決して、若者たちの流行や格好いいというための
安易なものではありません。
大地と共に生きてきた歴史の証であり、自然の一部として
生きてきた人々なのです。

彼らは言います。
先進国の消費文明や自然を尊重しない生き方が、
やがては崩壊を招き砂塵に埋もれてしまうときがやってきても、
きっと自分たちは生き残っているはずだと。


彼らは歌う。
夜に感謝の歌を。

大事なのは、物質的な豊かさではなくて、
命と命が運んでくれる豊かさに感謝することだと。

「どうか幸せに歩ませてください。
 
どうか目の前の世界が美しくありますように。  

どうか背後の世界が美しくありますように。  

どうか足下の世界が美しくありますように。  

どうか頭上の世界が美しくありますように。  

どうか周囲の世界が美しくありますように。  

あらゆる世界が美につつまれてありますように。」

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日曜日, 1月 21, 2007

「ReBorn 星野さんの足跡を辿る旅を終えて」

敬愛する星野道夫さんがカムチャッカで亡くなられてから、
昨年で早10年。
彼の残した表現物に共鳴する輪の大きさはますます大きくなる
ばかりで、深い感動を持つ方たちが増えています。
 
10年というメモリアルに、私なりの追悼の意味をこめて、
ある旅行の思い出をまとめたものを記録としてこのブログにも
転記いたします。

この「ReBorn 星野さんの足跡を辿る旅を終えて」という
手記は、道夫氏が亡くなられてから5年後の2001年、
冬のアラスカを私と妻の二人で各地を旅し、
目に見えない大きな力に守っていただきながら
道夫さんの足跡をたどり、彼とつながりのある方たちに
つながることができたという人生の記憶に残る
記念すべき旅となったものです。

数年前に亡くなられたクリンギット族の長老
エスター・シェイさん、息子のウィリージャクソンさん、
そしてボブ・サムさんなど道夫さんとゆかりのある
魂の友人の方たちとのつながり、
それは決して偶然とは思えない力に導かれた旅でした。

(この手記は、道夫さんにゆかりのある団体「オーロラクラブ」に
 依頼を受けて、"Aurora Times"第8号にも掲載されました)


*******************************

人生の挫折とそこからの再起、ちょうどその時期に出会った
星野道夫氏。

彼の写真と文章、そこに映し出されていたのは、遥か遠いアラスカの
大自然だった。
遥か遠くにあって厳しい寒さを持つアラスカという土地が、
とても身近に暖かな世界であるように感じられたのだ。

なんて優しい人なのだろう、ミチオさん(旅で出会った彼の友人達は
皆親しみをこめてミチオと呼んでいた)の世界に深く魅せられた私は、
その後アラスカを初めて訪れた。
 
一度目のアラスカの旅を終えた頃から、ミチオさんの言っていたある
言葉が強く心に残っていった。

「人間には二つの大切な自然がある。
 日々の暮らしの中で関わる身近な自然、
 そしてもう一つは、なかなか行くことのできない遠い自然である。
 が、遠い自然は、心の中で想うだけでもいい。そこにあるというだけで、
 何かを想像し、気持ちが豊かになってくる。」

現在、私は自然環境を守る仕事に携わっている。
世界の森林生態系の保全と再生に取り組んだり、日本の各地にある身近な
自然である里山及びその文化が荒廃している中、
再生に動いているところだ。
里山に入りながら、時おり遠く離れたアラスカのことを思いだす。

深い森が広がり、クマがいて鯨がいてカリブーの群れが移動を続けている、
静と動の世界。
様々な生き物達がそれぞれの時間を精いっぱいに生きている姿が
想像できる。

そのことを想像するだけで、暖かで豊かな気持ちになれるのだ。  

何年前のことだろうか、ある時、本屋で手にした雑誌に、
ミチオさんの未発表モノクロ写真が載っているのを見つけた。
それは、カラー写真では何度も目にしていた
カナダ・クイーンシャーロット島の写真だった。

朽ちていくトーテムポールが悠久という長い時間によって、
ゆっくりと背景の森の一部になっていく姿が写し出されていた。

写真からは、とても深い闇とそれをとりまく静かでゆったりした時間を
感じることができた。
その写真と一緒に、ミチオさんが友人に贈った文章も載せられていた。
友人に子どもが誕生したことを祝福しているその文章には、家庭を持つことの
大切さが書かれていた。

 手紙を書いてからしばらく後、
友人にミチオさんはうれしいニュースを送った。
 結婚して、子どもがもうじきできるという喜びを。

 「ああ、あと数週間で父親に
 なれるなんて信じられません。大丈夫かなあ・・・
 まあ何とかなるでしょう」

 人間としての暖かさが文面いっぱいに感じられる文章であった。

この本を手にした当時、私は2度目の学生生活を送っていた。
自分がこれから生きる道は、傷つき病んだ自然環境をケアしていくことと
決めて、会社を辞めて実践を学び始めているころであった。

人生のある時期、人は誰しも挫折を経験するもの。様々な辛いことが
重なって、一時期自己否定のきわみに陥っていた時があった。
気がつけば自然な場所に行き、目の前にある自然をみつめては心を
楽にしていたことを思い出す。
そう繰り返しながら、自分を見つめ直し、これからの人生を
模索していたある時の事だった。

 
屋久島を一人旅していたときのこと。
ある山に登り、あやうくそこで遭難しかけた。
その時、現在の自分につながる大きな示唆を得られた。

もしかすると失っていたかもしれない自分の命があることに、
深い感謝を覚えた。
周囲の自然にも深い畏敬の念を感じ、目の前にある森の木々の息吹、
聞こえてくる鳥のさえずり、静かな渓流の音、
そうしたものに様々な生命を感じることができた。

それは、空気と水と土から恵みを受けて、
生命は生かされているのだという実感をはじめて持てたときでもあった。

たとえ小さくても大事な生命。
一度生命を得たならば、どんなに小さくても生きねば。
他の命も全て貴い、どんなに姿が小さくても醜くても命は同じなのだと。

自分の心の奥から湧上がってくる実感であった。
自然と涙が流れ、感動していた。探していた答えが見つかった瞬間。

「この大事な自然を守っていこう。
 人も大自然の循環の一部。傷ついているこの大事な循環を
 守っていく道を歩んでいこう」


強い意志が自分の中に生まれ、進むべき道がようやく見つかった。
自己否定により、自らがいかに小さな存在であるかを認識し、
それによって他者の生命の大切さや尊厳を認識することができたのだろう。

全ての生きとし生けるものの命の大切さを認識することができた。

学校を卒業した翌年の2001年、結婚を11月に控えていた私は
婚約者である彼女に新婚旅行について、ある提案をした。

それは、ミチオさんの足跡をたどるような旅をしたいこと、
場所はカナダ・クイーンシャーロット島、南東アラスカやフェアバンクスで、
12月は相当寒いかもしれないが、きれいなオーロラを見ることが
できるかもしれないなどの話をし、
彼女は了解してくれた。

ところが、9月にあの凄惨なテロ事件が起きた。
その後からアメリカ国内では厳戒態勢がひかれ、日本国内では
海外旅行への取りやめが相次ぐなど、
アラスカに行こうと考えていた私達にとっては、とても厳しい状況であった。

結局、シアトル経由でアラスカに入るのを取りやめて、バンクーバーからに
変更したものの私達は旅に出発した。
12月9日から約3週間、妻と二人でのアラスカの旅であった。

振り返ると、この旅は当初期待していたもの以上になっただけでなく、
アラスカの大自然の素晴らしさと、
そこで知り合うことのできた素敵な友人達や動物達への愛しさを
深く心に刻むことができた本当に思い出に残る旅になった。

プリンスルパート、クイーンシャーロット島、フェアバンクス、ケチカン、
シトカ、どの土地でもそこで出合った町の人たちは親切に遇してくれた。

もともとこの時期、南東アラスカはシーズンオフということもあってか、
町では日本人はもとよりアジア系の人をほとんど見かけることはなく、
自分達が歩いていると同じモンゴロイドへの共感からなのか
声をかけてきては誰もが暖かく接してくれた。

様々な人たちとの出会いの中には、偶然とは思えないような出会いや
できごとがいくつもあった。

クイーンシャーロット島で、ふとしたことから一人の島に住む音楽家に会った。
彼は、島の中にある小島の一つに小屋を建てて住んでいて、
今日はカヌーを何時間も漕ぎ続けて、
作ったばかりの音楽CDを街へ売りにきたのだといっていた。

話をいろいろ聞いてみると、”地球交響曲第3番”の撮影に協力したことが
あり、その際には龍村監督をガイドし、ミチオさんのことも彼から
聞いたと言っていた。

冬季のため残念ながら”朽ちていくトーテムポール”を見に行くことは
できなかったが、
トーテムポールを製作しているハイダ族のお爺さんと知り合うことができ、
ハイダの人々が集まる集会場に特別に連れていってもらえた。

そこでは失われつつあるハイダ語をなんとか守り、自分達の文化を子孫に
きちんと伝えてゆこうという試みが行われていた。

ケチカンでは、ネイテイブの長老として町の人達から畏敬を持たれている
エスター・シェイさんに出会うことができたのも、
この旅での大きな喜びだった。

そのきっかけは、ふと入った土産物屋の壁に掛かっていた1枚のラグを
購入したことからだった。
家内がとても気に入ったそのラグには、北極の大地に朝日が登りはじめ、
広場に白クマやカリブー、ムース、オオカミ、アザラシなど北の動物達が
集まって、白い鳥が飛んでいく方向(希望や平和という方向)に向かって、
全ての動物達が眼差しを向けているという絵が描かれていた。

そのラグを購入することにした私たちは旅の目的などを聞かれ、
星野道夫という写真家を尊敬しており、この旅で彼のゆかりの場所を
訪れたり、彼のことを知る人達にお会いして、いろいろなお話を伺うことが
できたらと願って旅をしていることなどを話し、
持っていた「森と氷河と鯨」の本を見せた。

すると、店のオーナーは、エスター・シェイさんを知っているといい、
彼女に電話をかけると私達を紹介してくれたのだ。

翌日大雪の降る中、訪れた私たちを彼女はとても歓迎してくれた。
彼女の子供時代のことや先住民文化など、いろいろな話を聞くことができた。

突然、彼女は誰かに電話をかけ始めた。
「ウイリー、私だよ。・・・」
息子であるウイリー・ジャクソンさんに、私達のことを紹介してくれた。

フェアバンクス、シトカをまわったあと、1週間後にケチカンの町に
戻ってくるこの日本人夫婦に会ってみようと、
彼はエスターさんに話してくれた。

次の日、アンカレッジ経由でフェアバンクスに向かうはずが、
大幅にフライト予定が遅れて空港に6時間も足止めを食らってしまった。

現地には今日中に着けるだろうかと不安が膨らんでいく私達に、
ランゲルに住むという牧師の方が親切に話しかけてくれたことで、
気持ちが落ち着いた。

あと30分ほどでチェックインが可能になりそうだというアナウンスが
入ったその時、突然私達の前に男性が現れた。
それは、ウイリー・ジャクソン氏だった。

「君達がここにいるだろうと思って会いに来たよ」
そう言うと出会いをとても喜んでくれた。

本来なら、1週間後に会うはずであった彼は、
飛行機が遅れていたことは知らず、
君達がここにいるだろうと確信して来たのだと言っていた。

なぜ確信できたのだろうか、その時は不思議でならなかった。
そしてその謎は、旅の終わりにケチカンに戻ったとき、
なぜかがわかったような気がした。
偶然ではなく必然なことであったのだと。

フェアバンクスでは、アラスカでは有名な犬ぞリ家であり絵本作家でもある
メアリー・シールズさんのお宅をうかがい、暖かな暖炉の前で
なごやかに話をすることができた、
彼女の心の中にはミチオさんが生き続けている、そう強く思った。

「シリアが亡くなったばかりなので、
 ジニーがとても落ち込んでいるの。
 これからジニーを励ましにいかなくてはいけないのよ。
 シリアが亡くなる前であれば、
 ぜひ二人にもあなた達を紹介したかったわ。」


そう言って車に乗ると、僕達の車が迷わないよう親切に途中まで
先導してくれたのだった。

その夜、フェアバンクスの郊外で見たオーロラは一生忘れられないだろう。
人生の記憶に残る、そう言えるような素晴らしいオーロラは、いつまでも消えずに
1時間以上も星空を彩っていた。

初めてオーロラを見ることができた妻と二人、感動しながら帰路に
車を走らせていると、
森の奥から何か大きな影が前方の道に上がってくるのが見えた。

それは巨大な雄のムースであった。
こちらも驚いたが、彼はもっと慌てたようで、
急いで森の方へ戻っていった。
そのときのムースの姿と合わせて天空を彩るオーロラの姿は、
決して忘れることはない。

「ReBorn(再生)」、ボブ・サム氏とは人生における再生を
語り合うことができた。
最初に会ったときから、彼は不思議なことを言っていた。

「明治神宮会館でのセレモニーに君達が
 来ていたことは知っているよ」


 本当に彼は独特の世界を持っていた。
 最初こちらから何を話しても彼は全て無言でいた。
 何か余計なことでも言ってしまったかと思って帰宿すると、彼から
 夕食後に会いたいから自宅に来てくれとの伝言が届いていた。

モンゴロイドや日本の神話の話などをしていくうちに、
少しずつ彼と心が通じ合っていくのが感じられた。

翌日、彼がずっと手入れをしてきた墓地に私達を案内してくれた。
夜、ボブに明日シトカを離れることを告げにいくと、

「もう一日シトカに滞在しないか。
 船が出港しないようだったら、ぜひここに来てくれ」
そう言うと別れをとても惜しんでくれた。

多くのことが起きるこの人生、
どんなことがあっても前を見て進んでいけば何度でも再生できる。
私が話した屋久島での再生のことを、彼は心に留めてくれた。

長時間の船旅の途中、天と海とをつなぐきれいな虹を見ることができた。

ケチカンに戻ると、ウイリーが港で待っていてくれた。
再会したばかりの私たちに、彼はいきなり一つの話を始めた。

「ミチオは君達の旅をずっと始めから見守っていたのだよ」
そう言うと、古くからクマの一族に伝わるという話はじめた。
何か別の世界に運ばれるような不思議で敬虔な気持ちになる物語だった。

翌日、ウイリーはクマの一族の聖地であるクランハウスへ
私たちを連れて行ってくれた。
クランハウスを取り囲み、イーグルや動物達のトーテムポールが並んでいる。
すると森の上空から一羽のハクトウワシが飛んできて、ゆったりと舞い始めた。
あまりの光景に妻と感激していると、ウイリーとエスターさんが
にっこりほほえんでいてくれた。

もう一つのクランハウスに向かうと、建物の前方には海が広がっていた。
穏やかな波が繰り返し流れていた。

「今、目の前にあるこの波は、
 遥か遠く日本の黒潮が運んできたものだ。
 私達は見ようとさえ思えば、
 離れていてもこの先にある日本を感じることができるのだよ」

ミチオさんの足跡をたどるという私達の旅が、今ここに無事終えたことを
実感していた。
黒潮に運ばれて、長い旅をしてきたであろう海の水は、
それほど冷たくは感じられなかった。

ウイリーに導かれて、顔と手を清め、三人で静かに祈りを捧げた。
旅の終わりをミチオさんに感謝して。

 
今、こうして原稿を書いている私の側には、
この素晴らしい旅を一緒に体験した妻がいる。
妻のお腹には大事な生命が宿っている。

再生の出発点を歩み始めたばかりで、何もできていなかった私も
ようやく少しずつ人生の意義と喜びを強く感じ、歩み始めている。

ミチオさんの足跡を少しでも辿ることができればという願いでまわった
この旅は、多くの方に支えられてこそできた旅でもあった。

折りある毎に旅のアドバイスをくださった新開さん、
現地の情報を教えていただいた赤坂さん、
暖かく出迎えて下さったエスター、ウイリー、ボブ、メアリー、
多くの方達に心から感謝している。

最期に、この旅を静かにやさしく見守っていてくれていた
ミチオさんの魂に深い感謝を捧げる。


2002.08.07 岸 和幸 記

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水曜日, 1月 17, 2007

映画「不都合な真実」の紹介-地球を愛し子供達を愛する全ての人へ

平和と環境は私たちにとって、とても大事な問題です。
未来を担う子供達のために、私たち大人がすべきことが
いま問われています。

アル・ゴア元米国大統領候補が、現代人に訴えかける
地球環境問題の現実と私たちがなすべきこと。

「北極はこの40年間に40%縮小し、今後、50〜70年の間に消滅する。
 氷を探して100キロも泳いで溺死した北極グマの悲劇的なレポート。  
 また、数百万におよぶ渡り鳥が温暖化の被害を受け、
 種の絶滅の割合は過去の記録の1000倍に達している。  
 さらに、この四半世紀の間に、鳥インフルエンザやSARSといった
 奇病が発生。  
 昨年、ニューオリンズを襲ったハリケーン"カトリーナ"のような大きな
 自然災害も増えた。  
 環境破壊のせいで、今後、20万人もの難民たちが大移動する。」

全て、いまこの地球上で起きていること・・・

「年々、上がり続ける気温のせいで、地球体系が激変し、
 植物や動物たちは絶滅の危機にさらされる……。 
 傷ついた地球を救うため、一体、今の私たちに何ができるのだろう?」


私たちには何ができるのだろうか?
何をすべきなのだろうか?
地球を愛し子供達を愛するものとして。

地球の未来を信じ、ゴア氏は言う。
「私たちが日々の暮らしの中で小さな努力を重ねることで、
 地球を変えていける。
 それぞれの問題は日常生活の中でつながっており、
 車の排気ガスを減らしたり、自然エネルギーを取り入れることで、
 事態は確実に改善されていく。」


この映画を見て、皆さんも行動していきませんか!
持続可能な社会を目指して、私たちの生活を変えていくこと。
消費者として社会に関心を持ち、政治に関心を持つこと。
同じ意識を持つ方たちと世界をよくしていくための行動をしていくこと。

☆「不都合な真実」公式サイト  http://www.futsugou.jp/  (国内での上映は、1月20日~)

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日曜日, 1月 14, 2007

「自然と語ることの大切さ」-佐野藤右衛門

私は樹木が大好きです。特に巨樹の木が。
森の中を歩いたとき、巨樹に出逢えると嬉しくなって近寄っていきます。

”あなたはこの場所に立って、ずいぶんいろいろなものを
 見てきたのでしょうね。”


木肌に触りながら、心の中でそう話しかける私に、
おやおや変わった奴が来たぞ、と
巨樹のおじいさんは笑っていることでしょう。

巨樹に惹かれる理由は何でしょう。
それはきっと、自分の半生を省みたときに、通じるものを
強く感じるからです。

それは、「曲がり曲がって真っ直ぐになっていく」ということ。
私の半生を振り返れば、まさに曲がり曲がって・・・の人生。

子どものときから読書が大好きで神話・伝説に惹かれはじめ、
学生時代は北欧神話や先住民の伝統世界を学び、
精神世界に浸っていたのが、
大学を卒業するとシステムエンジニアで機械的な世界に入り、
機械に対しての反動で有機的なものに触れたいという気持ちが高まり、
登山の道に踏み込み、
屋久島で遭難しそうになりました。

その時に、自己の生命のありがたさに深く感謝したのです。
生かされている自分に気づき、この命を有り難いものとして、
自然を感謝しケアしていくことに自己再生の道を歩んでいくことを
決意しました。

現在は企業の環境社会貢献を推進し、
”人の自然のつながり”と”人と人のつながり”が鍵であると信じ、
動いています。

樹木は、それぞれが最初に生を与えられた場所で生きています。
樹の生を毎年積み重ねていく中で、周囲の環境条件は変化していき、
これに適応しながら太陽の光を求め伸びていく方向や
枝の張り方を変えていきます。

周りを大きな木が囲んでいたら、
しばらくじっとしてちょっとの光で我慢して育ち、
大きな木の1本が倒れれば、「それ、そっちだ」と
がんばって伸びていく。

周りの動物たちとも共生しあい、命をつなげあっていく。
森の世界は、実に多様であり美しい。

私の大好きな方の一人、佐野藤右衛門さん。
佐野さんは、当代きっての名桜守のおじいさんです。

以前にテレビドキュメントで、佐野さんを知って以来、
その生き方や言葉に強く共感しています。
佐野さんは、今の時代において大切なことは、自然と語ることと
おっしゃっています。

「今なあ、自然破壊やら地球温暖化防止やら、
 いろいろと声を上げておる人がようけおるやろ。
 それも大事や。
 わしもだいぶ前から、自然がおかしくなってきとる、と思うてたんやから。

 木を育てる仕事をやっとるとなあ。
 けど、そうしたのは、人間やで。
 人間が勝手に人間だけの都合で、ものを進めてきたからなんや。

 もう人間は、自然との接し方がわからんようになってきてる。
 というより、「人間は自然の一部」という基本を忘れてしもてんねん。
 
 で、大上段に言葉だけで自然保護を叫ぶのはあかん、
 と思うんや。
 そやのうて、わしらひとりひとりが、土と語り、水と語り、
 木と語っていくことが 大切なんや。
 それが自然を知ることや。」

そう、大事なことは身近な自然に直接ふれることです。
ふれて、じっと観察をすると自然の状態がよくわかってきます。
雑木林、田んぼ、野原、小川、など目の前にある身近な自然。
それは一見どこにでもある自然でありながら、
そこにしかない自然。

そしてそこには大小さまざま、貴方と同じこの世界に命をもって
生きているものたちの
大事な生存の場所なのです。

大事に守っていきましょう。
関心を持ち、自然の変化に気をつけ、
守るように行動していきましょう。

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「素直な心になれば」-松下幸之助

素直な心について、松下幸之助氏が語られた言葉をご紹介します。
氏が人というものを慧眼でとらえていた本質的な言葉。

「素直な心になったならば、物事の本当の姿を見る、
物事の実相を見るということは、やはり一つには、
よいものはよいものと認識し、
価値あるものはその価値を正しく認める、
といったことにもなるのだろうと思います。  

だから、よいものをよいものと認識し、受けとめると いうような態度は、
結局のところ、 その根本は素直な心の働きのあらわれの一つと
いうことに なるのではないかと思います。」



「素直な心が高まったならば、
お互い人間が本来備えている広い愛の心、
慈悲心というものが、なにものに妨げられること なく、
そのまま十二分に発揮されるようになるのではないかと思うのです。  
 
そして他の人が困っているのをみればこれを助けよう、
苦しんでいる人があればなぐさめよう、
そしてみんなが ともどもに楽しく明るく生きてゆくことが
できるように、 互いに大切にしあい生かしあってゆこう、
というような考えを もつようになってゆくのではないでしょうか。  

すなわち、素直な心になれば、人間本来の広い愛の心、
慈悲心が働いて、みながともどもに明るく幸せに生きてゆく ことが
できるような姿が生まれ、高まってゆくのではないかと 思うのです。  

素直な心というものは、そういう広い愛の心、慈悲心にも
つながっていると思います。」

幼少の時は、素直な気持ちを持ちえているのが、
なぜ成長し大人になるにつれ、
この素直から離れてしまってしまうのか。

翁のこの至言を読み返す度に、深く考えさせられるとともに、
心のありかたの原点を教えられます。

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「人づくりは木づくり」-細川重賢

国家100年の計は人にありといわれます。

国・地域・家庭の基盤である人材育成をいかに行なうか、
人いう生き物、日本人としてのアイデンティティを見据えた上での
ものでなければ、漂流する日本の状態を食い止めることは
できないと思います。

教育基本法改正が国会にて論議されていますが、
人づくりの本質をふまえてのものではなく、これまでの焼き直しを
いかに行なうかという表面上のやりとりしか見られてしかたがありません。

そこで、歴史に学ぶという大事な視点から、一つの例を挙げたいと思います。

”江戸時代中期、肥後の国熊本の藩主であった細川重賢は、
時習館という藩校を設立し、秋山玉山という人を初代校長に任ぜました。
重賢は、玉山に次のようなことをお願いしたといわれています。

「先生は国家の名大工であり、木づくりの名人だと思います。
 したがって、教育にあたっては、
人づくりは木づくりと考えていただけますか。
 そのために、木配りを大切にしてください。」
(木配り:学ぶ子が、杉なのか松なのか欅なのか樫なのかなど何の木に
 あたるかを確定するという意)

木の種類によって、養育方法は異なるものであり、施肥の仕方、
剪定の仕方など全然異なるもの。

つまり、重賢は教育にあたっては、
「一本一本の木の性格が異なるように、その木に見合った教育をしてほしい」
ということを依頼したのです。”

画一化ということの問題がとかく言われる中で、人というものの多様性を
理解して人材づくりを考えた重賢の素晴らしさを現代に活かすべきでしょう。

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「守るべき日本、自己の本体」-西郷隆盛

現在の日本社会に目を向けたときに思うことは、
刹那的個人欲望民主主義の熟れの果てという状態だということです。
この言葉はたしか経済学者の田中直毅氏が、司馬遼太郎氏をしのぶ対談を
されていたときに使われていたものです。

ひるがえって過去をのぞいてみた時に、激動の明治期にも同じようなことを
懸念し、この国のゆく末を 案じた巨人がおりました。

西郷南洲隆盛です。

西郷さんは激動の時代、新しい国づくりを目指す上で、
こう語ったと言われています。

「こんにちわが国は、新しい国造りに励まねばなりません。
 ダラダラと徳川時代と同じような呑気な気分で、
  これまでと変わらぬまま過ごしていっては、
 やがて衰退し、将来に潰れてしまうのは、
 ちょっと先見の明のある人物ならば、一目瞭然のことである。

 大事なことは「わが国の本体」を据えることである。
 すなわち、わが国の本当の姿とは何か。  
 我々は、どんな自分が、本当に納得できる姿なのか。

 将来にわたって「これこそ、我々日本人の誇りなのだ」と
 偽りなく宣言できるものは何なのか。
 と、そんな、”自分で自分を納得させられる本心”を
 明確にさせることである。    
 
 そこをはっきりと自覚して、その上で威儀を正すのです。  
 「私どもの国は、こんな未来を目指しましょう」と、
 万民にその国体を共有させるのです。
  諸外国から学ぶのは、それからである。

 まずおのれを見据えた上で、それから学ぶべきを学ぶのです。
  「歓びも楽しみも、その理想の中にあってこそだ」と、
 誰もが思うようにならねばなりません。  

 人々が理想を忘れて享楽を追い求めるだけになったなら、
 国は早きに滅びます。
 諸外国から学び他者から学ぶには、まずその前に  
 「自分なりの理想」というものを
 はっきりと心にもっておらねばならない。  

 その心構えも出来ぬうちに、あせって諸外国の制度を取り入れて
 いくと、人々の精神は荒廃していきます。    
 その荒廃を、一概に責めることはできません。  

  「自分とは本来どうあるべきか」という覚悟が
 固まっておらぬ先から、
 次々に目新しい外国のものを 与えられていけば、誰だって、
 目先の華やかさだけに心が奪われて自分を見失うのは、
 当然ではありませんか。

  しかし、そうなってしまったら、もう遅い。  
  風俗は限度を超えて乱れてしまい、教育の衰退から 人々は誇りを忘れて、
 国そのものが、救いがたい姿に 落ちぶれてしまう。  

 そこまで落ちぶれた国の末路は、火を見るより明らかである。  
 外国の欲望の餌食となる。 ひたすら搾取されるだけの植民地となる。
 国がまるごと奴隷となるのです。  

 他者から学ぶ。諸外国の文物を取り入れる。  
 その姿勢をきっと良き成果に結び付けるには、
 まず「自分の本体」を据えることを忘れてはならんのです。」  

                               
  まさしく現代を暗示するこの南洲翁のこの言葉から、
  私たち日本人に求められていること。

 それは、「自分とは本来どうあるべきか」という人間本来の
 生まれてきた 意味や役割を考えさせ、万物の霊長にふさわしき
 ふるまいをいかにすべきかと
 行動することが必要とされているのでしょう。

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土曜日, 1月 13, 2007

「誇り高き日本人でいたい」-C.W.二コル

昨年末、長野県黒姫に行ってきました。
親交ある企業人数名の方と「アファンの森」を訪問見学してきた
ものです。

黒姫にはちょうどわが師、C.W.二コル氏が執筆活動のため、
滞在しているタイミングで、私たちが森を訪問することを聞いて
忙しい中を、一緒に森を歩き、夕食を食べ、楽しいひとときを
過ごすことができました。

例年よりも雪が少ない中の、アファンの森は凛として気持ちの
よい空気に包まれており、次の再生に移るまで生き物たちが眠って
いる時期で、私たちが雪の上を踏む音だけが静かに鳴る自然の
空間で、とても心地よいものでした。

森番の松木さんのいる小屋にも顔を出し行ったところ、
「今日は炭焼きの窯出しの日だったから早朝の3時から来て
 いたんだよ。いやあ、小屋の中にいても寒かったの何のって。
 もうじき炭焼きの作業に取り掛かってそろそろ12時間だ。」
といいながら、窯から出した木炭を10kg×8袋を作っていました。
本当に毎回会うたびに脱帽の森の名人なのです。

二コルさんとは、森の話を中心にいろいろな話にたくさん花が
咲きました。
先日いただいたジェーン・グドール博士からの手紙を見せると
「すばらしい!やっぱりすばらしい人は皆手紙なんだよ」
といわれて、中身を見ると「同感です。同じ気持ち」と深く頷いていました。

明治生まれの日本人のすばらしさの話になり、同席していた方の
祖母の方が102歳で、私の祖父は今年97歳で、亡くなったという
こと、そのお二人とも明治生まれで気骨を持ったすばらしい人で
あったことを聞くと、二コルさんは、

「ぼくが日本に来た頃(昭和30年代)にはどの地方に行っても、
 英語かドイツ語を話せる人が一人はいて、どの人たちもジェントル
 だったよ。
 ああ日本人は何てすばらしい人たちなんだろう、
 日本の自然は何とすばらしいのかと。
 こんなに多様性に満ちた自然や文化を持つ国はない」


そう思い日本に惹かれたのだと語り始めた。

「もう何十年も前のこと、1960年代の日本で、私は鬱蒼とした
 ブナの森を歩いていた。
 樹木の霊気に包まれた私の胸に、かつて経験したことのない
 不思議な感動がこみあげてきた。
 私はその場に立ちつくしたまま、頬を伝う涙をぬぐうことも
 忘れていた。
 ここはエデンの園なのか。はるか昔のブリテン島で、ケルト人
 の心を熱くしたのはこの感動だったのだろうか。

 時代は下って1980年代、私は黒姫に居を定めた。
 その頃から、日本の未来に希望を失い始めていた。樹齢を
 重ねた森の木が次々と切り倒され、コンクリート工事が
 河川の姿をねじ曲げる。
 湿地はゴミで埋め立てられ、人々は金儲けに目の色を変える。
 深い絶望感を抱えながら、私は故郷ウェールズに旅立った。
 
 そこで目にしたものは、情熱を傾けて森の再生に取り組む人々の
 姿だった。
 ウェールズで何より私の心をとらえたのは、アファン・アルゴード
 森林公園だった。
 
 私の子供時代、そこは炭鉱から出る粉炭にまみれた緑もまばらな
 地域だった。
 付近では大雨でボタ山が崩れて小学校の上に滑り落ち、多数の生徒が
 犠牲になる事故も起きていた。
 南ウェールズの状況は、産業革命以降のつけともいうべき環境破壊の
 典型的な例だった。

 深刻な失業問題に加えて、地滑り、洪水、環境破壊。
 重なる災厄に苦しんだウェールズ人の中に、状況改善の糸口は、
 健全な混交林をつくることだと気がついた人々がいた。
 森林再生を目指した彼らの渾身の努力が実を結んだのだった。
 
 私が1980年代にアファンの谷を訪ねたとき、煤けたボタ山も羊に
 食い尽くされた禿げ山もそこにはなかった。
 代わりに目に映ったのは、澄み切った小川でマスやサケが産卵し
 カワセミとカワガラスが水遊びに興じる、緑豊かな森林公園だった。

 ウェールズでの体験は私の人生を大きく変えることとなった。
 私は考えた。不平不満を言い募るだけでは何一つ変わらない。
 もう嘆くまい。あのウェールズ人たちがしたことを、この私も
 やってみよう。
 私にとって深く愛する第二の祖国、日本のために。

 本の印税や講演の収入はほとんど長野県黒姫の土地の購入に
 あてた。そのほとんどの土地は第二次世界大戦後、満州から引き揚げて
 きた人たちに政府が安く払い下げた土地であった。
 しかしそこは湿地上の土地であったため、木を切り倒して開墾したものの
 農業は成功せず、入植者達はこの土地を捨てる結果となった。
 
 それ以来放置され、手入れもされずにひょろ高くなった針葉樹
 の人工林あり、下草とつる性植物がびっしりとはびこる区域あり、
 という有り様だった。

 (少しずつ購入していった森は、再生の取り組みを行い、天然林の
 復元が少しずつ進み、それに伴って生き物の数や種類が増えていった。
 2002年、自分の死後もこの森が豊かに残っていってほしいという
 二コル氏の願いが叶い、「C.W.二コル・アファンの森財団」が設立。
 二コル氏は理事長となった)

 財団設立に当たって、私は貯えてきた金の大半とすべての私有地を財団に
 寄付した。財布の中身は軽くなったけれど、私の心は豊かに充足している。
 それは私をじっと待っていてくれた本当の自分と巡り合ったような
 充実感だ。

 人と土地が一体になるためには、自然に対する畏敬の念を
 忘れてはならない。
 敬意と愛情をもって土地に足を踏み入れ、手入れをすることが大切なのだ。
 
 私たちの基本姿勢は、文字通り「手をかけて」森を守ること。
 手間ひまかけた作業があってこそ、自然は我々に応えてくれるのだ。

 ケルト系日本人の年老いた赤オニにとって、
 森からもらった最高のプレゼントは
 森との一体感だ。
 私の死後も森は行き続けてくれる。そう考えただけで心は安らかになる。
 
 この一人の異邦人はやった帰るべき故郷を得た。
 正真正銘の日本の国民になれたのだ。
 私は、これからも誇り高き日本人として精いっぱい生きて
 いきたいと思っている。」
              (参考「誇り高き日本人でいたい」C.W.二コル著)
 
 別れ際、二コル氏は私に向かい、こう言葉をかけてくれた。

 「I'm very proud of you! 本当にそう思っているよ。

  君が学校に入り、野外実習で黒姫に来たときのことを
  よく覚えているよ。

  わけのわからない学生達の多い中で、
  君だけは背筋を伸ばし、未来に向けて輝く希望の目を持っていた。
  卒業してから6年が立つんだね。
  その短い間で本当にすばらしいことを行なっているよ。

  私はだんだん年をとって自分のできる範囲は小さくなってゆく。
  でもこのアファンだけはこれからも守っていくよ」

 二コル氏の言葉を誇りに思いながら、私は氏のように
 志ある魂のきれいな人を目指して生きていきたいと思っています。

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◎「C.W.二コル・アファンの森財団」
  http://www.afan.or.jp/


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「大海は一滴の水から」-河合隼雄

現在の文化庁長官である河合隼雄さんの本職は、臨床心理学者です。

ユングの心理療法を日本で確立されたとても偉い方なのですが、
どんな席でも誰が相手でも決して偉ぶらない。
虚勢を張るということの虚しさをよくご存知なのでしょうね。

大事なことは、自分を取り巻く外界に向かう前に、
しっかりと魂を磨き、生命の根をしっかり深く太く
地上に張っていくことだと思います。

河合さんはこう言われています。

「瞑想や座禅によって内面の世界に下りていくと、
すべての存在の発祥の大本である”存在の根源”、
つまりいのちの根源に突き当たります。
 
大海といえども一滴の水滴が集まって大海になっており、  
大海も一滴の水も本質は同じであるのに似ています。  

いのちも個々の表現としては、松であり、梅であり、竹であり、
あるいは河合となっていますが、大本であるいのちは一つなのですね。

その”いのち”に出逢ったとき、
他者と自分との分け隔てがなくなっていくのです。」

梅も自分も本来一つのものであることに目覚めたとき、
人は地球にも他の小さきいのちにも、大きないのちにも、
等しく愛をもてるのではないでしょうか。

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「自然への畏敬の念の根底にあるもの」-森のクマさん

森が消えれば海も死ぬ」 という本を読んだことがあります。
海も森と同じで、 細かな分子体から大きな生き物たちが 絶妙なバランスで
成り立っていて、人間はその恩恵を十二分に 与えられているのです。

ところが、愚かなことに人間は、 森と同様に海も汚染・破壊しています。
神の技としかいいようのない見事なまでの バランスに成り立っている
この世界。
我々人間もその一員にすぎないのです。
他を壊せば、いずれは自分達の身にも 同じことが起きるはずです。

星野道夫さんの本の一節に ある詩が紹介されていました。
「森のきこりよ
 その木だけは残しなさい。
 一本の枝にも触れてはなりません。
 子どもだった頃、その木は私を守ってくれた。
 だから今、私が守らなければならない」


昔の人たちは こんな気持ちを持って くらしていたのでしょうね。
”森のきこり”も”私”もどちらも 今の私たちです。
忘れてはならない気持ちです。

美しい大地、美しい海、 豊かな森の中に
動物たちが元気で 過ごしていてこそ、 人間の本当の幸福があります。

万物の中に霊性があることを ひそやかに感じ、その生命を畏敬する。
それは動植物のみでなく 山にも川にも海にも及ぶ。

その自然への畏敬の念の根底に あるものは、
人間の命も巨樹の命も小さき生き物たちの命にも 同等の価値を持つという
平等主義です。

この平等主義こそが自然と共に生き、 異なる宗教、異なる文化を
持った民族が共に生きるための 共存の思想の原点なのでしょう。


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