日曜日, 1月 14, 2007

「守るべき日本、自己の本体」-西郷隆盛

現在の日本社会に目を向けたときに思うことは、
刹那的個人欲望民主主義の熟れの果てという状態だということです。
この言葉はたしか経済学者の田中直毅氏が、司馬遼太郎氏をしのぶ対談を
されていたときに使われていたものです。

ひるがえって過去をのぞいてみた時に、激動の明治期にも同じようなことを
懸念し、この国のゆく末を 案じた巨人がおりました。

西郷南洲隆盛です。

西郷さんは激動の時代、新しい国づくりを目指す上で、
こう語ったと言われています。

「こんにちわが国は、新しい国造りに励まねばなりません。
 ダラダラと徳川時代と同じような呑気な気分で、
  これまでと変わらぬまま過ごしていっては、
 やがて衰退し、将来に潰れてしまうのは、
 ちょっと先見の明のある人物ならば、一目瞭然のことである。

 大事なことは「わが国の本体」を据えることである。
 すなわち、わが国の本当の姿とは何か。  
 我々は、どんな自分が、本当に納得できる姿なのか。

 将来にわたって「これこそ、我々日本人の誇りなのだ」と
 偽りなく宣言できるものは何なのか。
 と、そんな、”自分で自分を納得させられる本心”を
 明確にさせることである。    
 
 そこをはっきりと自覚して、その上で威儀を正すのです。  
 「私どもの国は、こんな未来を目指しましょう」と、
 万民にその国体を共有させるのです。
  諸外国から学ぶのは、それからである。

 まずおのれを見据えた上で、それから学ぶべきを学ぶのです。
  「歓びも楽しみも、その理想の中にあってこそだ」と、
 誰もが思うようにならねばなりません。  

 人々が理想を忘れて享楽を追い求めるだけになったなら、
 国は早きに滅びます。
 諸外国から学び他者から学ぶには、まずその前に  
 「自分なりの理想」というものを
 はっきりと心にもっておらねばならない。  

 その心構えも出来ぬうちに、あせって諸外国の制度を取り入れて
 いくと、人々の精神は荒廃していきます。    
 その荒廃を、一概に責めることはできません。  

  「自分とは本来どうあるべきか」という覚悟が
 固まっておらぬ先から、
 次々に目新しい外国のものを 与えられていけば、誰だって、
 目先の華やかさだけに心が奪われて自分を見失うのは、
 当然ではありませんか。

  しかし、そうなってしまったら、もう遅い。  
  風俗は限度を超えて乱れてしまい、教育の衰退から 人々は誇りを忘れて、
 国そのものが、救いがたい姿に 落ちぶれてしまう。  

 そこまで落ちぶれた国の末路は、火を見るより明らかである。  
 外国の欲望の餌食となる。 ひたすら搾取されるだけの植民地となる。
 国がまるごと奴隷となるのです。  

 他者から学ぶ。諸外国の文物を取り入れる。  
 その姿勢をきっと良き成果に結び付けるには、
 まず「自分の本体」を据えることを忘れてはならんのです。」  

                               
  まさしく現代を暗示するこの南洲翁のこの言葉から、
  私たち日本人に求められていること。

 それは、「自分とは本来どうあるべきか」という人間本来の
 生まれてきた 意味や役割を考えさせ、万物の霊長にふさわしき
 ふるまいをいかにすべきかと
 行動することが必要とされているのでしょう。

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