日曜日, 1月 21, 2007

「ReBorn 星野さんの足跡を辿る旅を終えて」

敬愛する星野道夫さんがカムチャッカで亡くなられてから、
昨年で早10年。
彼の残した表現物に共鳴する輪の大きさはますます大きくなる
ばかりで、深い感動を持つ方たちが増えています。
 
10年というメモリアルに、私なりの追悼の意味をこめて、
ある旅行の思い出をまとめたものを記録としてこのブログにも
転記いたします。

この「ReBorn 星野さんの足跡を辿る旅を終えて」という
手記は、道夫氏が亡くなられてから5年後の2001年、
冬のアラスカを私と妻の二人で各地を旅し、
目に見えない大きな力に守っていただきながら
道夫さんの足跡をたどり、彼とつながりのある方たちに
つながることができたという人生の記憶に残る
記念すべき旅となったものです。

数年前に亡くなられたクリンギット族の長老
エスター・シェイさん、息子のウィリージャクソンさん、
そしてボブ・サムさんなど道夫さんとゆかりのある
魂の友人の方たちとのつながり、
それは決して偶然とは思えない力に導かれた旅でした。

(この手記は、道夫さんにゆかりのある団体「オーロラクラブ」に
 依頼を受けて、"Aurora Times"第8号にも掲載されました)


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人生の挫折とそこからの再起、ちょうどその時期に出会った
星野道夫氏。

彼の写真と文章、そこに映し出されていたのは、遥か遠いアラスカの
大自然だった。
遥か遠くにあって厳しい寒さを持つアラスカという土地が、
とても身近に暖かな世界であるように感じられたのだ。

なんて優しい人なのだろう、ミチオさん(旅で出会った彼の友人達は
皆親しみをこめてミチオと呼んでいた)の世界に深く魅せられた私は、
その後アラスカを初めて訪れた。
 
一度目のアラスカの旅を終えた頃から、ミチオさんの言っていたある
言葉が強く心に残っていった。

「人間には二つの大切な自然がある。
 日々の暮らしの中で関わる身近な自然、
 そしてもう一つは、なかなか行くことのできない遠い自然である。
 が、遠い自然は、心の中で想うだけでもいい。そこにあるというだけで、
 何かを想像し、気持ちが豊かになってくる。」

現在、私は自然環境を守る仕事に携わっている。
世界の森林生態系の保全と再生に取り組んだり、日本の各地にある身近な
自然である里山及びその文化が荒廃している中、
再生に動いているところだ。
里山に入りながら、時おり遠く離れたアラスカのことを思いだす。

深い森が広がり、クマがいて鯨がいてカリブーの群れが移動を続けている、
静と動の世界。
様々な生き物達がそれぞれの時間を精いっぱいに生きている姿が
想像できる。

そのことを想像するだけで、暖かで豊かな気持ちになれるのだ。  

何年前のことだろうか、ある時、本屋で手にした雑誌に、
ミチオさんの未発表モノクロ写真が載っているのを見つけた。
それは、カラー写真では何度も目にしていた
カナダ・クイーンシャーロット島の写真だった。

朽ちていくトーテムポールが悠久という長い時間によって、
ゆっくりと背景の森の一部になっていく姿が写し出されていた。

写真からは、とても深い闇とそれをとりまく静かでゆったりした時間を
感じることができた。
その写真と一緒に、ミチオさんが友人に贈った文章も載せられていた。
友人に子どもが誕生したことを祝福しているその文章には、家庭を持つことの
大切さが書かれていた。

 手紙を書いてからしばらく後、
友人にミチオさんはうれしいニュースを送った。
 結婚して、子どもがもうじきできるという喜びを。

 「ああ、あと数週間で父親に
 なれるなんて信じられません。大丈夫かなあ・・・
 まあ何とかなるでしょう」

 人間としての暖かさが文面いっぱいに感じられる文章であった。

この本を手にした当時、私は2度目の学生生活を送っていた。
自分がこれから生きる道は、傷つき病んだ自然環境をケアしていくことと
決めて、会社を辞めて実践を学び始めているころであった。

人生のある時期、人は誰しも挫折を経験するもの。様々な辛いことが
重なって、一時期自己否定のきわみに陥っていた時があった。
気がつけば自然な場所に行き、目の前にある自然をみつめては心を
楽にしていたことを思い出す。
そう繰り返しながら、自分を見つめ直し、これからの人生を
模索していたある時の事だった。

 
屋久島を一人旅していたときのこと。
ある山に登り、あやうくそこで遭難しかけた。
その時、現在の自分につながる大きな示唆を得られた。

もしかすると失っていたかもしれない自分の命があることに、
深い感謝を覚えた。
周囲の自然にも深い畏敬の念を感じ、目の前にある森の木々の息吹、
聞こえてくる鳥のさえずり、静かな渓流の音、
そうしたものに様々な生命を感じることができた。

それは、空気と水と土から恵みを受けて、
生命は生かされているのだという実感をはじめて持てたときでもあった。

たとえ小さくても大事な生命。
一度生命を得たならば、どんなに小さくても生きねば。
他の命も全て貴い、どんなに姿が小さくても醜くても命は同じなのだと。

自分の心の奥から湧上がってくる実感であった。
自然と涙が流れ、感動していた。探していた答えが見つかった瞬間。

「この大事な自然を守っていこう。
 人も大自然の循環の一部。傷ついているこの大事な循環を
 守っていく道を歩んでいこう」


強い意志が自分の中に生まれ、進むべき道がようやく見つかった。
自己否定により、自らがいかに小さな存在であるかを認識し、
それによって他者の生命の大切さや尊厳を認識することができたのだろう。

全ての生きとし生けるものの命の大切さを認識することができた。

学校を卒業した翌年の2001年、結婚を11月に控えていた私は
婚約者である彼女に新婚旅行について、ある提案をした。

それは、ミチオさんの足跡をたどるような旅をしたいこと、
場所はカナダ・クイーンシャーロット島、南東アラスカやフェアバンクスで、
12月は相当寒いかもしれないが、きれいなオーロラを見ることが
できるかもしれないなどの話をし、
彼女は了解してくれた。

ところが、9月にあの凄惨なテロ事件が起きた。
その後からアメリカ国内では厳戒態勢がひかれ、日本国内では
海外旅行への取りやめが相次ぐなど、
アラスカに行こうと考えていた私達にとっては、とても厳しい状況であった。

結局、シアトル経由でアラスカに入るのを取りやめて、バンクーバーからに
変更したものの私達は旅に出発した。
12月9日から約3週間、妻と二人でのアラスカの旅であった。

振り返ると、この旅は当初期待していたもの以上になっただけでなく、
アラスカの大自然の素晴らしさと、
そこで知り合うことのできた素敵な友人達や動物達への愛しさを
深く心に刻むことができた本当に思い出に残る旅になった。

プリンスルパート、クイーンシャーロット島、フェアバンクス、ケチカン、
シトカ、どの土地でもそこで出合った町の人たちは親切に遇してくれた。

もともとこの時期、南東アラスカはシーズンオフということもあってか、
町では日本人はもとよりアジア系の人をほとんど見かけることはなく、
自分達が歩いていると同じモンゴロイドへの共感からなのか
声をかけてきては誰もが暖かく接してくれた。

様々な人たちとの出会いの中には、偶然とは思えないような出会いや
できごとがいくつもあった。

クイーンシャーロット島で、ふとしたことから一人の島に住む音楽家に会った。
彼は、島の中にある小島の一つに小屋を建てて住んでいて、
今日はカヌーを何時間も漕ぎ続けて、
作ったばかりの音楽CDを街へ売りにきたのだといっていた。

話をいろいろ聞いてみると、”地球交響曲第3番”の撮影に協力したことが
あり、その際には龍村監督をガイドし、ミチオさんのことも彼から
聞いたと言っていた。

冬季のため残念ながら”朽ちていくトーテムポール”を見に行くことは
できなかったが、
トーテムポールを製作しているハイダ族のお爺さんと知り合うことができ、
ハイダの人々が集まる集会場に特別に連れていってもらえた。

そこでは失われつつあるハイダ語をなんとか守り、自分達の文化を子孫に
きちんと伝えてゆこうという試みが行われていた。

ケチカンでは、ネイテイブの長老として町の人達から畏敬を持たれている
エスター・シェイさんに出会うことができたのも、
この旅での大きな喜びだった。

そのきっかけは、ふと入った土産物屋の壁に掛かっていた1枚のラグを
購入したことからだった。
家内がとても気に入ったそのラグには、北極の大地に朝日が登りはじめ、
広場に白クマやカリブー、ムース、オオカミ、アザラシなど北の動物達が
集まって、白い鳥が飛んでいく方向(希望や平和という方向)に向かって、
全ての動物達が眼差しを向けているという絵が描かれていた。

そのラグを購入することにした私たちは旅の目的などを聞かれ、
星野道夫という写真家を尊敬しており、この旅で彼のゆかりの場所を
訪れたり、彼のことを知る人達にお会いして、いろいろなお話を伺うことが
できたらと願って旅をしていることなどを話し、
持っていた「森と氷河と鯨」の本を見せた。

すると、店のオーナーは、エスター・シェイさんを知っているといい、
彼女に電話をかけると私達を紹介してくれたのだ。

翌日大雪の降る中、訪れた私たちを彼女はとても歓迎してくれた。
彼女の子供時代のことや先住民文化など、いろいろな話を聞くことができた。

突然、彼女は誰かに電話をかけ始めた。
「ウイリー、私だよ。・・・」
息子であるウイリー・ジャクソンさんに、私達のことを紹介してくれた。

フェアバンクス、シトカをまわったあと、1週間後にケチカンの町に
戻ってくるこの日本人夫婦に会ってみようと、
彼はエスターさんに話してくれた。

次の日、アンカレッジ経由でフェアバンクスに向かうはずが、
大幅にフライト予定が遅れて空港に6時間も足止めを食らってしまった。

現地には今日中に着けるだろうかと不安が膨らんでいく私達に、
ランゲルに住むという牧師の方が親切に話しかけてくれたことで、
気持ちが落ち着いた。

あと30分ほどでチェックインが可能になりそうだというアナウンスが
入ったその時、突然私達の前に男性が現れた。
それは、ウイリー・ジャクソン氏だった。

「君達がここにいるだろうと思って会いに来たよ」
そう言うと出会いをとても喜んでくれた。

本来なら、1週間後に会うはずであった彼は、
飛行機が遅れていたことは知らず、
君達がここにいるだろうと確信して来たのだと言っていた。

なぜ確信できたのだろうか、その時は不思議でならなかった。
そしてその謎は、旅の終わりにケチカンに戻ったとき、
なぜかがわかったような気がした。
偶然ではなく必然なことであったのだと。

フェアバンクスでは、アラスカでは有名な犬ぞリ家であり絵本作家でもある
メアリー・シールズさんのお宅をうかがい、暖かな暖炉の前で
なごやかに話をすることができた、
彼女の心の中にはミチオさんが生き続けている、そう強く思った。

「シリアが亡くなったばかりなので、
 ジニーがとても落ち込んでいるの。
 これからジニーを励ましにいかなくてはいけないのよ。
 シリアが亡くなる前であれば、
 ぜひ二人にもあなた達を紹介したかったわ。」


そう言って車に乗ると、僕達の車が迷わないよう親切に途中まで
先導してくれたのだった。

その夜、フェアバンクスの郊外で見たオーロラは一生忘れられないだろう。
人生の記憶に残る、そう言えるような素晴らしいオーロラは、いつまでも消えずに
1時間以上も星空を彩っていた。

初めてオーロラを見ることができた妻と二人、感動しながら帰路に
車を走らせていると、
森の奥から何か大きな影が前方の道に上がってくるのが見えた。

それは巨大な雄のムースであった。
こちらも驚いたが、彼はもっと慌てたようで、
急いで森の方へ戻っていった。
そのときのムースの姿と合わせて天空を彩るオーロラの姿は、
決して忘れることはない。

「ReBorn(再生)」、ボブ・サム氏とは人生における再生を
語り合うことができた。
最初に会ったときから、彼は不思議なことを言っていた。

「明治神宮会館でのセレモニーに君達が
 来ていたことは知っているよ」


 本当に彼は独特の世界を持っていた。
 最初こちらから何を話しても彼は全て無言でいた。
 何か余計なことでも言ってしまったかと思って帰宿すると、彼から
 夕食後に会いたいから自宅に来てくれとの伝言が届いていた。

モンゴロイドや日本の神話の話などをしていくうちに、
少しずつ彼と心が通じ合っていくのが感じられた。

翌日、彼がずっと手入れをしてきた墓地に私達を案内してくれた。
夜、ボブに明日シトカを離れることを告げにいくと、

「もう一日シトカに滞在しないか。
 船が出港しないようだったら、ぜひここに来てくれ」
そう言うと別れをとても惜しんでくれた。

多くのことが起きるこの人生、
どんなことがあっても前を見て進んでいけば何度でも再生できる。
私が話した屋久島での再生のことを、彼は心に留めてくれた。

長時間の船旅の途中、天と海とをつなぐきれいな虹を見ることができた。

ケチカンに戻ると、ウイリーが港で待っていてくれた。
再会したばかりの私たちに、彼はいきなり一つの話を始めた。

「ミチオは君達の旅をずっと始めから見守っていたのだよ」
そう言うと、古くからクマの一族に伝わるという話はじめた。
何か別の世界に運ばれるような不思議で敬虔な気持ちになる物語だった。

翌日、ウイリーはクマの一族の聖地であるクランハウスへ
私たちを連れて行ってくれた。
クランハウスを取り囲み、イーグルや動物達のトーテムポールが並んでいる。
すると森の上空から一羽のハクトウワシが飛んできて、ゆったりと舞い始めた。
あまりの光景に妻と感激していると、ウイリーとエスターさんが
にっこりほほえんでいてくれた。

もう一つのクランハウスに向かうと、建物の前方には海が広がっていた。
穏やかな波が繰り返し流れていた。

「今、目の前にあるこの波は、
 遥か遠く日本の黒潮が運んできたものだ。
 私達は見ようとさえ思えば、
 離れていてもこの先にある日本を感じることができるのだよ」

ミチオさんの足跡をたどるという私達の旅が、今ここに無事終えたことを
実感していた。
黒潮に運ばれて、長い旅をしてきたであろう海の水は、
それほど冷たくは感じられなかった。

ウイリーに導かれて、顔と手を清め、三人で静かに祈りを捧げた。
旅の終わりをミチオさんに感謝して。

 
今、こうして原稿を書いている私の側には、
この素晴らしい旅を一緒に体験した妻がいる。
妻のお腹には大事な生命が宿っている。

再生の出発点を歩み始めたばかりで、何もできていなかった私も
ようやく少しずつ人生の意義と喜びを強く感じ、歩み始めている。

ミチオさんの足跡を少しでも辿ることができればという願いでまわった
この旅は、多くの方に支えられてこそできた旅でもあった。

折りある毎に旅のアドバイスをくださった新開さん、
現地の情報を教えていただいた赤坂さん、
暖かく出迎えて下さったエスター、ウイリー、ボブ、メアリー、
多くの方達に心から感謝している。

最期に、この旅を静かにやさしく見守っていてくれていた
ミチオさんの魂に深い感謝を捧げる。


2002.08.07 岸 和幸 記

お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

2 件のコメント:

UMA さんのコメント...

私の人生で苦しかった頃、生物の先生が星野さんの紹介をしてくださいました。実際、先生もアラスカに行き、その旅話してくだり、私は心魅かれ夢中に話を聞きました。私の心にずっと大きな存在で居てくださる、星野さんのお話にめぐり合えて嬉しかったです。

☆森のクマさん☆ さんのコメント...

UMAさん、コメントありがとうございます。

道夫さんは多くの方を励まし、生きる希望を
与えていますね。
きっと生物の先生は、今も時々道夫さんの写真や言葉に励まされ、アラスカの地を懐かしく
愛しく思っておられるのではないでしょうか。

道夫さんは、アラスカの自然の具現者であったと思います。
雄大で大きく包み込んでくれる暖かな存在、
一方で可憐であり繊細でもある存在。
そんなアラスカは、生きものとしてヒトで
あることの喜びを教えてくれます。

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