金曜日, 2月 16, 2007

「木の命の移し変え」-西岡常一

昨年秋のこと、富士山麓へ家族で遊びに行きました。
晴天の中、紅葉に包まれた森の中を通り、高原で過ごしたので、
すっかり心身ともにリフレッシュ。

霊峰富士を間近に仰ぎ見、森林の発するフイトンチッドを
たくさん体に取り込み、温泉にゆったり浸かり、身体の細胞が
生き生きとして喜んでいました。

息子も大喜びで、元気に過ごしていました。
いつも愛読している絵本「どんぐり」にでてくる木である、
大好きなミズナラの樹木を実際に見ることができ、
とても うれしかったようです。

ミズナラは、紅葉時に明るい黄色から褐色になる例が
多いのですが なかには朱色や真紅になる場合もあり、
見事な美しさを見せて くれます。

私もミズナラは大好きな木の一つで、山深いところに入ったとき
たまに樹齢が1千年近くになる巨木に出会うと、思わず体を
すり寄せて語りかけてしまいます。

今年夏、アファンの森を管理されている松木さんに案内されて
行った新潟県の原生林に聳え立っていたミズナラも
本当に見事な 木でした。

ミズナラの材は堅く、やや紅色を帯びた淡褐色で磨くと
とても 美しい艶が出ます。
加工が容易なことから、大型テーブルなどの 家具や床板、
鏡板、樽などの材料に使われ、かつては船材として も重要な
地位を占め、英国海軍の木造艦船は同類のロイヤル・ オークが
使われ、結果、英国中の森の大半が失われたという話が
あるほどです。

日本には、古来から”木の文化”があり、先人の方達は
様々な 種類の木を性質毎に活かして身の回りで使ってきました。
とりわけ寺社仏閣における木造建築の技術はすばらしく
古の伝統 を受け継ぐすばらしい宮大工の方たちが現在も
少数ながらも 日本各地で活躍されています。

西岡常一さんは、最後の棟梁と呼ばれ、昭和初期法隆寺の
大修理に 携わって飛鳥建築の神髄を学び、
その工法を守りながら薬師寺西塔 の再建を果たした方です。

すでにお亡くなりになっている西岡さんの言葉は、
人類という種がなぜ人類になったのかを現代に生きる
私たちに深く考えさせてくれます。

「樹齢が2千年くらいの木が実際に山に生えているのを
見ますと、自然に頭が下がります。  
雲の中から木が降りてきているという感じです。  
思わず礼拝してしまいます。  

樹齢2千年の木の命を絶つということは、人間の我欲です。  
けれどもこれは、世界平和を招来するための伽藍を作るために  
切っているのです。  

そして伽藍としてまた2千年生きてもらう、  
いわば命の移し変えです。  

薬師寺の東塔は部材一つひとつ見ると、どれも寸法が違うんです。
木の太さも太いのがあり細いのがあります。  
それでいてちゃんと組み上がって1300年保っているのです。  
これは神業です。  

結局、自然を侵すまい侵すまいとし、自然のままを受け容れて  
いこうとする姿勢があったのです。  

木は生えてある山の場所によってみな性質が違うのです。  
薬師寺の東塔を見ても、南側の柱には大きな節があります。  
南の方にみな枝が出ます。  
ということは木が生えていたときの方位のままに使ってあるからです。  

例えば、右に捩じれる木、左に捩じれる木があります。  
それを組み合わすことによって木自身の力でもってじっとして
いるようにしてあります。  

もしも木の癖を組み損なってたら、建物自身の内部から破壊が
起こってくるでしょう。    

とかく、人間、人間って人間中心にものを考えてますが、  
木にしろ草にしろ自然の分身です。  
土を母にしています。  

ですから、樹齢2千年の木を切った場合には、
2千年以上持たせなければなりません。  

ということは、いま、この伐採した木の種が落ちて芽生えたとします。  
そうするとこれが1000年経たないと柱にならないのです。  

ですから人間が木を切るときには、その責任があります。」  

自分以外の世界を単なる物質的なものと考えないで、
同じ命として考える。  

それをいただくことが人間の営みなら、
この命を殺すというよりも、別の命として生かすという思いで
木を切るということ。

この智慧が示唆してくる人類という生きものの自覚と責任が、
現在の私たちにはより求められているのだと思います。


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日曜日, 2月 11, 2007

「君あり、故に我あり」-サティシュ・クマール

”サティシュ・クマール師は、21世紀の地球とそこに住む人々に
癒しをもたらす生き方を見出すことを切に願う世代に呼びかける
メッセージを運んでくる”

これは、キャスリーン・レインの言葉です。
21世紀、地球環境の悪化による人類の生存の危機が進むのか、
回復の道を打ち立てていけるのかが私たちに問われています。

そんな中で、クマールの言葉は叡智に満ち溢れ、大きなアドバイス
を与えてくれるものです。

「今、私たちは岐路に立たされている。  

 私たちは同じ道を歩み続けることもできる。  
 無限の経済成長という幻想の中に生き続けることもできる。  
 私たちは、自らの技術中毒に安住し続けることもできる。  
 遺伝子工学、ロボット工学、ナノ・テクノロジー、核技術を
 追求することも可能だ。    

 私たちは崩壊への道を歩み、奈落の底へ突き進むことも
 できるし、あるいは、エコロジーへ方向転換することもできる。  

 私たちは価値と倫理と美学の道、自然への愛と畏敬の道、  
 参加型の科学の道を歩むこともできる。  

 生き残り、良い生活を送るために、私たちは謙虚さを
 必要としている。    

 私たちは土から生まれ土に還る。  
 私たちは自然の一部であり、それ以上ではなく、
 そこから分離もしていない。    

 自然はすべての生命の源である。  
 また歓喜と祝福の源であり、芸術と想像の源であり、
 詩と霊感の源であり、技能と発明の源である。    

 地球は時間と空間という体験を私たちに与え、  
 季節と変化を与える。    
 私たちは、地球の循環に反応して働き、そして休む。  

 地球は私たちに場所の感覚を与え、私たちはそこから  
 自らの同一性と帰属感を得る。    

 地球は音楽、踊り、喜びの源であり、  
 美、英知、洞察の源である。  

 私たちは自らの存在と経験、幸福と健康、栄養と食物を
 地球に依存している。    

 私たちは、愛するものからの愛と、  
 美しいものの美と、善良なものの善に依存しているのだ。  

 傷つきやすさと謙虚さを奉じて、  
 地球とお互いに対する私たちの完全なる依存を宣言しよう。  

 「君あり、故に我あり」と。」  
 

イギリスの預言者の一人であるウィリアム・ブレイクは、  
「生きとし生けるものは神聖である」と書いた。  
これは地球を単一の生命体とみる新しいビジョン、ガイアの  
根本的教えですね。


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水曜日, 2月 07, 2007

「魂のきれいな人」-高田屋嘉兵衛

”人に安心感を抱かせる人物って、
きっと一生懸命生きてきた人でしょうね”

かつて日本にいた素晴らしい一人の人物の話をしましょう。
司馬遼太郎氏小説「菜の花の沖」の主人公である
高田屋嘉兵衛の話です。

"江戸時代の廻船商人であった嘉兵衛は、日本全国を
船で廻って商品を売っていました。
彼の生まれは淡路島でしたが、当時大いに必要とされた
木綿の肥料となるニシンを扱いに北海道にも行きました。

四十四歳の時、国後島でロシアの軍艦に捕まってしまいます。
その軍艦の艦長が、幕府のだましうちにあって、牢屋に
いれられていたのです。
艦の副官が新たに艦長となり、助け出そうとして南下してきた
ところ日本の船を見つけ、日本人(嘉兵衛達)を捕らえたのです。
人質をとって幕府と交渉しようとしたのですね。
こうして嘉兵衛は捕まったのです。

それからの嘉兵衛は見事でした。
「おこがましいかもわからんが、わしは日本とオロシヤの間を
平らかにするつもりだ」 、
捕まった時そう言ったのです。

嘉兵衛は自分の逆境をねじふせて、別な、新たな自分を
仕立てたのです。
これは天から授かった使命だと思って、立派に振る舞った
そうです。
そのうちロシア人の方が、これは大変な人だと、
嘉兵衛を尊敬しはじめるのです。
いつのまにか誰もが感服してしまうのです。

ロシアにいる間、ロシア人達は彼のことを「タイショウ」と
呼びました。
嘉兵衛と共に連れていかれた日本人の連中が「大将」と
呼んでいたからですが、 みんな嘉兵衛の事が大好きに
なって「タイショウ、タイショウ」でした。

ロシア人は嘉兵衛の魂を信用して、彼に全権を一任します。
信頼にこたえようと、彼は幕府を口説きに口説きます。
やがて全てうまくいき、ロシア艦長は釈放されることになります。
嘉兵衛の仕事は終わりました。
ロシアの軍艦は去っていきます。

そのとき艦長以下、全ての乗組員が甲板上に出てきて、
見送る嘉兵衛に叫びました。
「ウラア、タイショウ」
ウラアはロシア語で万歳という意味です。
別れを惜しみ、感謝してくれた。

嘉兵衛はこの感激を生涯忘れませんでした。
交渉中の緊張とカムチャッカの寒さが 嘉兵衛の寿命を縮め、
淡路に戻って五十九歳で亡くなりました。

亡くなる時に、枕元の人たちに頼んだそうです。
「大将、ウラア」と言ってくれと。

司馬さんはこう語っています。
”高田屋嘉兵衛は大きな仕事をした不世出の人でした。
われわれは嘉兵衛のような人ではありません。
けれども人はその人なりに「大将、ウラア」ということがあると
いいですね。
総理大臣になることより、大企業の社長に なることより、
死ぬときに「大将、ウラア」ということがあるかないか。

あの瞬間がおれの人生だったという思い出を持つかどうかが、
大事だと思います。

「すぐれた人間というのは、 金もうけができる人とか、
そういう意味ではありません。
よく働くことも結構ですがそういうことでもない。
やはり魂のきれいな人ですね。」”

自分のこれからの人生に 何かを考えさせるきっかけにもなった、 心に残る言葉です。


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日曜日, 2月 04, 2007

「サステナブルな社会を目指して」-求められる私たち一人一人の行動

2月2日、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の
第4次報告書第1作業部会報告書が採択されました。

今回の報告では、人為による温暖化の影響が明白なものとされ、
採択を受けて日本においても国立環境研究所が今後の国内影響の
予測を発表しています。

温暖化の進行を憂う国内の科学者達から国民に向けて、
一人一人が直ちに行動していくことを呼びかける緊急メッセージ
が出されました。


私はここに、皆様の意識と行動への呼びかけをさせていただきます。

「私たち人類は、この美しい地球という惑星に生きている仲間です。
私たちは全員で一つの救命ボートしか持っていません。
地球の生物システムが壊れた時に、それによる損害から、
どの国も 逃れることができません。

私たち人類には新しい倫理が必要とされています。
私たちは、地球が私たちのために恩恵を与え続けている許容力である
生態系の限界を認識する必要があります。
またその壊れやすさを認識しなければなりません。
それらをこれ以上破壊することを許してはいけません。

この倫理が、大きな運動の駆動力となり、及び腰な指導者、政府、
そして及び腰な人々自身を立ち上がらせ、必要な変化を
成し遂げる ことでしょう。
それには多くの人々の協力が必要です。

私たち人類もこの地球上に生きるさまざまな生物の仲間であり、
進化の賜物である。その人類が、他の生物種たちを巻き込みながら、
地球環境を悪化させ、破壊しょうとしている。

私たちは、大量生産・消費・廃棄という従来の文明から
持続可能な文明を構築していくことが急ぎ求められています。

一人ひとりには何ができるのか、何をすべきなのか。
私たちの責任ある行動が今、問われています。」


多くの方たちにメッセージが届き、 サステナブルな社会が創られて
いくように、次代を継ぐ子ども達の将来が明るいものとなるように、
行動が広がっていくことを願っております。


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「樹海に生きたどろ亀さん」-高橋延清

どろ亀さんこと高橋延清さんは生前、
長年北海道富良野にある東大演習林で長年森のことを
研究し続けられた、世界的に著名な林学者でした。
(私も1度だけ1999年に演習林を訪問させていただいたことが
ありますが、まさに樹海と呼ぶにふさわしい人と生き物の
調和がとれた森でした)

1981年、台風の直撃で樹海は重傷を負ってしまったことが
あります。
その時、どろ亀さんは悲しくて一晩中、森を歩き まわったと
いいます。

「夜中だった。とつぜん演習林の仲間から電話がかかってきた。  
 昨日の台風で、樹海が大被害を受けたという。  
 あれほど元気な仲間が泣かんんばかりの声である。  

 どろ亀さんは、北見に別の仕事で行っていて、責を果たすと
 すぐに演習林へ直行した。  
 あっ、あの天をついて立っていたオオバボダイジュの姿が見えない。
 倒れてしまったのだ。  

 その前に立っていたすばらしいヤチダモたちもバタバタと倒れていた。
 かつて何度も雨宿りし、いろいろのことを教えてくれた巨大樹の
 エゾマツさんの姿も見えない。  
 知っているあの木もこの木もみんな倒れてしまったのだ。  
 イタヤカエデさんは胴体を縦に裂かれ、斜めに立ったまま、
 何やら叫びつづけているようだ。  
 
 峰を越えると、あの力強く美しかった理想の択抜林も全滅だった。
 残念無念。    
 仲間たちは肩を落とし、無言のままだった。  

 どろ亀さんの目から涙が落ちた。  
 無理もない。
 仲間たちと、この山と取り組んで数十年。  
 理想の森林を夢みて汗を流してきたのだ。  

 愛があるからだ。  

 その夜、どろ亀さんは一人で川松沢の山小屋に泊まった。  
 そして夜中に一人で森を歩き回った。  
 倒れた木とお別れしたかったし、傷ついた木や動物たちを  
 見舞いたかったからである。  
 夜の森はいっそう悲しかった。  

 まず恩師のエゾマツさんのところにいった。  
 「どろ亀くんか、よく来てくれた。
 わしはもうだめなんだ。  
 もう立てんよ。
 日一日と水分がぬけて体が乾いてゆくのが
 よくわかる。
 気も遠くなってきた。
 もうじきこの森ともお別れだよ。     

 自分はこの森で四百数十年も行き続けてきた。
 さまざまのことがあった。
 だが、このような強烈な台風に直撃されたのは初めてである。  

 でも、大樹海の遠くの森でも、数十年から百年に一度くらいの
 割合で台風にやられている。
 これは風の神のなせる業で仕方がないことさ。  
 気を取り戻しなさい。
 あせってはいけない。
 時を待つのだ。  数十年もすれば・・・」  

 と、だんだん声が低くなり、あとは何も聞こえてこなかった。  
 どろ亀さんは、頭を垂れ、「ありがとうございました」と、別れを告げた。

 エゾフクロウさんは、「夜の道は不案内だろうから」といって、
 小屋近くまで送ってくれた。  
 お別れのとき、「どろ亀さんもだいぶ年のようだ。腰が痛そうだ。
 お大事に」といわれ、ホロリとした。  

 翌日どろ亀さんは、山の仲間たちに、
 「風害処理、よろしく頼むぞ」といって、
 一人ひとりの手を固く握って別れた。  

 その後、一ヶ月ほどたって、再び演習林を訪れた。  
 山の仲間たちは懸命に働いていた。
 ありがたかった。  
 心の中で手を合わせた。
 そして、そのときの心境を詩に託した。  

 ”「蘇生」
  
  樹海は重傷なのだ
  だが、樹海は大きな大きな生命力を秘めている
  仲間たちは立ち上がっていた    
  力をあわせ汗をながしていた
     
  愛があるからだ    
  夢があるからだ        

  歳月は流れてゆく    
  風害の跡もやがて、消え失せて
  美しき理想の大森林として    
  再びよみがえり    
 
  永遠なるものを深きものを    
  感動を    
  人びとの心に    
  人びとの心に・・・・」
   

 2002年どろ亀さん逝去。  

 参考「樹海 (夢、森に降りつむ)」世界文化社


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土曜日, 2月 03, 2007

「大いなる魂」-インドの古代からの教え

「たましいは宇宙をつなげる接着剤。

それはたんに物をくっつける接着剤なだけでなく、
知性を持っている。  

宇宙は目に見えない三つの方法でまとめられている。

・全てはつながっている
・すべてのものがその他すべてのものの面倒をみている  
・すべてのものが全体と調和している  

”たましい”は時代の流れにつれ、他の名前でも呼ばれる。  

スピリット、神、神聖なる火花、生の息吹き、  いずれも大いなる愛の表れである。 」


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金曜日, 2月 02, 2007

「偶然は必然のできごと」-カール・グスタフ・ユング

以前、妻と私の共通の友人が数年ぶりに我が家へ
遊びに来た時のこと。
現在企業の研究所で働いている彼女は、
自然と人を結びつける未来研究について取り組み始めており、
様々な話に盛り上がりました。

面白かったのは、こちらが新しい話題に移す度に、
「それは昨日上司と話したばかりのこと、シンクロだ!」
などと何度も驚いていたことです。
(その日、5回ほどこの言葉を聞きました)

世間ではよくシンクロといわれる、
この言葉「シンクロニシティ」については、
多くの方が様々な体験をされてきているのではないでしょうか。

この言葉は、20世紀において心理学の巨人であった、
カール・グスタフ・ユングによって生みだされたものです。
ユングの定義による言葉の意味は、
「体験者、あるいは目撃者にとって重要な意味を持つ偶然の
 できごとであり、それによって一種の覚醒、あるいは悟りと
 いった感覚に近いものが得られるという現象」
です。

世の中の様々な人たちが、
偶然の一言で片付けられないことを体験しており、
これに対して研究者達は、
この世の物質やエネルギー、そしてあらゆる種類の活動を
関連づける目に見えない超意識の働きの結果であるといいます。

シンクロニシティを体験し、それに身を任せること、
それは自分の内と外にある世界の深みを増し、
それは必然の結果だと理解することができます。

微小な存在の人間と測り知れないほど巨大な宇宙とが、
信じられないタイミングをもって一点で交わるとき。

そのことは、私たち人間の細胞一つひとつが大宇宙と
つながっていることの体験であり、
森羅万象を創った大いなる存在(サムシング・グレート、
グレート・スピリット、神、至高の存在)が、
宇宙にも人体の細胞内にも存在していることの
気づきとなるのでしょうね。


「森羅万象は、無限に続く縦糸と横糸で紡がれた
 巨大な網のようなものだ。

 横糸は空間、縦糸は時間を表す。
 縦糸と横糸が組み合わさる場所には、必ず人がいる。

 人は、巨大な網の中に無数に散りばめられた
 水晶のビーズのようなものである。

 至高の存在が放つ光が一つひとつのビーズを照らし、
 その本質を浮き上がらせる。

 そして光を受けたビーズはそれぞれに
 反射しあうだけではなく、
 森羅万象そのものを反射する」
 
     インド最古の聖典「リーグ・ヴェーダ」


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「イーハトーヴ訪問とグスコーブドリの伝記」

「天上にぎんどろの葉は広がりて
 星のかたちに夜を切りとる」 


これは宮沢賢治の詩品の一つです。

1月の中頃、私は仕事の関係で東北をまわってきました。
その一つとして初めて訪れたのが、岩手県の花巻でした。
ここは賢治のふるさと。賢治は生前岩手県のことを
イーハトーヴと名づけていました。

新花巻の駅には、一段高くなっている県の伝統品の紹介コーナー
の真ん中に、ひときわ異彩を放つ、長い長い角のついた鹿の
お面の像・・・
それは賢治の童話「鹿踊りのはじまり」にも出てくる鹿踊りに
使われるものです。

駅から出張先の会社へ車で向かう途中、
所々に賢治関連の案内図などを目にすることができました。
「イギリス海岸」、「羅須地人協会」など、これまで何度も
本の中で目にしてきた文字の入った看板を見るたびに、
賢治の生まれ故郷に来たことの感慨が増していました。

「イーハトーヴは一つの地名である。
 強で、その地点を求むるならばそれは、
 大小クラウスたちの耕していた、野原や、
 少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、
 テパーンタール砂漠の遥かな北東、
 イヴン王国の遠い東へと考えられる。
 実にこれは著者の心象中に、
 この様な情景をもって実在した
 ドリームランドとしての日本岩手県である。
 そこでは、あらゆる事が可能である。
 人は一瞬にして氷雪の上に飛躍し
 大循環の風を従えて北に旅する事もあれば、
 赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
 罪や、悲しみでさえ
 そこでは聖くきれいにかがやいている。」
                  賢治


ところで、今年の岩手は暖冬で雪がそこかしこしか見えず、
地元の方たちは、「昨年は50~60センチは積もっていたのに
今年は全然。例年でも30センチは積もっているのに。おかしい。
このままでは後で農作物に被害が出てしまう。」
と、温暖化の話題になりました。

今冬、北半球で例年以上の高温に各地がなっており、
しょっちゅうニュースでも取り上げられています。
星野道夫さんにゆかりあるアラスカのシシュマレフ村でも
とうとう村が海没しはじめ、村の方たちが悲痛な思いで、移住
されているとのことです。

一般に温暖化といったときに、多くの方たちは単純に地球の
気温が高くなっていくようなイメージを持たれていますが、
恐いのは、温暖化がこのまま進めば、氷河は崩壊して海の深くに
流れ込み、地球の温度を調和させている深層海洋水の流れを
止め、氷河期を呼び込むということです。
そうなれば、人類文明はおろか他の生きものたちも含めて、
地球上から多くの生命が消えてしまいます。

まさしく、次代に未来を引き継ぐことはできなくなってしまう・・
私たちはいかに意識を持ち、行動すべきでしょうか。
一人一人ができることは小さなことかもしれませんが、
一歩ずつ行動し、輪を広げていかなければならないでしょう。

私たちがすぐにでもできること。たとえばこんなことも
あります。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14251545&comm_id=1570168


賢治の作品の一つに「グスコーブドリの伝記」があります。
氷河期に入りつつある世界の中で、ブドリは温度を上げるために
火山を噴火させるため、自分が犠牲になり、人々の暮らしを
守ります。

”ブドリは帰ってきて、ペンネン技師に相談しました。
 技師はうなずきました。

 「それはいい、けれども僕がやろう。僕は今年もう63なのだ。
  ここで死ぬなら全く本望というものだ。」

 「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。
  一ぺんうまく爆発しても、間もなくガスが雨にとられて
  しまうかもしれませんし、また何もかも思った通りいかない
  かもしれません。
  先生が今度お出でになってしまっては、あと何とも工夫が
  つかなくなると存じます。」

 老技師はだまって首を垂れていました。

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで
 行きました。
 そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかり支度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって
 じぶんは一人島に残りました。

 そして次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑色に
 濁り、日や月が銅(あかがね)色になったのを見ました。

 けれどもそれから三四日立ちますと、気候はぐんぐん暖かく
 なってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。
 
 そしてちょうど、このお話のはじまりのようになる筈の、
 たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんの
 ブドリやネリと一緒に、
 その冬を暖かい食べ物と、明るい薪で過ごすことが
 できたのでした。」


今、私たち大人に、次代を引き継ぐ子ども達に対しての責任を
果たしていくことが求められています。


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