火曜日, 5月 29, 2007

「光で世界を建築する」-安藤忠雄

先日テレビを見ていて、久しぶりに唸ってしまいました。
「やはり、安藤忠雄さんはすごい」と。

見ていた番組は、 NHKハイビジョンのスペシャル
「光で世界を建築する」-安藤忠雄 あくなき闘い-

安藤さんは、若き日に建築の道を志し、独学で学びながら
自分の目指す建築について自問自答を繰り返す中で、
本質を追求し、現在では世界から高い評価を受けています。

絵画館の発注をした、あるフランス人はこう言います。
「私のようなフランス人がいうのはおこがましいかも  
しれないが、安藤さんは禅の真髄を追求されていると思う。  
すなわち、本質をつきつめている方なのでしょうね」

安藤さんは、現代日本社会の軽薄短小な風潮には
決して合わせることなく、ご自身の目指す建築を通して、
人と自然との調和、人と人との対話、そこから生まれてくる
未来社会の創造と平和を願っています。

「私は建築家を職業としているが、  
この仕事の社会的意義とは、  
環境に対する責任であると考えている。    

ただ建物をつくるだけでなく、  
周囲の自然との関わりを考え、
地域社会との関わりを考えて、  
場所全体、環境そのものの向上を主題として、  
建築をつくり続けてきた。  

江戸時代以来、日本人は美しい自然と共に生きる
日々の暮らしの中で独特の感性を磨き、
それが民度の高さにつながってきた。  

しかし、高度経済成長時代の日本は、  
大量生産・大量消費のアメリカ型の豊かな生活に  
向かって邁進を始めた。  
70年代以降、高い技術力を持った  
勤勉な国民を抱えた日本は、  
瞬く間に世界でも有数の経済大国に発展した。  

この時期に、一方で日本は  
多くの矛盾を生み出してしまった。  
都市は郊外へ無計画に拡大し、周辺の自然環境は
無残に破壊され、多くの公害問題を引き起こすこととなった。  

これらの傷跡は、今の我々の生活にも深く関わってきている。  
これからの社会では、物質的豊かさを求め続けた代償として
失ってしまった、日本人が本来持っていた  
「ものを大切にする心」
「きめ細やかな感性」を、  
もう一度見つめ直し、育てていく必要がある。  

21世紀は、環境と再生という観点から、  
建築の社会的な役割がより一層問われることになると思う。  

かつての日本人は、美しい自然に育まれ、  
そのきめ細やかな感性と、ものに対する愛情を養っていた。  
これらはまた、「自分で考える」ことで磨かれる。  
そのためにも、人々が集まって対話をする場所が必要。    

ものづくりに関わる人間として、  
自分たちが置かれている立場を今一度、見つめ直し、  
そんな「感性を育む場所づくり」  
に努めていく義務があると考えている。  

私たちは大きな意識転換を迫られている。  
その現在だからこそ、人間は”緑”のことを考えるべきだと思う。  

使い捨て社会にあって、”緑”は変わらず命あるものの大切さを、  
日常の経験を通じて私たちに教えてくれる、尊い存在だ。」


昭和16年大阪生まれ。
独学で建築を学び、 昭和44年に安藤忠雄建築研究所を設立。
代表作
姫路「兵庫県立こどもの館」
大阪「光の教会」
スペイン「1992年セビリア万国博覧会日本政府館」
大阪「大阪府立近つ飛鳥博物館」
パリユネスコ本部「瞑想空間」
淡路島「淡路夢舞台」
愛媛「南岳山光明寺」
イアリア・トレヴィソ「FABRICA-ベネトンアートスクール」
イタリア・ミラノ「アルマーニ・テアトロ」
アメリカ・セントルイス「ピューリッツァー美術館」
大阪「司馬遼太郎記念館」
神戸「兵庫県立美術館」
東京「国際子ども図書館」
アメリカ・フォートワース「フォートワース現代美術館」



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土曜日, 5月 26, 2007

「本当の美しい国。よい想いで空をみたす」-永瀬清子

「美しい国」

この言葉は、安倍総理の著書名に使われて以降、
世間の様々なところで、日本という国の現在の有りようの
評価反省を含めて、議論されています。

私は最近、この「美しい国」という言葉について、
かつて岡山県におられた詩人の永瀬清子さんが
詩にうたっていたことを知りました。

永瀬さんは詩人として多くの人々を勇気づける
数々の素晴らしい言葉を残された方。
母、妻、詩人、女性地位向上のための社会運動、
あらゆる場所に ひっぱりだされ精力的に動かれて、
日々の多忙にありながら 現実と向き合う中での
「人の心を打つ言葉」を世間に放ち、
多くの方を励ますことに己を捧げて生きた
すばらしい方であったそうです。

宮沢賢治の匂いに少し近いものがあるなと
感じたのですが、
後で「農民芸術」の先駆者である賢治に
大きな影響を受けていたと聞きました。

以下は、永瀬さんが1985年5月3日(79歳)の
憲法記念日に岡山県民の集いで話された
講演の一部。

真の民主主義について、世の中の様々な人々の
現実の暮らしをふまえながらすばらしい考えを
お話されています。

「我々はいつも一歩高くなったら、
 一歩新しい問題に直面している  
 ことを知らねばならないのですよ。  

 「戦争は嫌だ」と思う心は、戦後の人は
 誰でも持っていますが、そのいざという時、
 みんなでちゃんとその心を発表できるか  
 どうか、そこはまだ判りません。  

 今、反戦の署名をしていても、
 次第に法律が変わってきたり、
 情勢が変わってきたら、
 みんなビビってしまうかもしれない。  

 その時こそ我々の憲法は
 何よりの力綱なのです。  

 民主主義というのは、自分の心を
 自分でちゃんと知ること、  
 それが第一で、また、それをはっきり
 表現できることだと思うのです。  

 第二には相手の心がわかること。  
 
 第三に、共に協力し進歩していくこと。    

 この3つが揃ってはじめて本当の
 民主主義なのではないかと思います。  

 田舎で暮らしているとき、
 時々民主主義とは何かきかれ、  
 また私もそれがどうしたものであるかを
 確かめようと思いましたが、
 人にきくと言下に  
 「それは基本的人権の尊重です」と
 答えがかえってきます。  

 「基本的人権の尊重」なんて、
 それはどうしたことをすればいいのか、
 日常的には又さっぱりわかりません。  

 しかし繰り返し自分の過ぎ越し方を
 振り返って考えたり、しようとして来たことを
 考えると、私はそれを求めようとして  
 来たのではなかったか。  

 そして結局以上のような三つの項目に
 つづめてみたのです。  
 そして民主主義、民主主義と蝉が鳴くように
 云っても、そこが十分覚悟できないと
 何にもならないのではないかと考えました。  

 これらは私らが進んできた中でも
 また新しい課題であって、  
 一人一人がやはり取り組まなければならない
 問いなのです。  

 自分自身の思いを確かめあい、
 その上にも相手の人、特にみじめな人の
 思いも汲み取れる人、
 そしてその人々とも一緒に全体が一階段ずつ
 進んでいけるとしたら、  
 これこそ本当の民主主義ではないでしょうか。  

 決して人権を得たから
 これですんだというものではなく、  
 平等になったから
 それでいいというものでもなく、  
 常に新しい問題について
 求め考えていくものではないでしょうか。  

 歴史はそれを示してはいないでしょうか。」

日本人全てに対して
この国の有りよう、行く末を一人一人が
きちんと考えましょうという真の命題を
与えられた言葉だと思います。

永瀬さんは、この言葉を
戦後の大きな混乱の中で
戦争の惨めさとこれからの希望を持ち
人々の心が通い合う姿を願って
話されたことでしょう。

日本は、敗戦国の惨めな状況から、
急成長し続けました。
食糧や物が満ち溢れ、豊かになりました。

しかし、心は・・・
豊かではないと多くの人たちが思う現代日本。

現在の姿をどう修正していくことが必要なのか、
私たち大人がすべきことは何か。

課題は大きく、いくつもあります。
永瀬さんが戦争直後に詠まれた
「美しい国」の詩の最後には、こう書かれています。  

”よい想いで空をみたしましょう   
 心のうちにきらめく星空をもちましょう”

まさしくこの想いで次代を引き継いでいく
子どもたちの将来を 考え、
この国がかつて自然も人の心も美しいもので
あったように 再び取り戻していかねば
ならないと思います。

*****************************
「美しい国」          永瀬清子    

「はばかることなく思念(おもい)を  
私らは語ってよいのですって。  

美しいものを美しいと  
私らはほめてよいのですって。  

失ったものへの悲しみを  
心のままに涙ながしてよいのですって。   

敵とよぶものはなくなりました。   
醜(しう)というものも恩人でした。   

私らは語りましょう   
語りましょう 
手をとりあって   

そしてよい事で心をみたしましょう。  

ああ長い長い凍えでした。  
涙も外へは出ませんでした。    

心をだんだん暖めましょう  
夕ぐれで星が一つづつみつかるやうに  
感謝と云う言葉さへ  
今やっとみつけました   

私をすなおにするために   
貴方のやさしいほほえみが要り   
貴方のためには私のが、  
ああ夜ふけて空がだんだんにぎやかになるように  
瞳はしずかにかがやきあいましょう  

よい想いで空をみたしましょう  
心のうちにきらめく星空をもちましょう」
 

1948年(昭和23年2月)作




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火曜日, 5月 22, 2007

「生物多様性-自然のかけがえのない価値」-トーマス・ラヴジョイ

今日5月22日は 「国際生物多様性の日」でした。

これを記念したシンポジウム「生物多様性と気候変動」が
国連大学で開かれ、参加してきました。

午前の部:内外の識者による、気候変動と生物多様性の関係の
     講演・討議
午後の部:生物多様性への市民・企業などの参加を促す活動、
     理解を深めるためのセクターの役割の講演・討議

今回、「生物多様性」というものを学術的でなく、一般の方にも
分かるように説明する言葉が出てくるのを期待したのですが、
どの演者もそれは難しいと言って、聞けなかったのが残念でした。

来月に同様のシンポジウムを主催する側としては、
他山の石というべき今回の集まりでした。

やや消化不良ぎみであったため、帰宅後に書籍を探し、
生物多様性について、自分の腑に落ちそうなものを探し、
ようやく落ち着ける言葉を見つけることができました。

これは、米国の科学者トーマス・ラヴジョイ氏が数年前に
語った言葉からの引用です。

「ある有名大学の学長から、生物多様性は何に役立つのかと質問
 されたことがありました。
 その時逆に、本や図書館についてどう感じるかと聞きました
 が、それはあたりまえすぎて、同じような情報源であると
 認識したことがなかったと、かなり彼は困惑していました。

 社会は本や、データバンクや生きていないものについての
 博物館には、非常に大きな価値を置きますが、生きている
 知識の宝庫には価値を見出しません。

 私たちは図書館の価値を十分に認識して、その活動を支援し、
 蔵書を増やし続けるために寄付をします。
 人々はその全てを読むことはないのに、公共図書館が多くの
 蔵書を持つことを望みます。
 もし誰かが地域の図書館に放火したら、住民は激怒する
 でしょう。
 図書館が炎に包まれているということは、そこにある本も
 燃えていることになるからです。

 なぜ、熱帯雨林が燃え尽きてそこにある多様な生物が灰に
 なってしまう時にも、人々は同じ危惧を抱かないのでしょう?

 インドネシアの熱帯雨林に意図的に火が着けられた大火災の
 写真が、最近、世界中の人の目に触れました。
 その煙はものすごく、近隣の国々の人が呼吸するのも困難な
 ほどでした。
 それでも誰も抗議しませんでした。

 同様に今年のアマゾンの大火災はこれまで以上にひどいもの
 でした。
 私がリモートセンシング映像で見たところでは、煙の範囲は
 ブラジル全土の広さより広がっていたのに、人々はそのことを
 知りません。

 私たちは森羅万象を燃やしているのです。
 何ものも炎の中に消えてきます。
 東方教会のある主教は、絶滅を引き起こすことは、
 「環境に対する罪」であると言っています。
 これは、倫理的な観点からよく言い表している言葉です。

 私たちが絶滅を引き起こすたびに、何十億年も続いてきた
 流れを途絶えさせているのです。
 私たちは立ち止まるべきなのです。

 しかし私たちは立ち止まる代わりに、絶滅のスピードを
 進めているのです。


 私たちは今、地球上の植物と動物の将来を決定する時を
 迎えています。
 これは私たちの世代を通じての課題です。
 
 すべて地獄に落ちるのさ、と言って何もしないことも
 できます。
 そして、確かにその通りに自分でその目標を達成することも
 できます。

 しかし、何か変えることができると考えて、前向きに捉える
 こともできます。
 この場合には、その気持ちを維持し続ける必要があります。
 その気持ちや心がけを持ち続けることは大変なことです。

 いや、持ち続けなければなりません。
 今この段階ですでにそのような心を持ち続けながら、
 そのような観点に立って活動している人たちもいるのです。


 私の娘は、たった今、出産しようとしています。
 娘の子供が私の年になる頃には、今世紀も半分を過ぎています。
 
 私の孫や今生まれようとしている全ての子供たちにとって、
 その頃の世界はどのようになっているのでしょう?
 そして、どのように人間は生きているのでしょう?」




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月曜日, 5月 21, 2007

「滅多にない有り難い私が、滅多にない有り難いあなたに感謝する」-村上和雄

少し前の休日、初夏の陽気の中、
息子を自転車に乗せて、少し遠くにある
遊び場まで、片道1時間かけて、サイクリング。

親水広場のある公園で、息子は最初ズボンを
膝の辺りまで 捲り上げて水の中で遊んでいたのですが、
じゃぶじゃぶと 遊びまわるうちに、とうとうズボンは
びじょ濡れに・・・

天気もよかったので、パンツ一丁にしてあげたところ、
さらに テンションは上がり、大はしゃぎ。
帰り道、向かい風の中は大変でしたが、
息子の笑顔をたくさん 見れたので、
何とか頑張ってこいで帰ってきました。

生き生きと遊んでいる息子の姿を見ながら、
これも太陽と水が あるからこそ、
息子の生命、自分の生命がこんなにも気持ちよく
いられるのだと、あらためて大自然に感謝の思いを
持ちました。

村上和雄先生は、遺伝子の権威であり大学者。
でありながら、少しも偉ぶったところがなくて、
とても 素晴らしい方です。

私と妻は幸いにも何度かお会いしたことがあるのですが、
冗談も大好きでお話がとっても上手な素敵な大先生です。
村上先生は、人間に秘められた可能性を遺伝子を
探求し 続け、人間の無限の可能性をONにする生き方に
関心を持たれて おり、こうおっしゃっていました。

「私たち人間がいまここに生きているということは、宇宙の  
 奇跡のようなものであり決して当たり前のことではない。  
 それは大きな価値のある、ありがたいことなのです。  
 
 感謝して生きるとはそう思って生きることに
 ほかならないのです。  
 こう思えば、とりたててたいしたことが起こらなくても、  
 毎日、喜んだり、感謝したりすることができるのでは  
 ないでしょうか。」

そして、先生は日本人に期待することとして
次のようなことも 本に書かれています。

「「お陰様」「ありがとう」という日本の言葉には、
 大自然に対する感謝が入っているはずです。  
 「ありがとう」というのは「有り難い」ということです。  

 人間の存在というのは、その細胞一個一個が
 できるのだって一億円の宝くじを百万回連続で
 当てるよりもはるかに不思議なことが起こっている。  

 そうするとまずこの存在すること自体が「有り難い」
 わけです。  
 だから私の存在も有り難いのだけれど、隣の人も
 また有り難い存在なんですね。  

 その滅多にない有り難い私が、
 滅多にない有り難いあなたに感謝する・・・  

 そういう感覚が日本人の精神にはあると思います。  
 英語のサンキューが意味するものは、
 そうした有り難さのごく一部でしかない。  

 だから、日本人が築いてきた「お陰様」や
 「有り難い」という文化は間違いなく世界に
 発信できる。  

 環境問題も民族問題も、すべてそれによって
 解決していけると思うのです。  
 そういう文化を持っていることを、
 まず私たち日本人が自覚して、それを積極的に
 世界に向けて発信していくことがとても大切だと
 思います。    

 言っているだけではなくて、行動で示さないと
 意味がない。
 日本人が持っていた文化の力とかメンタリティ、
 あるいはスピリチュアルなものをどうやって世界に
 出していくか、それが私たちに課せられた
 大きな問題じゃないかと思います。  

 これは他人事ではなくて、一人ひとりの日本人が
 自分の生き方を問い直すことと言っていい。  
 それぞれの人が「自分はどういう生き方をするのか」と  
 自問自答して、一人ひとりが答えを出して、
 自覚して行動する。  
 そういう問題なのです。  

 ”日本人として生まれた誇りを取り戻すことが大切ですね”」

             村上和雄「人間 この神秘なるもの」より




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日曜日, 5月 13, 2007

「心が通えば、おのずと人は動く」-伊庭貞剛

伊庭貞剛は、明治中期、住友第2代総理事として、
住友銀行を始め多くの企業の設立に尽力した
徳を重んじ、常に公利公益を考えていた企業家。

伊庭は事業について、
「住友の事業は住友自身を利するとともに、
国家を利し、社会を利するものでなければならない」
と説き、それを実行し続けたといいます。

私の勤めは、企業において環境社会貢献を担当する中で、
森林生態系をいかに保全していくか、
世界各地で現在住んでいる方たちの生活安定との両立を
いかにはかっていくか、ということであり、
次代を継いでゆく人々に対して、より良き地球環境を
残していけるように動いていくことです。

日々、様々なことを考える中で、
伊庭貞剛氏の生き方や言動は
自分に光明を与えてくれるものです。

伊庭氏が真骨頂を発揮したのは、住友の屋台骨だった
愛媛県新居浜市の別子銅山の紛争と煙害を見事に
収めたことです。

明治27年早春、住友家が2百年にわたって、
銅を採掘してきた 四国・別子銅山でのこと。

*************************
「ひどいねえ」、と伊庭貞剛は思わずつぶやいた。
見渡す限りの山々は、木々が根本から掘り起こされて、
一面、黒褐色の世界だった。

神さまや仏さまや、自然というものに対して 申し訳がないねえ。
すぐ造林をしよう。
植林予算をすぐに何十倍かに 増額して、いや、何百倍でもよろしい。
この枯れた山、枯れようとしている山に全部「緑」を 返すのです。
頼みますよ。

伊庭の命令にしたがって、大規模な植林が進められ、
ほぼ百年後の昭和42年までに6422万8千本が
植えられたといいます。
この山林は、その後管理会社として住友林業が設立され、
今日まで住友の山として受け継がれています。

足尾銅山の鉱害を追及していた田中正造は、
伊庭の一連の行動を高く評価し、
別子銅山を「我が国銅山の模範」とまで言い切っています。

伊庭は四阪島完成の前年、明治37年に58歳の若さで
住友総理事を引退。
退任の辞の代わりとして、文章「少壮と老成」を
雑誌「実業之日本」に発表。
不言実行を旨とし、足跡を残さないことを
人生の理想としていた伊庭が公に発表した唯一の文章です。

「早く楽をしたいというような考えではなく、  
 ある一つの目的を確乎と握って、一代で出来ねば、  
 二代でも、三代でもかけてやる位の決心で、  
 一生懸命に人事を尽くすなら、  
 成功は天地の理法として自然に来るものである。」

伊庭の心友河上謹一は、 明治40(1907)年頃、
外務省の後輩だった吉田茂(後の首相) に対し、
伊庭翁に会うことを勧めたそうです。
そのとき河上は、次のような理由で 面会を勧めたといいます。

「君が翁に会って必ず得るに違いないと思うのは、  
 さながら春風のごとき感じである。  
 この温かな感じこそは、君が将来世に処し  
 人に対する上において、  
 いかばかりか資すること多きや、  
 はかり知れないものがあろうと」

まさしく伊庭の人生から見えてくるもの。
それは、世の中にある幾多の知恵でも腕力でも解決しない、
手のつけようがないものに対しての救い方の見本。

人を本当に動かすもの、
それは金でも力でも地位では決してなく、
事にあたる人間の品性・人格である、と。

(参考:住友グループ広報委員会資料)



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土曜日, 5月 12, 2007

「I  have  a  dream ! (私には夢がある)」-Martin Luther King、jr.

I have a dream !
(私には夢がある!)

このすばらしく力強い響きある言葉は、 いつも私に
勇気を与えてくれます。

戦後60年が経った現在の日本において、
少子高齢化・人口減少による将来への不安、
格差社会の中でワーキングプアの問題が現れ、
教育の現場の荒廃、モラルの喪失、
人の絆とコミュニティの崩壊、
そして地球環境問題の顕現。

豊かな社会を築いたといわれるものの、
飽食やブランドといったモノへの依存を増す中で、
結局はモノによる豊かさは空虚であることを知り、
心の豊かさの実感を求める中で、
新しい社会、新しい国のあり方を描く、
創造と変革に取り組むリーダーの台頭が
期待されています。

I have a dream !
このすばらしく力強い響きある言葉を
かつて大勢の人々の前で語り、
社会を、国を変革した
すばらしき指導者がいました。

Martin Luther King、jr. キング牧師です。
1963年8月28日、「仕事と自由のためのワシントン
大行進」の 演説でキング牧師が繰り返した
有名なフレーズ、
I have a dream !(私には夢がある)

偉大なリーダーとは、自分の夢を皆の夢で
あるかのように 言い換えられる人だといいます。

キング牧師の言葉をかみしめながら、
私たちは自分たちの子供や未来の世代のために
どんな社会を、どんな国を、どんな世界を
築いていくことができるのか。

すばらしい夢を描きましょう!


Martin Luther King、jr.

「私は同胞達に伝えたい。  
今日の、そして明日の困難に直面してはいても、  
私にはなお夢がある。  

それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。  
つまり将来、この国が立ち上がり、  
「すべての人間は平等である」という  
この国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ。  

私には夢がある。  
ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫と  
かつての奴隷を所有した者の子孫が  
同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。  

私には夢がある。  
今、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、  
自由と正義のオアシスに生まれ変わり得る日が  
来るという夢が。  

私には夢がある。  
私の四人の小さい子ども達が、肌の色ではなく
内なる人格で評価される国に住める日が
いつか来るという夢が。  

私には今夢がある!  
人種差別主義者や州知事が連邦政府の
干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否している
アラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が
幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹と
なり得る日が来る夢が。  

私には今夢がある!  
いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。  
荒地は平らになり、  
歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。  

「そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を  
見るだろう。」  

これが私達の希望なのだ。    
この信仰をもって私は南部へ戻って行く。    
この信仰をもってこそ絶望の山からも  
希望の石を切り出すことが出来るのだ。    

この信仰をもってこそ私達は祖国にうずまく  
不協和音を人類愛のすばらしい交響曲に  
昇華することが出来るのだ。    

この信仰をもってこそ、自由がいつか来るのだということを  
信じながら、  
私達は共に働き、共に祈り、共に苦しみ、共に投獄され、  
共に自由のために立ちあがることが出来るのだ。  

そしてその日が来れば、  
その日が来れば神の民はみなおしなべて、  
新しい意味をこめて歌えるのだ。  

「我が祖国よ、美しい自由の国をたたえ私は歌う。  
父が骨を埋めた国、開拓者の誇りとする国。  
すべての山々から、自由よ鳴り響け」と。  

真にアメリカが偉大な国となるためには、  
これが実現しなければならない。  

ニューハンプシャーの山々の偉大ないただきから  
自由の鐘を鳴らそう。  
ニューヨークの悠々しき山々からも、  
ペンシルヴァニアにそそり立つアレゲニーの山からも、  
自由の鐘を鳴らそう。  
雪を頂くコロラドのロッキー山脈からも、  
カリフォルニアのなだらかな山々からも、  
自由を鳴り響かせるのだ。    

それだけではない。  
ジョージアのストーンマウンテンからも、  
テネシーのルックアウトマウンテンからも、  
ミシシッピーのすべての丘やほんの小さな塚からも、  
「すべての山々から、自由の鐘を鳴らす」のだ。  

そうすれば、私達が自由を鳴り響かせば、  
すべての村、すべての集落から、  
すべての州、すべての町から、自由の鐘を鳴らせば、  
すべての神の民が、  
黒人も白人も、ユダヤ人も、非ユダヤ人も、  
プロテスタントもカトリックも、  
すべての人々が手に手を取ってあの古い黒人霊歌を  
共に歌える日がより早くやって来るのだ。  

「やっと、やっと自由になれた。全能の神に感謝しよう。  
やっと自由になれたことを」と歌える日が。  

Free at Last! Free at Last!  Thank God Almighty  We are free at last!
[動画]
http://video.google.com/videoplay?docid=1732754907698549493
<典拠> 「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア  ペーパープロジェクト」から抜粋
木山ロリンダ・斎藤真由美訳
The Martin Luther King,Jr. Papers Project at Stanford University


Martin Luther King、jr.
マーチン・ルーサー・キング・ジュニア
1929年1月15日、米国南部のジョージア州アトランタに、
バプテスト教会牧師マイケル・ルーサー・キングと
アルバータ夫人の長男として生まれる。
黒人専門のモアハウス大学卒業後、 ペンシルヴァニア州
チェスターのクローザー神学校、 ボストン大学、
ハーバード大学で神学と哲学を学ぶ。
1947年に牧師任職。 1954年9月にアラバマ州モントゴメリー市の
デクスター街 バプテスト教会牧師に就任。
その前年にボストン在学中知り合ったアラバマ出身の
黒人女性 コレッタ・スコットと結婚。
1955年、バスの白人専用席を譲ることを拒否した黒人女性が
市条例違反で逮捕されたことから、
黒人婦人グループがバス・ボイコット運動を開始。
「モントゴメリー改善協会」が組織され、 キングは会長として
指導にあたる。
1957年、インドのネール首相の招きでインドを訪問し、
インド独立を達成した ガンジーの非暴力抵抗主義を学ぶ。
1960年、食堂やバスでの差別撤廃を求める運動が
南部各地に広がり、 キングは「南部キリスト教指導者協議会」を
結成し、議長に就任。
キリスト教信仰に基づく非暴力主義の人種差別撤廃運動を推進。
1963年に、25万人の公民権運動支持者によるワシントン大行進。
1964年に、公共施設や就職関係の差別撤廃をねらう
「公民権法」が成立。
1966年に、選挙権行使上の差別をなくす「投票権法」が成立。
1968年4月4日、テネシー州メンフィスで暗殺される。
享年39歳。


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日曜日, 5月 06, 2007

「人間といういのちをもつ自然存在の一つ」-河合雅雄

昨年秋のことです、兵庫県三田市にある
「県立人と自然の博物館」へ仕事の
打ち合わせで行ってきました。

とてもすばらしい博物館で、広い館内には自然関係の
様々な展示物やジオラマがあり、息子と一緒に遊びに
来たいなと思いながら見学をしてきました。

こちらの博物館の名誉館長は、動物学者であり
サルの研究で有名な河合雅雄先生です。
心理学者の河合隼雄先生のお兄さんでもあります。

一昨年の暮れには、博物館が催した市民による
自然学習発表会に招かれて参加したのですが、
河合先生が開会のスピーチをされました。
そのときにお話されたダーウィンの
「ミミズと土」の話は、ちょうど息子が
土遊びの中でミミズを気に入っていたことから、
とても印象深く面白いと感じました。

いまでも毎年夏には、子供達と一緒に
博物館主催のボルネオ島・ジャングル体験に
同行しているという先生は、こう語られています。

「20世紀は、一言でいえば高度な科学技術が
 全開した時代である。
 それによって巨大で華麗な物質文明が開化した。
 
 人は幸福を求める動物である。
 また、飽くなき欲望を追求する動物だ。
 自然科学という思考の武器を手に入れてから、
 人はいつしか
 物質的に豊かになれば、幸福になれると信じてきた。
 科学技術がそれを可能にし、
 無限の欲望の荒野を拓いてくれた。
 
 一方、その結果、
 大地も水圏も気圏も汚染し、オゾン層の破壊、
 酸性雨、温暖化など、いわゆる地球環境問題を
 引き起こしてしまった。
 人口爆発、戦争と大量死、環境ホルモンなども、
 高度な科学技術によってもたらされた負の世界である。
 
 文化・文明は、光のあたる部分は輝かしく豊穣だが、
 必ず影の部分を内包している。
 
 そして、正の部分に対して等量の負の部分を
 持っているという認識に達したこと、
 それが20世紀における偉大な発見であり、
 教訓である。
 
 それはまた、「人間とは何か」という
 永遠の設問-人間という動物だけが担っている宿命に対し、
 新しい存在論の地平を開くことになった。
 
 20世紀末とは、
 文化環境が過度に自然環境を圧迫し破壊し、
 人間の生存すら脅かすという事態に
 立ち至った時代だといえる。

 文化環境は、人間が創出した環境であるが、
 それは人間に作用し、人間の行動や思考を改変させると
 いう機能をもっている。
 
 たとえば、自動車やコンピューターの発明により、
 人間の生活や社会は、それ以前とはまるで違ったものに
 変えられてしまった。

 したがって、21世紀の課題は、
 過度な文化環境の進展を制御し、人間の生存の基盤である
 自然環境の復興と強化に努める、ということでは
 ないだろうか。

 自然破壊抑止への関心は高い。
 しかし、それは外なる自然に対してであって、
 内なる自然の破壊には積極的に肯定という風潮が恐ろしい。
 
 人間は、霊長類の進化によって誕生した自然の生命体の
 一つである。
 身体は内なる自然といえる。
 
 それが今、破壊にさらされている。
 ヒトゲノム解析、臓器移植、クローン技術、など
 生命科学の進歩はすべて肯定的に受け止められている。

 しかし、これらの技術が欲望という電車に乗せられて
 暴走するとき、何が生起するかは簡単な思考実験を
 するだけで慄然とする。
 
 人間は、人間性及び自己の存在そのものを破壊する
 手段を手に入れた。

 21世紀の成功は、内なる自然の破壊をどこまで
 抑止できるかにかかっている。
 21世紀の課題は、自然存在としての人間像を
 彫琢することにある。

 内なる自然と外なる自然の快い響きの中に、
 人間らしい喜びが湧出するのだと思う。


 2001年、私は喜寿、妻は古希を迎えた。
 病弱だった私は50歳まで生きれば上々と
 思っていたのだが、
 50歳から健康という幸をもらった。

 「健康法は?」とよく訊かれる。
 「神の恩寵です」と答える。

 山川草木悉有仏性の世界の中で、
 私は人間といういのちをもつ
 自然存在の一つなのだ。」


河合 雅雄氏
現職 : 兵庫県立人と自然の博物館名誉館長
1970年 京都大学 教授(霊長類研究所)
1978年 霊長類研究所 所長
1987年 京都大学 名誉教授、(財)日本モンキーセンター所長
1995年 兵庫県立人と自然の博物館 館長

主な著書: 「森林がサルを生んだ」(平凡社1979)、
「霊長類学の招待」(小学館1984)、
「人類以前の社会学―アフリカに霊長類を探る」(教育社1990)、
「子どもと自然」(岩波書店1991) 、
「河合雅雄著作集全13巻」(小学館1996)など




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