日曜日, 7月 29, 2007

「何を食べるかでその人の生き方がわかる」-二部治身

妻の両親の所から親戚から送られてきたというたくさんの野菜を
いろいろと漬け込んである美味しいのをいただきました。

私は子どもの頃から、糠漬けが大好き。
特に、蕪、胡瓜、茄子などの夏野菜を漬け込んだのが 好物で、
母が糠床である陶器の甕の中で野菜と糠をかき回したり、
取り出した野菜の糠を水で洗い落とす様が面白くて、
いつも見ていました。

挿花家の二部治身さんはこう語られています。
「野菜などの素材を塩や酢、醤油などに  漬けることは、
 もともとは保存がきかない食べ物を、  
 腐らせずに長くとっておく知恵。  

 漬けることによって乳酸菌や酵母が働き、  
 その素材がもっている旨味が引き出されて、  
 より美味しい食べ物になってくれる。  

 私はそんな漬け物や発酵食品こそ  
 日本のスローフードの原点だと思う。  

 いまはスーパーに行けば漬け物でもなんでも売っていて、  
 田舎でも味噌や醤油を手づくりすることは少なくなってきた。  

 でも少しの手間をかけることで、もっと美味しく味わえるし、  
 食べ物のことや自然のことがもっとわかってくることも  
 たしかなんやね。  

 食べ物に関して忘れていけないと思うことは、  
 食べ物自体が季節やその土地の自然と不可分な存在で、  
 人の体に直接影響を与えるものであるということ。  

 だから、少々見栄えが悪くても有機栽培の野菜を使ったり、  
 昔からその土地ごとに守られてきた郷土料理を、  
 地元のおばあさんに聞いて教えてもらったり、  
 葉っぱを器にしたり、季節の花をあしらったりと、  
 体にいいことや自然を食卓に生かすことを  
 いつも心がけている。    

 そうはいっても、理想に思う食卓が、  
 我が家で簡単に実現できたわけではないんや。  

 たとえば、子どもが小学生の頃にこんなことがあった。  
 給食のない日に、サルトリイバラや朴の葉っぱに包んだ  
 玄米のおにぎりをもっていかせたことがある。  

 自然を感じてほしいからそうしたのに、  
 子ども達は少しも食べないでそのまま持って帰ってきた。  
 そんなおにぎりが恥ずかしいってね。  

 日誌を見ると「素敵なお母さんですね」とあるのに、  
 子どもは「こんなの食べられない。パンと牛乳がいい」  
 なんて書いてある。  
 子どもはウインナでつくった赤いタコなんかが好きだけれど、  
 私はそんなことも絶対にしなかった。   
 そりゃ悔しくて、泣きに泣いたな。  

 それでもめげずに続けているうちに、そのうち苦労した甲斐があってか、
 「誰々くんのところはいつもステーキでいい」なんていっていた子ども達が
 「旬のものは美味しい」なんていうようになった。  

 なにが本当に贅沢なのかとか、なにが体にいいのかとか、  
 時間はかかるけれど、自分の信じることを諦めずにやり続けていけば、  
 いつか本当のことをわかってくれると思うな。  

 毎日の暮らしの中で、三度三度の食事に何を食べるかは、  
 とても大切なことだと思う。    

 おおげさに言えば、何を食べるかでその人の生き方がわかるし、  
 食べ物にいちばん愛情が込められると思うな。」


国産、中国などの外国産と食品の安全性が問われるように
なってきている中で、あらためて大地からの恵みによる
食べ物が見直されてきています。

大地の恵みに少々の手間をかけることで、
本当に美味しい 食べ物をいただくことができる。
それはとても幸せなことですね。
ふだんの生活に少しづつでも取り入れていきたいものです。

ニ部さんの言葉は、流行などでは決してないスローフードの
本来の意味を教えてくれます。


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土曜日, 7月 21, 2007

「人に人格があるように木にも格がある」-山野忠彦

「人に人格があるように木にも格がある」

このすばらしい言葉を語られたのは、山野忠彦さん。
日本で最初に「樹医」を名乗られた木のお医者さんです。
山野さんは98年に亡くなるまで、全国各地の古木治療の
行脚にまわりました。

「どこが痛いんだ、辛抱しろよ。今、治してやるからな…」

そう、木に語りかけ、木の声を聞き、病に苦しむ木を治療し、
再生することに人生を捧げた私の尊敬する方のお一人です。

毎年、数回行くことになっている長野県黒姫、アファンの森。
かつて私はこの森の育ての親、師匠のC.W.ニコルさんと
松木さんのお二人から、地元の信濃町にある「閑貞桜」の再生の
話を聞かされたことがあります。

高さも幹回りも6メートル、樹齢400年といわれるこの老桜は、
雪の降る黒姫山を背にして、毎年春になると幹を覆うように
ドーム状に花をつけます。
しかし92年に、樹勢が衰え、根が朽ちかけたのを心配した、
ニコルさんは、山野さんに治療を依頼します。

「手遅れだといって何もしないのは間違い。  
 懸命に生きているうちは、助けたい。そう思ったんだ。」

山野さんは弟子の山本光二さんと二人で、土壌改良、害虫駆除と
手を尽くします。
少しずつ樹勢を取り戻しましたが、延命が精いっぱい。
数年かけても、以前のように花をつけなかったのです。

「長年、地元で愛されてきた木。何とか後世に残したい。」
そう考えて山野さん達は2年がかりで種を芽生えさせ、
苗を接ぎ木。
やがて、その”2世”が見事な花を咲かせるようになりました。

「山野さんや山本さんは木の心を理解できる人。  
 こうして木を生き返らせることが、木を崇めてきた  
 日本人本来の心を取り戻すことにもつながるんだと、  
 確かめさせてくれたんだ。」

遠くに並び立つアファンの森の樹木たちを愛しそうに見ながら
ニコルさんは懐かしそうに語ってくれました。

日本で初めて「樹医」の道を切り開いた山野さんは、
全国の古木や名木を数多く甦らせました。
しかし、山野さんと木の交流─その陰には、
まるで小説のような 波乱に満ちた前半生が隠されていたのです。

・指折りの資産家の息子だった若い頃。
・全てを失い、裸一貫の日々。
山野さん30歳の時でした。 そんな時、亡き養父の声が聞こえたといいます。

「これからは、自分が本当に好きなことを見つけろ。  
人を助け、それが自分の喜びにもつながるような。  
そして、生涯やり抜くことのできる人間になれよ…。」

目的を持てなかった人生にようやく小さな灯かりがともったと いいます。
山野さんが最初に始めたのは、集中豪雨が多い土地に植林する ことでした。
一度は失敗するものの、数年後には1000本の桜が 山々を
美しく染めるようになりました。

この桜を皮きりに、本格的な「山作り」が始まりました。
自分の手で山を息づかせる。その山は川を養い、
人間も動物も 命を豊かに育む。

こうして、山野さんは深く、木の魅力にとりつかれていきます。
敗戦後、調査の仕事で各地の山々を見て回った山野さんは、
荒れ果てた姿に心を痛めました。

「ああ、この木はもっと手を入れてやれば、スクスク伸びるのに。
可愛そうだな。早く手を入れてやれば。」

調査を終えた山野さんは、家族に「木の医者」になるという
決意を打ち明けます。
この時、山野さん48歳。
樹医として治療にあたるにはまだ長い年月の孤軍奮闘の日々が
待っており、昼は研究、夜は仕事という生活が始まったのです。

69年、公害が木々を苦しめたこの年山野さんは、
ついに「樹医」として木の治療のため全国行脚へと出発します。
木の治療を決意してから実に20年の歳月がたっていました。

依頼が来た樹木のほとんどは、樹齢100年から1000年以上の
古木でした。
学者でさえサジを投げるような、さしせまった状態からの蘇生。
重病だと2ヶ月もかかる治療もあったそうです。
いつしか、山野さんは木に手を当てるだけで、たいがいの診断が
つくようになっていました。
そうして、山野さんが20年間、 治療してきた木はいずれも
奇跡的に蘇りました。

88年、ついに山野さんが手当てした木は1000本に到達。
樹医として捧げた誓いが、この時果たされたのです。

戦後、荒廃した森を見て
「木が助けを求めてる。
人間の医者みたいに木の医者が要る」
といって 誰も手をつけない木の治療を進んで行い、
木に向かうと必ず数珠を巻いた手で幹を撫でて
「治療するで。我慢してや」とやさしく声をかけたといいます。

挫折からの再出発。 誰も考えなかった樹医として第二の人生を歩み、
「木が守ってくれた…」と、98歳の長寿を全うするまで 後半生の全てを、
木の再生に捧げたすばらしき人生でした。


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火曜日, 7月 17, 2007

「桃太郎の噺」-山岡鉄舟

子どもと接していて、いつも思うことは、その吸収力の大きさです。

聴覚を通して大脳に刺激を受け続けており、特に親からの言葉は
快い刺激になって想像力を喚起されるとの研究成果も出ているそうです。

そんなことを頭におきながら、子どもに童話などのお話を聞かせるとき、
いつも思い出す話があります。

それは幕末にあって不世出の剣人といわれた山岡鉄舟が、
やはり不世出の噺家と呼ばれた三遊亭円朝に、「桃太郎の噺」
をしてほしいと頼んだという話。

「鉄舟は、あらゆる面で、磨りあげたようなサムライの典型だった。
 幕臣で不世出の剣客であり、禅の徒でもあり、
 西郷南州が尊敬してやまなかった人物。
 維新後は、西郷の頼みで明治天皇の教育掛にもなった。

 死の床にあったとき、最期を予感し、寝具を取り払い、
 座禅のまま臨終を迎えたという。

 鉄舟は、円朝を尊敬しており、
 あるとき、自宅に招待し、一席の噺をお願いした。

 鉄舟がいった。
 「自分は幼いころ寝床の中で、母親から
  桃太郎の噺をきいたが、この歳になってもおもしろさが
  わすれられない。
  ぜひ桃太郎の噺をしてもらいたい。」

 円朝は大いに怖れ、とても自分には
 先生の母君が幼い感受性に
 あたえたような能力がない。とことわった。」


親が話してくれるおどぎ噺に、
宇宙のかがやきと同質のものを
子どもが感じるということを、
さすが不世出の噺家と呼ばれた円朝はわかっていたのでしょう。

そして、鉄舟はその気持ちを
大人になっても持ち続けていたということですね。


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日曜日, 7月 15, 2007

「昆虫採集は、生命観・自然観の基になる」-矢島稔

先週の土曜は、息子と二人で探検隊。
今日は妻も入っての探検隊になりました。
といっても、近所のわりと大き目の公園に遊びにいった ものですが、
大きな出会いがありました・・・
それは、カブトムシに会えたのです。

先日の日記で、息子が甲虫に関心を持ち始めたばかりと
書いたばかりだったのですが、まさか会えるとは思っていなかっただけに、
とてもうれしい 出来事でした。

広い公園の中をいろいろ歩きながら、歩道の脇の小さな階段を 降りて、
小道に着いたその時・・・
少し後ろを歩いていた妻が、
「良ちゃん、そこの木を見てごらん~」。

息子と一緒に振り返り、後方の右横にあった山桜を見ると、
「あっ、カブトムシ!」
ちょうど妻の背丈ぐらいの高さのところに、赤茶色で立派な
ツノを持つオスのカブトムシが。
3人で興奮しました。

森の神様に感謝して、家で飼育することにしました。
息子が初めて生き物を飼育する機会となりました。
体を持つと足をばたばたしていたのが、
ツノを持つとじっとする カブト。
やはり虫の王者だなあと見ていると、
子ども時代のことが 思い出されてきました。

毎年夏になると、虫採りへ。 友達と一緒だったり、
一人だったりしながら、虫かごと網を 持って、近隣の森を
いろいろまわり、カブトやクワガタが 樹木にいる姿を
見つけたときの
「やった~見つけた」という興奮は、本当に懐かしい思い出。

それは、私達大人の世代であれば、誰もが多かれ少なかれ持つ
郷愁の夏の思い出でしょう。
面白いもので、妻もやはり同じようなことを思い出していました。
しかし、今の時代、虫たちをとりまく環境はずいぶん 変わってしまいました。

①輸入された外来種による国産甲虫の淘汰  
 私が子どもの時にはいなかったヘラクレスオオカブトなど  
 外国産のいろいろな甲虫が、自然生態系を理解しない輸入業者  
 や愛好家によって相当持ち込まれてしまいました。  
 強い虫が大好きな子ども達に人気が出て広まっていった結果、  
 家や店などから逃げ出したものがいて、国産のカブトや  
 クワガタ達が淘汰されてしまっています。  
 遺伝子の交雑も心配されます。

②雑木林の荒廃による生息環境の悪化  
 カブトやクワガタは、広々とした雑木林が大好きです。  
 彼らは一見頑丈そうな体を持っていて、茂みの中をかき分けて  
 入っていけるように見えますが、実際はそうではないです。  
 あまり飛行が上手くなく、ジグザグに飛び回るので、後羽を  
 ひろげて飛ぶときには、大きな空間が必要です。  
 しかし、各地の里山は手入れをされずに荒れてしまい、  
 生息できる場所はどんどん減ってしまっています。


また最近では、虫採りの体験やその後の飼育をしたことがない
大人たちも増え、困ったことに虫を採るのはよくない、飼うのも
よくないという声も聞いたりします。

昆虫学者の矢島稔先生は、こう話されています。
「人間は本来生き物に、動いているものに興味があります。  
 それは人間も生き物だから。  

 一番困っているのは、かわいそうという感情論です。    
 昆虫採集とは、認識の方法であるのに、五感を使わない  
 認識をしていたこの何十年かが日本人を変えてしまいました。  

 遊びの中で生き物を殺すことはあるが、その経験は  
 その人の中に何らかの形で残ります。    
 代償体験としてその人の生命観・自然観の基になるものだと  
 僕は思います。  

 それを初めからかわいそうとただ見るだけで採らせなければ、  
 その人の自然観・生命観はそこで切れてしまうのです。  
 実際に自分で生き物を見つけてとったり、動きを見たりする。  

 この五感の体験を通して、生き物のことを知ると、  
 想像していたのとは全く違うということが分かるはずです。    
 虫に対して持っていた先入観を捨てて、子どもたちが  
 目を輝かせて里山を飛び回っている。  

 子どもたちは虫取り網で、虫をとろうとするけれども、  
 そう簡単にはとれない。  
 そのことで、虫も一生懸命生きていることを実感し、  
 命の大切さを知るのです。  

 子供が自然と触れ合うことで、命や環境の大切さが、  
 幼児体験としてすり込まれていくのです。」

いつか聞いたすばらしい言葉の中に、
「知恵のない知識は無意味だ」というものがありました。
自然や生き物たちと触れ合うという体験を子ども時代にしていく ことは、
知識偏重の時代の中でますます必要なことであろうと思います。

この夏のカブトムシとの出会いと飼育。
息子はこのカブトムシに「キング君」という名前をつけました。
自分とは異なる小さな虫が生きる姿を見つめながら、
息子がどのように感じ、成長していくのか。 楽しみです。
きっと大人になったときに、懐かしく思うことでしょうね。


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火曜日, 7月 10, 2007

「文月に入りて花陰に涼感を感じる」-☆森のクマさん☆

先週土曜日のことです。

週末恒例の息子との探検。
ちょっと足を伸ばして茨城県立博物館へ。
息子はこの博物館がお気に入りで、特に宇宙船に乗って
金星や火星を探検するミニシュミレーターが大好きです。

でも今日は、館内には入らずに広い敷地を探検。
「どんぐりの森」、「昆虫の森」、「夢の広場」、、など
様々なコーナーがあって、
息子と一緒にたっぷり歩いて遊んで たくさん楽しめました。

カブトやクワガタなどの甲虫に関心を持ち始めた息子と一緒に、
今夏は今まで以上に森の中で遊べる時間が増えるかなと
楽しみにしています。

夏の日差しがこれからますます強くなる中で、
森の中に入ったときのひんやりと感じる涼しさは、
自然に感謝することの一つ。

太陽が生い茂った木の葉の間に隠れ、
わずかな風に揺れる木の葉越しに見える
太陽のきらめきは目に美しいもの。
木の下陰に休み、宇宙エネルギーをたっぷり受けて
遊びまわる息子を頼もしく愛しく見やりながら、
花陰に涼感を感じる幸せな一時です。



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日曜日, 7月 08, 2007

「七世代先の人々のことを考える生き方」-デニス・バンクス

デニス・バンクス氏は、今年で71歳。

この北米先住民の勇者は、彼らの間に伝えられてきた

叡智を混迷する現代社会に与えるべく、長年動かれてきました。

彼は言います。

「精神的であるということは宗教的であることとはちがう。    

それは人間と人間が、人間と自然が、人間と母なる大地が、  

ひとつの環(サークル)となって互いの生命を敬いつつ 生きることに他ならない。  

インディアンは環の力を信じている。  

サークルは、地上に生きる全ての物が、  

互いに深くつながりあって生命を営んでいることの象徴である。  

それはどこまでも生を肯定する。  

だから私たちは、この生命のつながりの環が切れることの

 ないように祈りを捧げるのだ。    

宗教の教義にとらわれるのではなく、この生命の環の一部となって、  

他者を敬い、鳥を、木を、大地を敬うことが、  

精神性の意味するところである。」           

 「聖なる魂」より 「私たちや、私たちを取り巻く環境は皆、自然の一部である。  

すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。  

環境を大事にすることは、自分自身を大事にすることなのだ。  

鷲やビーバーは、幾千年間同じ形で生をつないでいる。  

七世代先の人々のことを考え、  自分たちが受け継いだ生き方を  

子供たちに伝えよう。  

滝の音や燃える火に心を傾けること。  

幼い子供に話しかけること。  

草木の生命に思いを馳せること。  

それらは偉大な精霊と交わることである。  

私たちを含めて、すべてが地球の住人なのだ。  

空気、太陽、火、水、土、  

全ては所有することができない。  

偉大な精霊を、どうやって  所有できるというのだろう。    

火は、私たちが生きていくうえで  欠かせないものである。  

火は暖かさを与えてくれるだけでなく、生きる指針も与えてくれる。  

火と対話しよう。    

水や雨を大切にしよう。  

水は私たちの考えを浄化してくれる。  

雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。  

私たちは水や雨なしでは生きられない。  

地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。  

自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。  

鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。  

魚の泳ぎに目を向ければ、 自分自身の答えが見つかる。  

花には生命を絶やさないようにするという役割がある。  

花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。  

目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。  

目がないから見えないとは限らない。  

耳がないから聞こえないとは限らない。  

鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。  

彼らに向かって心を込めて話すこと。    

寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。  

私たちや、私たちの未来について話している。  

いつでも木々を敬うこと。  

木の枝がなければ花は咲かない。    

木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。  

なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。  

木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。  

鷲、鹿、ビーバー、全てが  自分たちの流儀で生きている。  

それぞれがビジョンを持っている。  

肝心なのは、他人をまねることなく 自分自身のビジョンを持つことだ。  

夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。  

私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。  

人々に良い夢を見せてあげることだ。  

ひとりひとりの画家は夢をもっている。

一枚の絵には、何かが隠されている。  

画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。  

太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。  

私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。  

歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、  

誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。  

知恵の種は、私たちの中心にある。  

自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。  

そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。  

私たちの未来は過去にある。  時は流れているのだから。  

日々くりかえす行いこそが生活であり、文化を伝えることである。  

年長者から知恵を学ばなければならない。  

そして、それを実行しなければならない。  

一日一日を生きていくことが、生きる目的なのだ。  

日が暮れてしまったら生きる目的を失う、というわけではない。  

年を重ねてから、幼いころのことや仲間のことを思い返す。  

眼にも胸にも涙が浮かんでくる。  

そんな時、人は幸せを感じ、その尊さを知る。」

七世代先の人々のことを考え、すばらしき未来社会を目指して、

いま為すべきことを行っていきましょう!


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水曜日, 7月 04, 2007

「あらゆる宗教の後に出現するもの」-中沢新一

中沢新一さんが語る、中沢哲学、あるいは中沢宗教学と
いうものは、いつも私に多面性を持つ新鮮な風を送ってくる。

中沢さんは、単に表面的な宗教哲学の研究にとどまらず、
チベット密教に弟子入りしてまでも、現代人が歴史の歩みと共に
時の流れの中に忘れ置いてきた、人類が古来培ってきた自然世界
と結びつくことで獲得してきた叡智を探ろうとしてきました。

一方で、一神教の神(ゴッド)と多神教における多様なスピリット
を対比させながら、人類とカミの関係を明らかにし、未来において
その関係性をどう発展させていくのかを探っています。

「あらゆるものを商品化し、情報化し、管理する今日のグローバル  
文明は、長い歴史を持つ諸文明が生命を汲み上げていた泉の多くを、
すっかり干上がらせてしまいました。  

本物そっくりの偽物はあふれかえっていますが、実際にはすでに  
根を断ち切られているので、古い伝統を持つ宗教でさえ、
いまでは造花の美しさや見かけの正しさしかもっていないケースが  
ほとんどです。  

しかし、そんな人類に変わっていないものが、ひとつだけある  
ことを忘れてはいけません。  

それは、私たちの脳であり、心です。  

数万年の時間を耐えて、原初のみずみずしさをいまだに保ち続けている、
原生人類の脳だけは、いまだに潜在的な可能性を失ってはいません。  

そこにはまだ、はじめて原生人類の心にスピリット世界が出現したときと
そっくりそのままの環境が、保たれ続けています。  

根本的に、新しいものが出現する可能性を持った場所といえば、
そこしかありません。  
私たちはそこに、来るべき未来のスピリットを出現させるしか
ほかには道はないでしょう。  

聖書の神(ゴッド)を信仰した人々の想像力が生んだ最古のロボットは
「ゴーレム」という名前を与えられました。  
ゴーレムは一神教の神が世界と人間を創造したように、生命のない素材に
息が吹き込まれることによって、動き出したのです。  
そのため、一神教の想像力のもとでは、生命と非生命の対立を  
かかえたままで苦しみ続けることになります。  

ところが、巨匠手塚治虫によって日本で生まれた、「鉄腕アトム」は
はじめから、これとは一線を画していました。    
アトムには、多神教宇宙の記憶がなまなましく息づいています。  

「高神」の理想を追い求めながらも、地上と他界に満ちみちる  
無数のスピリットたちの望みにも、耳を傾ける
2003年に生まれ、一神教的な核技術を胸に内蔵したこの「新しいスピリット」は、
来るべき時代の「倫理」を自力で創造しようとして、悩み苦しんでいました。  

私たちは今ではみんな「科学の子」です。  
アトムにあって、私たちに欠けているものがあるとしたら、  
それは野生状態の心なのでしょう。  

しかし、心配は無用です。
私たちの脳の組織には、3万年前と変わらずいまも「超越性」への
斥候活動を続けるスピリットが住み、心の野を開く鍵は  
私たちの身近に放置されています。    

スピリット世界の記憶をかすかに保ち続けている私たちには、  
「あらゆる宗教の後に出現するもの」について、たしかなイメージを
抱くことも不可能ではありません。    

宗教のアルファー(原初)でありオメガ(未来)であるもの、  
それはスピリットです。」      
      
 (中央大学における講演録より抜粋)


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「"再生" 屋久島の森が教えてくれたこと」-☆森のクマさん☆

本日記は、1997年屋久島の深い森の中での原体験についての ものです。

この原体験こそは、現在の自分の基になる「再生」の時であり、

自分の命と自然とのつながりを深く自覚し、 自然環境を守ることに、

これからの人生をかけていこうと 決意するようになった

記念すべき時でありました。

記録用にここに記します。

***************************** 

自分を見つめ直し、これからの人生を模索していたある時の 事です。

97年12月末に、屋久島を一人旅しました。

観光シーズンではないこの時期、 他に旅する人もそれほどなく

気ままにレンタカーで島を まわったり、山に登ったりしました。

モッチョム岳という山に登ったときのことです。

本州の山々と違い、幾重にも木の根が生え、花崗岩に登山道が

何度もふさがれるという登山は、とても体力を要しました。

歩いていてとても喉が渇いたのですが、その日は旅館に

水筒を忘れたことを気づきました。

取りに戻る時間はなく、なんとかなるだろうと そのまま登り、

頂上に着いて一休みをしていました。

眼下の景色を堪能していると、

突然、下から霧がもくもくと湧き上がってきたかと思うと、

徐々にあたりが真っ暗になり始めました。

これはいけないと急いで身支度を調え、 下山し始めたのですが、

視界はどんどん悪くなり、 とうとう途中で道を見失ってしまいました。

前日から泊まっていた旅館には、この日の登山のことは 伝えてなく、

他にこの山を登る人もない中で、 遭難しても探してもらえないだろう、

やばいなという 焦りがでてきました。

そんな気持ちで歩き廻っては、 道が見つかるはずもありません。

焦る気持ちばかりが積もり、 どんどん道を下っていってしまったのです。

途中、山の中ほどだったでしょうか、

光が差さない暗い 広場のような場所に出ました。

その広場には1本の巨大な屋久杉が立っていたのです。

その屋久杉を見上げると、雷にやれたのか途中で

ばきっとなくなっていたのです。

何だか恐ろしくなって、早くこの広場から離れたいと

足が急ぎ、またまた道を下ってしまっていました。

しばらく行くと、 深く苔の積もる巨木が何本も倒れている

うっそうとした暗い廃道の上にあたる崖に出ました。

その崖の上で初めて自分の足が止まりました。

この道を下りて行こうか、それとも戻ろうか・・・

頭の中に選択が浮かびました。

後で考えると、本当に大きな選択でした。

下にずっと続いている廃道は、苔が深く 倒木が折り重なっている姿から、

かつて使われていたのは 戦前だろうか、もしかすると江戸時代だろうかと

思うような様相。

普通であれば、そんな道を行けば危険なのはわかるはずなのに、

その時の自分は明らかに混乱していました。

おそらく、その当時が人生の谷底にいたせいもあってか、

気持ちのレベルがかなり低い状態にあったことが大きく

影響していたのでしょう。

「行こうと思えば、行けそうだ。どうしよう、進もうか」

しばらく自分の中での模索がありました。

しかし、その時、一方の自分というか本来の自分からの 声が

聞こえたのだと思います。

「このまま進んだら、俺は本当に遭難するぞ。死んでしまうぞ。」

「いやだ、死にたくない。」

「落ち着け、落ち着け」

そう言い聞かし、そして無意識でした。

気がつくと自分の頬を 叩き、胸を叩き、大声で自分の名前を

叫んでいました。

「しっかりしろ、しっかりしろ」

段々と気持ちが冷静になっていくのを感じ、

その後は元来た道を慎重に探してゆき、 ようやく登山道を

見つけることができたのです。

その後は一心不乱に道をどんどん戻りました。

そして、見覚えのある渓流までようやく着くことができたのです。

「よかった、ここまでくればもう安心だ」

安心すると、一気にのどの渇きをおぼえ、 渓流の澄んだ水を

思う存分口にしました。

がぶがぶ、がぶがぶと。

そうして放心の状態で、そこに腰をおろし、ほっとしました。

その時。 あらためて周りを見たときにはじめて見た光景。

一生忘れられません。

そう、何百年以上も立っている樹木が立ち並ぶ 森の中に

自分はいたことに気づいたのです。  

不思議と落ち着いた気持ちでした。

周囲の景色を眺めていたその時、ふっと自己の小ささに

気づかされたのです。

今日遭難していてもおかしくなかった自分。

そうであればこの命はなかっただろう。

こんな大きな森の中ではどうなってもおかしくなかった 小さな自分。

そんな小さな自分が こうして無事でいられたことが、

すごくうれしくなりました。

自分という存在が生きていられることに大きな感謝の

気持ちが沸き起こりました。  

周囲には、ずっとこの場所に生えている何十年から 何千年という

生を得てきた屋久杉やさまざまな森の樹木が 聳え立っています。

鳥のさえずりも聞こえます。

静かに流れる渓流の音も聞こえます。

様々な生命を感じました。

空気と水と土から恵みを受けて、生命は生かされている、

そう実感しました。

そして、自分もその中のひとつの生命だと。

それは、自分の心の奥から湧上がってくる実感。

自然と涙が流れ、感動していました。  

その時です、中学の頃から問い続けていた

「自分はどうして生きているのだろうか」、

「人間は何のために生きているのだろうか」、

「生きるということの意味は何だろうか」 ということに対して、

探し求めていた答えがふっと見つかりました。

「この大事な自然を守っていこう。

人間も大自然の循環の一部ではないか。

この循環を守ることこそが自分の役目だ」

そう思ったのです。

「今、自然の循環が開発などによって破壊されつつある。

恵みを我々に与えてくれる大切な自然をなぜ壊すのか。

目の前にある大小無数の生命も自分の生命も

同じこの星にいま生きている大事な命。

失われてゆくこの自然を守らねば、 そうだ、それこそが

自分の生きる道だ。」

人生の目的と役割を思い出し、強い意志が自分の中に 生まれた

「再生」の時でした。

しかし、現実社会で生きており、安定した生活を捨てるのには

勇気がいりました。 しばらく悩みました。

でもね、自分の人生です。

責任を持って悔いのない様に生きてみたいと思ったのです。

正直な気持ちで自分のやりたい事がみつかり、

向かっていくと不思議と様々な情報・人が集まってきて くれるのですね。

シンクロニシテイ(偶然の一致)というのは 本当にあるのだなと思います。

その一つとして、ある専門学校に 自然環境保全学科の設立が

日本で初めて認められたとの 記事を目にしたのです。

この学校では、尊敬するC.W.ニコル氏が教えてくれると

書いてありました。

かつて偶然出合ったときの紳士ぶりにとても感動したことを 思い出しました。

本当は、アメリカやカナダに行って勉強しようかと準備して いたところでしたが、

早く現場に出たかったこと、

日本国内の各地の自然をもっとよく知っておきたいなど考え、

結局この学校で学ぶことにしました。

学んだ技術と知識を活かして、自然保護業務に携わっていこうと 決めました。

結局その後、仕事の都合で会社を辞めるのに 半年以上かかってしまいましたが。  

自分で出した結論なら、 その結果がどうであれ納得できるものですね。

自分と向き合うことが大切なのでしょうね。

心に深くひびいた言葉があります。

「結果が、最初の思惑通りにならなくても、

そこで過ごした時間は確実に存在する。

そして、最後に意味を持つのは、

結果ではなく、過ごしてしまった

かけがえのないその時間である」 (星野道夫)  

この言葉を思い出す度に、 結果にこだわらず、

今この時を自分の気持ちに 正直になって楽しんで

頑張ろうって気持ちになれるのです。



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月曜日, 7月 02, 2007

「絵本の力」-柳田邦男

休日の深夜、数冊の本に目を通し、
時計を見ると そろそろ日が変わろうとしています。

さあ、明日からまた一週間、仕事にがんばろう、と思いながら、
過ぎ行く休日の時間を少しでも長く楽しみたくて、
もう一冊読もうと、書棚に手を伸ばし・・・
柳田邦男さんの本を手にとってみる。

すると、絵本のことを書いてある箇所がありました。
それは絵本の持つ、言葉のみずみずしさや
胸に響くあたたかさについて語っているもので、深く共感しました。

私は幼少から絵本が大好きで、そこから現在に至る本好きが
始まったのですが、今はまた息子もだんだんと絵本の魅力に
はまってきており、そのことをうれしく思っています。

息子は寝る前に必ず、絵本を数冊母親に読んでもらっており、
多いときには5冊以上も読んでもらっています。
休日や平日早く帰宅したときには、私が読むこともありますが、
絵本の中の絵を一所懸命に見つめる息子の表情が、
愛しくて なりません。

絵本の楽しさを知ってほしいと、毎日読み語ってくれている妻に
感謝しながら、絵本から得られる創造の世界は彼の人生を
きっと豊かにしてくれることだろうと信じています。

柳田さんは、以前に次男を亡くされて感覚が敏感になっていたときに、
絵本にふれ、物語性のある絵や日常的な言葉が生き生きと
使われていることに感動したと語っています。

「”休日には絵本を一冊、ゆっくりと”    
これは子どものための心得ではない。  
私自身のための心得だ。  
いや、心得というより生活習慣と言ったほうがよい。  

8年前の50代半ば過ぎに次男を喪ってから、  
懐かしさもあって書店の絵本コーナーに佇んだのが  
きっかけだった。  
感覚が敏感になっていたのだろう。  
手に取った絵本の世界にすーっと入り込み、  
物語性のある絵に魅せられたり、  
日常的な言葉が生き生きと使われていることに感動したりと  
いった経験をするようになったのだ。    

人が本からどれだけのものを読み取るかは、  
その人の人生経験や内面の成熟にかかわっている。  
実際、若い頃に読んだ小説を、人生後半になって読み直すと  
はじめて読むような新鮮さを感じ、  
文章や会話の言葉にこめられた深い意味に気づくことが少なくない。  
絵本だって同じだ。  

絵本の言葉は、簡単でありふれたもののようでありながら、  
絵の味わいとのハーモニーによって、  
俄然強く深い響きをもって心を揺さぶってくるのだ。  

最近出会った一冊が、「きりのなかの はりねずみ」だ。  

”はりねずみは、夜になると大好きなこぐまの家にでかける。   
一緒に星をかぞえるのが大好きなのだ。     

手にはこぐまの大好物の「のいちごのはちみつに」を器に入れ、
赤い水玉模様のハンカチーフに包んで持っている。   

途中、水たまりに映る星に感動したり、霧の中に幻想的な白馬を見たりする。      

霧が深く、足をすべらせて川に落ちてしまう。   
仰向けになって流されるはりねずみは、こぐまへのプレゼントの包みを、
お腹の上にしっかりと持って離さない。   

はりねずみは、水中から現れた大きな魚に救われて、背中に乗せてもらう。   

無事こぐまの家にたどり着くと、二人で並んで座り、星を眺める。”  

はりねずみの想いを記した最後の言葉がいい。  
「こぐまくんと いっしょは いいなと おもいました」  

こんな一見ありふれた言葉が、なんとみずみずしく、  
しかもあたたかく胸に響いてくることか。  
そこに絵本の力がある。  

物語の展開と絵と言葉とが相互に高めあい、  
愛の温もりをみごとに表現し切ったこの絵本は、  
今私の机の横に常に置かれている」


絵本の持つ心温かな世界、息子や次代を担う子どもたちが
たくさんふれていくことを願っています。
感受性を豊かに愛を多く持つこどもたちが増えていくことを 願って。  


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