水曜日, 7月 04, 2007

「あらゆる宗教の後に出現するもの」-中沢新一

中沢新一さんが語る、中沢哲学、あるいは中沢宗教学と
いうものは、いつも私に多面性を持つ新鮮な風を送ってくる。

中沢さんは、単に表面的な宗教哲学の研究にとどまらず、
チベット密教に弟子入りしてまでも、現代人が歴史の歩みと共に
時の流れの中に忘れ置いてきた、人類が古来培ってきた自然世界
と結びつくことで獲得してきた叡智を探ろうとしてきました。

一方で、一神教の神(ゴッド)と多神教における多様なスピリット
を対比させながら、人類とカミの関係を明らかにし、未来において
その関係性をどう発展させていくのかを探っています。

「あらゆるものを商品化し、情報化し、管理する今日のグローバル  
文明は、長い歴史を持つ諸文明が生命を汲み上げていた泉の多くを、
すっかり干上がらせてしまいました。  

本物そっくりの偽物はあふれかえっていますが、実際にはすでに  
根を断ち切られているので、古い伝統を持つ宗教でさえ、
いまでは造花の美しさや見かけの正しさしかもっていないケースが  
ほとんどです。  

しかし、そんな人類に変わっていないものが、ひとつだけある  
ことを忘れてはいけません。  

それは、私たちの脳であり、心です。  

数万年の時間を耐えて、原初のみずみずしさをいまだに保ち続けている、
原生人類の脳だけは、いまだに潜在的な可能性を失ってはいません。  

そこにはまだ、はじめて原生人類の心にスピリット世界が出現したときと
そっくりそのままの環境が、保たれ続けています。  

根本的に、新しいものが出現する可能性を持った場所といえば、
そこしかありません。  
私たちはそこに、来るべき未来のスピリットを出現させるしか
ほかには道はないでしょう。  

聖書の神(ゴッド)を信仰した人々の想像力が生んだ最古のロボットは
「ゴーレム」という名前を与えられました。  
ゴーレムは一神教の神が世界と人間を創造したように、生命のない素材に
息が吹き込まれることによって、動き出したのです。  
そのため、一神教の想像力のもとでは、生命と非生命の対立を  
かかえたままで苦しみ続けることになります。  

ところが、巨匠手塚治虫によって日本で生まれた、「鉄腕アトム」は
はじめから、これとは一線を画していました。    
アトムには、多神教宇宙の記憶がなまなましく息づいています。  

「高神」の理想を追い求めながらも、地上と他界に満ちみちる  
無数のスピリットたちの望みにも、耳を傾ける
2003年に生まれ、一神教的な核技術を胸に内蔵したこの「新しいスピリット」は、
来るべき時代の「倫理」を自力で創造しようとして、悩み苦しんでいました。  

私たちは今ではみんな「科学の子」です。  
アトムにあって、私たちに欠けているものがあるとしたら、  
それは野生状態の心なのでしょう。  

しかし、心配は無用です。
私たちの脳の組織には、3万年前と変わらずいまも「超越性」への
斥候活動を続けるスピリットが住み、心の野を開く鍵は  
私たちの身近に放置されています。    

スピリット世界の記憶をかすかに保ち続けている私たちには、  
「あらゆる宗教の後に出現するもの」について、たしかなイメージを
抱くことも不可能ではありません。    

宗教のアルファー(原初)でありオメガ(未来)であるもの、  
それはスピリットです。」      
      
 (中央大学における講演録より抜粋)


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