金曜日, 8月 10, 2007

「大事なのは距離ではなく方位である」-池澤夏樹

星野道夫氏が、96年8月8日、 カムチャッカで亡くなってから早11年。
尊敬するミチオさんを偲んで、親友である 池澤夏樹氏の言葉を贈ります。

「北極圏に属するポイントホープという村のクジラ漁の話を  
星野は「アラスカ 光と風」の中に書いている。  

彼らは広い北極海に出て行ってクジラを捕るわけではない。  
春先、海を覆っていた氷が緩み、細い水路が現れる。  
そこをクジラが通る。  

クジラはしばしば海面に出て呼吸しなければならないから  
この水路を通過するわけで、狭いところだからこそ  
ヒトが小さなウミアックで行っても追いついて捕ることができる。  
技術的には限界まで洗練されているが、  
しかし自然は多様に変化するし、クジラは大きい。  

捕れるか捕れないか、不確定要素が大きい。  
全ての要素がヒトに味方した時だけ、ヒトはクジラの恵みを  
自分達のものにできる。  
水路の幅が広すぎも狭すぎもせず、  
気まぐれなクジラがたまたまそこを通り、  
小さなウミアックが追いついてうまく仕留められた  
場合だけ、ヒトはクジラの恵みを自分達のものにできる。  

それはもう幸運と呼んでもいいほどのことだ。  
星野は、クジラが捕れたという報せを聞いて  
一人で海に向かって歌い、踊り、泣く老婆の姿を描写している。  

村の全員を潤す幸運への感謝であると同時に、  
クジラそのものへの感謝でもある。  

ヒトの視点から見ただけでは、アラスカの自然の  
全体像は捕らえれない。  
ヒトの幸運がすべてとは星野は見てないし、  
ポイントホープの住民もそうは見ていない。  

生命は個人において(あるいは個体において)完結するものではない。  
陸地だけでなく海の中も空も含めて、  
生物たちみんなが棲んでいる領域の全体が生きているのだ。  

しかもこれは今の時点についてだけ言えることではなくて、  
太古から遠い未来まで、神話的な時間と空間の広がる限りそうだったし、  
これからもそうなのだ。  

これがぼくたちと彼ら(ポイントホープの住民、クジラ、ホッキョクグマ、
アザラシ、魚、鳥、そして星野)の世界観のもっとも大きな違いである。  


「ナヌークの贈り物」という星野が書いた絵本がある。    
吹雪の中で眠った少年が、ナヌーク(ホッキョクグマ)から  
よき狩人になるための大事なメッセージを教えられる。
 
繰り返しの多い詩的な言葉は、食うと食われるの連鎖によって  
自然界が構成されていること、  
「いのち」が個体から個体へと伝えられるものであり、  
死はそのまま生へとつながっていることを教える。  

言ってみればすべての生き物は大きな生命のプールから  
自分のために一杯を汲み出してしばらく生き、  
やがて死ぬときにまたプールに生命を返す。  

大事なのはあなたやぼくの目の前の一頭のホッキョクグマや  
アザラシではなくて、その生命のプールであり、  
この地域に生きるもの全部を含めたシステムなのだ。  

いつか少年とクマが出会うときには、  
「お前がいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ」  
という言葉がクマから少年に伝えられるのだ。  

それを承知の上で、各個体はそれぞれに自分をなるべく  
長生きさせようと努める。  
手を抜くことはゆるされない。  

オオカミに追われたカリブーの子は必死で逃げるし、  
餌が少ない夏にもシロフクロウは精一杯の餌を巣に運ぶのである。  

それでもやってくる死を、その時は従容と迎える。  
個体を放棄して、全体を受け入れる。    
星野が多くの写真と優れた文章に託してこの真理を教えてくれても、  
ぼくたちはもう彼らの世界に戻ることはできない。  

ぼくたちはあまりに遠くまで、物質文明の先の方まで来てしまった。  
ただ、少しは事態を是正して、少しはましな方にもってゆき、  
一人ひとりの身勝手を忘れて生命の全体を考えるために、  
星野の残してくれたものを読むことはできる。  

かわいいアザラシの赤ん坊をかわいいと思って見ているだけでも
星野の考えは染み込んでくる。  

彼の写真と文章はいわば目印としての北極星である。  
いくら歩いても北極星に行き着くことはできないけれども、  
しかし星を目印に北へ歩くということはできる。  

大事なのは距離ではなく方位なのだ。」 

深く共感する言葉です。

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