月曜日, 12月 10, 2007

「サンコファ(過去を現在や未来の糧として)~ガーナの歴史」-☆森のクマさん☆

2003年12月に初のアフリカ、ガーナの地を踏んでから 4年振りとなった今回のガーナ訪問。
(滞在11月25日~12月1日)

社会、政治、自然、伝統文化が日本とは全く異なるこの西アフリカの地は、
一歩足を踏み入れるとその異質さや多様な表情に深く魅せられます。

久しぶりに訪れた現地のNGO事務所では、
"アクワバ" 「おかえりなさい」という挨拶で暖かく迎えられました。

ガーナの持つ大きな魅力の一つ、それは、ガーナ国民の純正で、
人間的な暖かさです。
今回同行した日本人関係者の方達も、何度もそのことを口にしていました。

それとガーナ人の知的水準はとても高いものです。
53あるアフリカ諸国で大学の先生は、3割がガーナ人だそう。


帰国してから体調が回復してきた中で、2度目のガーナを振り返ると
日を追うごとに様々なことが増えて、頭の中に浮かびます。
「人間の尊厳」というキーワードが頭の中心を占める中で、これに
つながる様々なことを、アフリカの歴史や環境・文化と絡めて
これから日記の中でどのように表現していけるか。

第1回目となる今日は、ガーナの歴史的背景や国の基本的なことなどから
紹介してみましょう。


**********************************

ガーナは今年、独立50周年。
これを祝う横断幕が空港や首都アクラやケープコーストなど 都市の各所で見られた。

ガーナは、サハラ以南のアフリカで最初に独立した国。
独立の記念式典で、ンクルマ(初代大統領)は次の演説を行った。

「今日新しいアフリカが生まれた。    
それは、自らの闘いを引き受け、黒人は自らの問題を自身で解決することが
できるということを世界に示す新しいアフリカだ。  
我々は再び闘いに身を捧げる。  
アフリカ諸国解放の闘いだ。  
我々の独立はアフリカ大陸の完全解放に結びつかなければ無意味なのだ。」

その後、多くの国が独立を果たした。
しかし、多くのアフリカの国は貧困にあり、未だに内戦の銃声は止まず、
疲弊した多くの人々が今日の水と食糧を求めている。

この大陸の過酷な現状は、現在に始まったものではない。
欧州の王侯貴族、商人たちの人間的理性を失った物欲・金欲による
凄惨な強奪劇から生まれ、今日につながっているものなのだ。

かつてこの人類発祥の土地では、豊かな自然に包まれ、豊穣の実りを求めて
日々逞しく生きてきた黒い肌の人々。

幾多の王国が起き、豊かな金と深い森林に覆われた天然資源に恵まれて、
他国との交易を行ってきた。
事実ガーナの地は、1957年3月6日にイギリスの植民地支配下から
独立するまでは黄金海岸と呼ばれていたという。

15世紀に初めて黄金海岸と呼ばれる地域を訪れたヨーロッパ人は
ポルトガルの探検家たち。
この名前は、豊かな金と天然資源に恵まれているこの国を的確に表現している。
(金、ダイアモンド、マンガン、ボーキサイト、鉄鉱石、粘土や塩の  
堆積物などの鉱物資源.様々な種類の高品質熱帯硬材がとれる豊かで広大な森林)

15世紀、ポルトガルは現在のエルミナの地に貿易居住地を築き、
多くの金がこの地域からヨーロッパへ送られた。
16世紀に発展した奴隷貿易は、ヨーロッパの国々の興味をそそった。
デンマーク、イギリス、オランダ、スウェーデンなどのヨーロッパの
君主達は、この国の天然・人的資源を求めて大勢の探検家や商人を送り込む。

彼らはこの国の主権と支配をめぐって争い、交易所としても機能していた
城塞を競って築くようになった。
そのうちに金よりも奴隷貿易の方が儲かるようになり、
一部の城塞は新たに獲得した奴隷を船が到着するまで置いておく場として
利用されるようになった。

19世紀後半には、現地の商人はオランダ人とイギリス人のみになり、
その後オランダが撤退すると、イギリスが黄金海岸を植民地にした。    

ガーナには、欧州諸国がかつてアフリカを植民地統治していた際の  
城と要塞が保存されている。  
アフリカ初訪問の同行者に並んで私も2度目の訪問となったのが、  
そのうちの一つ、ケープコースト城。  
エルミナ城と並んで有名なこの城は、ヨーロッパ人によって  
15世紀に建設された多くの城や要塞の一つ。  

現在は、奴隷貿易の公立博物館となっており、人間が人間に対して  
行った非人間的な行為の証として後世に遺すことを目的にしている。
ポルトガル、オランダ、イギリスと征服者達が変わっていく中で、
元々の交易関係から人間を奴隷として商品にするという非人間的な
所為が行われた城・砦。

ガーナや他のアフリカ各地から何万、何十万人もの人々を繰り返し
連れてきては、インドや北米、中南米に船に乗せ運ぶまでの間、
この城の陽光がまともに当たらぬ真っ暗で冷たい石の部屋に閉じ込めて
いたという。 抵抗したものには鉄のおもりをつけた足かせをはめて
外に置いて、照り続ける強い太陽の元で衰弱させ、あるいは
真っ暗な部屋に 食事も水も一切与えず幽閉していたという。

部屋の中のみだけでなく、異国へ運ばれる船底の中でも、入れられた
アフリカの人々は膝を折り曲げて座らされた姿で何重にも人々が
折り重なった状態となり、用もその場であったという。
当然、異臭・病気が蔓延し、着くまでには相当の人々が病死した。

そして命をなんとか持ちえた人々には、その後縁もゆかりもない
新天地での過酷な重労働が待っていた。  
現在、米国をはじめとしてアフリカ以外の国に住む黒い肌の人々の多くは、
この奴隷貿易による強制移住させられた祖先を持つ人々。  
己のルーツに関心を持ち、アフリカを旅する人が増えつつあるという。


第二次大戦後、急速な政治的変化が起こる。
イギリスは、国家独立運動の盛り上がりを受け、独立国設立に向けて
徐々に政府の自主性を認めるようになる。

イギリス議会は、1957年にガーナ独立条例を制定し、
同年3月6日にガーナ国議会が独立を宣言。
ガーナはンクルマ氏の指導の元に、アフリカの植民地として
はじめての独立を果たす。
1960年にガーナは共和国となった。


********************
◎ガーナの基本情報  

・地勢   
面積は238,537k㎡ (日本の約3分の2)。   
地形は南岸は大西洋・ギニア湾に面し、東にトーゴ、   
西にコートジボヮ-ル共和国、北にブルキナ・ファソといずれも   
仏語圏の国々に囲まれている。
 (これらの国々ではカカオ農園を未だにフランス政府が所有している)  

・気候
 年間を通じ平均27度、平均湿度80%と高温多湿。   
乾季(11月~3月)と雨季(4月から8月)とに分かれる。   
11月~2月には、ハマターンと呼ばれるサハラ砂漠から砂を   
含んだ風が吹き寄せるので、どんよりした埃っぽい日が続く。   
2月から4月は雨も無く太陽が直接照りつける猛暑となる。   
雨季は、湿度はやや高くなり、乾季と比べると気温が下がり、   
凌ぎやすくなる。  

・国旗   
赤、黄、緑の三本の線の上に黒い星をあしらった国旗。   
赤は独立のためにながされた血を、   
黄は金に代表される豊かな鉱物資源を、   
緑は豊かな森林を表し、   
黒い星は植民地支配からのアフリカの独立を象徴している。  

・人口   
ガーナ共和国の人口は約1890万人(2000年国勢調査)   
北部はサバンナ地帯で、カカオ生産には向かず低所得。   
南部は森林地帯が残り、経済的にも発展しつつある。  

・民族   
アシャンティ族(クマシ周辺)、ガ族(アクラ周辺)、   
エヴェ族(ボルタ地域)、ダゴンバ族・マンプルシ族・   
ゴンジャ族(いずれも北部)等、   
100以上の部族が存在するといわれている。  

・宗教   
全人口の約7割がキリスト教、約2割がイスラム教を信仰。   
他に伝統宗教等様々な民族宗教がある。  

・経済   
金、カカオを中心とする貿易や観光が主。   
特にカカオは、ガーナの経済の根幹であり続けている。   
アフリカでは南アフリカ以外の国は、基本的に農業国である。   

・アディンクラ   
伝統的紋様のこと。   
各紋様には意味があり、紋様はその意味にふさわしい場面で使われる。   
鳥が後ろを振り返っているさまをモチーフにした「サンコファ」は   
「戻っていって得よ」という意味で、過去の出来事や経験を学ぶことに
よって現在や未来の糧とせよ、という教訓を意味する。  

・時間(グリニッジ標準時間を採用)   
日本との時差は-9時間


アフリカ大陸中を独立の歓喜で沸かせ、未来への希望の象徴であったガーナ独立。
しかしその後の独立ガーナの歩みは、皮肉にもアフリカ諸国の開発と
国家建設の困難さを見せつける象徴ともなった。

政治混乱と経済停滞の悪循環が続き、幾度かのクーデーターによる軍政。
その後、2000年に選挙による政権交代が初めて行われた。
これは、長期政権であった前政権からの交代が民主的に行われたもので、
ガーナが政治上の大きな試練を経てのものであると評価できる。

独立50周年を迎えたガーナは、同時に新大統領の選挙キャンペーン中 でもあった。
「教育、農業、医療が国の基本」を大事に国の発展を進めてきたクフォー大統領。
民間セクターの活用と行政サポートによる発展が順調に進む中、
海外からの投資も積極的に行われつつある。

一方で拡がりつつある所得格差。
都市部には富裕層と低所得層の生活の違いが顕著に現れてきている。

彼とその後の新大統領が、今後この国の持続的な発展をどう導いていくか
期待している。


お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

0 件のコメント:

フォロワー

amazon