日曜日, 12月 28, 2008

「私の存在も、隣の人の存在も、皆有り難いこと」-村上和雄


「ぎっくり腰」になりました。
ドイツでは別名「魔女の蹴り」と呼ばれ、
かかったことがある方は皆さんの中に
いらっしゃるのではないでしょうか。

25日朝のこと、数日前から続いていた
腰痛が突然ひどくなり立っているのが困難な程強烈な痛みに。
トイレに行くのに四つん這いでやっと(苦笑)

夕方、妻が予約してくれた鍼灸整骨院に初めて行くため
床から起きて立ち上がる時の痛さは本当にきついものでした。
杖をつきながらようやく歩く自分に、
足腰の弱い方やお年寄りの方達が苦労して歩く大変さを
身に沁みて感じました。
世の中には身体が不自由な方が多くいることを思い、
ふだん当たり前のように動けているという健康が、
実は当たり前では決してなく、
どれだけ有り難いことかとつくづく感じられました。

藁にもすがる思いの中、
中国出身の林(リン)先生の治療を受けました。
一昨日の晩は身体を少し動かすだけで激痛になり
ほとんど眠れなかったのが、
先生の安心を与えてくれる丁寧な施療により痛みが
少しづつとれて、何と有り難いことかと感謝の思いです。
また家族からの愛もあらためて感じ、
こちらにも本当に感謝しています。

22日伊勢神宮に初参拝してきたのですが、
その帰路に感じた腰痛からつながっている今回のぎっくり腰。
きっと意味あることと、神様からの示唆を思います。
尊敬する村上和雄先生は、有り難いという言葉について
こう語られています。

「『ありがとう』という言葉は、英語のサンキューとは異なる
 ニュアンスがあります。
 この言葉の背景に大自然とか宇宙というものがあるからでは
 ないかと思うのです。
 人間は自然の力だけで生きているのではなくて、
 大自然のお陰で生かされているという感覚です。
 『お陰様』『ありがとう』という言葉には、大自然に対する感謝が
 入っているはずです。
 
 『ありがとう』というのは『有り難い』ということです。
 人間の存在というのは、その細胞一個ができるのだって
 一億円の宝くじを百万回連続で当てるよりも、
 はるかに不思議なことが起こっている。
 そうすると、まずここに存在すること自体が『有り難い』わけです。
 この世に生まれてきて存在しているということが
 滅多にない大事件なんです。

 だから私の存在も有り難いのだけれど、
 隣の人もまた有り難い存在なのですよね。
 その滅多にない有り難い私が、
 滅多にない有り難いあなたに感謝する-
 そういう感覚が日本人の精神にはあると思います。

 そして、存在そのものが有り難いと思えるのは、
 その背後にサムシング・グレートを感じる感性があるからでしょう。
 これは全世界に通用する考え方だと私は思うのです。
 サムシング・グレートは、国も民族も超えるわけですからね。

 だから、日本人が築いてきた『お陰様』や『有り難い』という
 文化は間違いなく世界に発信できる。
 環境問題も民族問題も、すべてそれによって解決していけると
 思うのです。
 そういう文化を持っていることを、まず私たち日本人が自覚して、
 それを積極的に世界に向けて発信していくことが
 とても大切だと思っています。 

 言っているだけでなくて、行動で示さないと意味がない。
 そのためにどういう行動をとれるのか。
 それは単に経済力だけではない、もちろん軍備だけではない
 はずです。

 日本人が持っていた文化の力とかメンタリティ、あるいは
 スピリチュアルなものをどうやって世界に出していくか、
 それが私たちに課せられた大きな問題じゃないかと思います。
 
 これは他人事ではなくて、一人ひとりの日本人が
 自分の生き方を問い直すことと言っていい。
 それぞれの人が『自分はどういう生き方をするのか』と
 自問自答して、一人ひとりが答えを出して、自覚して行動する。
 そういう問題なのです。 
 国の方針をどうするのかというのももちろん大切ですけれど、
 最終的には個々人がどう自覚して行動するかに
 かかっているのです。」

自分だけの力で生きている人はどこにもいない。
太陽も、水も、空気も、地球も、何もなければ生きていけない。
そして、その太陽や地球の後ろで働いているサムシング・グレートの
力がなければ、生きていけない。
だから、生きていることはどんなにすばらしくすごいことか。

村上先生のおっしゃるこの言葉に学び、
生命の有り難さに深く感謝しながら生きていくようにと
思うばかりです。 


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日曜日, 12月 14, 2008

「溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる」-鎌田實


昨日までの「エコプロ2008」展が終わりました。
開始前に扁桃腺が腫れてしまい、
毎日ブースを訪れたお客様への説明を繰り返す中、
3日間が終わるとホッ。

この数日の暖かさから今日は一転して、寒い雨の日。
柳田邦男さんの本から一つの実話を読み、
心が深く揺り動かされました。


1986年4月、ウクライナ共部にあるチェルノブイリ原子力発電所で
起きた大規模な事故は、世界中の多くの人々に衝撃を与えました。

大気中に出された広島原爆の500倍という放射性物質が、
周囲に撒き散らされ、北接のベラルーシでは人口の1/5近い
約2百万人が被爆したといいます。
汚染地域では、年月が経つうちに、癌になる人々が増え始め、
とくに子どもの白血病と甲状腺癌が急に増えました。

長野県の諏訪中央病院の鎌田實先生らの医療専門家グループが、
1991年からこの子どもたちを救う活動を開始。
そのきっかけは、ソ連崩壊直前の国内混迷の中で現地からの悲痛な
助けてほしいとの要請を受けたものです。

鎌田先生らを現地で迎えたソ連科学アカデミーのクズネソフ教授は
「ひとりの子どもの涙は、
 人類すべての悲しみより重いと、
 ドストエフスキーが言っているが、
 チェルノブイリの子どもたちは今、泣いています。
 しかし悲しいことに、
 わたしたちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。
 日本の人に期待しています。
 助けてください。」

ベラルーシの現地の病院では、医療スタッフの水準は高いのに、
財政難ゆえに、白血病治療のための設備も薬もなく、
日本でなら救える子も救うことができないという厳しい現実が
そこにあったのです。

その後、「日本チェルノブイリ連帯基金」が立ち上がり、
会費や寄付を基に、治療に必要な抗がん剤や輸血バッグ、
無菌装置など約6億円分を、現地の州立病院に送り続け、
医療チームを70回以上も派遣しているそうです。
これにより、入院した子どもたちの生存率も飛躍的に向上したと
いいます。

その間、日本の医療関係者はベラルーシの患児、家族や医療スタッフ
との深い交流から、様々な”人間の絆”が生まれました。
鎌田先生は「雪とパイナップル」(集英社)で、患児と日本人医療
関係者との心を通わせ合った日々をつづっています。

アンドレイ・マルシコフ君。
彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きました。
母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園を散歩していました。
死の灰が降っているなどとは知らずに。

10年後、アンドレイ君は急性リンパ性白血病を発症します。
通常の抗がん剤治療では効果のない難治性の白血病に。
ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、少年のいのちを
必死につなぎとめようとする厳しい闘いが始まりました。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる幹細胞を
取り出して戻すことにより白血球を増殖させる移植医療を行います。
アンドレイ君の病状はいったんかなりよくなりました。

しかしやがて再発し、治療によって再び安定しても、また再発。
そして、抵抗力がなくなっていき、
2000年7月、14歳で生涯を終えました。


鎌田先生は、それから2年後、リンゴの花が咲き乱れる5月に、
アンドレイ君の母親のエレーナさんをを訪ね、
感謝とともに心温まるエピソードを聞かされたのです。

『骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れないアンドレイ君に
 日本から来ていた看護師のヤヨイさんが
 「何なら、食べられる?」と何度も聞くと、
 アンドレイ君は小さな声で
 「パイナップル」と答えました。
 
 寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを
 食べたのが忘れられない記憶になっていたのでしょうか。

 ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて、パイナップルを
 探し回りました。
 しかし、経済崩壊の最中にあるベラルーシでは、容易に
 見つけることができません。
 
 日本の若い女性がベラルーシの子どものために、パイナップルを
 探しているという噂が町に広まり、缶詰を持っている人から
 病院に届けられました。 

 そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたことが
 きっかけとなり、食事がとれるようになって、
 少しづつ元気になっていったのです。』
 
エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、
『あるはずのない、パイナップルを探して雪の街を
 歩きまわってくれた彼女のことを考えると、
 わたしは人間ってあったかいなって思いました。
 
 わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、
 わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
 生きている意味が見えなくなりました。
 
 でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、
 忘れていたものがよみがえってきました。
 
 それは感謝する心でした。
 わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがってきました』 


この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言っています。
『人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
 少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は
 支えられていないのだと思った。

 人間ってすごい。
 溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
 人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、
 文化が違っていても、歴史が違っていても、理解しあえる。』


私たちが生きていくうえで欠かせない”温り(ぬくもり)”。
その温かなこころにふれたとき、人は生きていく勇気や元気が
満ちてくるのでしょうね。
感謝の念と共に。


「日本チェルノブイリ連帯基金」
 http://www.jca.apc.org/jcf/home.html


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日曜日, 12月 07, 2008

「全体をとらえる観察眼」-養老孟司


養老孟司さんは、解剖学者であり、「バカの壁」などの本で
世の中に対する鋭い見方を披露されたりしていますが、
一方で実は、昆虫採集の名人でもあります。

養老さんの世界を見る眼、自然を見る眼、人間(特に日本人) を見る眼は、全体から細部に至るまで実に行き届いています。

本質を見抜き、虚飾でない本当の自己を通して、鋭い観察を
通しての言葉を語られている方。

オーストラリア原住民のアボリジニのおばさん二人が
世間話をしている風景をみて、日本の「茶道」を連想されたと
いう話を紹介しましょう。

「二人のおばさんが向かい合わせの形で、
 芝生に腰をおろして話を始めた。

 それだけの風景なのですが、じっと見ていたら、
 おばさんが座りながら後ろ手で芝生の上を探っているのです。
 
 それは何をしているかというと、
 そこに落ちている落ち葉を探っているのです。

 公園ですからプラタナスか何かの大きな木が何本かあって、
 大きな葉が落ちている。
 
 それを手探りで探して、一枚拾う。
 そして、その上に手をつくんです。
 そして反対側もこうやって探して、また一枚拾って、
 適当な場所に置いて、手をつく。

 実に見事な優雅な動きなのです・・・・

 その動きを見ながら、
 僕は「これはお茶だ」と思いました。」


日本に限らず、世界の各地にはさまざまな身体技法があります。
これを、権威化することで中身を薄いものにしてしまうのではなく、
日々のふるまいの中にいかに取りこんでいくことができるか、
美としてとらえることができるか、ということこそが大事なのだと
思います。

従来型の大量生産・消費の価値観から転換し、自然生態系の持つ
循環の素晴らしさを私たち現代の人間社会に活かしていくことが
求められていますが、
それには、頭のみに頼って物事を考えるだけでなく、
身体全体でとらえるということが必要ですね。


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日曜日, 11月 30, 2008

「子どもたちの能力を信じ、その力を引き出す努力」-宮崎駿監督


昨日、「トトロのふるさと財団」記念シンポ
にて宮崎駿監督と一緒にお話させて
いただきました。

これは、映画「となりのトトロ」の舞台で、
東京都と埼玉県の境に広がる狭山丘陵
の自然保護に取り組む「トトロのふるさと
財団」が、設立10周年を迎えその記念
に開かれたもの。

同財団は、会員から寄付を募り土地を買い取るナショナル
トラストの手法で、里山の環境保全に取り組む日本で初めて
の財団法人。これまでに約1万5千平方メートルを取得して
います。

私は、所属する会社が財団の応援を行っており、
社員の方達が里山保全を積極的にお手伝いしていることから、
最初に同財団とのつながりを持った縁で登壇の栄誉を
いただきました。

シンポジウムのパネルデイスカッションのパネリストは
所沢市在住で財団顧問でもある宮崎駿監督や私など5名。
監督は「美しい風景が少しずつできている」と10年間の
財団の活動を評価されていました。
また自然保護活動について、こう述べられました。
「いろんな所で俺のやり方が正しい、いやこっちの方が正しいと
 やりあってうまく進んでいない所が日本のあちこちにある。
 正しいという言葉をみんなが使いあうからおかしくなるのです。
 正しいということの押し付けはもうやめましょう。
 私は自宅の300M範囲の中で関わることだけに絞って
 責任持つようにしています。
 毎日ごみ拾いを行うとか、変な開発が起きないように
 気をつけるとかしています。
 でも、狭山丘陵はトトロの名前を使ってもいいと言った時点で縁が
 できたので範囲を超えて応援することにしているのです」

とおっしゃっていました。


監督は「ルパン三世カリオストロの城」,「風の谷のナウシカ」,
「天空の城ラピュタ」,「となりのトトロ」,「もののけ姫」,
「千と千尋の神隠し」,そして「崖の上のポニョ」
など幾多の名作を
生み出してきた世界中に多くのファンを持つ映画の巨匠。

私は10代の頃から現在に至るまでこれらの名作に感動し、
物語の奥深さに深く引き込まれてきました。
初めて間近に接し、横に座ってお話をさせていただくことのできた
至福の時間に、私の感じた監督。

何を描く時にも自分が見てきた風景を必ず基礎にするという姿勢から
語られる言葉を横で聞いて感じたのは、
物事の有り様をシンプルにかつ普遍的なものに捉えるこだわり。

誰でも通る誰でも感じる人生の社会での様々な喜怒哀楽を、
いかに普遍的に表現するかというために深く深く掘り下げていく
ことを徹底する大いに尊敬すべき愛すべき頑固な名職人。

かつて黒澤明監督が「もののけ姫の推薦文」に、
「私は、日本のアニメーション映画のファンである。
 見ていて、ニコニコ笑ったり、ポロポロ泣いたりしている。
 自然で素朴で理屈っぽくないのがいい。」
と書いていますが、
まさしくこの自然で素朴で理屈っぽくないというのが
宮崎駿監督の実物でした。


「今、私たちの社会は潜在的な不安に満ちています。
 私たちの職場(スタジオ・ジブリ)でも、それは同じです。
 自分のかわいい子どもたちにどんな未来が待っているかと
 いうことについて、 非常に大きな不安を親たちが持っています。
 それから、子どもをどういう風に育てたらいいのかということに
 ついても大きな不安を持っています。

 それで映画を作りながら、私たちはジブリで働いている人間の
 ための保育園を作ってしまったのです。
 地方自治体から補助をもらうと、いろいろややこしいことが
 くっ付いてきますので、好きなことをやるために、
 まったく企業負担でやることにしました。

 部屋の中に階段やはしごがあったり、穴が空いていたり、 
 それから伝統的な日本の畳や床の間や障子が入っているような
 不思議な建物です。
 庭には山や大きな石や、いかにもぶつかると痛そうな石の階段や
 砂の坂道や、それから落っこちそうな池があります。

 今年の4月から始めたのですが、子どもたちをそこに放つと、
 ハラハラドキドキ鳥肌が立つような恐怖を感じます。
 しかし、子どもたちは環境を利用して、敏しょうに転がって、
 泣きもしないのです。
 池の中に入って遊び、木の実を拾って食べ、はいながら砂の坂道を
 登り、滑り降り、本当に見事なものです。
 この保育園を作った結果、私たちは子どもの未来を不安に思う
 よりも、子どもたちの持っている能力に感嘆する毎日になりました。

 この国に立ち込めている不安や将来に対する悲観的な考え方は、
 実は子どもたちには全く関係ないことなのです。

 つまり、この国が一番やらないといけないことは、
 内部需要を拡大するための橋を造ったり、道路を造ったりすること
 ではなく、この子どもたちのための環境を整えること。

 常識的な教育論や日本の政府が言っているような
 くだらないようなことではなくて、
 ナショナリズムからも解放されて、
 もっと子どもたちの能力を信じて、
 その力を引き出す努力を日本が内部需要の拡大のためにやれば、
 この国は大した国になると信じてます。

 実際に子どもたちを取り巻いている環境は、私たちの
 アニメーションを含め、バーチャルなものだらけです。
 テレビもゲームもそれからメールもケータイもあるいはマンガも、
 つまり私たちがやっている仕事で子どもたちから
 力を奪いとっているのだと思います。
 
 これは私たちが抱えている大きな矛盾でして、
 「矛盾の中で何をするのか」をいつも自分たちに問い続けながら
 映画を作っています。
 でも同時にそういう子ども時代に1本だけ忘れられない映画を
 持つということも、
 また子どもたちにとっては幸せな体験なのではないかと思って、
 この仕事を今後も続けていきたいと思っています。」


昨日のシンポジウムに来ることをとても楽しみにしていた息子は、
パネルデイスカッション終了後舞台裏で大好きな宮崎駿監督に
会えました。
息子が腕に抱えていた絵本「となりのトトロ」をぱっと見て
監督は「はい、握手」と手を差し出してくださり、
息子はすこし照れながら握手をしていました。

夜に開かれた懇親会では幸いなことにここでも隣の席となり、
いろいろなお話をざっくばらんに聞かせていただくことができたのは
本当にうれしいことでした。

監督がサインに書いてくれた中トトロの絵を見ては、
うれしそうにする息子にとっても、私にとっても
まさしく一生の宝の時間をいただいた幸せな日です。


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日曜日, 11月 09, 2008

「目に見えないものに価値をおくことができる社会へ」-星野道夫


夜8時、テレビをつけたところ
、「トーテムポール」が画面に・・・
番組は「NHK探検ロマン世界遺産」
カナダ・スカングアイ編。
なつかしいクイーンシャーロット島、そして
ハイダ族の人々が登場。

私は2001年12月、新婚旅行と兼ねた星野道夫さんの足跡を
辿る旅をしました。
2週間ほどをかけてカナダやアラスカ各地を回り、
星野さんのつながりのある多くの方達と交流することができた
とても貴重な旅。

番組には島でお会いし、私たちにとてもよくしていただいた
先住民ハイダ族のデイビッドお爺さんも登場していました。
今年70才とありましたが7年前にお会いした際の写真をアルバムから
取り出して見ても、全然変わらぬお元気そうな姿になつかしく、
嬉しい気持ちになることができました。

デイビッドお爺さんはトーテムポール作りの名人。
今作っているというトーテムポールを私たちに見せてくれながら、
いろいろな話をしてくれました。
ハイダ族の歴史、伝統文化、言語・・・。

島のスカングアイは、19世紀終わり頃にヨーロッパ人が持ち込んだ
天然痘の流行により、当時暮らしていた6千人の7割が死に、
生き残った人々は村を捨て別の場所に移り住みました。
20世紀になると、列強各国の博物館が世界中の歴史的な美術品の
収集に乗り出す時代が始まります。
そして、スカングアイの多くのトーテムポールも異国の地に
むりやり運ばれていきます。
中に収められていた先祖達の遺骨と共に。

「ニンスティンという場所を訪れた時に出合った
 ウオッチャーの話は忘れられない。
 彼はなぜ白人たちが他民族の神聖な場所を発掘し、
 さまざまなものを持ち去ってゆくことができるのか
 わからないと言った。

 多くのトーテムポールが持ち去られた後、
 生き残ったハイダ族の子孫は次第に立ち上がってゆくのである。
 彼らはその神聖な場所を朽ち果ててゆくままにさせておきたいとし、
 人類史にとって貴重なトーテムポールを何とか保存してゆこうとする
 外部からの圧力さえかたくなに拒否していったのだ。

 『その土地に深く関わった霊的なものを、
  彼らは無意味な場所にまで持ち去ってまでして
  なぜ保存しようとするのか。
  私たちは、いつの日かトーテムポールが朽ち果て、
  そこに森が押し寄せてきて、
  すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っているのだ。
  そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。
  なぜそのことがわからないのか』

 その話を聞きながら、目に見えるものに価値を置く社会と、
 見えないものに価値をおくことができる社会の違いを
 ぼくは思った。
 そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。
 夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、
 より根源的であるように。」
                   (星野道夫氏の言葉より) 

デイビッドお爺さんは、ハイダ族の長老の方達が集まる場所に
今日会ったばかりの私たち夫婦を連れていってくれました。

そこでは、数人の長老達が思い思いに座って話をしながら、
ベイマツの樹皮で部族の伝統的な帽子を編んでいて、
私たちが入ると皆さんが温かな言葉をかけて歓迎してくれたのです。

ハイダのお年寄り達はかつて子供の頃、政府により強制的に寄宿舎に
入れられて英語での教育を受けさせられました。
ハイダの言葉を使うと鞭で体を叩かれ、家族が恋しい、早く家に
帰りたいと毎晩泣いていたのだそうです。
自分達の伝統文化を否定された時代に生きてきた人々の深い悲しみ。

しかし今では、ハイダ族や多くの先住民族の長老達が、
残された生命の時間を捧げて、自分達の伝統文化を、言語を
次の世代に残そうとしています。

民族の歴史と長い時間の中でそれぞれを生きたさまざまな人々の
自分の血が流れる故郷への熱い思い。
これこそ遺すべき世界遺産なのではないか。
番組を見ながら、旅の懐かしさと共にそんなことを思いました。


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土曜日, 11月 08, 2008

「命の尊さを知り、生命を大切に守るのが天の命であり人の道」-☆森のクマさん☆


11月2日に息子の七五三のお祝いを
行いました。
息子、私と妻、両祖父母が集い、
氏神様である北星神社にて、
いつも見守って下さっている
御祭神の天御中主大神様からの
お祓いと祝詞奏上をいただきました。

息子の成長に深く感謝し、
これからも末永く健康であるようにと祈願することができ、
心爽やかなとても気持ちのよい一日でした。

現代は医療技術の向上のおかげで、
昔と違い乳児の生存率がとても高くなっていますが、
昔は3歳まで子どもが生き延びるということは
とても大変だったそう。
5歳、7歳までとなるとさらに率が低かったそうで、
7歳まで子どもは人間ではなく、
神様からの預かりものという認識を
持っていたのだそうです。

「すべての命あるものには、
 産んでくれた親があります。

 すべての生き物と自分自身は個体としては
 別のものですが、
 すべては自分自身に通じているのです。

 すべての命ある生き物は
 自分の子や自分自身と同じで、
 宇宙には区別や差別は存在しません。

 ですから個体は別であったとしても、
 人は命あるものに対して
 慈悲の心が生じるものです。

 命の尊さを知り、生命を大切に守るのが
 天の命であり人の道なのです。」
         (池口恵観氏の言葉より)

健やかに大らかに育っている息子の現在あることに
深く感謝し、これからもたくましく成長していき、
今後自己の自主性・自立性を練磨して自由を確立していき、
発達する自己を通じて世のため人のために尽くす
心豊かな人物になってほしいと願っています。


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水曜日, 10月 29, 2008

「時代を超えた竜馬の魅力」-司馬遼太郎


NHK大河ドラマ「篤姫」。
高い視聴率をずっと維持し続けていますね。
話の中身は、幕末の動乱を描いており、
維新の英雄達が多く登場しています。

混迷の中にある現代日本において、
久しく待望されているのが社会を正しく強く
引っ張っていくリーダーの登場。
決して最近議員辞職を表明した元首相の
ように社会のゆがみを生み出すような人物ではありませんね。

維新の英雄達の中でも、傑出した世界観を持っていたのが
坂本竜馬でした。
名作「竜馬がゆく」を書き、この日本人として桁の違った好漢を
描いた司馬遼太郎さんは竜馬の魅力をこう語っています。
「竜馬という人はくさみのない人でした。
 競争心とか、自分を押し出してよく見せたいという意識がなかった。

 どういう訓練を経てきたのか、そういう意識が非常に薄かった。
 この薄かったことが重要でした。

 薩長連合という成しがたい、仇敵のように憎み合っていた
 両者を結びつけたのは、竜馬のくさみのなさでした。
 幕末において薩長が連合すれば幕府を倒せるということは
 誰でもわかっていたのです。

 幕府を倒さなければ日本が滅びます。
 アヘン戦争のようなことが起きるかもしれない。
 列強の植民地になるかもしれない。
 侍たちはそう思い、庶民だって思っていた。

 理屈はみんなわかっていた。

 竜馬は言い出しっぺにすぎません。
 しかし、坂本が言ったから両方ともOKということになった。
 薩長連合を成功させて自分の手柄にするといった
 意識がまるでなかったのです。

 時期も時期でした。両藩とも弱っていました。
 今だ、ということを見抜く能力も竜馬天性のものでした。

 大政奉還も坂本竜馬の構想であります。
 竜馬には勤王も佐幕もなかった。
 革命家でありながら、アウトサイダーではなく、
 インサイドにいて日本の設計図を持っていた。
 おそらく竜馬が持っていた設計図は、アメリカに似た
 制度だったと思うのです。

 ただ薩長の考え方は違いました。
 西郷、大久保らは社会学的な頭を持った革命家ですが、
 国学者の中にはファナテイック(狂信的)な国粋主義者も多かった。
 彼らを抱き込んで革命は成功したため、
 「太政官」という言葉に代表される復古的な要素が明治維新
 にはつきまといます。

 そのにおいを竜馬はかいだのでしょう。
 どうも自分が思っている国家の青写真とは違っていると、
 少し絶望的な気持ちもあったと私は思います。

 あれやこれやで新政府の準備が始まります。
 西郷は、新政府の名簿を作ってくれと竜馬に頼みます。
 竜馬がいまでいう閣僚名簿を作り、それを西郷は見る。

 しばらくして西郷が言いました。
 「坂本さん、あなたの名前がありませんぜ」

 竜馬に同行した陸奥宗光は生涯、このときの様子を語り続けました。
 陸奥は明治20年代に外務大臣をつとめ、日本の外交史上、
 不世出の働きを残した人でした。
 紀州の出身で、竜馬が好きでたまらなかった。
 竜馬の人柄、思想、世界観、全部が好きで、心酔しきっていた。

 竜馬は柱によりかかりながら西郷に答えます。
 「私は役人になろうと思ったことがないんです」

 さすがの西郷も驚きます。
 西郷も欲の少ない人ですが、ここまで無欲ではありません。
 新政府の指導者にはなろうと思っていましたから、
 やや鼻白む思いにもなった。

 「では、あなたは何をするんだ」
 と聞くと、竜馬が言いました。

 「世界の海援隊でもやります」
 世界を相手に貿易したいということですね。
 西郷はますます驚いた。

 竜馬は世界に出たかったのです。
 カネもない浪人を集めて、長崎で商船隊をつくったのも
 そのためでした。
 はじめが亀山社中、のちの海援隊でした。

 「竜馬がゆく」を書き終り、情けないことですが、
 私はようやく気づいたのです。
 竜馬にとっては明治維新そのものも片手間だったのです。
 それぐらい世界が魅力だった。


 坂本竜馬は勝海舟の弟子でした。
 神戸海軍塾に入り、塾頭になっていたことがあったのです。
 海舟は竜馬が可愛かったのですね。
 「氷川清話」という本の中に、33歳で死んだ青年、
 かつての弟子に対し、過剰なまでの言葉を残しています。

 どういうことかと言いますと、西郷隆盛と関係があります。
 西郷は言うまでもなく、幕府の反対勢力になりつつあった
 薩摩藩の指導者です。
 幕臣の海舟としては警戒すべきなのですが、
 海舟は西郷も好きだったのですね。
 大変な人物だと思い、友情を感じていた。

 自分の好きな人間同士を会わせたいと思ったのでしょう。
 あるとき簡単な用事を竜馬に頼み、京都の薩摩藩邸に
 行ってもらった。
 神戸に帰ってきた竜馬に西郷の印象を聞くと、
 竜馬は表現力のある人でした。

 「小さく突けば小さく鳴り、大きく突けば大きく鳴る。
  西郷は釣り鐘のような人ですな」

 このことに深く海舟は感じ入ったのでしょう。
 「氷川清話」のなかで、竜馬をこう評しています。

 「評するも人、評さるるも人」

 人とは、巨大なる人という意味でした。
 巨人が巨人を評したのだと言っている。

 日本人として桁の違う、実に大きな人、
 それが竜馬でありました。」


竜馬は同時代の人々が、倒幕とか攘夷とかを唱えている中で
只一人そういった世界を突き抜けていました。
自然と大きく物事の本質を押さえ、全体像をつかむ。
そして目指すべき方向に皆を動かしていく。

待望すべきリーダー像に坂本竜馬を思い浮かべるのは、
私一人ではないことでしょう。


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木曜日, 10月 23, 2008

「森の世界(敬愛する二コル先生のこと)」-☆森のクマさん☆


私(森のクマさん)の先生は、
C.W.二コル氏です。

先生には本当にいつも
可愛がっていただいています。
同じクマだからかな!? 
きっと森を愛する心、日本と
いう国を愛する心に共通性を
持っていると思っていただいているからかもしれません。
もちろん二コル先生の自然を愛する巨きな意識には
とても及ばないのですが・・

先生はお酒が大好きで、ご自宅に遊びにいくといつも
「何飲む? コーヒー、紅茶、ミネラルウオーター、
 日本茶、何でもあるよ」
「じゃあ、コーヒーください」
「ノンアルコールじゃ、話が広がらないよ。
 おいしいワイン飲もうよ。焼酎もあるよ」

そして、自然の話を聞かしてくださるのです。
時にシリアスに。時に腹をかかえて大笑いに。
(そして私は、開高健さんも座ったという椅子に腰掛けながら、
二コルワールドにてしばし至福の時に漂います)

先生は20年ほど前から、長野県黒姫に少しずつ森を購入して
森の再生を行なっています。
(アファンの森といい、アファンとは先生の生まれ故郷の
 ウェールズ語で”風の通る谷”という意味)

アファンの森には、われわれが知っているだけで、
 こいつだとわかるクマが6頭、たぶん全部で10頭は
 来るんだよ。 
 それからオオタカ、フクロウからヤマネなど、めずらしい
 生き物もいるよ。

 この国の森林面積は70%というけど、原生林は2%以下。
 原生林は日本のDNAの銀行です。
 北には、流氷、南には珊瑚礁がある世界でも稀な国で、
 それぞれの原生林が独特のDNAを持っているのに、
 きちんと調査もされないまま、
 ばさばさ切られてしまっているんだ。

 この国の自然の多様性はこの国の未来の可能性。

 自然が日本人をつくって、文化をつくってきたんだ。
 その自然が壊されると、この国が変わってしまう。

 いずれこの国が目が覚めたときに、このような森があれば
 そこから生き返るかもしれない。

 見ても何でもない森です。
 でも何でもないということはすごく大事だね。
 私は田舎の料理でいちばん好きな料理は、
 「今日は何もないですが・・・」
 といって出されるもの。
 山の中でマグロの刺身はでない。

 私は、日本の美しさは日本の自然から生まれたと
 思っている。
 とても美しい鳥の一つ、カワセミ。
 カワセミがいられるところは小魚がいるところで、
 その小魚が見えるところなんだ。水が濁ってはだめ。

 近くに土の土手があって木がある。
 そういう自然があったら、自然自身が美しいものを
 置いてくれるんだよね。

 僕はカワセミは飛ぶ宝石だと思います。
 家の近くにカワセミのための池を作ったんだ。
 カキツバタも植えて、土手を残して、フナを入れたところ、
 そしたらカワセミが来るようになったんだよ。

 これからはやり直しの時代になっていくね。
 自然を復活しないと、日本人の健康も美意識も
 よくならないよね。
 ひとりひとりが、地球そのものを慈しみ、
 大切にすることが求められているんだ。

 話が長くなったね。
 さあ、これから森の恵みをいただきに行こうか!」

二コルさんやアファンの森に興味を持たれた方は、
こちらをぜひご覧ください。

「C.W.ニコル・アファンの森財団」
 http://www.afan.or.jp/


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水曜日, 10月 15, 2008

「情緒の中心が人間の表玄関である」-岡潔


食の安全のゆらぎが問題になっています。

今日は、「中国産冷凍インゲン」から
大量の農薬が検出されたとの
ニュースが流れていました。

先日は、カビ毒や残留農薬で汚染された
「事故米」が不正転売され国内の様々な流通ルートにより
食品・飲料品で使用されていたとの報道と、中国で深刻な
健康被害をもたらしている有害物質「メラミン」が国内で流通
している菓子類や惣菜から検出されたとの別の報道。

前者は食品衛生法の規制対象であり、
国内輸入後に工業用でなく食用として不正転売されたもの。
後者は合成樹脂や接着剤である「メラミン」のような工業物質は
そもそも食品に添加されることは想定していないとため、
規制対象外として輸入検査ではチェックできなかったもの。

転売過程と製造過程という違いはあるものの、
両ケースに見られるのは欲に目がくらんだ業者の作為が
原因であるということ。

食の安全管理においては、性善でなく性悪に対する対応が
必要となってきており、輸入時、流通時での検査が
いっそう必要となり、
結果として検査コストによって価格が上がり、
安全・安心のために消費者負担が増すということが
考えられます。

一方で、格差の拡がりにより低所得の方々にとっては、
ますます厳しい現実となっていくことでしょう。
ここでも国の政策が問われています。

事が起きてからの後手後手の対応をとり続けるのではなく、
予防原則にたった政策が必要です。

「ある意味では最悪のシナリオが実現してしまったときに、
 将来の人々が負うかもしれないリスクを防止し緩和する
 ためには、我々に何ができるのか、世代間倫理によって
 このような問いを立てて、それをやろうじゃないかと
 いうのが予防原則」(村上陽一郎氏)


サブプライム問題に見る全てのものを金融商品化しようとする動き、
上記の食の安全を揺るがす化学物質の使用・転売。
金欲に躍る物質優先の心が見えてなりません。

このような時代において大事に思える言葉を紹介します。

「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。
 社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。

 そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で、
 もう春にチョウが舞わなくなり、
 夏にホタルが飛ばなくなったことが
 どんなにたいへんなことかがわかるはずだ。

 これは農薬のせいに違いないが、農薬をどんどんまいて
 はしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを
 作っても、いったい何になるのだろう。

 キャベツを作るほうは勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、
 こちらの方が表玄関なのだ。

 情緒の中心が人間の表玄関であるということ、
 そしてそれを荒らすのは許せないということ、
 これをみんながもっともっと知ってほしい。

 これが私の第一の願いなのである。」
世界的数学者として知られた岡潔氏の言葉。

かつての日本にはあり、現代日本に見られなくなっているものが
「情緒」だと思います。
人が日々生きるにあたり、社会が人により創られるにあたり、
何よりもその基盤であらねばならないのが「情緒」なのです。

「人と人との間にはよく情が通じ、
 人と自然の間にもよく情が通じます。
 これが日本人です。」(岡潔)


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日曜日, 10月 12, 2008

「名優 緒形拳さんに涙して」-☆森のクマさん☆


俳優・緒形拳さんが今月5日に死去されたとの
報に接しました。享年71歳。

私が緒形さんの姿をスクリーンに初めて
観たのは、今から31年前のこと。
名作「八甲田山」での雪中の迫真の演技に心惹かれました。

その後も緒形さんでなければ演じることのできないといわれた
渋く味のある名演技を見せた「鬼畜」や「楢山節考」などの
数々の名演技。

最近ではナレーションや声優などでもご活躍されており、
70歳を超えてさらなる円熟の姿を期待していただけに、
突然の訃報を聞いてとても残念です。

半世紀にわたる演技生活を、
「演じることはものすごく奥が深い。
(惰性に陥るほど)役者はつまらなくない。
 すごく面白いよ」

と語っていたのを記憶しています。

私は、一昨年に涙した映画「長い散歩」を思い出し、
まだ残されていた予告編を久しぶりに観て、また涙が流れました。


映画史に残る本当に素晴らしい名優でありました。

心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌。


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火曜日, 9月 30, 2008

「モノ創りを尊ぶ資本主義へ」-寺島実朗

連日、米国の金融不安の報道がメデイアで踊っています。

先日の米証券大手リーマン・ブラザーズ社の経営破たん。
「米大手銀行・証券が破産法の適用を申請するのは異例。
 身売り先が見つからず、自主廃業を迫られた山一証券と
 似た状況。
 3月に事実上、破綻した米証券業5位のベア・スターンズ
 に続いて、半年間で3社の大手証券が淘汰にさらされる
 異常な事態。」

米住宅市場の低迷や景況感の落ち込み、失業率の上昇などから、
大恐慌以来最悪の不況になる恐れがあるとも言われています。

これを受けて、欧州主要株式市場は急落。
金融市場の混乱を抑えるため
欧州中央銀行(ECB)は、300億ユーロ(約4兆5000億円)を
市場に緊急供給。

この余波は当然日本にもあり、
休み明けの証券取引にどれだけの影響が出るでしょうか。
今後、金融システムの安定に日米欧当局がどれだけ連携し、
対応していくか注目されます。

私は今回の低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」
問題に伴う昨年夏以降の混乱を新聞メディアで見ながら、
日本国内でのライブドア、村上ファンドなどと同列にある
競争主義・市場主義の浸透によるマネーゲーム手法の破綻であり、
当然の帰結であると思っています。

24時間オンラインでの金融商品や先物商品の売買、
何にでも金になる売買の対象としての証券化。

米国流の資本主義によれば、経営の目的は「株主価値の最大化」。
株価が高く、配当が多く、株主への説明責任を果たしている経営が
評価されるのだといいます。

そして、バブル清算以降、日本の社会、企業もまた
この企業統治を目指してきたのです。


かつて寺島実朗氏(日本総研会長、三井物産戦略研究所所長)が
話されていた今日を予言するかの如く、
企業経営の再考を促すような言葉を思い出しました。

「ITは産業社会を変え、情報ネットワーク技術革命が
 進行しなければ成立しえない金融ビジネスモデルを肥大化させた。

 マンハッタンの摩天楼から下界を見下ろすように、
 オンラインでつながったパソコンの画面を眺めながら
 金融商品の利ざやを漁り、
 企業を商品のように売買するMBA取得のエリート達に
 違和感を覚え、
 経済行為とは何かを自問自答した思い出がある。

 額に汗する産業活動を軽視し、世界の不条理に無関心な
 経済行為が健全といえるであろうか。

 資本主義とは本来的に勤勉、誠実、信用をモチーフとして
 事業を育てる意思によって成立したものであり、
 悪知恵を競うものではない。


 この十数年の日本は、それまでの日本型資本主義とか
 日本的経営といわれたものを、
 「右肩上がり時代の残骸」として排除し、
 競争主義・市場主義の徹底と米国流の株主資本主義への
 傾斜を強めた。

 しかし、中間層を厚く持ち、勤労を尊ぶ健全な産業観を
 醸成したことが
 日本社会の安定をもたらしてきたことを再考すべきでは
 ないのか。

 世界における資本主義の在り方に関する議論は一歩前に進み、
 CSR「企業の社会的責任」の大切さを問いかけている。

 「会社」という仕組みを社会的問題解決のために
 機能させることが大事である。


 本来、米国の軍事技術して開発された情報ネットワーク技術が、
 冷戦の終焉によって民生転換されたのがインターネットである。
 そのIT革命のプラットホームの上に多くの富を得た存在は、
 社会責任を自覚しなければならない。

 資本の横暴を批判された時代を経ながら、
 資本主義は自省の中で進化したはずだ。

 この仕組みに参画する者の節度と経綸が
 新しい可能性を開くことを自戒したい。」
 

現代の資本主義体制の社会の中で生きる者として、
表層的な言葉に踊らせられることなく、
短絡的な損得に手を貸すことなく、
本質を探求しながら自己の価値基軸を模索して、

額に汗して技術を開発し、モノを創り出すことを尊び、
勤勉と節約の価値を大切にする資本主義の正統性を担う側に
生きていこうと思います。


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月曜日, 9月 08, 2008

「目に見えない「何か」を見ること」-北米先住民

爽やかな秋の風が森の中を通り、樹冠の間から差し込む
陽光を心地よく受け止める時間。

自分の五感を通して、同じ空間にある様々ないのちとの
交流を楽しめる時間。

己の息吹と、自分を取り巻く自然(じねん)の存在たちとの
やりとりを楽しみながらの至福の時間。

目には見えない「何か」が確実にあること、
その何かにふれることで、
生きていることの喜びを感じられた時間でした。


「一粒の砂の中に世界を見ること。

 一本の野の花の中に天国を見ること。

 自分の手のひらの中に永遠を持つこと。

 そして一時間の中に永遠がある。」


           北米先住民の言葉


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日曜日, 8月 24, 2008

「自然と語ることの大切さ」-佐野藤右衛門

私は樹木が大好きです。
特に巨樹の木が。

森の中を歩いたとき、
巨樹に出逢えると嬉しくなって近寄ります。

「貴方はこの場所に立って、
 ずいぶんいろいろなものを見てきたのでしょうね。」

木肌に触りながら、心の中でそう話しかける私に、
おやおや変わった奴が来たぞ、と
巨樹のおじいさんは笑っていることでしょう。

巨樹に惹かれる理由は何でしょうね。

それは、自分の半生を省みたときに、
通じるものを強く感じるからです。

「曲がり曲がって、真っ直ぐに伸びていく」という人生。


私は学生時代、
神話や先住民の精神世界を学び浸っていたのですが、
卒業後に選んだのはSEの仕事。

機械的な世界に入る中、
その反動で有機的なものに触れたいということから
登山に踏み込み、
屋久島で遭難しそうな体験をしました。

そこで生かされて生きている己に気づくことができ、
生命の尊さと有り難さを学びました。

第二の人生は、生命を育んでいる自然に深く感謝し、
これをケアしていくことと決意し、自然環境保全を学び、
現在の仕事に至っており、
「人と自然とのつながり」、「人と人とのつながり」
取り戻していくことがとても大事であると常に思っています。


この「曲がり曲がって、光を求め真っ直ぐに伸びていく」
生き方をしている大先輩が森の樹木たち。

彼らは、それぞれが最初に与えられた場所に適応しながら
生きています。

自己の生命を毎年積み重ねていく中で、
環境条件に応じて自己を適応させ、
陽光を求め伸びていく方向や枝の張り方を変えていきます。

周囲を高木が囲んでいたら、
しばらくじっとして少しの光で我慢しながら育ち、
やがて高木が倒れると、
「それ、そっちだ」と頑張って伸びていく。

植物たちは、周囲の動物たちとも共生しあい、
命をつなげあって逞しく生きています。

森の世界は、実に多様で美しいものです。


自然を愛する方の御一人、佐野藤右衛門さん。
当代きっての名桜守です。

以前にTVで、佐野さんを知って以来、
その生き方や言葉に強く共感しています。

佐野さんは、現代において大切なことは、
「自然と語ること」とおっしゃっています。

「今なあ、自然破壊やら地球温暖化防止やら、
 いろいろと声を上げておる人がようけおるやろ。

 それも大事や。
 わしもだいぶ前から、自然がおかしくなってきとる、
 と思うてたんやから。
 木を育てる仕事をやっとるとなあ。

 けど、そうしたのは、人間やで。

 人間が勝手に人間だけの都合で、
 ものを進めてきたからなんや。

 もう人間は、
 自然との接し方がわからんようになってきてる。

 というより、
 「人間は自然の一部」という基本を忘れてしもてんねん。

 で、大上段に言葉だけで自然保護を叫ぶのはあかん、
 と思うんや。

 そやのうて、わしらひとりひとりが、
 土と語り、水と語り、木と語っていくことが大切なんや。

 それが自然を知ることや。」


夏の暑い日差しの中、
森に入ると自然の涼しさに身も心も癒されます。

見上げると、その目に映し出される大きな樹木の有り難さ。

さあ、明日からまたがんばっていこうと、
大きな励ましをもらいます。


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日曜日, 8月 17, 2008

「人を愛し、土と水と緑を守る」-直江兼続

夏季休暇の今週、前半は越後の国新潟へ行ってきました。

南魚沼市に入ると街の商店街には多くの小旗が。
「天地人」、「愛」と書かれています。

この地は、2009年の大河ドラマに決定した「天地人」
主人公・直江兼続とその主君・上杉景勝という
二人の英雄の生誕地。


上杉景勝は、名将上杉謙信の養子であり、
謙信死後の越後国主。

豊臣政権下では、会津120万石という大名になり、
秀吉亡き後の関ヶ原の戦いの後、米沢30万石となるものの、
物事にこだわらず、己の信念を貫き、
爽やかに戦国を生き抜いた名将。
そして、兼続の最大の理解者でもありました。


直江兼続は、主・景勝と共に謙信の遺風を尊び
義を重んじ、民心を安んずる治政を第一としました。

窮地にあっては、常に義の真理を貫き、
強者に屈せず堂々と対峙して上杉家の威風を示したと
いわれています。
学問を尊敬し、当代一流の高僧たちとの親交を深めた
文化人としての素養に、かつて秀吉は、
「天下の治政を任じ得る人物」として
兼続の人品を武士の典型と絶賛しました。


私は今から17年前に読んだ、「北の王国」(童門冬二著)で、
直江兼続を知り、以来心の中に名前が記憶されてきました。

それは、兼続の思想の中心にあった「土と水と緑」
惹かれたからです。

彼の生きた時代、一次産業の農が基本であり、
兼続は人を愛し、素朴な土と人間に対する愛情が上方中央政権に
巣くっている権力者たちに破壊されている現状を見て、
「これはならない」と決意し、
「中央政権とは別な自治の政府が、地方にあってもいいのではないか」
と考え、実行します。

しかし、時代の趨勢で徳川が勝ち、
戦後仕置きの結果、主人の上杉景勝を自分の領国に
転がり込ませるような参謀としての失敗をしながらも、
その景勝からも上杉家の人々からも恨まれなかったといいます。

兼続の目指す道を、皆が手を組んで歩んでいったのです。
とくに、領民たちが一緒になって。


兼続の兜の前立に飾られていた「愛」という一字。
このような武将は、数ある中でも彼だけであったことでしょう。

師であった通天存達の教え、
「国の成り立つは、
 民の成り立つをもってす。」
ということを理想としたものです。

彼は、領民を愛するために、
生命をかけて戦い、命をかけて国を守り抜いたのでしょう。

かつて二人の英雄が生きていたこの魚沼の地。
この地のすばらしき「土と水と緑」の自然にふれて
生き生きと遊ぶ息子を見ながら、そんなことを思いました。


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日曜日, 8月 03, 2008

「蝶になった子供たち」-エリザベス・キューブラ・ロス

エリザベス・キューブラ・ロス。
皆さんはご存知でしょうか。

2004年に亡くなった彼女の死を世界中で多くの人たちが
悲しんだといいます。

彼女が多くの人の死を看取る中で経験したのは、
「現実の肉体=さなぎ をまとっていても、
 人は亡くなると魂=蝶 になって解き放たれていく」
ということだったそう。


ロスの話の中でも、
医師から余命3ヶ月と宣告されたダギーという
9歳の少年とのやりとりには、
深く胸をうたれます。

「大好きなロス先生。
 あと一つだけ聞きたいことがあります。
 
 いのちってなんですか?
 
 どうして子供が死ななくちゃいけないの?」

ロスは答えます。
「ほんの短い間だけ咲く花もあります。
 
 春がきたことを知らせ、
 希望があることを知らせる花だから、
 みんなから大切にされ、愛される花です。

 そしてその花は枯れます。

 でもその花は、やらなければやらないことを
 ちゃんとやり終えたのです。」


人生の中で、人はさまざまな試練にあいます。
辛く悲しい思いを繰り返します。

しかしその時こそ実は、
この上ない”学び”のチャンスなのだと
ロスはいいます。

前向きに生きていくことができるか。
苦しみを成長の機会に転じうるかどうか、
試されるのです。

その試練に合格したなら・・・


癌にかかり死を目前に控えた子供にロスは、
次のような手紙を差し出しています。

「地球に生まれてきて、
 あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
 もうからだを脱ぎ捨ててもいいのよ。

 からだは、そこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
 たましいをつつんでいる殻なの。

 ときがきたら、からだを手放してもいいわ。

 そしたら、痛さからも、
 怖さや心配からも自由になるの」

輝いているいのちは本当に美しいと思います。


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月曜日, 7月 28, 2008

「森の保全は、国の保全」-☆森のクマさん☆

人の心と自然の状態は、比例するといわれます。

戦後、この国は経済的に豊かになったけれど、
心の豊かさを忘れてしまい、
欲望民主主義というような形態が生まれ、
他者よりも自己優先といった風潮になりました。

その結果、他国に比べて
とても豊かと評されていた日本の自然は
荒廃しつつあります。

昔から人々と共にあった、きれいな川、緑ゆたかな森、
そしてそこに生きる様々な生命達が
次々に失われつつあります。

この流れを変えていかなければ、
自然を守っていかなければ、といつも強く思います。


ある方が言っていましたが、
「今日の森林問題が抱えている深刻な問題は、
 森林がいかに美しく豊かで、
 日々の暮らしに役立つものであっても、
 市場経済の尺度でみれば、
 たいした価値を生み出さない。

 木材生産が森林経営として成り立たないかぎり、
 市場経済的には森の価値はほとんどなくなっている。」

かつて、里やまの文化では
伝統的な村の暮らしとして、村人が豊かな森に包まれ、
その恵みを生かしながら暮らすことが
可能であった経済が存在しました。

森のなかから山菜や茸を採取し、
山にマキを求め炭を焼き、
森の木を育て敬う、営みが存在したのです。


日本の森林2,500万haの4割にあたる1,000万haが、
人工林になっていますが、
そのほとんどは戦後に植えられたものです。

戦中・戦後復興期の乱伐によって生まれた
ハゲ山に植林されたもの。

国有林の拡大造林政策、
生活スタイルの変化(消費は美徳、大量生産・大量消費など)により、
里やまにあった広葉樹林は次々に消え、
市場経済で価値を持つスギ・ヒノキなどの針葉樹林へ
変わっていきました。

しかし、アジア諸国からの安い輸入材に
その位置をとって代わられ、
国内の森林経営はどこも成り立たなくなりました。

その結果、林野庁の莫大な赤字と国民への負担、
民間経営の破綻による森林管理の放棄、
そして森林の荒廃。

森を育てるということは、
実に時間がかかり根気のいる仕事であり、
これを工場の自動化生産のようにしようとしたのは、
短絡的な試みでした。


今日、国が行っている森林保護政策としては、
林野庁が全国の主たる森林地域を
「森林生態系保護地域」と設定しています。

知床半島、白神山地、屋久島など
過去に「自然保護か伐採か」をめぐって
大規模に争われた地域が指定されています。

この「森林生態系保護地域」には、
いっさいの利用を禁じ保護する「保存地区」、
保存地区を包み込むように設定され、
生態系が変わらないように保護することに重心をおいて、
その範囲で利用する「保全利用地区」
などの区分けがあります。

一見、これはその地域を荒らすものが
ないように見えます。

しかし、もともとその地域を利用してきた
村の人達が入ることを禁止されるという、
森と人との関係を絶つものになっています。

保護か利用かの二者択一の発想で、
この制度は考えられたように思えます。

そこには森林の利用は、
商品経済の中で木材を生産するゾーンと
保護するゾーンに分けただけという
浅慮が見られてなりません。

森林と人との関係は、ただそれだけにあるとは思えません。

昔の利用そのままでなくても、
今の時代を考えた利用が他にあるはずです。

このことを考え、
森林を守り維持していくことが必要だと思います。


森林の保全を考えるとき私が参考にしているのは、
かつて99年に訪れた北海道富良野にある
東大演習林の保全方法。

当地では、初代林長であった
高橋延清先生(どろ亀先生)による
世界的に評価の高い「林分施業法」を用いて、
林内をグループ分けし、10~20年の周期で択伐を行っていました。

林内での平均の樹木の量は、
他の森林の倍以上になっており、
緑の豊かさを保ちながら木材を供給し続けています。

人が手を加えることによって、
森の生命をより豊かにするという森林保全のすばらしい例。


日本人は、もっと自然との関わりを深く考え、
自分達の文化を考える必要があります。

どの道をこれから歩んでいくことがいいのか、
真剣に考えていく必要があります。

そうでなければ、
亡くなられた司馬遼太郎さんが生前心配していたように、
この国は滅ぶのではないか、そう思えてなりません。

そうならないように、
森林を愛する意識ある人々と共に、
この国のすばらしい自然を守り、
子供たちにつないでいきたいと願っています。


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月曜日, 7月 07, 2008

「どのような状況でも自分の使命を果たす」-齊藤慶輔

「プロフェッショナル~仕事の流儀~」(NHK)

人気の番組ですが、先日観て驚いたのは、
かつてお会いした方がゲストだったということ。

彼の名は、齊藤慶輔さん。
北海道・釧路湿原で野生動物を専門に診る獣医師。

彼が治療するのはオオワシやオジロワシ、シマフクロウなど、
絶滅の危惧にある猛禽類。

私は、今から9年ほど前に2年間、自然環境保全を学んでいました。

夏休みのある時期、北海道の道東地区にあった動物病院で
開かれていた獣医を目指す学生たちをメインにした、
野生動物保護研修に応募し、入れていただいたのです。

院長が講義の合間に、我々受講生を道東の様々な現場に連れて
行ってくださったのですが、その時にお会いした方の一人が
齊藤さんでした。
お会いした場所は、環境省のシマフクロウ保護センター。

シマフクロウの保護の意義を語って下さった当時も、
今日の番組を観ても変わらないと感じたこと。

それは、彼の澄んだ瞳と「野生のものは野生に帰す」
ということ。

単に「環境のため」という表層的な言葉などでは決してない、
深い決意を持ったすばらしい方。


”治療の対象は、絶滅の危機に瀕したシマフクロウや
オオワシなどの猛禽類だ。
 広げると2メートルを超える大きな翼、鋭いクチバシや
爪を持つ野生動物を相手にしなければならない。

 ペットや家畜と違い、野生の猛きん類の治療に教科書はない。
 齊藤は、試行錯誤を重ね、自ら治療法を編み出してきた。

 だからこそ齊藤は、野生動物と向き合う時、覚悟をもって臨む。
 「動物の前にいるのは自分しかいない。最良を目指し、
 最善を尽くす」

 野生動物の命をつなぎ止めるために、自らを追い込み、
 全身全霊で治療にあたる。


 齊藤の仕事は、治療だけでは終わらない。
 最終的な目標は、鳥を野生に帰すことにある。

 野に戻せるのは、運ばれてくる鳥の2割ほどに過ぎない。
 さらに自然に適応できず、再び救出されるものも少なくない。

 それでも齊藤は、鳥たちを野に放ち続ける。
 傷の完治ではなく、野に放つことが野生動物の獣医師としての
 ゴールだと信じているからだ。

 「人間が判断して、野生復帰は無理だと踏んでしまえば、
 それで終わってしまう。
 少しでもチャンスのあるうちは、野のものは、野へ帰してやりたい」


 現場は、まさに救急医療そのものだ。
 強制的な水分の注入や止血剤、ビタミン剤、抗生物質など
 命を救うためにありとあらゆる手を尽くす。

 だが、そんな齊藤が最後に信じているのは、野生動物が持つ
 ”生きようとする力”だ。

 齊藤は、ひん死の重傷を負ったワシに、あえて肉を見せる。
 ”生きる意志”を見るのだ。

 「自分で治る力があるはずだから、それをアシストする。
  『治す』なんておこがましい事じゃない、手助けをするだけ。
  それが僕らの仕事」と齊藤は言い切る。”
 (プロフェッショナル~仕事の流儀~)


かつてお会いできたことをなつかしく光栄に思いながら、
同年齢の者として、また同じく生き物たちの多様な生命を
守る者として、どのような状況にあっても自分の使命を果たすという
大きな勇気をいただきました。


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日曜日, 6月 29, 2008

「長すぎる雌伏の時を終えて」-ジョセフ・E・スティグリッツ

先月、「第4回アフリカ開発会議(TICADⅣ)」が横浜で開催されました。

私は、仕事で携わっている森林生態系保全のプロジェクト視察で
昨年の暮れ、西アフリカにあるガーナ共和国へ2度目の訪問を行ってきました。

現地のプロジェクトは、 森林の伐採による非持続的なカカオ栽培を
行っていた原生林の周辺にある村の人々に、
森林を伐らず農薬や化学肥料にも頼らない持続的な森林農法での
カカオ栽培を勧めながら、
野生動物による自然の力で森林回復を進めているものです。

この取り組みにより、4年の間で予想以上の成果が上がり、
カカオの収穫量が増え、 農民の方たちの収入が比例して増えています。

収入が増えて何が一番よかったか、 という私の問いに、
村の人々は皆異口同音に
「子供を学校に通わせることができるのが何よりも嬉しい」、
そう答えていました。

何かモノを買えるので嬉しいという人は、
一人もいなかったのです。

この取り組みとはまったく別に、
ガーナ自体の経済成長率は年々高く伸びており、
首都アクラでは街のあちこちで ビル建設などの現場が見られました。

そして、この成長への胎動は、ガーナのみならずアフリカ全体に
広がってきているようです。

BRICSを始めとする新興国の台頭などから、
今世界中で各資源の急激な需要が起きており、
アフリカは原油やレアメタルなど様々な天然資源を豊富に持つ
地域として、注目を浴びています。

日本政府は、今回のTICADではODAの倍増を表明しており、
国内企業も資源高を背景に経済成長が加速していけば、
社会インフラや消費財の需要拡大が見込まれるとして、
アフリカ市場への進出が本格化してきています。

しかし、一方で、貧困や医療の問題はなかなか解決に進んでおらず、
アフリカ地域内での経済格差、各国内での所得格差はますます
広がってきています。

資源を持つものと持たざるものとの格差。
ODAを倍増しても、現地のインフラを整備しても、
その恩恵を受けるのは、アフリカと日本での一部の関係者ばかり。

アフリカの多くの国では、多部族が一つの国に混在しており、
政権をとった大統領の身内や部族が優遇され、
そこから生まれる格差が、内戦を呼び国の混乱へとつながっています。

もともと、欧米の植民地化が原因で、資源統治を重視して
部族の境界を無視して土地の区割りを行ったことから
第二次世界大戦後に各国の独立の際に、
部族間の対立が生まれているものです。

混乱で傷つくのは、昔から寄り合って貧しくとも協力して生きてきた
小さな集落の人々たち。
お年寄りや子供、力のない人々。

どの国であっても、同じ地球に生まれてきた生命をもつ人間として
個人の尊厳が保たれなければならないはずです。

経済全体が成長すれば社会の隅々まで利益が行き渡るという
トリクルダウンの経済学は、きれいごとの言葉でしかないというのは
多くの方がわかることでしょう。

曽野綾子さんによれば、
「日本では、今や高校の卒業生のうち、専門学校・短大などを含めれば  
7割の若者たちが大学へ進学しています。  
親に金がなくても、ほんとうにやる気があって成績もよければ、  
必ずどこかで奨学資金が受けられるのです。  

 しかし、世界の多くの土地では、子供たちは、小学校さえまともに  
卒業できません。  
親は子供が学校に行くより、労働をして生活を支えてくれることを  
期待しています。  

 親が高利貸しから金を借りていて返せなければ、  
子供は親共々、農奴的強制労働に使われます。  
貧困を理由に子供を捨てる親がいれば、  
子供たちは冬の寒さを避けて下水道の中で子供たちだけで  
身を寄せ合って越冬します。  

乞食や盗み、或いは児童労働に当たる物売りや農業の手間賃稼ぎに  
行って、今日食べる分くらいは稼いでおいでと言われる子供たちは  
少しも珍しくない。」

ノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ氏は、
「現在進められているグローバル化で、恩恵に浴すのは
ひと握りの富裕層だけである。  

たしかにGDPの統計値はよく見えるものの、 伝統的生活様式や
基本的価値観は存亡の危機に立たされている。  

なかには、わずかな利益とひきかえに莫大なコストを押しつけられる
国々も存在している。  

これはグローバル化の本来あるべき姿ではない。  
金と力を持つ人々のためではなく、  
最貧諸国を含む全世界の人々のために、  
われわれはグローバル化をうまく機能させることが可能なのだ。  

もちろん、簡単な作業ではないし、一朝一夕に成し遂げられる
ものでもない。  

しかし、われわれは長すぎる雌伏の時を過ごしてきた。  
今こそ始める時なのだ。」

今回のTICADのテーマは、
・成長の加速化
・平和の定着
・環境問題、気候変動問題への取り組み

日本の支援が、格差の上にある者だけを対象にするのでなく
アフリカの土地に住む私たちと同じ命を持つ全ての人々に
夢と希望を与えるものにならなければ、
真の支援ではありません。

ぜひそうなるように願っています。


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水曜日, 6月 18, 2008

「人づくりは木づくり」-細川重賢

国家100年の計は人にありといわれます。

国・地域・家庭の基盤である人材育成をいかに行なうか、
日本人としてのアイデンティティを見据えた上でのものでなければ、
漂流する日本の状態を食い止めることはできないと思います。

教育のあり方が社会の各所で議論されていますが、
「人づくり」というものの本質を踏まえたものではなく、
これまでの焼き直しをいかに行なうかという表面上のやりとりが
多いように見られてしかたがありません。

歴史に学ぶ、という大切な視点から、
一つの例を挙げましょう。

”江戸時代中期、
 肥後の国熊本の藩主であった細川重賢は、
 時習館という藩校を設立して、
 秋山玉山という人を初代校長に任ぜました。

 重賢は、玉山に
 次のようなことをお願いしたといわれています。

 「先生は国家の名大工であり、
  木づくりの名人だと思います。

  したがって、教育にあたっては、
  「人づくりは木づくり」
  と考えていただけますか。

  そのために、木配りを大切にしてください。」
 (木配り:学ぶ子が、杉なのか、松なのか、
      欅なのか、樫なのかなど、
      何の木にあたるかを確定するという意)”

木の種類により、
養育方法は異なるものであり、
施肥の仕方、剪定の仕方など全然異なるものです。

つまり、重賢は教育にあたって、
「一本一本の木の性格が異なるように、
 その木に見合った教育をしてほしい」
ということを依頼したのです。

画一化の弊害がとかく言われる中で、
人間というものの多様性を理解して
人材づくりを考えた重賢さんの素晴らしさを
私たちは現代に活かすべきでしょうね。


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水曜日, 5月 28, 2008

「ものづくりは創造、価値を決めるのは時間」-三代徳田八十吉

先日の晩、ある人間国宝の方を紹介する番組を見ました。

三代目徳田八十吉氏。

現代九谷焼の彩りに新しい感覚を吹き込んだ氏の「耀彩」。
耀彩とは「光り輝く色という意味」
多彩な釉薬を重ね合わせることで、段階的に色彩を変化させるという
独特の技法。

耀彩の色彩は、焼成温度によっても微妙に変化する。
ふつう上絵窯では焼成温度は700から800℃までといわれるが、
徳田氏は1000℃を超える高温で焼くことで釉薬を溶かし、
混ざり合わすことで耀彩を創り出しています。

初代八十吉より伝授された350年前の古九谷の色と、伝統を受け継ぎ
新しいものに取り組む精神が深い輝きを放つものです。


三代八十吉の陶房は、四季を映す梅ノ木山と郷谷川の流れ、
美しい自然に恵まれた石川県小松市金平町にある。

古九谷は江戸時代初期に焼かれた初期の九谷焼。
光り輝く透き通った色調は、計算しつくされた多彩な彩色をした上に、
千度以上の高温で焼くことにより初めてできるもの。

加賀古九谷の中の青手古久谷は、赤を使わず青・黄・紫・紺青の4彩を
用い、特に輝くような翠は好んで使われている。

古に埋もれていたこの技法は、九谷焼を志すものの多くが
その色を再現しようと長年努力してきたが難しいものであった。

明治時代、初代八十吉は、誰も再現することのできなかった
古九谷の五彩を再現することに成功。
初代は、優れた九谷焼の技術が認められ、無形文化財に指定された。

釉薬の調合は秘伝。
天秤秤で1/100gの誤差もないように計り、調合する。
顔料の組み合わせや、調合の量により、様々な緑色の釉薬を作る。
初代は秘伝の色を全て伝えぬまま他界した。

初代が口癖のように言った
「色のことは誰にも言うめえぞ」という言葉。
三代もそれをかたくなに守っている。

色の調合の秘伝こそが、九谷焼の全てである。
昭和31年初代が亡くなる半年前、三代は病床の初代から色の秘伝を
教わった。当時三代は若干22歳。
半年という期間は、あまりにも短く12通りの調合を学ぶだけに終わった。

九谷焼にはもっと多く色がある。
それを学びきる前に初代を亡くし、三代は途方に暮れた。

ある日仏壇の前で、お経をあげていた時に目に入った
「帰命尽十方無碍光如来」
「どこかで聞いたことがある」と三代は思った。

そして初代が残した数冊の手帳の中に、
暗号のように残された文字に思い当たった。
誰にもわからないように、10文字ある経のそれぞれの字の1部を使って、
1~10の文字を表したのだ。
教わった12色の色を数字に当てはめていき、
ついには100色以上あった初代の色を全て解き明かしたのだった。

その時から三代は、九谷焼製作を運命として受け入れ、
製作に命をかけるようになったという。

しかし、三代八十吉は、九谷焼の技術で最高のものをもつ
祖父初代八十吉との比較対象に若い頃苦しみます。
九谷をやっている限り祖父の知識、技術と比較され続けると。

ある時、祖父の親しい友人であった、洋画家の中村研一氏から
こう言われました。

「九谷のど真ん中にいて、毎日のように九谷を見ている。
 それでいて九谷を作りたくないというのは、
 九谷を作っていく素質をもっている。
 だから自分の作りたい九谷を作ってみればいい。」

三代目八十吉として、自分の九谷を作る決心を固めた時。

そして、辿り着いた伝統の概念は、これまでの九谷の精神を
受け継ぎながら、自分らしい新しいものを作っていくということ。


耀彩は、色絵の具を使って特定の絵や模様を描くだけでなく、
色が作り出す模様が表現するという色主体の新しい概念があります。

今までの九谷の上絵ではなく、自分にあった九谷を作るという思いで
挑戦してきた三代八十吉。

二十代の頃、宝石の澄んだ色と輝きに魅せられ、
古九谷の色を使って宝石を表現したいと考えるようになった。

成分を微調整した数十種類もの色釉を用い、グラデーションを創造。
乱反射を防ぐ磨きの工程を丁寧に行い、輝くような光彩を生み出した。
しかし、発表当時は作品を否定する声も聞かれた。

「こんなものは九谷焼じゃないといわれましたよ。
 しかし、色絵に秀でた窯に生まれたからには、形ではなく
 色彩の新しい表現を追求したかった。
 30歳を過ぎた頃から、まわりの反応は変化してきました」

耀彩は九谷焼の新しい技法として認められ、
高い評価を受けるようになった。

若手作家にはよく次のようなアドバイスをする。
「新しいことをやれとはいわない。
 好きなことをやればいい」


「アートは創造、
 その価値を決めるのは時間だ」


三代徳田八十吉の作品は、「創造すること」をものづくりの根本に
すえた考え方から生まれています。

「人まねではないものを創ることに意味がある」
という信念を貫き、新しい道を切り開いた三代八十吉の言葉。
後進の作家たちに大きな力を与えていくことでしょう。


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土曜日, 5月 10, 2008

「人間は、必ず一人には一人の光がある」-藤尾秀昭

大型連休の前半、妻と息子と私の家族3人で
長野へ小旅行に出かけました。

戸隠神社、アファンの森、小布施、善光寺といった
各所をまわり、その土地土地でのさまざまな出会いや縁に
心豊かになりました。


縁について、藤尾秀昭さんが本の中で紹介していた、
鈴木秀子先生から聞いたというすばらしいお話。

「その先生が5年生の担任になった時、
 一人、服装が不潔でだらしなく、
 どうしても好きになれない少年がいた。

 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
 記入するようになっていた。

 ある時、少年の1年生からの記録が目に留まった。

 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
  勉強も良くでき、将来が楽しみ」とある。
 
 間違いだ。他の記録に違いない。
 先生はそう思った。

 2年生になると、
 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
 と書かれていた。

 3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
 教室で居眠りする」。

 3年生後半の記録には「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」
 とあり、

 4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症になり、
 子どもに暴力をふるう」。


 先生の胸に激しい痛みが走った。
 だめと決めつけていた子が突然、
 深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
 自分の前に立ち現れてきたのだ。

 先生にとって目を開かれた瞬間であった。


 放課後、先生は少年に声をかけた。
 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
  あなたも勉強していかない?
  分からないところは教えてあげるから」。

 少年は初めて笑顔を見せた。

 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
 
 授業で少年が初めて手をあげた時、
 先生に大きな喜びがわき起こった。
 
 少年は自信を持ち始めていた。


 クリスマスの午後だった。
 少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
 あとで開けてみると、香水の瓶だった。
 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

 先生はその1滴を付け、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
 気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

 「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。

 卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。
 「先生は僕のお母さんのようです。
  そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」


 それから6年。
 またカードが届いた。

 「明日は高校の卒業式です。
  僕は5年生で先生に担当してもらってとても幸せでした。
  おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」


 10年を経て、また、カードがきた。

 そこには先生と出会えたことへの感謝と
 父親にたたかれた体験があるから
 患者の痛みが分かる医者になれると記され、
 こうしめくくられていた。

 「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
  あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
  神様のように感じます。
  大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
  5年生の時に担任してくださった先生です」


 そして1年。
 届いたカードは結婚式の招待状だった。
 「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。 」


 藤尾さんはこの話に
 「たった1年間の担任の先生との縁。
  その縁に少年は無限の光を見出し、
  それを拠り所として、それからの人生を生きた。
  ここにこの少年のすばらしさがある。

  人は誰でも無数の縁の中に生きている。
  無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
  大事なのは、与えられた縁をどういかすかである。」

 と語っている。 


「人間は、必ず一人には一人の光がある」という先達の
言葉があります。

真の光をどのように放てるか。

それは、自己の自覚と行動次第によるとは思いますが、
人生において与えられた縁を活かすということを相重ねながら
心がけていくことが大切なのでしょう。




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土曜日, 4月 26, 2008

「あるべき正しい方向にめざめ、あるべきゴールをめざす」-内橋克人

4月に入り、毎週のように雨が降っています。
それも強い風混じりの降り方で、熱帯化を感じさせられるような雨。

気候変動を徐々に肌で感じつつ、膨大な財政赤字、相次ぐ企業倒産、
際限なく膨張する国民負担・・・など、膨れ上がる社会の歪みを
日々耳にします。

展望なき未来への「不安」の重さに対して、
持続的な社会を築いていくための強いリーダーシップと
私たち一人一人の取り組みが求められていると強く思います。


20世紀、各国が追い求めてきた果て無き経済成長。
この経済成長の結果、われわれ日本を含めて先進国は
物質的な豊かさを得ることができました。

しかし、その繁栄は一部の先進国だけが謳歌するもので、
世界の大半の国は途上国という扱いで、さまざまな格差が広がり
富を持つものと持たざるものに分け、また地球環境を劣化させ続け、
決して持続可能でない不公平な大小のシステムが世界中を
覆い続けています。


経済評論家の内橋克人氏はこう語ります。

「長い時間、私たちは経済成長を追い求めてきました。
 しかし、同時に成長にともなう「うしろめたさ」から自由では
 ありえなかったのではないでしょうか。

 経済成長は地球資源と人の浪費をともなうことなしには
 達成不能という思い込みが、日本に限らず、
 20世紀世界を支配してきたからです。

 そして、それはまぎれもない現実でした。
 また、同時にその道は貧しい国から富める国へと資源、マネーを
 移し植える過程でもありました。
 国と国との格差は否応なく拡大し、経済成長を求めて
 「浪費こそが美徳であり価値だ」と人びとは
 思い込むよう強制されもしました。

 そのような20世紀を支配したのは「見えないモノは存在しない」という
 確信に満ちたトリックの政治と経済だったのです。
 公害もゴミも、この世の厄介もの、迷惑ものは
 すべて「見えない」ように隠蔽することで済まそうと躍起だった。
 これが過ぐる20世紀の実像だったのです。

 バブル崩壊後、なぜ私たちの必死の努力がそれにふさわしい
 実りを生むことがなかったのか、
 なぜ成果でなく労苦がいや増すばかりの改革であったのか、
 いまや猜疑の眼を為政者に向けない日本人は少なくないことでしょう。

 なぜ私たちはむなしい「徒労の経済」のなかに足をすくわれて
 しまったのでしょうか。

 改革を叫ぶものも、その改革に抵抗すると称されるものも、
 あるいは痛みの後の光を約するものも、その光へ向かう速度を
 めぐってスピードが遅い、と糾弾の声を上げるものも、
 よくよく考えてみれば、結局、
 すべての発言者がまったく同じ方向めざして靴音そろえ
 一斉行進しているに過ぎなかったこと、
 ここに明らかにすることができます。

 90年代から21世紀初頭にかけ、私たちの社会はすでに過去の風景へと
 通り過ぎた幻影を追って、まさに後ろ向きの営為を積み重ねたに
 過ぎなかったこと、次第に明らかになっているのです。

 景気対策といい、国民負担といい、過去の夢、戻るはずもない
 仮想の経済大国の復活へ向けて、資源にとどまらず、
 国民精神まで総動員して、必死の形相で入れ込んだということでした。

 いま私たちはこの壮大な「世紀のトリック」を見抜き、
 「巧妙なレトリック」からも脱出しなければならない。
 それが可能なときがきているのだと思います。


 従来概念における「経済成長」ではない、ましてGDP(国内総生産)の
 量的拡張をもってする「成長」の計量評価尺度とも違う。

 真の「成長」とは、人間生存の基盤をより強靭なものとする
 条件の前進、そして充実のことをいっているのです。
 
 過ぎ去ったものに未練を残し、間違った方向を目指すとき、
 前途に立ちはだかるのは悲観材料ばかりです。

 しかし、あるべき正しい方向にめざめ、
 あるべきゴールをめざすならば、
 私たちは確実に明るい未来へ、と近づきつつある自分の姿を
 発見することができます。

 人が人として尊重される、
 人間生存の条件をより確かなものとする
 社会をめざす。
 
 このゴールめざして方向性を定め、
 しっかりと眼を凝らしてみれば、
 日々確かな努力の一歩を重ねている私たち自身の姿に気づき、
 あらためて自分たちの健気な努力や涙ぐましいほどの頑張りに
 感動さえ覚えることができます。

 大事なことは、政治や企業が社会を変えるのではなく、
 社会こそが政治や企業を変えるのだ、
 というかけがえのない真理の覚醒です。

 生きる場である地域社会が日々に吐き出す生ゴミを集めて、
 それを原料に無公害ガソリンを生み出す、
 地域社会のなかで生産、消費が絶えることなく循環する、
 そのような「生き続ける町」を可能にするためにこそ、企業はある、
 とすでに多くの現場の企業人が声を上げています。

 東京・永田町、霞ヶ関を渡る「天空回廊」でなく、
 地方、辺境の地、農業、
 何よりも生きる・働く・暮らすの場で、
 ほんとうに強靭な「もうひとつの日本」がむっくりと
 頭をもたげ始めている。
 
 確信をもってそう断言することができます。」


真の「成長」とは、
人間生存の基盤をより強靭なものとする条件の前進、
そして充実のこと。

まさしくそうなのではないでしょうか。

私たちの世代は、次代を受け継ぐ子どもたちのために、
「もうひとつの日本」をたしかなものにしていくことが、
強く求められています。 
 

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金曜日, 4月 18, 2008

「花の命をいただく」-志村ふくみ

先週の土曜日のこと。

春麗らかな日差しがとても心地よい中、
外の景色には桜の残り花が見られ、
家のベランダには、妻が愛情をよく籠めて育てている植物たちが、
色とりどり様々に美しい花を競うように咲かせています。

身近な中に生命の美を感じられる爽やかな季節です。


先日聞いた志村ふくみさんの言葉。
「百の植物に百の色が生まれる」と、
自然に寄り添い、草や木の声に耳を傾けるように制作する染織家で、
紬織りの人間国宝。

常に自然の色をいただく、という感謝の念と謙虚さを忘れず、
植物から丹念に採取した草木の色で糸を染め、紬を織る。
縞や絣など古来の平凡な模様を用いながら、
独自の豊かな感性と創造力、高い技術をもって、紬織を
芸術作品にまで発展させたといわれています。

昨年亡くなった社会学者の鶴見和子さんは、
日常的に着物を愛用していましたが、鶴見さんは亡くなる直前、
「植物染料で染めた手織りのきものを着た時、創造力がわいてくる」
という言葉を志村さんに贈られたといいます。

志村さんは、そのことについて
「私にとっては遺言ですね。
 衣装は命や心を包む布なのに、
 現代の私たちはファッションにすり替えてしまった。
 今、若い人たちが着物に関心を持ち始めたみたいですが、
 それもファッション。
 そこから入ってもいいけれど、民族衣装というのは、
 民族が守ってくれる知恵の深いもの。
 民族を意識しなかったら、着ても何にもなりません。」
と言われました。


「私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、幹、根を
 染めてきました。

 ある時、私は、それらの植物から染まる色は、
 単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が
 色を通して映し出されているのではないかと思うように
 なりました。

 それは、植物自身が身を以て語っているものでした。
 こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ、
 色は命を失うのです。

 ある日、私はふしぎの国のアリスが
 小さな穴からころがり落ちるように、
 植物の背後の世界にころがり落ち、垣間見たように思うのです。

 扉がほんの少し開いていて、そこから、
 秋のはじめの深い森がみえ、
 紅葉しかかったさまざまの樹が、
 陽の光と少しの風にきらめいているようでした。

 一枚一枚の葉はしみじみと染めあげられ、
 その色の美しさはこの世のものとは思われませんでした。
 その後二度とその森をみることはありません。

 ただ、こちらの心が澄んで、植物の命と、
 自分の命が合わさった時、
 ほんの少し、扉があくのではないかと思います。

 こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、
 扉はかたく閉ざされたままでしょう。」


先日の風雨の強さで、今年の桜の花々も徐々に散りゆく中、
美しく咲いた今年の姿と同じものは、
二度と見ることはできないのだ、そう思いました。

それゆえに、その姿はより美しく厳粛なのでしょう。


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日曜日, 4月 13, 2008

「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」-高倉健

先週から新年度に入りました。
現在の仕事である環境社会貢献の仕事に就いてから
8年目になります。

07年度の仕事もなんとか無事に終わりました。
森林生態系保全の仕事で行った、中国雲南省、ガーナ共和国、
沖縄やんばる。
それぞれの地域で出会った様々な人々。

環境NGO、政府関係者、村人、そして子どもたち。
皆、それぞれの未来への期待や夢を持ち、決して甘くない現実の中で
生きている人々でした。
一つ一つの出会いに多くを学ばされます。

年度を終えたという束の間のほっとした気持ちと同時に、
08年度の展望からさまざまな仕事の内容が浮かび、
どのようにそれぞれの良き成果を上げられていくかに
思案が向きます。

昨年度から継続して行う仕事に加えて、
今年度から新しく行う仕事も増えました。


年度が新しく移ってから初めてとなる休日の今日は、
気分転換にと、息子と一緒に、久しぶりに手賀沼周辺をサイクリングし、
そのまま頑張って輪を走らせ、手賀丘公園でたくさん遊んできました。

息子は、春の麗らかな陽気の中で、思い切り走り回り、
体を動かし、たくさん満悦していました。

私は、自転車を走らせる中で、道なりに続く桜並木に咲く
満開の薄紅の花々を多く心の中に収めることができました。


帰宅後読んだ、高倉健さんの随筆。
下記の章に心動かされました。

「映画「南極物語」の撮影ロケで入った南極大陸。
 基地には、小さなデイパック一個しか持って入れなかったんですが、
 一冊の本を詰めていったんですね。

 南極大陸での強烈な、本当に地獄のようなシーン。
 判断を一つ間違えば生命に関わる、
 生命を落としてもまったく不思議ではないという凄まじい場所が、 
 この地球上にはたくさんあるんです。

 ニュージーランドのスコット基地に特別に入れてもらい、
 この間に、恐ろしいブリザードも体験しました。
 人間って本当に、あっけなく死ぬんだなと思いました。
 小さな小さな雪上車の中に、八人の人間が立ったまま、
 外を吹き荒れているブリザードを窓ガラス越しに眺めていた
 あの時のことを今も忘れられません。


 南極に持っていったその本を、懐かしいなと思いながら、
 ページを捲っていると、本文中に、赤で傍線が引っ張ってあるんです。

 「苦しみつつなお働け。
  安住を求めるな。
  人生は巡礼である」

 凄まじい言葉だと思います。

 「人間の真価は棺を覆うた時、
  彼が何をなしたかではなくて、
  何をなそうとしたかで決まるのだ」

 「南極物語」は、1983年の封切りですから、
 随分前のことなんですが、当時迷っていた自分が、
 こうした言葉に励まされ、勇気を貰っていたんだと思います。


 何をなしたかではなくて、何をなそうとしたか。

 近頃もう一つ気になることがあります。
 「何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」

 「何のためにしたか」―――。
 そう問いかけることが、とっても大切な時が来ているように
 思います。

 どんな映画を撮るかではなく、何のためにその映画を撮るのか。
 自分はこのことをとっても大切にしていきたいと思います。


 そして、最後に、この言葉を―――。
 
 「身についた能の、高い低いはしようがねえ、
  けれども、低かろうと、高かろうと、精いっぱい
  力いっぱい、ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
  おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
                 (山本周五郎「ちゃん」より)」
 

桜花の満開の美しさ、散り際の見事さ。
健さんの言葉にある「何のために仕事をするか」という本質。

心に留めながら、今年も仕事に励んでいこうと思います。


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土曜日, 4月 12, 2008

「幸福であるための条件」-エドワード・グレイ

先日読んだ本の中に、シンプルな中にとても深みを感じさせられる
言葉が載っていました。

その「人間が幸福であるための条件」という言葉を言ったのは、
日露戦争当時の英国外務大臣であったサー・エドワード・グレイ。

彼は回想録に
「日本は多年イギリスにたいする公正にして名誉ある誠実な同盟国であり、
 且つまた日本政府の自重のおかげで、
 第一次世界大戦の期間中、太平洋の諸問題について、
 英米両国との間に何等重大な摩擦を起こさないですんだ。」
と記しています。


「人間が幸福であるための4つの条件
 エドワード・グレイ

 第一、自分の生活の基準となる思想。
 第二、良い家族と友達。
 第三、意義のある仕事。
 第四、閑を持つ事。        」



人生の義務を重んずるとともに人生の悦びを大切にし、
鳥を愛し樹木を愛し、釣りが好きで園芸が好きで、
自然の静かな美しさほど人生に大きな悦びを与えるものはないと
生前語っていたというグレイ氏。

まさしく幸福な人生を自ら築いていったのでしょうね。
かくありたいと思います。


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土曜日, 4月 05, 2008

「自ら意志することで、己が生命を輝かせ深い花を咲かせる」-☆森のクマさん☆

先月の20日から23日まで、仕事で沖縄の「やんばる」
行っていました。

30年ぶりの沖縄訪問でしたが、最初に行ったときの記憶は
はるか遠くにあり、ほぼ初めての訪問といっていい状態でした。

「やんばる(山原)」とは、沖縄本島北部の国頭村、東村、大宜味村の
辺りの総称で、深い緑につつまれた亜熱帯の森が広がっています。

森の総面積は340K㎡、平均気温22度、年間降雨量3,000mm、
熱帯から温帯までの多くの生物が棲息し、動物は3,700種、
植物は1,200種を超えているといわれており、
様々な生命の多様性に富んだ「奇跡の森」と呼ばれています。

現地では地元の環境NPO「やんばる森のトラスト」がこの地域の
自然の大切さを地元の子どもたちに伝えながら、森を守る様々な
取り組みを地道に継続して行ってきています。
http://www.wbsj.org/nature/hogo/others/iba/search/sites/nansei/159-yambaru.htm

私は、今回初めて現地の自然環境を目にし、
短い滞在日の中で、ヤンバルクイナやノグチゲラ、サシバ、
リュウキュウコノハズク、リュウキュウツバメ、イソヒヨドリ、
リュウキュウアオガエル、ハナサキガエル、シリケンイモリなどに
出会うことができ、多様性の豊かさを実感してきました。

夜、林道を車で走っていると、前方にリュウキュウイノシシが現れたり、
専門家の方と一緒に真っ暗な中を島最高峰の与那覇岳の登山道を
懐中電灯1つを照らしながら歩き、ハブに気をつけながら
真剣に目をこらして必死のナイトハイキングを冷や汗で楽しんだり・・・

しかし、この地域はすばらしい自然を奇跡的に持ちながらも、
国立公園に未だ指定されていません。
ダムや林道など土地の開発が進み、ハブ退治のためにかつて外部から
持ち込まれたマングースが繁殖して、飛べない鳥で希少性の高い
ヤンバルクイナなどの生き物たちが絶滅の危機にあります。

昔から残されてきた伝統文化を守る人々がいる一方で、
種々にある開発などの問題。
これをめぐる様々な考えや立場の組織・人々。

持続的な社会の構築に向かって、人と人、人と自然との関係の見直しが
現地で少しずつですが、徐々に起き始めています。


3月後半のやんばるの森は、芽吹きの季節を迎え、
黄緑色に森が染まっていました。
スダジイの黄色い若葉、イジュの赤い新芽、シロダモの若葉など。

様々な木々が茂り、多様な生命に彩られたやんばるの森に入り、
藤尾秀明氏の言葉をひたすら実感していました。

「生きるとは、ただ生き切るということである。

 この地上にある生命あるものはすべて、
 ただ生きるという目的に向けて、
 全力をあげて生きようとしている。

 そのことだけを信じて躍動している。

 それが生命の本質である。

 そして、それが天の意思である。」


私たちは自ら意志することで、
己が生命をさらに輝かせ、
深い花を咲かせることができる。

やんばるの森は、私にそう教えてくれました。




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水曜日, 4月 02, 2008

「心田を耕し、心の花を咲かせる」-藤尾秀明

日を重ねるごとに明るく強く、
春の日差しは暖かなものになってきていますね。

先日目にした藤尾秀明さんの言葉に、
とても共感しました。

「近所に、それほど大きくはないが、
 手入れの行き届いた庭を持つ家があった。
 植木もきれいに手を加えられ、季節の花々がいつも、
 彩りあざやかに咲き、道行く人の目を楽しませ、
 心を和ませていた。

 ある日突然、その家の主人であった人が亡くなり、
 若い夫婦が二人、その家に住むようになった。
 
 それから数ヶ月、道行く人の目を楽しませていた庭は、
 みるみるうちに荒れ果て、無残な姿になった。

 同じ庭がこうも変わってしまうのか、
 一種悲しいような思いで、その庭を道すがら、眺めている。


 これは一つの例である。

 心の時代、といわれている。
 しかし、人間の心とはそれほどきれいなものではない。

 人間の心は宇宙、自然と似ていると、言えなくもない。
 雑草は放っておいてもまたたく間に繁茂する。
 しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、
 虫を除け、丹精込めて育てなければ花開かない。

 人間の心も、それと同じである。
 放っておくと、雑草が生える。
 
 心の花を開かせるためには、絶えず心を見張り、
 雑草を抜き取らなければならない。


 二宮尊徳は、
 「あらゆる荒廃は人間の心の荒蕪から起こる」
 と言った。

 そして、心を荒れ放題にしないためには絶えず、
 心の田んぼ、
 つまり心田を耕さなければならないと説いた。

 
 いつも気持ちをさわやかにしておく。
 いつも、さっそうとした気分でいる。

 心の雑草を取り、心の花を咲かせるために、
 欠かせない必須の条件である。」


これから春の花野をさわさわとそよ風が吹き、
色が付き始めて華やかになる季節。

己の心の花を美しく咲かせていくために、
心の田んぼを精魂こめて耕していこうと励ましてくれる
よい言葉だと思いました。




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日曜日, 3月 30, 2008

「日光の仁王尊を息子と共に見ながら」-花岡大学

今月の初め、弥生の暖かさに入り、家族で日光へ出かけてきました。
義理の両親の還暦祝いを兼ねての小旅行。


仏像好きの父親に似たのでしょうか、
5歳の息子が早、昨年からさまざまな神仏に関心を持ち始め、
とりわけ荒々しい相を見せる仏像に強く惹かれています。

不動明王を始めとする諸明王や毘沙門天などの四天王、
馬頭観音、仁王尊、金剛力士、風神雷神、の諸仏。

昨年、近くの公園に遊びに行った際に、
隣接のお寺の山門に立っていた「仁王様」。
仏像の本で見ていたのとは異なり、
実物はとても大きく威圧感ある恐ろしい表情を持った存在として、
息子に強いインパクトを与えました。

その仁王様は、宇宙で一番の力持ちであり、悪魔から人間を守ってくれる。
そして、心のきれいなよい子にはとてもやさしくて、
意地の悪い子やわがままな子にはとてもこわい。

そう父親から聞いた息子は、ある日駅のポスターで見かけた
日光東照宮の山門に立つ仁王様を見て、
いつか会いにいきたいと思っていて、
こうして会うことができたのです。

山門に聳え立っていた「阿・吽」二対の仁王様。
心なしかやさしい表情に見えました。

おかげで最初は怖がっていた息子も、おそるおそるながらも
近づいて見て、そっと上を見上げると、
どこか笑顔にも見えるその赤いお顔に親しみを持ったようでした。

「パパがいつも言っているように、心のやさしい子には
 こうして笑顔を見せてくれるんだよ」

「うん、本当だったね」


私も息子と一緒に、仁王様のお顔を見ながら
以前に読んだ花岡大学さんのお話を思い出していました。

それは、おしゃかさまの傍にいた弟子たちの中で、
仁王様の持つ金剛のきねを持ち上げようとして、
三人の弟子が挑戦するが、
いずれもうまくいかないという話・・・

”その場は、しばらく、しゅんとしずまり返っていた。

 すぐれた力を持っている三人が三人とも、
 金剛のきねを持ち上げることにしくじり、
 おしゃかさまから力が弱すぎるからだといわれたことが、
 どうしてだか、はっきりわからなかったからだ。

 そのようすを見てとったおしゃかさまは、
 そっと仁王さまをおよびになり、
 『ひとつ、みんなのうたがいをはらすために、
  金剛のきねを持ち上げて見せてあげなさい』
 といった。

 仁王さまはうなずいて、きねのそばへよると、
 あれほど三人が一生けんめいになっても動かなかったきねを、
 右手でひょいと取り上げると、
 空中で風車のようにひゅうひゅうと、ふりまわした。
 高く投げ上げて、ひょいと受け取って見せたりもした。

 『どうだね。わかったかい』
 と、おしゃかさまは笑いを含んだやさしい顔で、
 みんなを見まわしながら、言葉をつづけた。

 『はじめに、仁王がいったように、金剛のきねは、
  持つ人の心によって、重くもなり、軽くもなるのだよ。
  
  アジャセ王には、自分は誰よりも強いのだという、
  たかぶりの心があるからだめで、
  帝釈天にも、自分の力をたのみ、アジャセ王の鼻をあかして
  やろうという下心が働いているから、
  きねはいっそう重くなるばかりだし、
  モクレンは、みんなからうやまわれて、いい気になろうというような
  心があるから、金剛のきねは、須弥山より重くなって、
  にじり動きもしなかったのだよ。

  仁王には、そういう自分を買いかぶったり、
  たかぶったりする心が、少しもないから、
  同じきねでありながら、あんなにかるがると持ち上げることが
  できたのだよ』

 おしゃかさまは、やさしいほほえみをうかべながら、
 じゅんじゅんと説き続けた。

 『なにもわたしは、三人をとがめているわけではない。
  人間には、みんな、多かれ少なかれ、
  そういう自分中心の心があって、そこから逃れられないものだが、
  逃れられないのが当たり前ではなく、
  なんとかして逃れるようにつとめなければならない。
  きょうの出来事をしずかにかみしめて、
  ほとけになる道を、
  しっかり見つけ出してほしい』”

 

この子どものときから愛読してきたお話は、
自分が何歳になろうが常に、
「もし自分だったら」「もし、そこにいたら」
「もし、そう言われたら」
という自分を省みずにいられない気持ちにさせられます。

スピリチュアルという言葉で、さまざまなカタカナ言葉の
霊性開発につながるといううたいのものがもてはやされ、
ある種ブームのようにもなっています。
そのようなものを否定するものではありませんが、
安直なブームには決して乗りたいとは思いません。

人にはそれぞれ成すべき使命が与えられており、
それを成就するために、
人には人生という期間が与えられています。

私の場合は、このお話のような
子どもの心をうつような話を
自己のこころの火として灯しつづけてゆくことで、
小さいながらもいのち宇宙の清浄をまねく
灯のひとつとなっていきたいと願うものです。


息子と共に仁王尊を見ながら、そんなことを思っていました。



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土曜日, 3月 29, 2008

「桃の節句と母親のおんぶの愛」-二部治身

3月3日は「桃の節句」の日。

女の子の厄除けと健康祈願のお祝いの日であり、お七夜やお宮参りと同じく
女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う古来からの大切な行事の日。

そんなことを思いながら、以前に聞いた二部治身さんの言葉を
思い出しました。

「アジアのお母さんは赤ちゃんをよく負ぶっている。
 日本ではあまり見かけなくなったのはどうしてだろう。
 昔は負ぶい紐で子どもを背中におんぶしていたもんや。

 これはどうもアジアならではの文化らしい。
 子どもを体に密着させて、背中で愛情を感じていたんやね。
 
 日本人が子どもをおんぶしなくなったことについては、
 警鐘をならしている研究者もいる。

 母親が子どもをおんぶしていれば、
 子どもはいつも親の呼吸や体温を感じ、
 母親はいつも子どもの息遣いや体調を感じることができるんや。

 それをしなくなって、赤ちゃんをすぐベビーカーに乗せたりする。
 あれでは子どもは単なる荷物になってしまう。

 そういった親と子どものじかの接触が少なくなることは、
 子どものためにも、親のためにもよくないことだと思う。
 子どもを虐待する親や、子ども自体が変になったり、
 いまの日本は本当に滅茶苦茶になっているけれど、
 こんな現実も、昔のように日本人が子どもを
 負ぶらなくなったかもしれない。

 やっぱり背中の重みをかみしめることは大切なんやね。

 子どもだったら、その子の息遣いや体温、
 籠だったら季節の花や野菜の香り、収穫の喜び。
 たえずそんなことを感じながら、女たちは家路についたはずや。

 いまはなんでも楽なほうへ人間は向かってしまうが、
 こんな時代だからこそ、もう一度人の背中で感じることを
 見直すべきだと思う。

 私がもっているアジアやアフリカの子どもを背負う布には、
 気が遠くなるような時間を使って、それぞれまったく違った
 刺繍が施してある。

 ひと針、ひと針、愛情をたくさん込めた飾りを競うように
 縫い付けてあって本当に美しい。

 それはお母さんの心が現れた美しさなんやね。」

この言葉から、私も小さき日に母親に負ぶってもらっていた頃の
ことの記憶が甦りました。

そして、息子が赤ちゃんの時、背中に負んぶしていたところ
スヤスヤと眠ってしまった寝顔を妻と共に
「何と子どもとは可愛いものか」と、幸せを感じながら
いつまでも飽きずに見ていたことを思いました。

世界中の子どもたちが、日々幸せでありますように。


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日曜日, 3月 09, 2008

「才覚を持つものと発掘するものとの良縁」-森口華弘

先月20日にお亡くなりになった重要無形文化財保持者(人間国宝)で
京友禅作家の森口華弘(もりぐち・かこう)さんの素晴らしい話を
聞きました。


「斬新な意匠で、現代的な息吹を友禅の世界に吹き込んだ重要無形文化財
 保持者(人間国宝)の森口華弘さん。

 森口さんが学童のころ、図工の時間に「みかんの絵を描きましょう」と、
 担当教師が生徒に指示した。

 森口さんが描いたのは、
 画用紙からはみ出るほどの大きなみかんだった。

 教師はスイカではなく、みかんを描くようにいった。
 「みかんはもっと小さなものでしょう」。

 森口さんは、
 「みかんはとても甘くておいしいけど、小さい。
  だからスイカみたいに大きなみかんがあればいいなあ」と
 思って描いたという。
 でもそれはいわなかった。
 

 次にまたやってきた図工の時間。
 今度は汽車を描くようにいわれた。

 森口さんは画用紙の中央やや右側に、上から下に伸びる
 日本の線を描き、それに短い横棒を入れていった。
 線路である。

 その右手には、たわわに実る稲穂で埋め尽くされた田を、
 左手には麦畑を描いた。

 面積では右の稲が七、左の麦が五、線路部分が三という
 構成だった。

 「汽車を書くようにいったのに、この絵には汽車がないじゃないか」と
 教師から言われた森口さんは、
 「汽車はもう先に行ってしまった」と答えた。

 そんなことがあって、二枚の絵はどちらも、
 甲乙丙の「丙」になった。
 おそらく、トンチンカンな絵しか描けない子という評価を受けたのだろう。


 そんなある日のこと、臨時に赴任してきた美術の教師が
 森口さんの絵をじっと見ていった。

 「この絵はおもしろい。あなたは夢を描きたかったのか?」

 森口さんはうなずいた。
 大きくて甘いみかんが欲しかったし、汽車が通り抜ける
 のどかな風景が好きだったからだ。

 「それなら丙でなく、甲をあげよう」と臨時の教師から言われた。

 図工で、美術の先生から「甲」をもらえた。
 ひょっとしたらぼくには、絵の才能があるのかもしれない。
 それが絵を描くきっかけになったと、
 森口さんは振り返った。」


京友禅をプロとしてやり続け、人間国宝にまでなった森口さんには
才覚がありました。

その才覚を発掘したのは、臨時に赴任してきた美術教師です。

才覚があっても目利きがいなければ才覚は発掘されず、
開花しないまま埋もれてしまうことをよく物語っていますね。


無限の可能性を持つ子供の親として、
深く考えさせられる話です。


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日曜日, 3月 02, 2008

「日本の社会に求められるヒューマン・ファクター」-柳田邦男

房総半島沖で19日早朝に起きた、
海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」がマグロはえ縄漁船「清徳丸」
と衝突した事故。

清徳丸の親子2人の行方は依然不明で仲間の漁船が必死の捜索を
続けており、地元の千葉県勝浦市では家族や仲間が生還を祈り、
真冬の海に必死に手を合わせています。

私もお二人の方が早く見つかるように、心から祈るものです。


今回の事故について、これまでの情報では
乗組員による目視が不十分だったため清徳丸に気付くのが遅れ、
回避動作が間に合わなかった可能性が高いと言われています。

”当時、あたごは当直体制で夜間航行をしており、
 艦橋に10人程度の乗組員が目視などで洋上を監視。
 さらに、前方の船舶を映す水上レーダーでチェックしていた。
 海自幹部によると、300~400メートルより近くなると
 レーダーは役に立たず、乗組員の目視に頼ることになる。
 目視が不十分だった可能性がある。”

一方で、「あたご」はハワイ沖での試験を終え、約4ヶ月ぶりの
帰国。東京湾に入る手前での事故には、乗組員の気の緩みは
なかったかとも言われています。


私は、7年前に起きた海上事故のことを思い出しました。

2001年2月、ハワイのオアフ島沖で米海軍の原子力潜水艦
「グリーンビル」が愛媛県立宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」に
衝突、沈没させた事故。

柳田邦男さんは、自著の中の一節、「ヒューマン・ファクター」
この時の事故のことを取り上げられていました。
 
「衝突の直接的な原因は、原潜が海上の安全を十分に確認しないまま
 急浮上したことにあるのだが、なぜそのような危険な急浮上を
 あえてしたのかという点にある。

 これまでに明らかになった事実(事故を起こした要因)の
 主なものだけでも、次のように多い。

 ・「グリーンビル」はデモンストレーションだけの目的で、
  乗組員数が2/3足らずのまま出航したので、安全担当員が
  不足していた。
 ・民間人の昼食で予定が遅れたため、艦長は見せ場の特殊航法(
  左右に高速蛇行や緊急浮上)の実演を急いだ。
 ・ソナー(超音波探知機)室には、訓練生一人しかおらず、
  「えひめ丸」と見られる船影を一度とらえたのに、訓練生は
  追跡しなかった。
 ・艦長は緊急浮上を命じる前に、潜望鏡を1分20秒しか見ず、
  潜望鏡の海面上への出し方も不十分だった。
 ・艦長より上の上級の参謀長は艦長の手順が速すぎると感じたが、
  艦長と部下の信頼関係にひびを入れてはいけないと思い、  
  口出しをしなかった。 
 など。

 このように列挙すると、艦長や関係乗組員の心理と行動を
 支配していたものは何であったかがくっきりと浮かび上がってきて、
 海軍の中に安全のための何が欠けていたかが自ずと明確になってくる。

 米国の全米科学アカデミーが1999年に医療事故の実態と
 取るべき対策に関する研究報告書を出した。
 この報告書のタイトルは、”To Err Is Human”
 (エラーをするのは人間の本性)


 つまり、人間はエラーを起こしやすいのだということを前提に、
 作業手順や機械・装置の設計や組織のあり方を決めないと、
 事故は防げないという意味


 人間のエラーをこのようにシステムの構造の中でとらえる時、
 重要なキーワードとなるのは、「ヒューマン・ファクター」だ。
  
 エラーという言葉には、非難・攻撃する意味がまつわりつくが、
 ヒューマン・ファクターという用語は、責任問題を論じるより、
 事故をもたらした諸々の要因の中で、
 人間(業務遂行にかかわったさまざまな立場の人々)がどのように
 かかわったのかを、まず明らかにしようという考え方がこめられて
 いる。

 そういう考え方でエラーをヒューマン・ファクターとして
 とらえる時には、
 「なぜその人のエラーは生じたのか」
 「その誘発要因は何だったのか」
 という突っ込んだ分析が重要になってくる。”


今回の海上事故についても、ヒューマン・ファクターを明らかに
することで、今後同様の悲惨な事故の防止につながることになります。

製紙会社各社による再生紙の古紙含有率偽装をはじめとする
さまざまな表示偽装、防衛省の装備品輸入に絡む不正・汚職、
スポーツ界をゆるがしているドーピング疑惑・・・

しかし、日本社会を見ているとこのような偽装、不正、疑惑の
後処理がどうもすっきりするものとはなっていません。

起きた直後には、責任者が頭を下げて記者会見。
頭を下げるということの意味が、軽いものへとなりつつあります。
先日の赤福の営業再開では開始から次々に大量に買い求めていく
人々の姿がテレビに映し出されているのを見ましたが、
何か違和感を感じてしまいました。

人間社会の中で、組織と人間の資質の著しい低下が顕著に見られる現在、
ヒューマン・ファクターへのアプローチを行うことは、
事故調査だけでなく、様々な失敗の分析の視点と方法として、
何事につけ失敗をうやむやにしてきた日本の社会に定着させるべき
大事な課題だと思います。



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土曜日, 2月 23, 2008

「如月の夜に月を見上げて」-城山三郎

一週間前のことです。
その日は午後から仕事、夜は所用で出かけており、
帰宅したのは夜10時前でした。

駅からの帰路、人気のない道を歩きながら
ふと見上げると冬の夜空に月が浮かんでいます。

少し前に、上弦の月だったなあと思いながら、
何か今日一日の心の平安を有り難く思えるような気持ち
にさせてくれるひとときの時間。


昨年亡くなられた城山三郎氏のエッセイの中に
「月見て歩け」という文があったことを思い出しました。

”所用のため、大阪へ日帰りした。
 早朝、家を出て駅に向かうと、ほの白く透き通った月が、
 歩いていく先の西空にかかっていた。

 帰りは、逆に、東の空に、血の色を帯びた月が待っていた。
 満月がやや欠けたばかりのまるい月である。

 早朝の月も、夜の月も、それぞれ美しく、
 それぞれ何か語りかけてくる。

 わたしは月を仰ぎ、月から目を離さず歩いた。
 いい気分であった。
 いろいろ考えねばならぬことや迷っていることもあるのだが、
 すべてが消えてしまって、生まれたばかりの心に
 戻る気がする。

 月を見ているだけで、いつかはいい知恵や新しい元気が
 沸いてきそうな気がするのだ。


 地上の花々が終わる季節になると、代わって月や空が
 きれいになる。
 空がかすむ季節になると、地上の花々が咲き競うようになる。
 この世は、うまい具合に満ちている。

 それにしても花を賞でるほど、わたしたちは空を見ることが
 ないのではないか。
 空や雲のたたずまいをじっくり仰ぎ見ることが少なすぎるのでは
 ないか。
 

 空を見上げることは、浮き世の思いをしばし忘れることである。
 もともと忘れるというのは、「人間の自己防衛の機能」なのに、
 現代人は「忘れることを忘れたのではないか」。

 ついでにいえば、空には仕切りがない。
 心の中にも仕切りのないのがいい。

 年中行事といえば、いまは盆踊りのような騒々しいものだけが
 幅をきかせている。
 多くの人々は、いよいよ画一化され、
 みんなといっしょでなければ生きられなくなっていく。

 それに反し、月見はひとりで静かに宇宙に向かい合う。
 弱々しい大衆の心とはちがった何かがそこには
 生まれてくるはずである。”


数々の名作を送り出された氏の言葉には、こうもあります。

”悠久の大自然の営みを前に人生など、
 波しぶきのひとしずくにも過ぎまい。

 そのひとしずくではあっても、
 いや、ひとしずくであるがゆえに、
 ひとは、
 短いおのが人生をわがものとして
 大切に過ごすほかはない。
              (わたしの情報日記より)”


月に励まされ、昨日より、今日より、明日を思う気持ちに
させてくれる珠玉の言葉です。


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水曜日, 2月 20, 2008

「誰かのために自分を献げて生きてごらん」-山田無文

産経新聞の連載記事「溶けゆく日本人」。

この連載記事は、様々なテーマにより
現在の日本社会と日本人の姿を多方面から描いていて、
とても参考になります。

今週書かれたのは、「蔓延するミーイズム」。

モラルを破壊する自己中心主義の”肖像”を描いたもので、
 ①キレル大人たち-増え続ける”暴走”
 ②”自子中心”の保護者-不安が生み続ける連鎖
 ③衝突避ける家庭-癒すのは自分だけ
 ④すぐ辞める若者-入社→ギャップ→怒り
の題で、社会の様々な層の意識と行動が映し出されていました。

 ①豊富な社会経験を積み、分別を備えているとされる大人、
  とりわけ高齢者が、ときに自分勝手にも思える言動を繰り返し、
  怒りを抑えられず”暴走”するケースが増えている。

 ②言ったもの勝ち、やったもの勝ちの風潮がはびこる現代社会。
  保護者の教育現場への「いちゃもん」(無理難題要求)が増え、
  その根幹には、自分の子供のことしか考えず、ほかのことは
  どうでもいいという”自子中心主義”がある。

 ③今の社会は「誰かや何かの犠牲になるのはいけないこと」という
  共通認識がある。その上、無理や我慢をしてストレスをためるのは
  「体に悪い」。家族の間でも、いや家族だからこそ、面倒な衝突や
  努力を避け、互いに負荷をかけない努力をするという暗黙の了解が
  成り立っている。

 ④「自分が主役」。そんな考え方から抜け切れず、社会に出て戸惑う
  若者が増えている。就職をして、現実と理想のギャップを克服できず、
  自分の情報不足と社会常識がないことを棚に上げて、「話が違う」
  「騙された」と怒り、すぐ辞めてしまう。


そんな社会の閉塞感、個人の心理状況が日本全体に蔓延って、
日々のアンビリバボーな事件・事故につながっているのかもしれません。

仕事場においては、メールなどで即座に回答を求められる機会が増え、
仕事の評価も成果主義に変わる。ストレスが蓄積しやすくなる一方で、
会社には余裕がなくなり、発散する機会が減り、職場などでため込んだ
ストレスを公共空間で爆発させる。

偽装問題の続発、サービスを受ける消費者意識の高まり。

良識を逸脱した言動や行動に対して、トラブルを避けるために
過剰防衛したり、見過ごすことで社会全体がおかしくなってくる。
勝手な行動を抑止する役目を果たしてきた地域コミュニティは崩壊寸前。
歯止めがなくなり、エゴが露出しやくなってきている。

世間は安易な”癒し”にあふれ、軽いノリでのスピリチュアルブームが
広がり、流行歌ではナンバーワンよりオンリーワンをたたえ、
そのままの自分を大切にすることがよしとされている。

「がまんするのはよくない」「楽しめるときに楽しもう」と言って
もらえることで気が楽になるが、それは容易に
「好きなこどだけする」「いやなこと、面倒なことはしない」に
転換されていく。

おかしくなった社会全体のツケは、子供たちにたまる。
子供もはけ口が必要になり、陰湿ないじめなどにつながっていく。
社会にじわりと広がる悪しき連鎖。

 

このような記事を読みながら、私がふと思い出した話があります。
秋月龍珉さんの本で書かれていたお話。

”私の本師(得度の師)は、山田無文老師である。
 あるとき老師は駅で電車を待っていた。

 一人の青年が来て、
 「僕は何をしたらいいんですか」と問うた。

 老師は、「僕の好きなことをしたら、ええじゃないか」と
 言われた。

 すると、青年は「その僕が分からないから、東京から来たんです。
 僕とは何ですか」という。

 老師は言われた。
 「昔から、”汝みずからを知れ”と言われるが、
  一番身近にありながら、一番分かりにくいものだ。
  時間がないから結論だけ言おう。
  
  君は今から誰かのために自分を献げて生きてごらん。
  自分のことを勘定に入れずに、他人のために尽くして、
  そして自分が”よかったなあ、幸せだなあ”と
  思えるような自分が分かったら、
  それが本当の”僕”だと私は思う」。”


無文老師の言葉には、こうもあります。

”自我は尊重されねばならぬであろう。
 が、尊厳ではない。

 個性も尊重しなければならぬ。
 が、真理ではあるまい。

 徹底して、自我と個性を否定し尽くしたとき、
 そこに偉大なる普遍的人間が自覚される。”


人間と人生の本質に対する深い洞察と英知が込められた
無文老師の言葉から、不安と迷い多き現代を生きるための
知恵と勇気を与えられます。
 


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土曜日, 2月 16, 2008

「風花の中にいのちの全体性を感じる」-玄侑宋久

先日の休みの日のことです。

冬の朝、カーテンを開けると、窓硝子越しに
雪が舞っている姿が見えます。

一面の白い世界です。
あ々、今日は休みの日でよかった。という少し安堵の気持ちで
このいきなりの昨日とは異なる外の景色を見ました。

まだ今は寝ている息子が、これから暖かな布団から起き出して、
この白景色を見たらきっと驚き、そして喜ぶことでしょう。

「霜やけの手を吹いてやる雪まろげ」

子供にとっての雪は、天の与えてくれた一時の遊びもの。
私も子供のとき、雪が降ると意気揚々と外に出ては、
雪をころころと転がして、だんだんと大きな塊にすることを
楽しんだものです。

無心にただ雪に触れ遊ぶ。
雪をただひたすらに転がす。
塊をただただ大きくする。


そんなことを思い、雪が深深と降る様を見ながら、
数週間前に読んだ「般若心経」(玄侑宋久著)に書かれていたことを
想い出しました。

「般若波羅蜜多」という普遍的真理であり、
全体が一つの「陀羅尼」である。

この「陀羅尼」とは「総持」の意であり、
これは普遍的な真理を理解し、記憶し、それを保つ能力を
「総て持つ(すべてたもつ)」ことが大事。

すなわち、「総持」とは「全体」を持つこと。
理解し、記憶し、そして保つこと。

こう単純に書くと、できそうに見えるのですが、普通の人間
とりわけ大人にはこれを同時に行うことはそう簡単ではありません。

玄侑氏が言うには、
 理解から記憶に進む際に、
 断片的な知識を記憶するのは「私」であり、
 全体をまるまる記憶するのは「私」ではないそう。

 いったん記憶された音の連なりは、一切の思考を伴わずに出てくる。
 あらゆる思考はその表出を邪魔する働きしかない。

 全体がまるごと記憶され、それは再生される度に「識」を
 浄化していくのではないか。

 再生しながらその力を保つことで、
 「識」そのものも「空じられる」と考えてもいい。

 断片化された世界を安易に「全体」と勘違いし、
 知的に明確に知ることでやすらぎでなく「単なる満足」に
 陥いる危険性を持つ「私」。

 そして長年、世界の中心であるかのような意識をもちつづけた
 「私」の殻は、相当に強固である。

 こうして「人間の知恵の限界を知る」ということが大切なこと。

 「花」も「私」も自立的でも恒久的でもなく、
 隔てなく融合しながら同じ「いのち」の「縁起」のなかにあることを
 感じ取る。

 これが、「全体」との本当の関係性のなかで、自分が再生していく道。


ところで、先月5歳になった息子は、数週間で「般若心経」を
暗唱できるようになりました。

子供の持つ本来制限のなき能力の広さをあらためて知るとともに
無意識に社会に適合しようとして、その能力に枠をはめ込もうとする
大人社会を自省させられます。


弘法大師は、「般若心経秘鍵」の中で
「それ仏法遙かにあらず、
 心中にして即ち近し、真如外にあらず」

と説かれています。

「本来の自分、ありのままの自分」を大事にして、
「自分自身に帰る」ことが、生の真のやすらぎを得られること

なのでしょうね。

雪の風花を無心に見ながら、そんなことを思いました。


***************************

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至無意識界。無無明亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽。
無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、
心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、
能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経


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水曜日, 2月 06, 2008

「偉大なる魂の生き方」-マハトマ・ガンディー

1月30日は、インド独立の父、マハトマ・ガンディーが
暗殺されてから丸60年となる日。

インド各地では、首都ニューデリーでの追悼行事や
ムンバイでのガンジーの曾孫による遺灰をアラビア海に流す行事などが
行われたそうです。

インド独立の翌年1948年1月30日、
ニューデリーの滞在先で、ヒンズー教至上主義者に銃撃され、
ガンディーは死亡。

20世紀の知性を代表するアルバート・アインシュタイン博士は
「道徳的衰退が一般的な我々の時代にあって、
 彼だけが政治領域における
 より高い人間関係の概念を
 体現する唯一の政治家であった」

と哀悼しました。


私は、小学校卒業の記念文集に「ガンジーを読んで」という題で、
このインドに生まれ、丸メガネをかけた痩せた小さな身なりに
腰布で体を包んだ半裸のインド人のすばらしい生き方に
感動したことを書きました。
それから30年が経っています。

歴史が大好きで、様々な英雄・好人物の伝記を
読み漁っていた自分が
ガンジーという人物を取り上げたのだろうか?
その後文集を読み返す度に、
自分でもその時なぜ彼を取り上げたのだろうかと
思い返してみたものです。

これこれこうという理由はよく思い出せないものの、
はっきりと言えるのは、
子供ながらにこの半裸のインド人の持つ偉大な魂の生き方に、
自分が強く惹かれたということです。

そしてその後、自分の歳が増え、
様々な人々のその様々なる人生、社会の不公平と不条理、
家族という存在の有り難さ、
同じビジョンに共感する人々との素敵なつながり、
などを通して、
この「ブッダ以来最も影響を持ったアジア人」(寺島実朗氏)
生き様とそれを支えた魂に益々強く惹かれています。


1869年、ガンディーはインドのグジャラート州に生まれ、
19歳の時に英国留学へ行きます。
地位と金を求めて弁護士資格取得を目指す植民地からの
留学生でした。

その英国生活の中で、彼は次第に大英帝国の繁栄の陰に
悲惨な貧困者が存在する矛盾に気づき始めます。
そして英国的生活にあこがれる気持ちも次第に萎え、
「インド回帰」ともいうべきインド人としての自覚を高めていく
ようになります。

1900年、南アフリカに渡り青年弁護士として現地で働くインド人を
応援しながら、次第に「真理への確信に基づく不服従の闘い」
という思想の基軸を醸成していきます。

そして、実験農場を開設し、新聞の発行を行うなどして、
機械文明への過剰依存を嫌い、額に汗して働くことを尊ぶ
ガンディーの思想、民衆を分断し差別する支配の構造に対する
静かな抵抗思想が段々と形成されていったのです。

当時の英国のインド統治は「分断による統治」であり、
それはヒンズーとイスラムという宗教の対立、根強いカースト制度、
人権・言語の多様性、地方主義へのこだわりなど、
インド社会に横たわる多様性を分裂し敵対的に分断させることで
結束させないことに苦心することで行われているものでした。

この分裂・分断に対して、インド国民の自尊を求め徒手空拳で
大英帝国に立ち向ったのがガンディー。

母国に戻った彼は、
「サティヤーグラハ」(真理への確信に基づく不服従の闘い)という
手段により、武器や暴力は使わず、愛と条理を貫き、
徹底して相手の良心に訴えかける方法をとりました。

その後、1948年にインド独立。

大英帝国の植民地からの解放という目的は達せられたものの、
彼の夢であったヒンズーとイスラムの和解と協調に基づく
インドの統一的独立は実現しませんでした。
それぞれがインドとパキスタンとして分離独立し、現在に至っています。


ガンディーを銃弾で倒した民族や宗教の壁は、21世紀を迎えた今日
容易に崩れることはなく、世界の各地でテロの悲劇が見られている。

しかし、この偉大なる魂を持ったガンディーの思想と行動は、
キング牧師やマンデラ氏など世界各地でいわれなき差別や圧制に
苦しみながらも、社会の不条理に立ち向かう多くの人々に
勇気とインスピレーションを与えています。

それはまさしく地球の生物の進化においてまだ幼年期にある
人類に対して「良心」を種蒔いたものであり、地球市民の高い
意識を持った人々がこれを芽吹かせてきていることを感じるものです。


「汝が声、 
 誰も聞かずば、
 一人歩め、一人歩め」


ガンディーのこの励ましに、これからも多くの魂が
目覚めてゆくことでしょう。


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日曜日, 2月 03, 2008

「自然とは、神が自分自身を愛しむ気持ち」-☆森のクマさん☆

先月、5歳の誕生日を迎えた息子。
彼のここ最近の関心は、様々な生き物のつながり。

昨年の夏・秋と「虫の探検隊」に出かけたことで、
森の中や草原、田圃などに見られる様々な自然の生き物達の暮らしに
強い関心を持っています。


平日の朝起きた途端に、
「パパ、カマキリはバッタを食べる?」
「カブトは何を食べるの?」

・・・・

私は朝の支度に忙しい中、最愛の息子の質問になるべく
答えてあげたいと思うのですが、なにせ朝の1分は貴重な1分。
そうそう丁寧には答えられません。
「良ちゃんが寝ちゃう前に帰って来れたら、答えてあげるよ」
そして出かけます。

仕事を終えて、帰宅すると
待ってましたと息子のニコニコ笑顔。
「パパ、フクロウは何を食べるの?」
「木の蜜に集まる虫の中で、スズメバチは何番目に強いの?」
「タガメとタイコウチがいるところに、
 メダカがやってきたらどっちが食べるかな?」

・・・・

因みに、休みの日は、この質問がずっと続きます。
子供の好奇心のすごさに感心すると共に、
大人のエネルギー、集中力は子供のそれにはかなわないと脱帽です。
私は自然のことをある程度は知っているので、
何とか息子の質問に答えられていますが、段々質問のレベルも
上がってきています。

息子は父親とのやりとりを通して、
自然界には、
・草食もいれば肉食もいる。雑食もいる。
・生き物の生息する環境には、様々なものがある。
・生き物の世界には、競争もあれば協力もある。
とうことを何となく理解してきているようです。

やりとりを繰り返しながら、
息子が自然や生き物の世界の不思議さに驚き、惹かれていることを、
とても嬉しく思っています。

一方で、何よりも大事なことは知識での満足ではなく
自然そのものに直接ふれること。
そのことこそが、子供の成長に大きな役割を果たす。
自分の子供時代を懐かしく振り返り、きっとそうであると
確信しています。

冬の今は、生き物たちは休眠期ですが、これから暖かくなり、
生き物達の春の活動を見たら息子はさぞ喜ぶことでしょう。
親馬鹿の私はその日を心待ちにしています。


そんなことを書きながら・・・
以前に読んだ本の中に載っていた米国ウエスト・バージニアの
山頂の保護活動を行っている女性の話を思い出しました。

 ”ジャネットさんは自分自身が自然の中で過ごした子供時代を
 振り返る時、それが現在の環境活動の源であるばかりでなく、
 精神の栄養になっていることがわかるのだ。

 子供のころには、叔父夫婦の牧場に行くのが大好きで、そこにいると
 想像力と精神とが大きく広がるのだった。
 彼女は、納屋へ、鶏小屋へ、丘の麓へ、牧場へ、渓谷へと、
 目の前に横たわる豊かな自然の中での宝探しの冒険に飛び出していった。
 
 それが猫の赤ん坊が生まれるのを見ることであろうが、
 死んで地面に横たわっている羽毛のない鳥の雛に涙することであろうが、
 命についてのジャネットの好奇心に対して、
 ありあまるほどの学びのチャンスをくれた。
 そして死は避けられないことであることも教わった。

 「私はいまだに、彗星や日食や月食、流星群といった天体の出来事に
  畏怖の気持ちをもっています。

  そうした不思議を見ていると、なぜだか、私が生まれる遥か前にも
  同じように感じていた、数知れない人間や生き物と自分が
  つながっているのを感じるのです。

  無限の宇宙とその神秘とのおかげで、
  私は人生に対して大きな見方をすることができます。
  自然界のありふれたもの、たとえば一枚の鳥の羽が
  100万もの部分からなることに対して、今までよりも大きな驚きで
  いっぱいです。

  子供のころの私は、自然の中に自由の喜びを見つけていました。

  そして今でも流れる小川の脇や、星の天蓋の下にいるときには、
  最も深い喜びを感じます。」

 ジャネットは、自然の中には適切な言葉を超えた何かがあると
 感じるという。  
 彼女はそれを「神が自分自身を愛しむ気持ち」と呼ぶ。

 彼女の娘は成長し、今では遠く離れた都会に住んでいるが、
 やはり同じように感じている。” 
 

自然は子供たちに、彼らが一人ぼっちでないこと、
世界の真実や多様性は彼らの身の丈にあったものだということを
教えてくれます。 


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木曜日, 1月 31, 2008

「つつましい方丈に無限の宇宙を見る生き方」-☆森のクマさん☆

前回の日記では、地球環境問題が大きく顕在してきている中で

「私たち日本人や先進国に住む人々が、サステナブルの意識を持ち
 自分のできることを行動し、地球上の他の生命とのつながりに
 感謝して生きていくことが求められている」


ことを書きましたが、先日ある新聞記事を読んで深く心が
揺り動かされました。
皆さんに共有したく以下にご紹介します。

”昨年末、東南アジアから南アジアと、いくつかの国々を訪れた。
 地球温暖化の影響が懸念される地域と、
 インド洋大津波(2004年12月)から3年を迎えた被災地の取材が
 目的であった。

 インドネシア・アチェ州西岸のラムプーク村は、大津波で
 モスク以外が水没してしまった村だった。

 この村は、米国の支援を受けた後、
 トルコの住宅企業が約700戸の被災者住宅を建設するなど
 他国の支援を受け続けてきている。

 村に住むナスミンさんに聞いてみたところ、
 彼はこう嘆いた。
 「住民たちの心はすっかり変わってしまった。
  村の仕事も以前なら共同作業で助け合ったのに。
  今ではお金にならないと動こうとしない。」

 自然災害とそれに伴う援助によって村のありようが左右される。
 守ってきた風習や文化が変質してしまうこともある、
 と思った。


 ヒマラヤ山脈の王国、ブータンは国土の70%以上が森林に
 覆われた秘境である。

 だが、地球温暖化で北部の氷河が解けて氷河期の水量が急増し、
 深刻な事態が懸念されている。

 同国の南北標高差は実に7千mあり、
 ひとたび氷河湖が決壊すると、
 森林をなぎ倒しながら一気に土石流が流れ落ちることになるのだ。

 ブータンは森林伐採を厳禁するなど環境保護を国是としている。
 主要産業の水力発電を維持するためにも不可欠な政策なのだが、
 何よりも国民が自然を守るという意識を共有していた。

 中部のポブジカ村には、毎年越冬のために飛んでくる
 ツルを保護する理由から、電線を引くことをあきらめた
 住民たちがいた。
 ツルは民話や民謡に登場する大切な生き物である。

 「あなたたちは温暖化の問題を少し科学的にとらえすぎてはいませんか」
 
 国営ブータン放送のツェワン・デンドゥプさんは
 こう疑問を投げかける。

 「私たちにとってそれは精神世界の危機なのです。
  ブータンの文学や音楽は山から生まれました。
  森林破壊とは、私たちの魂が崩壊することだと思っています」

 日本の温暖化論議に欠けているもの、
 それは日本も被害者であるという当たり前の視点ではないだろうか。

 温室効果ガスを削減しなければならないのは、
 他国のためばかりではなく、日本のありようにも
 影響する問題だからなのだ。

 温暖化で失われるかもしれない、日本の守るべきものとは何か。 
 足下から見つめ直す必要がある。”(1/13産経)


森林破壊とは、私たちの魂が崩壊すること。
というブータンの男性の言葉は強く印象に残ります。


”ヒマラヤの麓にブータン王国という小国がある。
 昭和天皇の大葬の礼で喪に服してくれた親日国だ。
 
 いま、この国は国民総幸福量(GNH)という独自の国家戦略で
 国際社会の熱い関心を集めている。

 人口も資源も限られた小国が物質的指標にのみ依拠していれば、
 容易に負け組に転落する。
 ヒマラヤという最高の自然遺産もグローバル化で観光の大波が
 押し寄せれば、たちまち荒廃してしまう。

 国民総生産(GNP)より国民総幸福量(GNH)。
 小国は小国らしく。

 それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも
 言えるのだが、
 経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から
 ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、
 極めて示唆的である。
  
 日本も今こそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。”(1/1産経)


そして、1月1日元旦のこの記事には、こうあります。

「温故知新という。
 つつましい方丈に無限の宇宙を見るような
 日本古来の節度ある生き方を、
 いまこそよみがえらせ、
 その知恵と哲学を世界に伝えたい。」


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日曜日, 1月 20, 2008

「サステナブルの意識を持つこと」-☆森のクマさん☆

2008年年明け、新聞各紙では地球環境問題についての
連載記事を載せ始めました。
産経「生き物異変 温暖化の足音」、朝日「環境元年 エコウォーズ」。

私たちが生きている現在は、人類がかつて直面したことのない
気候変動が起きつつある状況にあります。

この100年間で世界の平均気温は0.74度高くなっています。
たった0.74度ではなく、0.74度も上がってしまったという数字。
その影響が、自衛手段を持たない生き物たちの命に表れてきています。
草虫木魚鳥獣、彼ら多様な命が次々に亡くなりつつあり、
また絶滅の危機に追いやられています。

私たち人類は、自然の一部。
どんな国であれ、どんな人であれ、自分だけでは生きていけません。
誰もがそう言われれば、その通りと肯くことでしょう。

でありながら、自然の生態系からはみ出すだけでなく、
その生態系の調和を大きく乱すことを行ってしまっています。

地球環境の現状を知れば知るほど、「すぐに何かやらねばならない」と
皆さん思うはずです。

では何を行えばよいのか?
答えは簡単です。
「自分でできることをすぐに行いましょう!」

・水や電気の消費を減らす。
・買い物の時に包装や袋はもらわず、エコバッグを使う。
・車の使用を減らして、電車や自転車・歩きをときどき行う。
・家でも外でも食べ物の余りが出ないようにする。
・ゴミをなるべく減らし、余分なものは買わない。
などなど。

途上国では、貧しさから上記のようなことは当たり前の
環境にある人たちがたくさんいます。
世界では多くの人が1日当たり100円以下の生活を強いられています。

私たちは、いつのまにか欲しいモノはすぐに手に入る生活に
すっかり慣らされてしまいました。
たしかにそのお陰で生活は格段に便利になりました。
でも、大量生産・大量消費・大量廃棄ではサステナブル(持続的)では
ありません。その大きなつけが、地球環境問題となって表れている。


温暖化対策を考えることは、自らのライフスタイルを見直すこと。
私たちは、消費者として実は大きな力を持っています。
意識を変革し、環境に調和して製品を求めていきましょう。

これからの時代は、サステナブルということを意識しながら
自分のできる範囲で工夫や我慢をして、自分達の社会のため、
未来の世界のためにちょっとしたことの積み重ねが大事です。
それは結局、自分のためになります。


人間の本当の豊かさとは何かを模索しながら、
答えを出していく時代に入りました。

これからは、私たち人間を含めて
この地球上に生きる全ての生き物達が互いにつながりあい、
生命を支え合っているということも自覚していきましょう。

生命の多様性に感謝して。




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土曜日, 1月 12, 2008

「笑顔、笑顔、にっこり笑顔」-仙臺四郎さん

謹賀新年
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

大晦日から正月2日にかけて、 「実父の70歳のお祝い&会社からの引退の慰労」
兼ねて 実父・母、兄や妹の家族と一緒に総勢14名で、兄の住む仙台市内にある
秋保温泉へ。

大人数が久しぶりに揃い、とても賑やかで楽しい新年です。
息子も従兄弟たち5人に会えて、大はしゃぎ。
「楽しい、楽しい」と嬉しそうに言う息子の笑顔を見て、 とても幸せ。
皆がにっこり笑顔の、本当によい一年の始まりとなりました。

「笑うかどには福来る」と昔からいいますが、
仙台には、かつていつもにこにこ笑顔がすばらしく、 生きながらにして
すでに福の神と呼ばれ人々に大変慕われたという 不思議な人物がいました。

その方の名は、仙臺四郎さん。  
江戸末期、仙台に生まれた実在の人物。  
明治時代、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていたそう。    

それは、四郎さんが立ち寄る店は必ず大入り満員となり、商売繁盛したからだと言う・・・。  

生前、四郎さんが立ち寄る家や人々に福をもたらし、  
「四郎さん、四郎さん」 といくら招いても見向きもされない家には福が来なかった
お話は有名だそう。  

四郎さんは人を見抜く力があり、ずるい人や意地の悪い人間は大嫌いだったのでしょう。  
四郎さんの肖像画は、家運上昇、商売繁盛にご利益があるといって  
仙台の古い商家には必ず飾ってあったという。  

そもそも四郎さんは、少々知的障害を持った人物だったとか。  
初めは、何となく、他人の家に来ては 愛想の良い笑顔を振りまいて帰っていく、  
ただそれだけの人と思われていたそう。  

ところが、不思議なことに  四郎さんが来た家は、なぜか運が向いてきて  
良いことばかり起こるようになりそのことが町中の評判となった。  

ある日の事、仕事がうまく行かず死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、  
ふらっと現れ四郎さんはこう言い放ったという。  
「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」  

四郎さんにそう言われて、ふと自分の顔を鏡で覗いて見ると、  
そこには鬼のような顔をした男が。  
はっとして目が覚め気づいたという、これでは商売ができるはずもないと。  

玄関に戻るとそこには四郎さんはいなかった。  
自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるために
がんばってくれている妻と子供が立っていた。  
この時はじめて、なぜ自分の商売がうまく行かなかったのか、  
その原因が何となく理解できたような気がした。  

その後、商売もうまく行くようになり  元気さを取り戻したという。  
そればかりではない、なぜかは知らないが、それ以外にも幸運が押し寄せてきたという。  
今でもその家の家宝は、小さな額に入った四郎さんの写真であるという。  

そんなこともあり、仙臺四郎という人は、何時の間にか福の神さまではないかという
噂が立つほどの評判を呼んだ。  

四郎さんは、明治35年頃47才で死去されたと仙台市歴史民俗資料館に
記録が残されている。  
四郎さんは「バヤン」という言葉しか話すことができなかったそう。  
そこに不思議な力の源があったのかもしれません。  
人々を幸福にする為に生まれてきた人物だったのでしょうね。

記念の土産に買った仙臺四郎さんの絵が描かれている暖簾の言葉。  
「四郎が笑へば 福来る」

笑顔で福をたくさん呼び込み、 よい一年を過ごしていきましょう!


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水曜日, 1月 02, 2008

「私たちには世界を創造していく力がある」-☆森のクマさん☆

昨年末、無事仕事を納め、
家の大掃除の総仕上げを妻と頑張りました。

家中をきれいにすることができ、
清々しく新年をお迎えすることができています。

こうして健康でいられ、仕事もより充実して
行うことができ、家族仲良く、一年を過ごすことができました。

本当に有り難いことです。
支えていただいた方々、縁あってつながった方々、
見守っていてくださった方々に深く感謝いたします。


さて、2008年はどんな年になっていくでしょうか。

大切なことは、
この世界が、社会が、よくなるも悪くなるも
私たち一人ひとりの意識と行動の産物によるものだと
いうことです。

与えられた世界、与えられた社会に生きているのではなく、
自分たちの創り出した中にあるということですね。

私たちに求められているのは、
状況の犠牲者になるのをやめ、新たな環境を創ることに
参加していくということです。

健全な世界を、私たちの子ども達や未来の世代に
確実に渡していくのに欠かせない重要な転換は、
今までと同じことを繰り返していては実現しません。

絶えず現実について理解を深め、
あらゆるものがつながり合う世界にしっかり参加できるように
していくことが大事なのです。


今年最後の日記に、
次の言葉を皆さんへお贈りします。

「何かを強く望めば
 
 宇宙の全てが協力して

 実現するように助けてくれる」
             (「アルケミスト」角川書店)


多様性ある生命のつながりの中で、
こうして生きていられることの素晴しさに深く感謝して。





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「土というものは耕す者の心をうつす」-山本周五郎 

ある作家の言葉に、魂が揺さぶられ、 その一つひとつが深く心に染み渡ります。

作家の名は、山本周五郎
数々の名作を遺した昭和を代表する大作家。
人間の”生”を真正面から肯定し、 真摯に生きることの尊さを力説して、
人生に迷う人々に、 生きる勇気と指針を与えてくれる数々の素晴しい作品。

評論家の木村久邇典氏は、
「明治以降の日本近・現代文学の中で、人間の魂の根底からゆさぶられるような、  
強く激しい感動性をもつ作品を問い続けた作品を尋ねられるならば、  
私は躊躇することなく、山本周五郎を、その第一に挙げる」
と語っています。

「樅の木は残った」、「赤ひげ診療譚」、「青べか物語」、「ながい坂」 などの作品群には、
いずれも人生を真摯に生きる者が深い感動とともに 胸の奥に刻み付けるいくつもの箴言。  

「人間は生まれや育ちは問題じゃない。   
生まれや育ちよりも、いまなにをするか、   
これからなにをしようとしているか、   
ということが大事なのだ」

「なるほど人間は豊かに住み、暖かく着、美味を食べて暮らす方がよい、   
たしかにそのほうが貧窮であるより望ましいことです。      
なぜ望ましいかというと、貧しい生活をしている者は、   
とかく富貴でさえあれば生きる甲斐があるように思いやすい、   

・・・・・美味いものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮らすことが、   
粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい。   
だから貧しいよりは富んだほうが望ましいことはたしかです。   

然しそれでは思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら、   
それで何か意義があり満足することができるでしょうか。      

おそらくそれだけで意義や満足を感ずることはできないでしょう、   
人間の欲望には限度がありません、   
富貴と安穏が得られれば更に次のものが欲しくなるからです。   

たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、   
人間と生まれてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、   
世の中のためにも少しは役立ち、意義があった、   
そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います。」  

「花を咲かせた草も、実を結んだ樹々も枯れて、   
一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、   
ひっそりとながい冬の眠りに入ろうとしている。   

自然の移り変わりのなかでも、
晩秋という季節のしずかな美しさは格別だな」

「土というものは耕す者の心をうつす。」   


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