木曜日, 1月 31, 2008

「つつましい方丈に無限の宇宙を見る生き方」-☆森のクマさん☆

前回の日記では、地球環境問題が大きく顕在してきている中で

「私たち日本人や先進国に住む人々が、サステナブルの意識を持ち
 自分のできることを行動し、地球上の他の生命とのつながりに
 感謝して生きていくことが求められている」


ことを書きましたが、先日ある新聞記事を読んで深く心が
揺り動かされました。
皆さんに共有したく以下にご紹介します。

”昨年末、東南アジアから南アジアと、いくつかの国々を訪れた。
 地球温暖化の影響が懸念される地域と、
 インド洋大津波(2004年12月)から3年を迎えた被災地の取材が
 目的であった。

 インドネシア・アチェ州西岸のラムプーク村は、大津波で
 モスク以外が水没してしまった村だった。

 この村は、米国の支援を受けた後、
 トルコの住宅企業が約700戸の被災者住宅を建設するなど
 他国の支援を受け続けてきている。

 村に住むナスミンさんに聞いてみたところ、
 彼はこう嘆いた。
 「住民たちの心はすっかり変わってしまった。
  村の仕事も以前なら共同作業で助け合ったのに。
  今ではお金にならないと動こうとしない。」

 自然災害とそれに伴う援助によって村のありようが左右される。
 守ってきた風習や文化が変質してしまうこともある、
 と思った。


 ヒマラヤ山脈の王国、ブータンは国土の70%以上が森林に
 覆われた秘境である。

 だが、地球温暖化で北部の氷河が解けて氷河期の水量が急増し、
 深刻な事態が懸念されている。

 同国の南北標高差は実に7千mあり、
 ひとたび氷河湖が決壊すると、
 森林をなぎ倒しながら一気に土石流が流れ落ちることになるのだ。

 ブータンは森林伐採を厳禁するなど環境保護を国是としている。
 主要産業の水力発電を維持するためにも不可欠な政策なのだが、
 何よりも国民が自然を守るという意識を共有していた。

 中部のポブジカ村には、毎年越冬のために飛んでくる
 ツルを保護する理由から、電線を引くことをあきらめた
 住民たちがいた。
 ツルは民話や民謡に登場する大切な生き物である。

 「あなたたちは温暖化の問題を少し科学的にとらえすぎてはいませんか」
 
 国営ブータン放送のツェワン・デンドゥプさんは
 こう疑問を投げかける。

 「私たちにとってそれは精神世界の危機なのです。
  ブータンの文学や音楽は山から生まれました。
  森林破壊とは、私たちの魂が崩壊することだと思っています」

 日本の温暖化論議に欠けているもの、
 それは日本も被害者であるという当たり前の視点ではないだろうか。

 温室効果ガスを削減しなければならないのは、
 他国のためばかりではなく、日本のありようにも
 影響する問題だからなのだ。

 温暖化で失われるかもしれない、日本の守るべきものとは何か。 
 足下から見つめ直す必要がある。”(1/13産経)


森林破壊とは、私たちの魂が崩壊すること。
というブータンの男性の言葉は強く印象に残ります。


”ヒマラヤの麓にブータン王国という小国がある。
 昭和天皇の大葬の礼で喪に服してくれた親日国だ。
 
 いま、この国は国民総幸福量(GNH)という独自の国家戦略で
 国際社会の熱い関心を集めている。

 人口も資源も限られた小国が物質的指標にのみ依拠していれば、
 容易に負け組に転落する。
 ヒマラヤという最高の自然遺産もグローバル化で観光の大波が
 押し寄せれば、たちまち荒廃してしまう。

 国民総生産(GNP)より国民総幸福量(GNH)。
 小国は小国らしく。

 それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも
 言えるのだが、
 経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から
 ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、
 極めて示唆的である。
  
 日本も今こそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。”(1/1産経)


そして、1月1日元旦のこの記事には、こうあります。

「温故知新という。
 つつましい方丈に無限の宇宙を見るような
 日本古来の節度ある生き方を、
 いまこそよみがえらせ、
 その知恵と哲学を世界に伝えたい。」


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日曜日, 1月 20, 2008

「サステナブルの意識を持つこと」-☆森のクマさん☆

2008年年明け、新聞各紙では地球環境問題についての
連載記事を載せ始めました。
産経「生き物異変 温暖化の足音」、朝日「環境元年 エコウォーズ」。

私たちが生きている現在は、人類がかつて直面したことのない
気候変動が起きつつある状況にあります。

この100年間で世界の平均気温は0.74度高くなっています。
たった0.74度ではなく、0.74度も上がってしまったという数字。
その影響が、自衛手段を持たない生き物たちの命に表れてきています。
草虫木魚鳥獣、彼ら多様な命が次々に亡くなりつつあり、
また絶滅の危機に追いやられています。

私たち人類は、自然の一部。
どんな国であれ、どんな人であれ、自分だけでは生きていけません。
誰もがそう言われれば、その通りと肯くことでしょう。

でありながら、自然の生態系からはみ出すだけでなく、
その生態系の調和を大きく乱すことを行ってしまっています。

地球環境の現状を知れば知るほど、「すぐに何かやらねばならない」と
皆さん思うはずです。

では何を行えばよいのか?
答えは簡単です。
「自分でできることをすぐに行いましょう!」

・水や電気の消費を減らす。
・買い物の時に包装や袋はもらわず、エコバッグを使う。
・車の使用を減らして、電車や自転車・歩きをときどき行う。
・家でも外でも食べ物の余りが出ないようにする。
・ゴミをなるべく減らし、余分なものは買わない。
などなど。

途上国では、貧しさから上記のようなことは当たり前の
環境にある人たちがたくさんいます。
世界では多くの人が1日当たり100円以下の生活を強いられています。

私たちは、いつのまにか欲しいモノはすぐに手に入る生活に
すっかり慣らされてしまいました。
たしかにそのお陰で生活は格段に便利になりました。
でも、大量生産・大量消費・大量廃棄ではサステナブル(持続的)では
ありません。その大きなつけが、地球環境問題となって表れている。


温暖化対策を考えることは、自らのライフスタイルを見直すこと。
私たちは、消費者として実は大きな力を持っています。
意識を変革し、環境に調和して製品を求めていきましょう。

これからの時代は、サステナブルということを意識しながら
自分のできる範囲で工夫や我慢をして、自分達の社会のため、
未来の世界のためにちょっとしたことの積み重ねが大事です。
それは結局、自分のためになります。


人間の本当の豊かさとは何かを模索しながら、
答えを出していく時代に入りました。

これからは、私たち人間を含めて
この地球上に生きる全ての生き物達が互いにつながりあい、
生命を支え合っているということも自覚していきましょう。

生命の多様性に感謝して。




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土曜日, 1月 12, 2008

「笑顔、笑顔、にっこり笑顔」-仙臺四郎さん

謹賀新年
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

大晦日から正月2日にかけて、 「実父の70歳のお祝い&会社からの引退の慰労」
兼ねて 実父・母、兄や妹の家族と一緒に総勢14名で、兄の住む仙台市内にある
秋保温泉へ。

大人数が久しぶりに揃い、とても賑やかで楽しい新年です。
息子も従兄弟たち5人に会えて、大はしゃぎ。
「楽しい、楽しい」と嬉しそうに言う息子の笑顔を見て、 とても幸せ。
皆がにっこり笑顔の、本当によい一年の始まりとなりました。

「笑うかどには福来る」と昔からいいますが、
仙台には、かつていつもにこにこ笑顔がすばらしく、 生きながらにして
すでに福の神と呼ばれ人々に大変慕われたという 不思議な人物がいました。

その方の名は、仙臺四郎さん。  
江戸末期、仙台に生まれた実在の人物。  
明治時代、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていたそう。    

それは、四郎さんが立ち寄る店は必ず大入り満員となり、商売繁盛したからだと言う・・・。  

生前、四郎さんが立ち寄る家や人々に福をもたらし、  
「四郎さん、四郎さん」 といくら招いても見向きもされない家には福が来なかった
お話は有名だそう。  

四郎さんは人を見抜く力があり、ずるい人や意地の悪い人間は大嫌いだったのでしょう。  
四郎さんの肖像画は、家運上昇、商売繁盛にご利益があるといって  
仙台の古い商家には必ず飾ってあったという。  

そもそも四郎さんは、少々知的障害を持った人物だったとか。  
初めは、何となく、他人の家に来ては 愛想の良い笑顔を振りまいて帰っていく、  
ただそれだけの人と思われていたそう。  

ところが、不思議なことに  四郎さんが来た家は、なぜか運が向いてきて  
良いことばかり起こるようになりそのことが町中の評判となった。  

ある日の事、仕事がうまく行かず死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、  
ふらっと現れ四郎さんはこう言い放ったという。  
「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」  

四郎さんにそう言われて、ふと自分の顔を鏡で覗いて見ると、  
そこには鬼のような顔をした男が。  
はっとして目が覚め気づいたという、これでは商売ができるはずもないと。  

玄関に戻るとそこには四郎さんはいなかった。  
自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるために
がんばってくれている妻と子供が立っていた。  
この時はじめて、なぜ自分の商売がうまく行かなかったのか、  
その原因が何となく理解できたような気がした。  

その後、商売もうまく行くようになり  元気さを取り戻したという。  
そればかりではない、なぜかは知らないが、それ以外にも幸運が押し寄せてきたという。  
今でもその家の家宝は、小さな額に入った四郎さんの写真であるという。  

そんなこともあり、仙臺四郎という人は、何時の間にか福の神さまではないかという
噂が立つほどの評判を呼んだ。  

四郎さんは、明治35年頃47才で死去されたと仙台市歴史民俗資料館に
記録が残されている。  
四郎さんは「バヤン」という言葉しか話すことができなかったそう。  
そこに不思議な力の源があったのかもしれません。  
人々を幸福にする為に生まれてきた人物だったのでしょうね。

記念の土産に買った仙臺四郎さんの絵が描かれている暖簾の言葉。  
「四郎が笑へば 福来る」

笑顔で福をたくさん呼び込み、 よい一年を過ごしていきましょう!


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水曜日, 1月 02, 2008

「私たちには世界を創造していく力がある」-☆森のクマさん☆

昨年末、無事仕事を納め、
家の大掃除の総仕上げを妻と頑張りました。

家中をきれいにすることができ、
清々しく新年をお迎えすることができています。

こうして健康でいられ、仕事もより充実して
行うことができ、家族仲良く、一年を過ごすことができました。

本当に有り難いことです。
支えていただいた方々、縁あってつながった方々、
見守っていてくださった方々に深く感謝いたします。


さて、2008年はどんな年になっていくでしょうか。

大切なことは、
この世界が、社会が、よくなるも悪くなるも
私たち一人ひとりの意識と行動の産物によるものだと
いうことです。

与えられた世界、与えられた社会に生きているのではなく、
自分たちの創り出した中にあるということですね。

私たちに求められているのは、
状況の犠牲者になるのをやめ、新たな環境を創ることに
参加していくということです。

健全な世界を、私たちの子ども達や未来の世代に
確実に渡していくのに欠かせない重要な転換は、
今までと同じことを繰り返していては実現しません。

絶えず現実について理解を深め、
あらゆるものがつながり合う世界にしっかり参加できるように
していくことが大事なのです。


今年最後の日記に、
次の言葉を皆さんへお贈りします。

「何かを強く望めば
 
 宇宙の全てが協力して

 実現するように助けてくれる」
             (「アルケミスト」角川書店)


多様性ある生命のつながりの中で、
こうして生きていられることの素晴しさに深く感謝して。





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「土というものは耕す者の心をうつす」-山本周五郎 

ある作家の言葉に、魂が揺さぶられ、 その一つひとつが深く心に染み渡ります。

作家の名は、山本周五郎
数々の名作を遺した昭和を代表する大作家。
人間の”生”を真正面から肯定し、 真摯に生きることの尊さを力説して、
人生に迷う人々に、 生きる勇気と指針を与えてくれる数々の素晴しい作品。

評論家の木村久邇典氏は、
「明治以降の日本近・現代文学の中で、人間の魂の根底からゆさぶられるような、  
強く激しい感動性をもつ作品を問い続けた作品を尋ねられるならば、  
私は躊躇することなく、山本周五郎を、その第一に挙げる」
と語っています。

「樅の木は残った」、「赤ひげ診療譚」、「青べか物語」、「ながい坂」 などの作品群には、
いずれも人生を真摯に生きる者が深い感動とともに 胸の奥に刻み付けるいくつもの箴言。  

「人間は生まれや育ちは問題じゃない。   
生まれや育ちよりも、いまなにをするか、   
これからなにをしようとしているか、   
ということが大事なのだ」

「なるほど人間は豊かに住み、暖かく着、美味を食べて暮らす方がよい、   
たしかにそのほうが貧窮であるより望ましいことです。      
なぜ望ましいかというと、貧しい生活をしている者は、   
とかく富貴でさえあれば生きる甲斐があるように思いやすい、   

・・・・・美味いものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮らすことが、   
粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい。   
だから貧しいよりは富んだほうが望ましいことはたしかです。   

然しそれでは思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら、   
それで何か意義があり満足することができるでしょうか。      

おそらくそれだけで意義や満足を感ずることはできないでしょう、   
人間の欲望には限度がありません、   
富貴と安穏が得られれば更に次のものが欲しくなるからです。   

たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、   
人間と生まれてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、   
世の中のためにも少しは役立ち、意義があった、   
そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います。」  

「花を咲かせた草も、実を結んだ樹々も枯れて、   
一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、   
ひっそりとながい冬の眠りに入ろうとしている。   

自然の移り変わりのなかでも、
晩秋という季節のしずかな美しさは格別だな」

「土というものは耕す者の心をうつす。」   


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「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべき存在である」-アマルティア・セン

先日は曽野綾子さんの言葉を借りて、
世界の貧困の現状と日本人の精神の貧しさについて ふれました。

2002年のデータになりますが、世界の60億人以上いる人口のうち
半分近い26億もの人々が、1日当たり240円以下の所得で
暮らしており、このうち10億人はさらに少ない1日120円以下の
所得で暮らしているそうです。

この人々は日本で私たちが普通に使っている水道、電気、電話などを
利用できないのはもちろんのこと、
日々の食糧も十分に得られない状況にあります。

「貧困」には様々な要因があります。  
・能力の欠如 = 自分の能力を高められないこと  
・機会の欠如 = 能力があってもチャンスに恵まれないこと  
・安全の欠如 = 事故・災害、大きな病気の場合に対応できないこと

これらは、単にお金だけでは解決できません。
貧困削減は、貧困層の人々の収入を増やすだけでなく、
貧困を生み出している状況を改善する必要があります。
職を失った人が、それによって生活の基盤が揺らぎ、
子供が教育を受けられず、将来安定した給料のよい仕事に就けず、
次の世代もまた貧困にとどまらざるを得なくなるという悪循環。

これは途上国だけの問題ではなく、日本を含めた先進国にも
拡がりつつ ある大きな問題となっています。
昨日放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア3~解決への道~」。
世界に目を向けて問題解決の道筋を探るもの。

若者のワーキングプア化を食い止めようと国を挙げて動き始めたイギリス、
ワーキングプアの人たちに最先端のバイオ技術を教えて再就職を支援する
アメリカの取り組みを紹介していました。

これらの国に比べて、取り組みが非常に遅れている日本の現状。
このことは、国民のことを省みない政治が依然として行われており、
その原因の一つは、私たち一人ひとりの認識の遅れが真に行うべき
社会の改革を遅らせていることにあると思います。

かつて故小渕恵三首相は、「アジアの明日を創る知的対話」の
基調演説でこう述べました。
「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく  
 創造的な生活を営むべき存在である信じています」

ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン教授は、
この演説を 「人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、  
これらに対する取り組みを強化するという考え方」 と高く評価しました。

セン氏は、インドでも貧しいベンガル地域の出身。
彼が幼い頃(1943年)、この地域で大飢饉が起こり、300万人前後の人が
亡くなったといわれています。
それゆえ途上国の飢餓問題を経済学で精力的に分析し、
飢えや飢饉、そして死に至らしめる飢餓はいかにして起こるのかという
問題に取り組まれています。

氏は、こう語ります。
「人間の生存、生活、尊厳」はずっと脅威にさらされてきたために、  
人類はその歴史を通じて苦悩を味わい続けてきました。    
しからばなぜ今こそ私たち皆がこの問題に対して、力を合わせて  
努力をしなければならないのでしょうか。  

それは、現代世界においては、  
人間としての生存を脅かす暴力に対して、よりよく連携して  
抵抗するために、私たちの努力と理解を結集できる大きな可能性が  
開けているからです。  

私たちは、脅威や危険に満ちた世界で生きているだけではありません。  
私たちが現在生きている世界というのは、危機的状況の本質が  
以前にも増して的確に把握されるようになった世界でもあるのです。  

そうした世界においてはまた、科学が確実に進歩したおかげで、  
これらの脅威に立ち向うことのできる経済的・社会的資産が  
拡大しています。  

現代世界においては、私たちが余儀なく直面させられる困難が  
増大しただけではなく、それらに対処して解決するチャンスも  
増したのです。  

発展とは、一人当たりのGNP(国民総生産)だけではなく、  
人間の自由と尊厳がもっと拡大されることにもかかわっているのです。  
人間の尊厳に対する冒涜行為(それには、階級、民族、社会的チャンス、  
経済資源の問題が絡んでいます)に対して、今まで以上にずっと  
深遠な認識が必要とされます。  

冒涜行為がいつまでも終わらないのは、  
人がするべきことをしないで、してはいけないことをするからです。  
幸運なことに、グローバルな連帯によって不平等や脅威に立ち向うための  
コミットメント(現実参加、約束、義務、責任)が  
世界全体で成長しつつあります。  

グローバリゼーションは新しい現象ではなく、数千年以上にわたって、  
貿易、旅行、移民、知識の伝播などを通して、世界の進歩を実現してきました。  
グローバリゼーションの反対側に位置するのは、偏執的な分離主義や  
頑迷な経済孤立主義です。  

インドの古代サンスクリット語で書かれた鎖国主義を戒める物語があります。  
それは、”井の中の蛙”の話です。  
その蛙は、井戸の外で起こっているすべてのことに対して  
猜疑心を抱いて、一生を井戸の中で過ごします。  

もし私たちがこの井の中の蛙のような生き方をしたら、  
科学、文化、経済についての世界史の視野が極端に狭いものに  
なってしまうことでしょう。  
この戒めは、いつでも役に立つことでしょう。  

なぜならば、この世の中のあちらこちらで、井の中の蛙や  
その蛙の引き立て役がたくさん飛び跳ねているからです。    

グローバルな接触や交流によって利益が得られるのは、  
何よりもまず、経済的関係です。  
情報技術などを含む現代技術の大きな利点、国際貿易や為替制度が  
定着したことによる効果、閉じられた社会ではなく  
開かれた社会で生きることの社会的・経済的メリットを、  
世界中の貧しい人々から遠ざけることによって、  
その経済的に困難な境遇を完全に変えることは不可能です。  

グローバリゼーションへの”不正な統合”と  グローバリゼーションからの
”排除”の二つは、裏合わせの危険なのです。  

低賃金過重労働者と多国籍企業の巨大な力について 憂慮するのは
正しいことです。  
しかし、グローバルな投資からの撤退が、貧しい人々の経済的な逆境を
解決することはありえないでしょう。  

なぜなら、貧しい人々が直面しているのは、特権的な人々が享受している
経済的・社会的チャンスからの排除だからです。
 
小渕首相が亡くなられた時、「ネーション」紙(タイの主要紙、  
ジャーナリズムの世界における理性を代弁するメジャーな情報メディアの  
うちのひとつ)は、次のように始まる論説を掲載しました。  

「日本の小渕恵三首相の思いがけぬ死によって生じた空白が  
アジアのいたるところで感じられる」  

この論説には、”小渕氏は永遠の遺産を遺してくれた”という  
見出しが付されていました。  

故首相の「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく
      創造的な生活を営むべき存在である信じています」という決意表明こそが  
継承されるべき遺産です。  
これからの未来においてなされるべきことは山ほどあります。」

 (参考 「人間の安全保障国際シンポジウム」基調講演(2000年))


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