水曜日, 1月 02, 2008

「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべき存在である」-アマルティア・セン

先日は曽野綾子さんの言葉を借りて、
世界の貧困の現状と日本人の精神の貧しさについて ふれました。

2002年のデータになりますが、世界の60億人以上いる人口のうち
半分近い26億もの人々が、1日当たり240円以下の所得で
暮らしており、このうち10億人はさらに少ない1日120円以下の
所得で暮らしているそうです。

この人々は日本で私たちが普通に使っている水道、電気、電話などを
利用できないのはもちろんのこと、
日々の食糧も十分に得られない状況にあります。

「貧困」には様々な要因があります。  
・能力の欠如 = 自分の能力を高められないこと  
・機会の欠如 = 能力があってもチャンスに恵まれないこと  
・安全の欠如 = 事故・災害、大きな病気の場合に対応できないこと

これらは、単にお金だけでは解決できません。
貧困削減は、貧困層の人々の収入を増やすだけでなく、
貧困を生み出している状況を改善する必要があります。
職を失った人が、それによって生活の基盤が揺らぎ、
子供が教育を受けられず、将来安定した給料のよい仕事に就けず、
次の世代もまた貧困にとどまらざるを得なくなるという悪循環。

これは途上国だけの問題ではなく、日本を含めた先進国にも
拡がりつつ ある大きな問題となっています。
昨日放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア3~解決への道~」。
世界に目を向けて問題解決の道筋を探るもの。

若者のワーキングプア化を食い止めようと国を挙げて動き始めたイギリス、
ワーキングプアの人たちに最先端のバイオ技術を教えて再就職を支援する
アメリカの取り組みを紹介していました。

これらの国に比べて、取り組みが非常に遅れている日本の現状。
このことは、国民のことを省みない政治が依然として行われており、
その原因の一つは、私たち一人ひとりの認識の遅れが真に行うべき
社会の改革を遅らせていることにあると思います。

かつて故小渕恵三首相は、「アジアの明日を創る知的対話」の
基調演説でこう述べました。
「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく  
 創造的な生活を営むべき存在である信じています」

ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン教授は、
この演説を 「人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、  
これらに対する取り組みを強化するという考え方」 と高く評価しました。

セン氏は、インドでも貧しいベンガル地域の出身。
彼が幼い頃(1943年)、この地域で大飢饉が起こり、300万人前後の人が
亡くなったといわれています。
それゆえ途上国の飢餓問題を経済学で精力的に分析し、
飢えや飢饉、そして死に至らしめる飢餓はいかにして起こるのかという
問題に取り組まれています。

氏は、こう語ります。
「人間の生存、生活、尊厳」はずっと脅威にさらされてきたために、  
人類はその歴史を通じて苦悩を味わい続けてきました。    
しからばなぜ今こそ私たち皆がこの問題に対して、力を合わせて  
努力をしなければならないのでしょうか。  

それは、現代世界においては、  
人間としての生存を脅かす暴力に対して、よりよく連携して  
抵抗するために、私たちの努力と理解を結集できる大きな可能性が  
開けているからです。  

私たちは、脅威や危険に満ちた世界で生きているだけではありません。  
私たちが現在生きている世界というのは、危機的状況の本質が  
以前にも増して的確に把握されるようになった世界でもあるのです。  

そうした世界においてはまた、科学が確実に進歩したおかげで、  
これらの脅威に立ち向うことのできる経済的・社会的資産が  
拡大しています。  

現代世界においては、私たちが余儀なく直面させられる困難が  
増大しただけではなく、それらに対処して解決するチャンスも  
増したのです。  

発展とは、一人当たりのGNP(国民総生産)だけではなく、  
人間の自由と尊厳がもっと拡大されることにもかかわっているのです。  
人間の尊厳に対する冒涜行為(それには、階級、民族、社会的チャンス、  
経済資源の問題が絡んでいます)に対して、今まで以上にずっと  
深遠な認識が必要とされます。  

冒涜行為がいつまでも終わらないのは、  
人がするべきことをしないで、してはいけないことをするからです。  
幸運なことに、グローバルな連帯によって不平等や脅威に立ち向うための  
コミットメント(現実参加、約束、義務、責任)が  
世界全体で成長しつつあります。  

グローバリゼーションは新しい現象ではなく、数千年以上にわたって、  
貿易、旅行、移民、知識の伝播などを通して、世界の進歩を実現してきました。  
グローバリゼーションの反対側に位置するのは、偏執的な分離主義や  
頑迷な経済孤立主義です。  

インドの古代サンスクリット語で書かれた鎖国主義を戒める物語があります。  
それは、”井の中の蛙”の話です。  
その蛙は、井戸の外で起こっているすべてのことに対して  
猜疑心を抱いて、一生を井戸の中で過ごします。  

もし私たちがこの井の中の蛙のような生き方をしたら、  
科学、文化、経済についての世界史の視野が極端に狭いものに  
なってしまうことでしょう。  
この戒めは、いつでも役に立つことでしょう。  

なぜならば、この世の中のあちらこちらで、井の中の蛙や  
その蛙の引き立て役がたくさん飛び跳ねているからです。    

グローバルな接触や交流によって利益が得られるのは、  
何よりもまず、経済的関係です。  
情報技術などを含む現代技術の大きな利点、国際貿易や為替制度が  
定着したことによる効果、閉じられた社会ではなく  
開かれた社会で生きることの社会的・経済的メリットを、  
世界中の貧しい人々から遠ざけることによって、  
その経済的に困難な境遇を完全に変えることは不可能です。  

グローバリゼーションへの”不正な統合”と  グローバリゼーションからの
”排除”の二つは、裏合わせの危険なのです。  

低賃金過重労働者と多国籍企業の巨大な力について 憂慮するのは
正しいことです。  
しかし、グローバルな投資からの撤退が、貧しい人々の経済的な逆境を
解決することはありえないでしょう。  

なぜなら、貧しい人々が直面しているのは、特権的な人々が享受している
経済的・社会的チャンスからの排除だからです。
 
小渕首相が亡くなられた時、「ネーション」紙(タイの主要紙、  
ジャーナリズムの世界における理性を代弁するメジャーな情報メディアの  
うちのひとつ)は、次のように始まる論説を掲載しました。  

「日本の小渕恵三首相の思いがけぬ死によって生じた空白が  
アジアのいたるところで感じられる」  

この論説には、”小渕氏は永遠の遺産を遺してくれた”という  
見出しが付されていました。  

故首相の「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく
      創造的な生活を営むべき存在である信じています」という決意表明こそが  
継承されるべき遺産です。  
これからの未来においてなされるべきことは山ほどあります。」

 (参考 「人間の安全保障国際シンポジウム」基調講演(2000年))


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