水曜日, 2月 06, 2008

「偉大なる魂の生き方」-マハトマ・ガンディー

1月30日は、インド独立の父、マハトマ・ガンディーが
暗殺されてから丸60年となる日。

インド各地では、首都ニューデリーでの追悼行事や
ムンバイでのガンジーの曾孫による遺灰をアラビア海に流す行事などが
行われたそうです。

インド独立の翌年1948年1月30日、
ニューデリーの滞在先で、ヒンズー教至上主義者に銃撃され、
ガンディーは死亡。

20世紀の知性を代表するアルバート・アインシュタイン博士は
「道徳的衰退が一般的な我々の時代にあって、
 彼だけが政治領域における
 より高い人間関係の概念を
 体現する唯一の政治家であった」

と哀悼しました。


私は、小学校卒業の記念文集に「ガンジーを読んで」という題で、
このインドに生まれ、丸メガネをかけた痩せた小さな身なりに
腰布で体を包んだ半裸のインド人のすばらしい生き方に
感動したことを書きました。
それから30年が経っています。

歴史が大好きで、様々な英雄・好人物の伝記を
読み漁っていた自分が
ガンジーという人物を取り上げたのだろうか?
その後文集を読み返す度に、
自分でもその時なぜ彼を取り上げたのだろうかと
思い返してみたものです。

これこれこうという理由はよく思い出せないものの、
はっきりと言えるのは、
子供ながらにこの半裸のインド人の持つ偉大な魂の生き方に、
自分が強く惹かれたということです。

そしてその後、自分の歳が増え、
様々な人々のその様々なる人生、社会の不公平と不条理、
家族という存在の有り難さ、
同じビジョンに共感する人々との素敵なつながり、
などを通して、
この「ブッダ以来最も影響を持ったアジア人」(寺島実朗氏)
生き様とそれを支えた魂に益々強く惹かれています。


1869年、ガンディーはインドのグジャラート州に生まれ、
19歳の時に英国留学へ行きます。
地位と金を求めて弁護士資格取得を目指す植民地からの
留学生でした。

その英国生活の中で、彼は次第に大英帝国の繁栄の陰に
悲惨な貧困者が存在する矛盾に気づき始めます。
そして英国的生活にあこがれる気持ちも次第に萎え、
「インド回帰」ともいうべきインド人としての自覚を高めていく
ようになります。

1900年、南アフリカに渡り青年弁護士として現地で働くインド人を
応援しながら、次第に「真理への確信に基づく不服従の闘い」
という思想の基軸を醸成していきます。

そして、実験農場を開設し、新聞の発行を行うなどして、
機械文明への過剰依存を嫌い、額に汗して働くことを尊ぶ
ガンディーの思想、民衆を分断し差別する支配の構造に対する
静かな抵抗思想が段々と形成されていったのです。

当時の英国のインド統治は「分断による統治」であり、
それはヒンズーとイスラムという宗教の対立、根強いカースト制度、
人権・言語の多様性、地方主義へのこだわりなど、
インド社会に横たわる多様性を分裂し敵対的に分断させることで
結束させないことに苦心することで行われているものでした。

この分裂・分断に対して、インド国民の自尊を求め徒手空拳で
大英帝国に立ち向ったのがガンディー。

母国に戻った彼は、
「サティヤーグラハ」(真理への確信に基づく不服従の闘い)という
手段により、武器や暴力は使わず、愛と条理を貫き、
徹底して相手の良心に訴えかける方法をとりました。

その後、1948年にインド独立。

大英帝国の植民地からの解放という目的は達せられたものの、
彼の夢であったヒンズーとイスラムの和解と協調に基づく
インドの統一的独立は実現しませんでした。
それぞれがインドとパキスタンとして分離独立し、現在に至っています。


ガンディーを銃弾で倒した民族や宗教の壁は、21世紀を迎えた今日
容易に崩れることはなく、世界の各地でテロの悲劇が見られている。

しかし、この偉大なる魂を持ったガンディーの思想と行動は、
キング牧師やマンデラ氏など世界各地でいわれなき差別や圧制に
苦しみながらも、社会の不条理に立ち向かう多くの人々に
勇気とインスピレーションを与えています。

それはまさしく地球の生物の進化においてまだ幼年期にある
人類に対して「良心」を種蒔いたものであり、地球市民の高い
意識を持った人々がこれを芽吹かせてきていることを感じるものです。


「汝が声、 
 誰も聞かずば、
 一人歩め、一人歩め」


ガンディーのこの励ましに、これからも多くの魂が
目覚めてゆくことでしょう。


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