水曜日, 2月 20, 2008

「誰かのために自分を献げて生きてごらん」-山田無文

産経新聞の連載記事「溶けゆく日本人」。

この連載記事は、様々なテーマにより
現在の日本社会と日本人の姿を多方面から描いていて、
とても参考になります。

今週書かれたのは、「蔓延するミーイズム」。

モラルを破壊する自己中心主義の”肖像”を描いたもので、
 ①キレル大人たち-増え続ける”暴走”
 ②”自子中心”の保護者-不安が生み続ける連鎖
 ③衝突避ける家庭-癒すのは自分だけ
 ④すぐ辞める若者-入社→ギャップ→怒り
の題で、社会の様々な層の意識と行動が映し出されていました。

 ①豊富な社会経験を積み、分別を備えているとされる大人、
  とりわけ高齢者が、ときに自分勝手にも思える言動を繰り返し、
  怒りを抑えられず”暴走”するケースが増えている。

 ②言ったもの勝ち、やったもの勝ちの風潮がはびこる現代社会。
  保護者の教育現場への「いちゃもん」(無理難題要求)が増え、
  その根幹には、自分の子供のことしか考えず、ほかのことは
  どうでもいいという”自子中心主義”がある。

 ③今の社会は「誰かや何かの犠牲になるのはいけないこと」という
  共通認識がある。その上、無理や我慢をしてストレスをためるのは
  「体に悪い」。家族の間でも、いや家族だからこそ、面倒な衝突や
  努力を避け、互いに負荷をかけない努力をするという暗黙の了解が
  成り立っている。

 ④「自分が主役」。そんな考え方から抜け切れず、社会に出て戸惑う
  若者が増えている。就職をして、現実と理想のギャップを克服できず、
  自分の情報不足と社会常識がないことを棚に上げて、「話が違う」
  「騙された」と怒り、すぐ辞めてしまう。


そんな社会の閉塞感、個人の心理状況が日本全体に蔓延って、
日々のアンビリバボーな事件・事故につながっているのかもしれません。

仕事場においては、メールなどで即座に回答を求められる機会が増え、
仕事の評価も成果主義に変わる。ストレスが蓄積しやすくなる一方で、
会社には余裕がなくなり、発散する機会が減り、職場などでため込んだ
ストレスを公共空間で爆発させる。

偽装問題の続発、サービスを受ける消費者意識の高まり。

良識を逸脱した言動や行動に対して、トラブルを避けるために
過剰防衛したり、見過ごすことで社会全体がおかしくなってくる。
勝手な行動を抑止する役目を果たしてきた地域コミュニティは崩壊寸前。
歯止めがなくなり、エゴが露出しやくなってきている。

世間は安易な”癒し”にあふれ、軽いノリでのスピリチュアルブームが
広がり、流行歌ではナンバーワンよりオンリーワンをたたえ、
そのままの自分を大切にすることがよしとされている。

「がまんするのはよくない」「楽しめるときに楽しもう」と言って
もらえることで気が楽になるが、それは容易に
「好きなこどだけする」「いやなこと、面倒なことはしない」に
転換されていく。

おかしくなった社会全体のツケは、子供たちにたまる。
子供もはけ口が必要になり、陰湿ないじめなどにつながっていく。
社会にじわりと広がる悪しき連鎖。

 

このような記事を読みながら、私がふと思い出した話があります。
秋月龍珉さんの本で書かれていたお話。

”私の本師(得度の師)は、山田無文老師である。
 あるとき老師は駅で電車を待っていた。

 一人の青年が来て、
 「僕は何をしたらいいんですか」と問うた。

 老師は、「僕の好きなことをしたら、ええじゃないか」と
 言われた。

 すると、青年は「その僕が分からないから、東京から来たんです。
 僕とは何ですか」という。

 老師は言われた。
 「昔から、”汝みずからを知れ”と言われるが、
  一番身近にありながら、一番分かりにくいものだ。
  時間がないから結論だけ言おう。
  
  君は今から誰かのために自分を献げて生きてごらん。
  自分のことを勘定に入れずに、他人のために尽くして、
  そして自分が”よかったなあ、幸せだなあ”と
  思えるような自分が分かったら、
  それが本当の”僕”だと私は思う」。”


無文老師の言葉には、こうもあります。

”自我は尊重されねばならぬであろう。
 が、尊厳ではない。

 個性も尊重しなければならぬ。
 が、真理ではあるまい。

 徹底して、自我と個性を否定し尽くしたとき、
 そこに偉大なる普遍的人間が自覚される。”


人間と人生の本質に対する深い洞察と英知が込められた
無文老師の言葉から、不安と迷い多き現代を生きるための
知恵と勇気を与えられます。
 


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