日曜日, 3月 30, 2008

「日光の仁王尊を息子と共に見ながら」-花岡大学

今月の初め、弥生の暖かさに入り、家族で日光へ出かけてきました。
義理の両親の還暦祝いを兼ねての小旅行。


仏像好きの父親に似たのでしょうか、
5歳の息子が早、昨年からさまざまな神仏に関心を持ち始め、
とりわけ荒々しい相を見せる仏像に強く惹かれています。

不動明王を始めとする諸明王や毘沙門天などの四天王、
馬頭観音、仁王尊、金剛力士、風神雷神、の諸仏。

昨年、近くの公園に遊びに行った際に、
隣接のお寺の山門に立っていた「仁王様」。
仏像の本で見ていたのとは異なり、
実物はとても大きく威圧感ある恐ろしい表情を持った存在として、
息子に強いインパクトを与えました。

その仁王様は、宇宙で一番の力持ちであり、悪魔から人間を守ってくれる。
そして、心のきれいなよい子にはとてもやさしくて、
意地の悪い子やわがままな子にはとてもこわい。

そう父親から聞いた息子は、ある日駅のポスターで見かけた
日光東照宮の山門に立つ仁王様を見て、
いつか会いにいきたいと思っていて、
こうして会うことができたのです。

山門に聳え立っていた「阿・吽」二対の仁王様。
心なしかやさしい表情に見えました。

おかげで最初は怖がっていた息子も、おそるおそるながらも
近づいて見て、そっと上を見上げると、
どこか笑顔にも見えるその赤いお顔に親しみを持ったようでした。

「パパがいつも言っているように、心のやさしい子には
 こうして笑顔を見せてくれるんだよ」

「うん、本当だったね」


私も息子と一緒に、仁王様のお顔を見ながら
以前に読んだ花岡大学さんのお話を思い出していました。

それは、おしゃかさまの傍にいた弟子たちの中で、
仁王様の持つ金剛のきねを持ち上げようとして、
三人の弟子が挑戦するが、
いずれもうまくいかないという話・・・

”その場は、しばらく、しゅんとしずまり返っていた。

 すぐれた力を持っている三人が三人とも、
 金剛のきねを持ち上げることにしくじり、
 おしゃかさまから力が弱すぎるからだといわれたことが、
 どうしてだか、はっきりわからなかったからだ。

 そのようすを見てとったおしゃかさまは、
 そっと仁王さまをおよびになり、
 『ひとつ、みんなのうたがいをはらすために、
  金剛のきねを持ち上げて見せてあげなさい』
 といった。

 仁王さまはうなずいて、きねのそばへよると、
 あれほど三人が一生けんめいになっても動かなかったきねを、
 右手でひょいと取り上げると、
 空中で風車のようにひゅうひゅうと、ふりまわした。
 高く投げ上げて、ひょいと受け取って見せたりもした。

 『どうだね。わかったかい』
 と、おしゃかさまは笑いを含んだやさしい顔で、
 みんなを見まわしながら、言葉をつづけた。

 『はじめに、仁王がいったように、金剛のきねは、
  持つ人の心によって、重くもなり、軽くもなるのだよ。
  
  アジャセ王には、自分は誰よりも強いのだという、
  たかぶりの心があるからだめで、
  帝釈天にも、自分の力をたのみ、アジャセ王の鼻をあかして
  やろうという下心が働いているから、
  きねはいっそう重くなるばかりだし、
  モクレンは、みんなからうやまわれて、いい気になろうというような
  心があるから、金剛のきねは、須弥山より重くなって、
  にじり動きもしなかったのだよ。

  仁王には、そういう自分を買いかぶったり、
  たかぶったりする心が、少しもないから、
  同じきねでありながら、あんなにかるがると持ち上げることが
  できたのだよ』

 おしゃかさまは、やさしいほほえみをうかべながら、
 じゅんじゅんと説き続けた。

 『なにもわたしは、三人をとがめているわけではない。
  人間には、みんな、多かれ少なかれ、
  そういう自分中心の心があって、そこから逃れられないものだが、
  逃れられないのが当たり前ではなく、
  なんとかして逃れるようにつとめなければならない。
  きょうの出来事をしずかにかみしめて、
  ほとけになる道を、
  しっかり見つけ出してほしい』”

 

この子どものときから愛読してきたお話は、
自分が何歳になろうが常に、
「もし自分だったら」「もし、そこにいたら」
「もし、そう言われたら」
という自分を省みずにいられない気持ちにさせられます。

スピリチュアルという言葉で、さまざまなカタカナ言葉の
霊性開発につながるといううたいのものがもてはやされ、
ある種ブームのようにもなっています。
そのようなものを否定するものではありませんが、
安直なブームには決して乗りたいとは思いません。

人にはそれぞれ成すべき使命が与えられており、
それを成就するために、
人には人生という期間が与えられています。

私の場合は、このお話のような
子どもの心をうつような話を
自己のこころの火として灯しつづけてゆくことで、
小さいながらもいのち宇宙の清浄をまねく
灯のひとつとなっていきたいと願うものです。


息子と共に仁王尊を見ながら、そんなことを思っていました。



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