土曜日, 4月 26, 2008

「あるべき正しい方向にめざめ、あるべきゴールをめざす」-内橋克人

4月に入り、毎週のように雨が降っています。
それも強い風混じりの降り方で、熱帯化を感じさせられるような雨。

気候変動を徐々に肌で感じつつ、膨大な財政赤字、相次ぐ企業倒産、
際限なく膨張する国民負担・・・など、膨れ上がる社会の歪みを
日々耳にします。

展望なき未来への「不安」の重さに対して、
持続的な社会を築いていくための強いリーダーシップと
私たち一人一人の取り組みが求められていると強く思います。


20世紀、各国が追い求めてきた果て無き経済成長。
この経済成長の結果、われわれ日本を含めて先進国は
物質的な豊かさを得ることができました。

しかし、その繁栄は一部の先進国だけが謳歌するもので、
世界の大半の国は途上国という扱いで、さまざまな格差が広がり
富を持つものと持たざるものに分け、また地球環境を劣化させ続け、
決して持続可能でない不公平な大小のシステムが世界中を
覆い続けています。


経済評論家の内橋克人氏はこう語ります。

「長い時間、私たちは経済成長を追い求めてきました。
 しかし、同時に成長にともなう「うしろめたさ」から自由では
 ありえなかったのではないでしょうか。

 経済成長は地球資源と人の浪費をともなうことなしには
 達成不能という思い込みが、日本に限らず、
 20世紀世界を支配してきたからです。

 そして、それはまぎれもない現実でした。
 また、同時にその道は貧しい国から富める国へと資源、マネーを
 移し植える過程でもありました。
 国と国との格差は否応なく拡大し、経済成長を求めて
 「浪費こそが美徳であり価値だ」と人びとは
 思い込むよう強制されもしました。

 そのような20世紀を支配したのは「見えないモノは存在しない」という
 確信に満ちたトリックの政治と経済だったのです。
 公害もゴミも、この世の厄介もの、迷惑ものは
 すべて「見えない」ように隠蔽することで済まそうと躍起だった。
 これが過ぐる20世紀の実像だったのです。

 バブル崩壊後、なぜ私たちの必死の努力がそれにふさわしい
 実りを生むことがなかったのか、
 なぜ成果でなく労苦がいや増すばかりの改革であったのか、
 いまや猜疑の眼を為政者に向けない日本人は少なくないことでしょう。

 なぜ私たちはむなしい「徒労の経済」のなかに足をすくわれて
 しまったのでしょうか。

 改革を叫ぶものも、その改革に抵抗すると称されるものも、
 あるいは痛みの後の光を約するものも、その光へ向かう速度を
 めぐってスピードが遅い、と糾弾の声を上げるものも、
 よくよく考えてみれば、結局、
 すべての発言者がまったく同じ方向めざして靴音そろえ
 一斉行進しているに過ぎなかったこと、
 ここに明らかにすることができます。

 90年代から21世紀初頭にかけ、私たちの社会はすでに過去の風景へと
 通り過ぎた幻影を追って、まさに後ろ向きの営為を積み重ねたに
 過ぎなかったこと、次第に明らかになっているのです。

 景気対策といい、国民負担といい、過去の夢、戻るはずもない
 仮想の経済大国の復活へ向けて、資源にとどまらず、
 国民精神まで総動員して、必死の形相で入れ込んだということでした。

 いま私たちはこの壮大な「世紀のトリック」を見抜き、
 「巧妙なレトリック」からも脱出しなければならない。
 それが可能なときがきているのだと思います。


 従来概念における「経済成長」ではない、ましてGDP(国内総生産)の
 量的拡張をもってする「成長」の計量評価尺度とも違う。

 真の「成長」とは、人間生存の基盤をより強靭なものとする
 条件の前進、そして充実のことをいっているのです。
 
 過ぎ去ったものに未練を残し、間違った方向を目指すとき、
 前途に立ちはだかるのは悲観材料ばかりです。

 しかし、あるべき正しい方向にめざめ、
 あるべきゴールをめざすならば、
 私たちは確実に明るい未来へ、と近づきつつある自分の姿を
 発見することができます。

 人が人として尊重される、
 人間生存の条件をより確かなものとする
 社会をめざす。
 
 このゴールめざして方向性を定め、
 しっかりと眼を凝らしてみれば、
 日々確かな努力の一歩を重ねている私たち自身の姿に気づき、
 あらためて自分たちの健気な努力や涙ぐましいほどの頑張りに
 感動さえ覚えることができます。

 大事なことは、政治や企業が社会を変えるのではなく、
 社会こそが政治や企業を変えるのだ、
 というかけがえのない真理の覚醒です。

 生きる場である地域社会が日々に吐き出す生ゴミを集めて、
 それを原料に無公害ガソリンを生み出す、
 地域社会のなかで生産、消費が絶えることなく循環する、
 そのような「生き続ける町」を可能にするためにこそ、企業はある、
 とすでに多くの現場の企業人が声を上げています。

 東京・永田町、霞ヶ関を渡る「天空回廊」でなく、
 地方、辺境の地、農業、
 何よりも生きる・働く・暮らすの場で、
 ほんとうに強靭な「もうひとつの日本」がむっくりと
 頭をもたげ始めている。
 
 確信をもってそう断言することができます。」


真の「成長」とは、
人間生存の基盤をより強靭なものとする条件の前進、
そして充実のこと。

まさしくそうなのではないでしょうか。

私たちの世代は、次代を受け継ぐ子どもたちのために、
「もうひとつの日本」をたしかなものにしていくことが、
強く求められています。 
 

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金曜日, 4月 18, 2008

「花の命をいただく」-志村ふくみ

先週の土曜日のこと。

春麗らかな日差しがとても心地よい中、
外の景色には桜の残り花が見られ、
家のベランダには、妻が愛情をよく籠めて育てている植物たちが、
色とりどり様々に美しい花を競うように咲かせています。

身近な中に生命の美を感じられる爽やかな季節です。


先日聞いた志村ふくみさんの言葉。
「百の植物に百の色が生まれる」と、
自然に寄り添い、草や木の声に耳を傾けるように制作する染織家で、
紬織りの人間国宝。

常に自然の色をいただく、という感謝の念と謙虚さを忘れず、
植物から丹念に採取した草木の色で糸を染め、紬を織る。
縞や絣など古来の平凡な模様を用いながら、
独自の豊かな感性と創造力、高い技術をもって、紬織を
芸術作品にまで発展させたといわれています。

昨年亡くなった社会学者の鶴見和子さんは、
日常的に着物を愛用していましたが、鶴見さんは亡くなる直前、
「植物染料で染めた手織りのきものを着た時、創造力がわいてくる」
という言葉を志村さんに贈られたといいます。

志村さんは、そのことについて
「私にとっては遺言ですね。
 衣装は命や心を包む布なのに、
 現代の私たちはファッションにすり替えてしまった。
 今、若い人たちが着物に関心を持ち始めたみたいですが、
 それもファッション。
 そこから入ってもいいけれど、民族衣装というのは、
 民族が守ってくれる知恵の深いもの。
 民族を意識しなかったら、着ても何にもなりません。」
と言われました。


「私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、幹、根を
 染めてきました。

 ある時、私は、それらの植物から染まる色は、
 単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が
 色を通して映し出されているのではないかと思うように
 なりました。

 それは、植物自身が身を以て語っているものでした。
 こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ、
 色は命を失うのです。

 ある日、私はふしぎの国のアリスが
 小さな穴からころがり落ちるように、
 植物の背後の世界にころがり落ち、垣間見たように思うのです。

 扉がほんの少し開いていて、そこから、
 秋のはじめの深い森がみえ、
 紅葉しかかったさまざまの樹が、
 陽の光と少しの風にきらめいているようでした。

 一枚一枚の葉はしみじみと染めあげられ、
 その色の美しさはこの世のものとは思われませんでした。
 その後二度とその森をみることはありません。

 ただ、こちらの心が澄んで、植物の命と、
 自分の命が合わさった時、
 ほんの少し、扉があくのではないかと思います。

 こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、
 扉はかたく閉ざされたままでしょう。」


先日の風雨の強さで、今年の桜の花々も徐々に散りゆく中、
美しく咲いた今年の姿と同じものは、
二度と見ることはできないのだ、そう思いました。

それゆえに、その姿はより美しく厳粛なのでしょう。


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日曜日, 4月 13, 2008

「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」-高倉健

先週から新年度に入りました。
現在の仕事である環境社会貢献の仕事に就いてから
8年目になります。

07年度の仕事もなんとか無事に終わりました。
森林生態系保全の仕事で行った、中国雲南省、ガーナ共和国、
沖縄やんばる。
それぞれの地域で出会った様々な人々。

環境NGO、政府関係者、村人、そして子どもたち。
皆、それぞれの未来への期待や夢を持ち、決して甘くない現実の中で
生きている人々でした。
一つ一つの出会いに多くを学ばされます。

年度を終えたという束の間のほっとした気持ちと同時に、
08年度の展望からさまざまな仕事の内容が浮かび、
どのようにそれぞれの良き成果を上げられていくかに
思案が向きます。

昨年度から継続して行う仕事に加えて、
今年度から新しく行う仕事も増えました。


年度が新しく移ってから初めてとなる休日の今日は、
気分転換にと、息子と一緒に、久しぶりに手賀沼周辺をサイクリングし、
そのまま頑張って輪を走らせ、手賀丘公園でたくさん遊んできました。

息子は、春の麗らかな陽気の中で、思い切り走り回り、
体を動かし、たくさん満悦していました。

私は、自転車を走らせる中で、道なりに続く桜並木に咲く
満開の薄紅の花々を多く心の中に収めることができました。


帰宅後読んだ、高倉健さんの随筆。
下記の章に心動かされました。

「映画「南極物語」の撮影ロケで入った南極大陸。
 基地には、小さなデイパック一個しか持って入れなかったんですが、
 一冊の本を詰めていったんですね。

 南極大陸での強烈な、本当に地獄のようなシーン。
 判断を一つ間違えば生命に関わる、
 生命を落としてもまったく不思議ではないという凄まじい場所が、 
 この地球上にはたくさんあるんです。

 ニュージーランドのスコット基地に特別に入れてもらい、
 この間に、恐ろしいブリザードも体験しました。
 人間って本当に、あっけなく死ぬんだなと思いました。
 小さな小さな雪上車の中に、八人の人間が立ったまま、
 外を吹き荒れているブリザードを窓ガラス越しに眺めていた
 あの時のことを今も忘れられません。


 南極に持っていったその本を、懐かしいなと思いながら、
 ページを捲っていると、本文中に、赤で傍線が引っ張ってあるんです。

 「苦しみつつなお働け。
  安住を求めるな。
  人生は巡礼である」

 凄まじい言葉だと思います。

 「人間の真価は棺を覆うた時、
  彼が何をなしたかではなくて、
  何をなそうとしたかで決まるのだ」

 「南極物語」は、1983年の封切りですから、
 随分前のことなんですが、当時迷っていた自分が、
 こうした言葉に励まされ、勇気を貰っていたんだと思います。


 何をなしたかではなくて、何をなそうとしたか。

 近頃もう一つ気になることがあります。
 「何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」

 「何のためにしたか」―――。
 そう問いかけることが、とっても大切な時が来ているように
 思います。

 どんな映画を撮るかではなく、何のためにその映画を撮るのか。
 自分はこのことをとっても大切にしていきたいと思います。


 そして、最後に、この言葉を―――。
 
 「身についた能の、高い低いはしようがねえ、
  けれども、低かろうと、高かろうと、精いっぱい
  力いっぱい、ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
  おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
                 (山本周五郎「ちゃん」より)」
 

桜花の満開の美しさ、散り際の見事さ。
健さんの言葉にある「何のために仕事をするか」という本質。

心に留めながら、今年も仕事に励んでいこうと思います。


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土曜日, 4月 12, 2008

「幸福であるための条件」-エドワード・グレイ

先日読んだ本の中に、シンプルな中にとても深みを感じさせられる
言葉が載っていました。

その「人間が幸福であるための条件」という言葉を言ったのは、
日露戦争当時の英国外務大臣であったサー・エドワード・グレイ。

彼は回想録に
「日本は多年イギリスにたいする公正にして名誉ある誠実な同盟国であり、
 且つまた日本政府の自重のおかげで、
 第一次世界大戦の期間中、太平洋の諸問題について、
 英米両国との間に何等重大な摩擦を起こさないですんだ。」
と記しています。


「人間が幸福であるための4つの条件
 エドワード・グレイ

 第一、自分の生活の基準となる思想。
 第二、良い家族と友達。
 第三、意義のある仕事。
 第四、閑を持つ事。        」



人生の義務を重んずるとともに人生の悦びを大切にし、
鳥を愛し樹木を愛し、釣りが好きで園芸が好きで、
自然の静かな美しさほど人生に大きな悦びを与えるものはないと
生前語っていたというグレイ氏。

まさしく幸福な人生を自ら築いていったのでしょうね。
かくありたいと思います。


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土曜日, 4月 05, 2008

「自ら意志することで、己が生命を輝かせ深い花を咲かせる」-☆森のクマさん☆

先月の20日から23日まで、仕事で沖縄の「やんばる」
行っていました。

30年ぶりの沖縄訪問でしたが、最初に行ったときの記憶は
はるか遠くにあり、ほぼ初めての訪問といっていい状態でした。

「やんばる(山原)」とは、沖縄本島北部の国頭村、東村、大宜味村の
辺りの総称で、深い緑につつまれた亜熱帯の森が広がっています。

森の総面積は340K㎡、平均気温22度、年間降雨量3,000mm、
熱帯から温帯までの多くの生物が棲息し、動物は3,700種、
植物は1,200種を超えているといわれており、
様々な生命の多様性に富んだ「奇跡の森」と呼ばれています。

現地では地元の環境NPO「やんばる森のトラスト」がこの地域の
自然の大切さを地元の子どもたちに伝えながら、森を守る様々な
取り組みを地道に継続して行ってきています。
http://www.wbsj.org/nature/hogo/others/iba/search/sites/nansei/159-yambaru.htm

私は、今回初めて現地の自然環境を目にし、
短い滞在日の中で、ヤンバルクイナやノグチゲラ、サシバ、
リュウキュウコノハズク、リュウキュウツバメ、イソヒヨドリ、
リュウキュウアオガエル、ハナサキガエル、シリケンイモリなどに
出会うことができ、多様性の豊かさを実感してきました。

夜、林道を車で走っていると、前方にリュウキュウイノシシが現れたり、
専門家の方と一緒に真っ暗な中を島最高峰の与那覇岳の登山道を
懐中電灯1つを照らしながら歩き、ハブに気をつけながら
真剣に目をこらして必死のナイトハイキングを冷や汗で楽しんだり・・・

しかし、この地域はすばらしい自然を奇跡的に持ちながらも、
国立公園に未だ指定されていません。
ダムや林道など土地の開発が進み、ハブ退治のためにかつて外部から
持ち込まれたマングースが繁殖して、飛べない鳥で希少性の高い
ヤンバルクイナなどの生き物たちが絶滅の危機にあります。

昔から残されてきた伝統文化を守る人々がいる一方で、
種々にある開発などの問題。
これをめぐる様々な考えや立場の組織・人々。

持続的な社会の構築に向かって、人と人、人と自然との関係の見直しが
現地で少しずつですが、徐々に起き始めています。


3月後半のやんばるの森は、芽吹きの季節を迎え、
黄緑色に森が染まっていました。
スダジイの黄色い若葉、イジュの赤い新芽、シロダモの若葉など。

様々な木々が茂り、多様な生命に彩られたやんばるの森に入り、
藤尾秀明氏の言葉をひたすら実感していました。

「生きるとは、ただ生き切るということである。

 この地上にある生命あるものはすべて、
 ただ生きるという目的に向けて、
 全力をあげて生きようとしている。

 そのことだけを信じて躍動している。

 それが生命の本質である。

 そして、それが天の意思である。」


私たちは自ら意志することで、
己が生命をさらに輝かせ、
深い花を咲かせることができる。

やんばるの森は、私にそう教えてくれました。




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水曜日, 4月 02, 2008

「心田を耕し、心の花を咲かせる」-藤尾秀明

日を重ねるごとに明るく強く、
春の日差しは暖かなものになってきていますね。

先日目にした藤尾秀明さんの言葉に、
とても共感しました。

「近所に、それほど大きくはないが、
 手入れの行き届いた庭を持つ家があった。
 植木もきれいに手を加えられ、季節の花々がいつも、
 彩りあざやかに咲き、道行く人の目を楽しませ、
 心を和ませていた。

 ある日突然、その家の主人であった人が亡くなり、
 若い夫婦が二人、その家に住むようになった。
 
 それから数ヶ月、道行く人の目を楽しませていた庭は、
 みるみるうちに荒れ果て、無残な姿になった。

 同じ庭がこうも変わってしまうのか、
 一種悲しいような思いで、その庭を道すがら、眺めている。


 これは一つの例である。

 心の時代、といわれている。
 しかし、人間の心とはそれほどきれいなものではない。

 人間の心は宇宙、自然と似ていると、言えなくもない。
 雑草は放っておいてもまたたく間に繁茂する。
 しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、
 虫を除け、丹精込めて育てなければ花開かない。

 人間の心も、それと同じである。
 放っておくと、雑草が生える。
 
 心の花を開かせるためには、絶えず心を見張り、
 雑草を抜き取らなければならない。


 二宮尊徳は、
 「あらゆる荒廃は人間の心の荒蕪から起こる」
 と言った。

 そして、心を荒れ放題にしないためには絶えず、
 心の田んぼ、
 つまり心田を耕さなければならないと説いた。

 
 いつも気持ちをさわやかにしておく。
 いつも、さっそうとした気分でいる。

 心の雑草を取り、心の花を咲かせるために、
 欠かせない必須の条件である。」


これから春の花野をさわさわとそよ風が吹き、
色が付き始めて華やかになる季節。

己の心の花を美しく咲かせていくために、
心の田んぼを精魂こめて耕していこうと励ましてくれる
よい言葉だと思いました。




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