日曜日, 11月 09, 2008

「目に見えないものに価値をおくことができる社会へ」-星野道夫


夜8時、テレビをつけたところ
、「トーテムポール」が画面に・・・
番組は「NHK探検ロマン世界遺産」
カナダ・スカングアイ編。
なつかしいクイーンシャーロット島、そして
ハイダ族の人々が登場。

私は2001年12月、新婚旅行と兼ねた星野道夫さんの足跡を
辿る旅をしました。
2週間ほどをかけてカナダやアラスカ各地を回り、
星野さんのつながりのある多くの方達と交流することができた
とても貴重な旅。

番組には島でお会いし、私たちにとてもよくしていただいた
先住民ハイダ族のデイビッドお爺さんも登場していました。
今年70才とありましたが7年前にお会いした際の写真をアルバムから
取り出して見ても、全然変わらぬお元気そうな姿になつかしく、
嬉しい気持ちになることができました。

デイビッドお爺さんはトーテムポール作りの名人。
今作っているというトーテムポールを私たちに見せてくれながら、
いろいろな話をしてくれました。
ハイダ族の歴史、伝統文化、言語・・・。

島のスカングアイは、19世紀終わり頃にヨーロッパ人が持ち込んだ
天然痘の流行により、当時暮らしていた6千人の7割が死に、
生き残った人々は村を捨て別の場所に移り住みました。
20世紀になると、列強各国の博物館が世界中の歴史的な美術品の
収集に乗り出す時代が始まります。
そして、スカングアイの多くのトーテムポールも異国の地に
むりやり運ばれていきます。
中に収められていた先祖達の遺骨と共に。

「ニンスティンという場所を訪れた時に出合った
 ウオッチャーの話は忘れられない。
 彼はなぜ白人たちが他民族の神聖な場所を発掘し、
 さまざまなものを持ち去ってゆくことができるのか
 わからないと言った。

 多くのトーテムポールが持ち去られた後、
 生き残ったハイダ族の子孫は次第に立ち上がってゆくのである。
 彼らはその神聖な場所を朽ち果ててゆくままにさせておきたいとし、
 人類史にとって貴重なトーテムポールを何とか保存してゆこうとする
 外部からの圧力さえかたくなに拒否していったのだ。

 『その土地に深く関わった霊的なものを、
  彼らは無意味な場所にまで持ち去ってまでして
  なぜ保存しようとするのか。
  私たちは、いつの日かトーテムポールが朽ち果て、
  そこに森が押し寄せてきて、
  すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っているのだ。
  そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。
  なぜそのことがわからないのか』

 その話を聞きながら、目に見えるものに価値を置く社会と、
 見えないものに価値をおくことができる社会の違いを
 ぼくは思った。
 そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。
 夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、
 より根源的であるように。」
                   (星野道夫氏の言葉より) 

デイビッドお爺さんは、ハイダ族の長老の方達が集まる場所に
今日会ったばかりの私たち夫婦を連れていってくれました。

そこでは、数人の長老達が思い思いに座って話をしながら、
ベイマツの樹皮で部族の伝統的な帽子を編んでいて、
私たちが入ると皆さんが温かな言葉をかけて歓迎してくれたのです。

ハイダのお年寄り達はかつて子供の頃、政府により強制的に寄宿舎に
入れられて英語での教育を受けさせられました。
ハイダの言葉を使うと鞭で体を叩かれ、家族が恋しい、早く家に
帰りたいと毎晩泣いていたのだそうです。
自分達の伝統文化を否定された時代に生きてきた人々の深い悲しみ。

しかし今では、ハイダ族や多くの先住民族の長老達が、
残された生命の時間を捧げて、自分達の伝統文化を、言語を
次の世代に残そうとしています。

民族の歴史と長い時間の中でそれぞれを生きたさまざまな人々の
自分の血が流れる故郷への熱い思い。
これこそ遺すべき世界遺産なのではないか。
番組を見ながら、旅の懐かしさと共にそんなことを思いました。


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1 件のコメント:

ドロベヤ さんのコメント...

初めましてドロベヤと申します。伝統文化を大切にする事が重要であるという認識を持った人間が、現代社会にどれほどいるのでしょうか。私は経済成長が人間を退化させ、大切なものは何かを考えられなくなってきていると思っています。経済成長のお陰で何処でも何時でも何でも出来るようになりましたが、昔なら電話はあるべき場所まで歩かないと使えませんでしたし、テレビも茶の間でしか見る事が出来ませんでした。他にも沢山ありますが、発展によって所要時間が短縮され、歩く能力、話す能力、コミュニケーション力、筆記力、我慢力・・等、人間として与えられた能力を発揮する時間が必要外になってきていると感じます。子供が病院の待合室の席で、携帯ゲームをやっている姿を見るとガッカリします。私にも家族がいますが、子供には出来るだけ人間の能力を退化させないよう話きかせて育てています。しかし、それも度が過ぎると世の中から弾かれる心配もあり、いっその事、海外にでも移住すべきかと悩んだ時期もありました。しかし、それでは日本人として日本的文化を見捨ててしまう事になり、退化し始めている人間と同じになってしまうと気付きました。私のような非力な人間に出来る事は、自分の行動を持って、周りの人間に少しでも気付いてもらうしかないと考えます。可能なかぎり権力に動じる事なく、一人でも多くの人間に気付いてもらえるよう行動して生きたいと、このブログを読んでますます感じました。

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