日曜日, 12月 28, 2008

「私の存在も、隣の人の存在も、皆有り難いこと」-村上和雄


「ぎっくり腰」になりました。
ドイツでは別名「魔女の蹴り」と呼ばれ、
かかったことがある方は皆さんの中に
いらっしゃるのではないでしょうか。

25日朝のこと、数日前から続いていた
腰痛が突然ひどくなり立っているのが困難な程強烈な痛みに。
トイレに行くのに四つん這いでやっと(苦笑)

夕方、妻が予約してくれた鍼灸整骨院に初めて行くため
床から起きて立ち上がる時の痛さは本当にきついものでした。
杖をつきながらようやく歩く自分に、
足腰の弱い方やお年寄りの方達が苦労して歩く大変さを
身に沁みて感じました。
世の中には身体が不自由な方が多くいることを思い、
ふだん当たり前のように動けているという健康が、
実は当たり前では決してなく、
どれだけ有り難いことかとつくづく感じられました。

藁にもすがる思いの中、
中国出身の林(リン)先生の治療を受けました。
一昨日の晩は身体を少し動かすだけで激痛になり
ほとんど眠れなかったのが、
先生の安心を与えてくれる丁寧な施療により痛みが
少しづつとれて、何と有り難いことかと感謝の思いです。
また家族からの愛もあらためて感じ、
こちらにも本当に感謝しています。

22日伊勢神宮に初参拝してきたのですが、
その帰路に感じた腰痛からつながっている今回のぎっくり腰。
きっと意味あることと、神様からの示唆を思います。
尊敬する村上和雄先生は、有り難いという言葉について
こう語られています。

「『ありがとう』という言葉は、英語のサンキューとは異なる
 ニュアンスがあります。
 この言葉の背景に大自然とか宇宙というものがあるからでは
 ないかと思うのです。
 人間は自然の力だけで生きているのではなくて、
 大自然のお陰で生かされているという感覚です。
 『お陰様』『ありがとう』という言葉には、大自然に対する感謝が
 入っているはずです。
 
 『ありがとう』というのは『有り難い』ということです。
 人間の存在というのは、その細胞一個ができるのだって
 一億円の宝くじを百万回連続で当てるよりも、
 はるかに不思議なことが起こっている。
 そうすると、まずここに存在すること自体が『有り難い』わけです。
 この世に生まれてきて存在しているということが
 滅多にない大事件なんです。

 だから私の存在も有り難いのだけれど、
 隣の人もまた有り難い存在なのですよね。
 その滅多にない有り難い私が、
 滅多にない有り難いあなたに感謝する-
 そういう感覚が日本人の精神にはあると思います。

 そして、存在そのものが有り難いと思えるのは、
 その背後にサムシング・グレートを感じる感性があるからでしょう。
 これは全世界に通用する考え方だと私は思うのです。
 サムシング・グレートは、国も民族も超えるわけですからね。

 だから、日本人が築いてきた『お陰様』や『有り難い』という
 文化は間違いなく世界に発信できる。
 環境問題も民族問題も、すべてそれによって解決していけると
 思うのです。
 そういう文化を持っていることを、まず私たち日本人が自覚して、
 それを積極的に世界に向けて発信していくことが
 とても大切だと思っています。 

 言っているだけでなくて、行動で示さないと意味がない。
 そのためにどういう行動をとれるのか。
 それは単に経済力だけではない、もちろん軍備だけではない
 はずです。

 日本人が持っていた文化の力とかメンタリティ、あるいは
 スピリチュアルなものをどうやって世界に出していくか、
 それが私たちに課せられた大きな問題じゃないかと思います。
 
 これは他人事ではなくて、一人ひとりの日本人が
 自分の生き方を問い直すことと言っていい。
 それぞれの人が『自分はどういう生き方をするのか』と
 自問自答して、一人ひとりが答えを出して、自覚して行動する。
 そういう問題なのです。 
 国の方針をどうするのかというのももちろん大切ですけれど、
 最終的には個々人がどう自覚して行動するかに
 かかっているのです。」

自分だけの力で生きている人はどこにもいない。
太陽も、水も、空気も、地球も、何もなければ生きていけない。
そして、その太陽や地球の後ろで働いているサムシング・グレートの
力がなければ、生きていけない。
だから、生きていることはどんなにすばらしくすごいことか。

村上先生のおっしゃるこの言葉に学び、
生命の有り難さに深く感謝しながら生きていくようにと
思うばかりです。 


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日曜日, 12月 14, 2008

「溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる」-鎌田實


昨日までの「エコプロ2008」展が終わりました。
開始前に扁桃腺が腫れてしまい、
毎日ブースを訪れたお客様への説明を繰り返す中、
3日間が終わるとホッ。

この数日の暖かさから今日は一転して、寒い雨の日。
柳田邦男さんの本から一つの実話を読み、
心が深く揺り動かされました。


1986年4月、ウクライナ共部にあるチェルノブイリ原子力発電所で
起きた大規模な事故は、世界中の多くの人々に衝撃を与えました。

大気中に出された広島原爆の500倍という放射性物質が、
周囲に撒き散らされ、北接のベラルーシでは人口の1/5近い
約2百万人が被爆したといいます。
汚染地域では、年月が経つうちに、癌になる人々が増え始め、
とくに子どもの白血病と甲状腺癌が急に増えました。

長野県の諏訪中央病院の鎌田實先生らの医療専門家グループが、
1991年からこの子どもたちを救う活動を開始。
そのきっかけは、ソ連崩壊直前の国内混迷の中で現地からの悲痛な
助けてほしいとの要請を受けたものです。

鎌田先生らを現地で迎えたソ連科学アカデミーのクズネソフ教授は
「ひとりの子どもの涙は、
 人類すべての悲しみより重いと、
 ドストエフスキーが言っているが、
 チェルノブイリの子どもたちは今、泣いています。
 しかし悲しいことに、
 わたしたちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。
 日本の人に期待しています。
 助けてください。」

ベラルーシの現地の病院では、医療スタッフの水準は高いのに、
財政難ゆえに、白血病治療のための設備も薬もなく、
日本でなら救える子も救うことができないという厳しい現実が
そこにあったのです。

その後、「日本チェルノブイリ連帯基金」が立ち上がり、
会費や寄付を基に、治療に必要な抗がん剤や輸血バッグ、
無菌装置など約6億円分を、現地の州立病院に送り続け、
医療チームを70回以上も派遣しているそうです。
これにより、入院した子どもたちの生存率も飛躍的に向上したと
いいます。

その間、日本の医療関係者はベラルーシの患児、家族や医療スタッフ
との深い交流から、様々な”人間の絆”が生まれました。
鎌田先生は「雪とパイナップル」(集英社)で、患児と日本人医療
関係者との心を通わせ合った日々をつづっています。

アンドレイ・マルシコフ君。
彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きました。
母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園を散歩していました。
死の灰が降っているなどとは知らずに。

10年後、アンドレイ君は急性リンパ性白血病を発症します。
通常の抗がん剤治療では効果のない難治性の白血病に。
ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、少年のいのちを
必死につなぎとめようとする厳しい闘いが始まりました。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる幹細胞を
取り出して戻すことにより白血球を増殖させる移植医療を行います。
アンドレイ君の病状はいったんかなりよくなりました。

しかしやがて再発し、治療によって再び安定しても、また再発。
そして、抵抗力がなくなっていき、
2000年7月、14歳で生涯を終えました。


鎌田先生は、それから2年後、リンゴの花が咲き乱れる5月に、
アンドレイ君の母親のエレーナさんをを訪ね、
感謝とともに心温まるエピソードを聞かされたのです。

『骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れないアンドレイ君に
 日本から来ていた看護師のヤヨイさんが
 「何なら、食べられる?」と何度も聞くと、
 アンドレイ君は小さな声で
 「パイナップル」と答えました。
 
 寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを
 食べたのが忘れられない記憶になっていたのでしょうか。

 ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて、パイナップルを
 探し回りました。
 しかし、経済崩壊の最中にあるベラルーシでは、容易に
 見つけることができません。
 
 日本の若い女性がベラルーシの子どものために、パイナップルを
 探しているという噂が町に広まり、缶詰を持っている人から
 病院に届けられました。 

 そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたことが
 きっかけとなり、食事がとれるようになって、
 少しづつ元気になっていったのです。』
 
エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、
『あるはずのない、パイナップルを探して雪の街を
 歩きまわってくれた彼女のことを考えると、
 わたしは人間ってあったかいなって思いました。
 
 わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、
 わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
 生きている意味が見えなくなりました。
 
 でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、
 忘れていたものがよみがえってきました。
 
 それは感謝する心でした。
 わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがってきました』 


この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言っています。
『人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
 少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は
 支えられていないのだと思った。

 人間ってすごい。
 溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
 人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、
 文化が違っていても、歴史が違っていても、理解しあえる。』


私たちが生きていくうえで欠かせない”温り(ぬくもり)”。
その温かなこころにふれたとき、人は生きていく勇気や元気が
満ちてくるのでしょうね。
感謝の念と共に。


「日本チェルノブイリ連帯基金」
 http://www.jca.apc.org/jcf/home.html


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日曜日, 12月 07, 2008

「全体をとらえる観察眼」-養老孟司


養老孟司さんは、解剖学者であり、「バカの壁」などの本で
世の中に対する鋭い見方を披露されたりしていますが、
一方で実は、昆虫採集の名人でもあります。

養老さんの世界を見る眼、自然を見る眼、人間(特に日本人) を見る眼は、全体から細部に至るまで実に行き届いています。

本質を見抜き、虚飾でない本当の自己を通して、鋭い観察を
通しての言葉を語られている方。

オーストラリア原住民のアボリジニのおばさん二人が
世間話をしている風景をみて、日本の「茶道」を連想されたと
いう話を紹介しましょう。

「二人のおばさんが向かい合わせの形で、
 芝生に腰をおろして話を始めた。

 それだけの風景なのですが、じっと見ていたら、
 おばさんが座りながら後ろ手で芝生の上を探っているのです。
 
 それは何をしているかというと、
 そこに落ちている落ち葉を探っているのです。

 公園ですからプラタナスか何かの大きな木が何本かあって、
 大きな葉が落ちている。
 
 それを手探りで探して、一枚拾う。
 そして、その上に手をつくんです。
 そして反対側もこうやって探して、また一枚拾って、
 適当な場所に置いて、手をつく。

 実に見事な優雅な動きなのです・・・・

 その動きを見ながら、
 僕は「これはお茶だ」と思いました。」


日本に限らず、世界の各地にはさまざまな身体技法があります。
これを、権威化することで中身を薄いものにしてしまうのではなく、
日々のふるまいの中にいかに取りこんでいくことができるか、
美としてとらえることができるか、ということこそが大事なのだと
思います。

従来型の大量生産・消費の価値観から転換し、自然生態系の持つ
循環の素晴らしさを私たち現代の人間社会に活かしていくことが
求められていますが、
それには、頭のみに頼って物事を考えるだけでなく、
身体全体でとらえるということが必要ですね。


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