日曜日, 12月 14, 2008

「溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる」-鎌田實


昨日までの「エコプロ2008」展が終わりました。
開始前に扁桃腺が腫れてしまい、
毎日ブースを訪れたお客様への説明を繰り返す中、
3日間が終わるとホッ。

この数日の暖かさから今日は一転して、寒い雨の日。
柳田邦男さんの本から一つの実話を読み、
心が深く揺り動かされました。


1986年4月、ウクライナ共部にあるチェルノブイリ原子力発電所で
起きた大規模な事故は、世界中の多くの人々に衝撃を与えました。

大気中に出された広島原爆の500倍という放射性物質が、
周囲に撒き散らされ、北接のベラルーシでは人口の1/5近い
約2百万人が被爆したといいます。
汚染地域では、年月が経つうちに、癌になる人々が増え始め、
とくに子どもの白血病と甲状腺癌が急に増えました。

長野県の諏訪中央病院の鎌田實先生らの医療専門家グループが、
1991年からこの子どもたちを救う活動を開始。
そのきっかけは、ソ連崩壊直前の国内混迷の中で現地からの悲痛な
助けてほしいとの要請を受けたものです。

鎌田先生らを現地で迎えたソ連科学アカデミーのクズネソフ教授は
「ひとりの子どもの涙は、
 人類すべての悲しみより重いと、
 ドストエフスキーが言っているが、
 チェルノブイリの子どもたちは今、泣いています。
 しかし悲しいことに、
 わたしたちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。
 日本の人に期待しています。
 助けてください。」

ベラルーシの現地の病院では、医療スタッフの水準は高いのに、
財政難ゆえに、白血病治療のための設備も薬もなく、
日本でなら救える子も救うことができないという厳しい現実が
そこにあったのです。

その後、「日本チェルノブイリ連帯基金」が立ち上がり、
会費や寄付を基に、治療に必要な抗がん剤や輸血バッグ、
無菌装置など約6億円分を、現地の州立病院に送り続け、
医療チームを70回以上も派遣しているそうです。
これにより、入院した子どもたちの生存率も飛躍的に向上したと
いいます。

その間、日本の医療関係者はベラルーシの患児、家族や医療スタッフ
との深い交流から、様々な”人間の絆”が生まれました。
鎌田先生は「雪とパイナップル」(集英社)で、患児と日本人医療
関係者との心を通わせ合った日々をつづっています。

アンドレイ・マルシコフ君。
彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きました。
母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園を散歩していました。
死の灰が降っているなどとは知らずに。

10年後、アンドレイ君は急性リンパ性白血病を発症します。
通常の抗がん剤治療では効果のない難治性の白血病に。
ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、少年のいのちを
必死につなぎとめようとする厳しい闘いが始まりました。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる幹細胞を
取り出して戻すことにより白血球を増殖させる移植医療を行います。
アンドレイ君の病状はいったんかなりよくなりました。

しかしやがて再発し、治療によって再び安定しても、また再発。
そして、抵抗力がなくなっていき、
2000年7月、14歳で生涯を終えました。


鎌田先生は、それから2年後、リンゴの花が咲き乱れる5月に、
アンドレイ君の母親のエレーナさんをを訪ね、
感謝とともに心温まるエピソードを聞かされたのです。

『骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れないアンドレイ君に
 日本から来ていた看護師のヤヨイさんが
 「何なら、食べられる?」と何度も聞くと、
 アンドレイ君は小さな声で
 「パイナップル」と答えました。
 
 寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを
 食べたのが忘れられない記憶になっていたのでしょうか。

 ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて、パイナップルを
 探し回りました。
 しかし、経済崩壊の最中にあるベラルーシでは、容易に
 見つけることができません。
 
 日本の若い女性がベラルーシの子どものために、パイナップルを
 探しているという噂が町に広まり、缶詰を持っている人から
 病院に届けられました。 

 そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたことが
 きっかけとなり、食事がとれるようになって、
 少しづつ元気になっていったのです。』
 
エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、
『あるはずのない、パイナップルを探して雪の街を
 歩きまわってくれた彼女のことを考えると、
 わたしは人間ってあったかいなって思いました。
 
 わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、
 わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
 生きている意味が見えなくなりました。
 
 でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、
 忘れていたものがよみがえってきました。
 
 それは感謝する心でした。
 わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがってきました』 


この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言っています。
『人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
 少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は
 支えられていないのだと思った。

 人間ってすごい。
 溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
 人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、
 文化が違っていても、歴史が違っていても、理解しあえる。』


私たちが生きていくうえで欠かせない”温り(ぬくもり)”。
その温かなこころにふれたとき、人は生きていく勇気や元気が
満ちてくるのでしょうね。
感謝の念と共に。


「日本チェルノブイリ連帯基金」
 http://www.jca.apc.org/jcf/home.html


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