月曜日, 11月 09, 2009

「つらいこと一つひとつが心の栄養になる」-☆森のクマさん☆


先週土曜日、講演で東北大学へ
行ってきました。
仙台の気候は予想以上に暖かく、
東京と変わらないほどでした。

午後に講演を行い、そのまま他の
講演やグループワークにも参加
して、その晩は仙台郊外に住む兄家族の所へ。
暫くぶりに会った3人の甥達(高3、高1、小6)は皆、
心は素直なままで、身体はがっしりと逞しくなっており安心。

仙台は紅葉の盛りで、新幹線の車窓より東北の他の街々(福島、栃木
など)の其れを見ることができました。
いずれも樹々が綺麗に色づいて、赤、黄、橙、紫と豊かな色彩を
葉に化粧しており、日本の四季の彩りの美しさをあらためて
有り難く思いました、

それにしても毎回東北の地にふれる度、自分の中に何かほっとする
気持ちが起こるのを感じます。
この国の古より中央政府が「陸奥(みちのく)」と呼び、
縄文の文明を脈々と色濃く持ち、深き自然に抗うことなく
人々が調和して暮らしてきた東北地方。
きっといずれかの前世にて深き縁を持っていた土地であるのではと
思っています。


さて、新幹線の車内誌にあった「仙台の曲がりねぎ」の話。
葱のみならず人間にも通じる話と感心しました。

『形は曲がっているが、食べてみると甘みがあって柔らかい
 「仙台の曲がりねぎ」という葱がある。
 この曲がりねぎは、現在、県内各地で作られているが、
 特に味のよさで評判なのが仙台市岩切地区の余目地区の
 「余目ねぎ」。他地区の葱は「仙台まがりねぎ」と
 呼ばれている。
 
 曲がりねぎは、その名の通り曲がっているが、
 これは独特の育て方によるもの。
 余目地区は地下水の水位が高く、真っ直ぐ育てると
 水分によって腐ってしまう。
 そこで、ある程度育てたら一度畑から抜いて、
 斜めに植え替える。
 地上に出た部分は、太陽を求めて真っ直ぐ伸びようとするので、
 そこで曲がりが生じる。

 「一度抜くことで根が切られて、それが葱にストレスをかける。
  ストレスが掛かることで、柔らかくなり甘みが増す。
  火を通すとより甘みが増す」

 旬の宮城の味と合わせて、朴葉焼きや鍋で身も心も温まる。』
 
ストレスが掛かることで、柔らかくなり甘みが増すそうです。
人生もまた同じですね。

苦労が人を育てるという言葉があります。
その体験を繰り返すことにより、己が性根は磨かれていき、
人間味を増していくのだと。

そういえば大好きな空海さんの言葉にもこうあります。
『心暗きときは、すなわち遇うところ、ことごとく禍なり。
 眼明らかなれば、途に触れて皆宝なり』(性霊集)
 
つらいこと一つひとつが「心の栄養」になるのですよね。
そう思えば、今までの苦労は報われ、明日からの日々は明るく
見えることでしょう。


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月曜日, 10月 12, 2009

「百穀満る季節に横綱の品格をみる」-双葉山


この三連休は、爽やかな秋空に心地よい
風を感じられる日が続きました。

「秋」は多くの穀物や果実が実る季節。
新井白石が「百穀既に成りて、飽満るの
義にもやあるらむ」と書き残したように、
作物が飽きるほど満ち溢れる季節です。

先週の日曜日、息子は初めて相撲大会
に出ました。幼稚園に入った頃からかテレビで大相撲を見て、
そのすばらしさに魅かれ、以来本場所が始まる毎に夢中で見ています。

一番のお気に入りは、横綱の白鵬関。
最近、「心技体」の大切さを父親から聞き、白鵬の相撲道にそれを
見ているようです。

そして、白鵬関が憧れとし、目標としているのが相撲史上屈指の
大横綱である双葉山関(本名.時津風定次)。
69連勝という不滅の数字が燦然と輝く中で、横綱の品格を常に
向上させようと努め、相撲界の発展に大きく貢献した大人物です。

昭和14年1月場所で安藝の海関に敗れた際、
『未だ木鶏足りえず』との言葉を言ったことは有名です。
これは、「荘子」に出てくる寓話の「木鶏の話」を修行中に
知人から聞いた双葉山関が、魂に強く印象づけられて斯く在りたいと
日々精進されていたもの。

『その昔、闘鶏飼いの名人に紀省子という男があった。
 あるとき、さる王に頼まれて、その鶏を飼うことになった。

 十日ほどして王が、”もう使えるか”ときくと、かれは、
 ”空威張りの最中で駄目です”という。

 さらに十日もたって催促すると、かれは、
 ”まだ駄目です。敵の声や姿に興奮します”と答える。

 それからまた十日過ぎて、三たびめの催促を受けたが、かれは、
 ”まだまだ駄目です。敵を見ると何を此奴がと見下すところが
  あります”といって、容易に頭をたてにふらない。

 それからさらに十日たって、かれはようやく、次のように告げて、
 王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したという。
 ”どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。
  ちょっと見ると、木鶏(木でつくった鶏)のようです。
  徳が充実しました。まさに天下無敵です”』

相撲という勝負の世界に生きる双葉山関にとって、
この話は実に得がたい教訓であり、心ひそかに「この木鶏」の境地に
いくらかでも近づきたいと心がけていたという逸話です。

大分県の小さな漁村で生まれ育った双葉山関は、10歳のときに
母親を亡くし、16歳のときに借財のあった実家のことを考えて
相撲界入りを決意し、頑張り番付を上げていき、
体も精神面も大横綱に上り詰めていく様子はまさしく見事。

相撲界という因果な社会の中で、強くなればなるほど自らを
厳しく律し、鍛え上げていかねばならない状況に置かれる。
横綱になるために苦労してきた人間が、ようやく横綱を勝ち取った
瞬間、引退のことを考えるようになる。

横綱は地位にふさわしい成績を収められなくなったら引退するしか
ない。体力や技は維持するだけでは落ちていく。精神面も然り。
そのためにいつ辞めても悔いのないように努力をしつづけなければ
ならない。
まさしく、「地位が人をつくる」のですね。

息子の初土俵は、惜しくも負けてしまいました。
前日に父と練習したにも関わらず。
でも、「相手に負けまい、勝つぞ」の強い気持ちを持って、
土俵に上がり、一所懸命に相撲をとったその姿勢がよく見えました。

負けてがっかりと下り、足洗い場にいた息子に
「惜しかった。負けたけどいい相撲をとったよ」と褒めてやりました。
息子は、「もう少しだったね。次は勝ちたい」と。

いつか息子に、この双葉山関の話をしてあげようと思っています。


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土曜日, 10月 03, 2009

「美しい日本の自然を愛する」-C.W.ニコル


9月中旬、長野県黒姫にある
「アファンの森」へ行ってきました。

今年初の訪問であり、会社の環境
ボランティアリーダー研修の事務局
として行ったものです。
夏から秋へ季節が移ろうとする
アファンの森は、2日間のうち金曜
が晴れ、土曜が雨という天候で、
森の異なる光景を見、また夜の静かな森を歩いて、生き物の
多様性にあふれるすばらしい森の楽しさと魅力を十分に満喫
してきました。

20年前、わが師であるC.W.ニコルさんが長野県黒姫に居を構え、
地元で幽霊森と呼ばれた暗く荒廃した土地を少しずつ買い取り、
森の達人である松木さんの協力を得て、
荒地に植樹を行い、腐り曲がった木を整理し続けました。

その結果、今では木々の間から陽光が差し込んで地表まで届き、
野生の動植物が共生できる豊かな生命力あふれる明るい森に
再生したのです。
ニコルさんはこのアファンの森にいると、我が家にいるような
気持ちになれるといいます。

『1995年に日本国籍を取り、以来、私は日本人になった。
 私はそのことをとても誇りに思っている。
 それでも今なお、たいていの日本人は私を見て
 ”外人”に区分けする。
 それはかまわない。
 自分で自分を見ても、同じように思うだろう。

 しかし、”アファン”と名づけた我々の森にいると、
 私はすっかり我が家にいる気分になる。
 森は私のことを知っていて、私の”国土への愛情”を
 受け入れてくれる。
 森はわかってくれる。
 私には自分が歓迎されているのがわかる。
 だから、私は日本を愛する”愛国者”だ。
 でも、うまい言葉が見つからない。
 私の父は日本人ではなかった。
 母もそうではなかった。

 私にとって日本とは何か。
 例えば、それは国であり山々であり、
 森であり、川であり、島や海岸、
 つまりはその自然だ。
 このすばらしい列島を住処とするありとあらゆる生き物たちだ。
 
 ”国土への愛情”を持たない日本人は、私には認めがたい。
 もし彼らが利己的で自分勝手で、この国の遺産を無駄にし
 破壊するなら、私は彼らを哀れみ、たんに嫌うだけだ。
 
 ありのままの日本を愛し、
 自然のままの日本のほんの小さな部分の一部になりたいと
 努めながら、私はこの国すべてを愛するようになった。
 そして、とうとう、ここを故郷と感じるようになった。

 それが、黒姫の森で、私がケルト族の心の奥深くで
 考え感じていることだ。』 
 

これからアファンの森は紅葉に彩られた美しい姿へと変わり、
杉だけしか植えられていない国が管理する周囲の人工林から
際立った美しさを見せてくれることでしょう。
心の中でその姿を想像すると、私の心は豊かになれます。

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水曜日, 9月 16, 2009

「「一日」を中心に生きる」-酒井雄哉


先日、酒井雄哉師の「一日一生」
読みました。
師は天台宗の大阿闍梨。
かつて比叡山千日回峰行を二回
行った行者として知られています。

1926年に生まれ、太平洋戦争時、
予科練へ志願し特攻隊基地・鹿屋
で終戦を迎えます。
戦後はラーメン屋や菓子屋、証券会社代理店など職を転々と
しますがうまくいかず、縁あって40歳のときに得度。
比叡山延暦寺に入り、明治時代に死者が出て以来中断していた
常行三昧という厳しい行を達成します。

そして約7年かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を開始。
(不動明王と一体となることを目指す行で、十二年籠山行を終え、
 百日回峰行を終えた者の中から、さらに選ばれたものだけに
 許される行。
 行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、
 そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。
 頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどったヒノキの笠をかぶり、
 白装束(死に装束)をまとい、草鞋ばきといういでたち。
 700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれ、無動寺谷明王堂
 で足かけ九日間にわたる断食断水断眠の行に入る。
 入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。
 出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨となり、
 信者達の合掌で迎えられる)
 
酒井師はこの「千日回峰行」を80年、87年の2度満行。
60歳という最高齢でやり遂げたもので、2度の回峰行を達成した
ものは1千年を越える比叡山の歴史の中でもわずか3人しかいません。

『よく、千日回峰行をすると、歩く距離は4万キロ近いので、
 「地球一回りしたことになるんですよ」っていわれるの。
 「阿闍梨さんは二度やったから、地球を二回回ったんですね」と。
 そういうふうにいわれると、本当に地球を二回、回ったのかなって
 思うけど、毎日毎日繰り返しているうちに、気がついたらそんな
 距離になったというだけのことなんだね。
 急に2千日歩いたのではなく、毎日毎日の積み重ねなんだ。

 たとえば僕は82歳になる。じゃあ何日生きてきたのかなと思ってね
 計算してみると、ようやく3万日を少し超えるくらいだった。
 80年だっていっても、たったの3万日しか生きていないんだね。
 そう思うと、自分達の命って、本当に短くてはかないものだなあと
 思うよね。
 地球が生まれて四十何億年とかっていうでしょう。
 なかなかイメージがわかないほど途方もないけど、その中の
 3万日なんていったら、霧や塵までもいかない、ふっと消えて
 しまいそうなかすかなものだよね。

 そんな小さな存在なのに、こうして大きな世の中に送り出して
 いただいたんだから、それこそ地球のため、みんなのためって
 考えないといかんなって思うの。
 こんな大きな地球だって、あと何億年たったら大きな流星が来て
 なくなっちゃうとか、寿命が尽きるとかいわれている。

 こんな小さな存在でも、せっかくこの地球に生を受けたんだから、
 地球の命がある間に、みんなが楽しく生きていく方法を考えたいと
 思うんだ。
 一つひとつの命は小さくても、みんなで心を一つにして考えること
 ができたら、やがては大きな力になるんじゃないのかなあって。

 80年といっても、地球の命に比べたらほんのはかないもの。
 八十何年生きたからどうの、これまで何をしてきました等ではなく、
 大事なのは「いま」。そして「これから」なんだ。
 いつだって、「いま」何をしてるのか、
 「これから」何をするかが大切なんだよ。

 朝起きて、空気を吸って、今日も目が覚めたなあってときにね、
 さあ何をするかなって思って、起き上がらなくちゃ。
 それが今を生きているっていうことと違うかな。
 たとえば、若くして亡くなった人の悲しい話を聞く。
 だけど、その人が一生懸命生きて、世の中の人たちになるほどなあ、
 っていうような何かを残して亡くなったのであれば、それは
 素晴らしい。
 
 大きな存在から見れば、10年も80年もそれほど違いはないのかも
 しれないよ。
 だからこそ、何のために生きているのか、何をやって生きて
 いるのか。今なんのためにこの場所にいるのか。今何のために
 息をしているのか、ということを一生懸命考えなくては。
 とても無駄なことはできない。

 だって、だれにとっても、人生はほんのわずかな時間なんだよ。
 一生懸命、今を大切にして、今をがんばらなかったらいけないのと
 ちがうかな。』

回峰行という荒行の日々の中で得た「生きる」ということの意味を
酒井師は私たちにわかりやすく問いかけられます。
そしてこう励ましてくれます。
『大丈夫、明日はまた、
 新しい人生が生まれてくるから』



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月曜日, 8月 31, 2009

「生成発展する幾億万の水の粒子に思う」-☆森のクマさん☆


台風11号が関東に接近しています
が、それにしても今夏は豪雨や
台風、地震という天災の猛威を
あらためて感じさせられています。
お盆の頃での豪雨は西日本の
各地に多くの被害を出しましたが、
戦後に植樹した木の間伐がされず
に土壌が脆くなっているところへの大雨で土砂流出した事故
であり、人災でもあることを思いました。

温暖化の影響で、世界的に洪水などの水災害の深刻度も増しており、
ヒマラヤ地域では洪水リスクの警告が出ています。
この地域の氷河が解けて巨大化した氷河湖が決壊し、大洪水が起きる
可能性が高まっているのだとか。

一方で、FAO(国連食糧農業機関)によると、現在途上国を中心に
12億人の人々が水の不十分な地域に居住し、近い将来さらに5億人が
水不足に直面する恐れがあります。
水不足と劣悪な衛星状態の結果、世界では毎年180万人の乳幼児が
亡くなっているそうです。

現在より古の時代に孔子は、「水は生成発展する」という根源的な
宇宙観を表していたといいます。
『子 川上に在り。
 曰く、逝く者は斯くの如きか。
 昼夜を舎かず』

小川環樹氏の説によれば、水流に物の本質を感じとり、
そこから学び修養に努めることを、
水流のやむことのないのと同じように絶えず行うようにという
意味だそう。

孔子が観た、川の流れに無限の水の力強いエネルギー。
先日10年ぶりに訪問した屋久島で、清流の流れる様に
龍の如きダイナミックな水のエネルギーを体感してきました。

水が太古より人々にもたらしてきた有り難さと恐ろしさ。
遠い昔からこの地球の大地を幾度も潤してきた水は、
時に大きな恩恵を与え、時に無慈悲に災害を起こしてきました。
そして人は、水から多くのことを学んできてはずです。

孔子は論語の中でこう説いています。
『子曰く、
 仁に里るを美と為す。
 択びて仁に処らずば、いずくんぞ知たるを得ん。
 (人を思いやり、世のため人のために生きられるのは
  美しいことだ。
  そうでなければ、どうして知ある人になれるか)』


地球の生成期から絶え間なく循環し、生成発展を繰り返してきた
幾億万の水の粒子に心から感謝し、
孔子が唱えた「仁(思いやり)」の大事さを思います。


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土曜日, 8月 08, 2009

「偉大なるものを偉大ならしめた母なる森に感謝して」-山尾三省


先月18日から21日にかけて屋久島に
行きました。私は10年振りで、妻と息子は
初めての訪島。

かつて13年前に初めて訪れたこの島の
森の中で、私は「命の再生を体験」し、
自然生態系を守っていくことの大切さに
目覚めました。

屋久島には九州沖縄地方で最高峰となる宮之浦岳(1935m)
や永田岳など標高千mを越える高峰が46座もあります。
これまでの訪島でこの高峰を歩き、深粛な生命の森の懐の中で
数千年もの間聳えてきた縄文杉などの屋久杉たちにも会ってきました。

今回訪れたのは、何よりも息子にこの巨樹たちに直に触れ、
巨大ないのちの肌感を通して、何千年、何万年という時の中で
生と死の循環が脈々と流れる森の生命という無限に大きな
自然のいのちにつながることを実感してほしいという希望からです。

屋久島の森には、至るところに圧倒的な樹の生命力が溢れています。
それはふだん街中の公園や寺社の境内で見る木とはまるで別のもの。
森を歩いた中で息子が出会った老杉たちの中の1本に、
樹齢1,800年という「仏陀杉」の巨樹があります。
1,800年前といえば卑弥呼の時代。「この間読んだ「三国志」
時代だよ」と言われた息子は、『えっ、そんなに大昔から
生きているの』と、とても驚いていました。

この巨樹の幹には他の巨樹同様に十数種もの別の木が着生しており、
共生の姿を見せています。
そしてこうした森の生産者たちを支えているのが森の底にひろがる
無数の苔。さまざまな種類の苔こそはこの島の「森の母」というべき
とても大事な存在。
地面も岩も、倒木も枯枝も、木々の幹にも苔がびっしりと張り付いており、
巨樹や清流と共に深い森の中で生命のエネルギーを溢れだし、
素敵な協奏曲を奏でているのです。


以前、森を愛する作家高田宏さんが屋久島のことを書いた文の中で、
島の原生林や巨樹を愛した詩人山尾三省氏と縄文杉に関わる逸話が
紹介されていました。

山尾さんは、1977年屋久島の廃村に一家で移住し、
以後白川山の麓で田畑を耕しながら、2001年に亡くなるまで

詩の創作を中心に執筆活動を行っていた方です。

瀬切川地区の原生林の伐採を当時の営林局が決め、
地元の心ある若者たちがその阻止運動を進めていたあるとき、
その中の一人が山尾さんにこう問いただしました。

『「あなたは常日頃、縄文杉縄文杉と言っているが、
  今度営林局が伐るという8百haの原生林と、
  縄文杉のどっちかを残すということになれば、
  どんなものだろうか。
  あなたはどっちを選びますか」

 縄文杉はもちろん伐ってはならないものであり、
 瀬切川地区の8百haも絶対に伐らせてはならないものである。

 「両方とも伐らせないことを選びます」と私は答えた。
 「それであなたはどうですか」と今度は私が尋ねた。

 「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」
 彼は明確に答えた。』
 
この答えを聞いて、山尾さんは、自分の中で崩れてゆくものが
ありました。
縄文杉にのみこだわっていた自分の、いまだに観光客的な気分から
ぬけ切れないでいる個的な感覚が崩れていったといいます。

『彼の答えは、明確であった。
 
 瀬切川流域が残れば、当然縄文杉も残るのである。
 逆に、この流域が伐られ、また別の原生林が伐られ、
 全ての原生林が伐られて、
 その果てに縄文杉一本がこの島に取り残されたとしたら、
 それは無残というよりは、独善ですらある。
 
 屋久島の原生林があって、そこに縄文杉も自生しているのであり、
 その逆では決してない。
 これは人間を含む生態系についての根本認識であるはずである。

 私はその時より、縄文杉への愛と尊敬はいささかも変わらないものの、
 縄文杉と呼ぶより、「屋久島の森」と呼ぶことの方に、
 より深い意義と喜びを見出すようになった。』

この中に出てくる「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」と言って
伐採反対に強い信念をもった方、長井三郎氏は縄文杉のことを
「生まれては死に、死んでは生まれる無数の生命の流れを見つめ続けきた
 偉大なる生命体」
と讃えています。

そして、それにつづけて、
「その偉大なるものを偉大ならしめた母なる森は、もっともっと長大な
 道のりを歩いてきたのである」
と誌しています。』

日本という急峻な山々が豊かな森に覆われて、
多様な生き物たちの生をつつみ、山裾に住む人々の暮らしを見守ってきました。
この母なる森に目を向ければ、いかに人の手が関わり、また離れたことで
惨憺たる荒廃の姿に変えてしまったかがよくわかることでしょう。

その恩恵を遠き先祖の時代から受け、また現代も受け続けている中で
自分の生命を育んでくれている森に感謝する気持ちを多くの人々が持ち、
再生に関わっていくことを願っています。


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火曜日, 7月 14, 2009

「山高きが故に貴からず」-☆森のクマさん☆




今春から小学校に通うようになった
息子も今週が終われば夏休み。
週末から行く予定の屋久島に思い
を馳せて、楽しみにしています。

一学期の間に一度だけ参観日の日に息子の受けている授業
の様子を見ることがありました。
学年主任であるベテラン先生の落ち着いた、一人一人を
よく見ながら声をかけての授業内容は安心できるもので、
子ども達の受ける態度にもよくそのことが表れていました。
学級崩壊などとかく教育現場の荒廃もいわれる中で、
現場の先生の人間としての包容力が子どもを安心させて
いるのだろうと安心して帰ってきました。

かつて江戸時代に行われていた子どもの教育は、世界の
最高水準にあったといわれています。
元禄時代に来日したフランス人は、寺子屋に通う子ども達を見て
『日本人の子育て教育は世界の理想であり、とうてい
 外国人のおよぶところではない』
と驚嘆し、目を見張ったといいます。

当時の教育は、現代の学校教育で進めてきた進学や就職に
役立つという名声や富を得ることにつなげる「利の教育」ではなく、
「叡智」の重要さと学ぶことの必要性を教えるものでした。

「近思録」の本には、こうあります。
『学ぶ者はすべからくこれ実を務むべし、名に近づくことを
 要せずして方に是なり。
 名に近づくに意あるときは則ちこれ偽なり。
 大本すでに失す』
(学問の目的は本来、自分の能力や人格を磨くことにある。
 だとすれば、学問によって名声や利益を求めようとするのは
 本末転倒であり、本物の学問ではない)
 
ホイットマンは、かつての日本人の顔つきを見て
『考えぶかげな黙想と真摯な魂と輝く目』と評したといいます。
それは学校においても家庭においても、自己の品格を磨く
修身教育が行われた自然の結果であったのでしょう。

品格を培養するのに必要なこと。
それは自己の鍛錬であり、身を慎むという修養の精神をもつこと。
いくら知識を持っていたところで、あるいは雄弁であったところで、
それは二の次です。
そしてこの「自己を鍛える」教育は、武士階層のみならず
一般庶民の間でも行われていたのです。

翻って我が身を思うと、自己の鍛錬において先人に遙か及ばないと
深く自省するばかり。
実利、功利という「利」「得」が重視されてきた現代社会の中での
教育の盲点を感じます。


深田久弥氏の名著「日本百名山」。
深田氏は、単に山が高いというだけで名山を選ぶということは
しませんでした。
選定の基準の第一に「山の品格」を置いたといいます。

『高さで合格しても、凡常な山は採らない。
 厳しさか強さか美しさか、
 何か人を打ってくるもののない山は採らない。
 人間にも人品の高下があるように、
 山にもそれがある。
 人格ならぬ山格のある山でなければならない』


かつての日本で重視されてきた教育。
それは、人間の品格を高めることでした。
そして、明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁のたぐいは
第二義的なものとされたのです。

いつでも穏やかで礼儀正しく、周囲を楽しませる教養があり、
相手に対する思いやりを決して忘れない。
威張ったり自慢したりするようなことはなく、
好奇心を忘れない。
このような人こそ品格をもって、どこの場に出ても恥ずかしくない
優美な人間なのでしょう。

『山高きが故に貴からず
 樹あるをもって貴しとなす
 人肥えたるが故に貴からず
 智あるをもって貴しと為す
 人学ばざれば智なし
 智なき者は愚人なり』
という先人の言葉を深くかみしめたいですね。


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水曜日, 7月 01, 2009

「百億の昼と千億の夜と阿修羅」-光瀬龍


先日終了した「国宝 阿修羅展」。

行列が苦手な私は、見に
行きませんでしたが、子どもの頃
に写真で見た阿修羅の
少女とも少年ともとれる姿と
愁いと喜びを併せ持つ表情の
清らかさに、何か不思議な好奇心を感じたことを覚えています。

かつて私は小学6年の時に、1冊のSF小説の虜になりました。
その題名は百億の昼と千億の夜』。
SF界の巨星、光瀬龍氏が詩情豊かに、時の流れの膨大さと非常さ、
その中での人間の営みを謳いあげた名作。
現在でも強く惹かれる作品です。

『寄せては返し  寄せては返し  返しては寄せる波』
という独特の静謐さと淋しさを湛えた文体は、静かに深く心に
沁みこみ、読後に本を閉じた後の気持ちは、
何とも言い表しようのない物悲しさ、透明な悲哀といった
寂寥の思いに陥るのです。

萩尾望都氏によりマンガ化もされましたが、
人類の永遠の命題である
『人はどこから来てどこへ行くのか』『生とは何か』『永遠とは』
を問いかける内容に、12歳の私はしばらく真剣に考えていました。
今は懐かしい思い出です。

先日亡くなられた中島梓さんは、この作品を表す言葉は
『無常感』であるといいました。
そして、破滅と永遠と、そして喪失の、悲しく、透明な、
しかしどこかしら不思議に甘く快い静寂をたたえている、
世界でいちばん美しく、悲しいSF小説のひとつだと評していました。

古来からある阿修羅の伝説の一つに、帝釈天を相手に
勝てぬ戦いを永遠に続けているというのがありますが、
光瀬氏は、興福寺の阿修羅像は戦いの虚無の中で「なぜ」
自らに問いかけているのだといいました。

『神と戦うのか。』
『おお、そうとも。 
 私は相手がなに者であろうと戦ってやる。
 このわたしの住む世界を滅ぼそうとする者があるのなら
 それが神であろうと戦ってやる!』

『百億の昼と千億の夜』に登場するあしゅらおうは、”シ”(死)と
いう生命が、時間が、必ず出会う運命の存在である敵と戦っています。

『・・・・転輪王・・・・
 この世に現れた”シ”とはいったいなんだ・・・・その正体は?』

『彼らは彼岸に住む超越者だ』

『彼岸とは・・・・またはるかな言葉だな
 それはこの世の者にはたどり着けぬ宇宙の果てか』

『阿修羅、宇宙の果てとはなんだ』

『宇宙の膨張速度が高速に達した所に果てがある・・・・
 その時、宇宙全体の質量のため空間が閉ざされ、
 一個の球体の内部を構成する・・・・』

『では阿修羅、その球の外とは?
 閉ざされた内部ということは、さらに外があるということだ
 しかも無限に

 こう考えてくれ、阿修羅
 時もまた同じ

 この内の世界では二千億年の昔
 原初の時点から時は流れ始め
 二千億年のかなたでやむ

 しかし、それすら外の世界の無限の広がりに比べれば
 超時間のほんの切片だ・・・・』

『転輪王、”シ”とは二千億年すら一片となす
 無限の時を支配する超越者のことか?』

『・・・・阿修羅よ・・・・
 すべての時にも、人の心にも
 願いは常にあった

 深い海から生まれた生命にも
 滅びゆく都市にも
 この宇宙にも

 願いとは・・・・
 何だったのだろうか?

 神・・・・超越者にとって
 われわれや宇宙はなんだったのか?

 われわれの・・・・存在の意味とは?

 この世界の外に
 さらに大きな世界の変転があり
 さらにその世界の外に世界が
 そしてまたその外にも

 さらに永遠に世界がつづくのなら

 わたしの戦いは
 いつ終わるのだ・・・・?』

『すでに還る道は無い
 また新たなる
 百億と千億の日々が始まる』

無常と久遠という壮大な世界を
宙空にかかげた3対の腕に抱く阿修羅像。
いつの日か対面したいと願っています。

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土曜日, 6月 20, 2009

「棺を蔽うて後、はじめて定まる」-隆慶一郎



大河ドラマ「天地人」の人気で、
書店に行くと必ず
「上杉謙信」、「直江兼続」関係の
本がならんでいるのを目にします。

少し前まで「直江兼続」の名前は
一般にはあまり知られておらず、 やはり大河ドラマの効果
というのはとても大きいものだなとあらためて思いますね。

昨年の「篤姫」人気も相当のものでしたが、息子はこれをつづけて
見るようになってから、大河ドラマの面白さを知ったようで、
「天地人」は最初から欠かさず見ています。
さまざまな登場人物のやりとりを見ながら、いろいろな質問をし、
彼なりにこの時代の人々の生き様を学んでいるようです。

そして、「義」に生きるという志を持って生きた謙信や兼続という
人物の器量と誇りが、私たち親子の感情を揺さぶっています。
戦国のドラマに関心を持つ息子を見て、かつて自分も同じ歳の頃に
日本の歴史がひたすら面白く、暇さえあれば百科事典を
開いていたなぁと懐かしく思います。
そのおかげでか、高3の時に受けた全国模試で日本史は5位の点数を
とれたのは、学校の勉強をほとんどせずに試験ではよい思い出のない
私にとって唯一といっていい心地よい思い出です。

さて、6歳の息子が繰り出してくるさまざまな質問に触発され気味の
私は、戦国時代という15世紀後半から始まった日本全国の各地で
群雄が割拠し抗争が繰り広げられた時代に、あらためて興味を
持ち始め、これまで読んだ本を読み返したり新しく購入したりと
しています。

このところずっと惹きつけられている歴史作家が、
隆慶一郎氏。
89年に逝去されてから読んだ作品が多いのですが、どの作品にも
共通して感じているのが、主人公が生涯において発する
強烈なエネルギーを持って美しく生を生き抜いていること。
人生のさまざまな濃淡を知っている作者であるから描ける
主人公の明るく清々しく烈しい生き様。

先日読んだ隆氏の随筆の一編。
『戦国期の終わりから江戸初期にかけてを題材にする仕事が
 ほとんどなので、その頃の史料を読む機会が多いのだが、
 当時の男たちの生命の軽さに驚くことがある。
 些細なことで誠に無造作に死んで行く。

 そのくせ、それなりの感銘を後世に遺すのは、大方の男どもの死が
 己の誇りのためだったからのようだ。
 誇りといっても千差万別で、馬鹿げた見栄の場合も多いのだから、
 死んだ本人は「阿呆らし」の一言で葬り去られても仕方ないのだが、
 死んだ本人はおそらくそんなことは百も承知の上のことであり、
 それでも死んでしまったとなれば、これは「阿呆らし」ですむ
 問題ではなくなるように思われる。

 大体僕は「一人の人間の生命は地球より重い」などという言葉が
 嫌いである。
 この言葉ほど人間の思い上がりを示すものはない。
 まるで地球は人間の持ち物だと言わんばかりではないか。
 冗談ではない。
 地球上には人間以外の動物も植物もいる。
 彼等から見れば、人間は正に天敵以外の何物でもあるまい。
 恐竜のように早く絶滅してほしい種族であろう。 

 少なくともその視野あるいはすまなさを持たぬ人間は、
 僕には破廉恥に見えて仕方がない。
 ましてや人間を人間たらしめている条件であり誇りの念を持たず、
 いたずらな長命を求める人種は醜悪な貪欲の塊のように思える。
 長生きは決して美徳ではない。』

物に溢れ飽食に飽きた現代日本に生きる私たちには、
いささか耳に痛い言葉。
しかし本質をよく突いた言葉。
『棺を蔽うて後、はじめて定まる』という言葉があります。

『志を立て、それに殉じた』という潔い生き方をしてきた
先人たちの誇りが、こちらの生き方に訴えかけてきます。



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土曜日, 6月 13, 2009

「未来圏から吹く風」-宮澤賢治


『われわれは
 どこから来たのか?  
 われわれは何者か?  
 われわれは
 どこに行くのか?』
                                                     
この有名な言葉は、画家ゴーギャンがタヒチに
長期滞在していたときに描いた作品のタイトル。
人類の生成時からずっと続く命題です。

大好きな宮澤賢治も、この命題に取り組んだ一人でした。
素晴らしい作品の根底を流れる人間の未来像から、
それがうかがえます。

賢治は、行こうと思えば、すうっと自然の世界に行けた人。
彼こそは、空であり、風であり、森であり、野原であり、
一本の木でありました。

そして、未来圏の旅人でもありました。

『吹雪はひどいし
 けふもすさまじい落磐

 ・・・・・どうしてあんなにひつきりなし
 凍った汽笛を鳴らすのか・・・・・

 影や恐ろしいけむりのなかから
 蒼ざめてひとがよろよろあらはれる

 それは未来圏からなげられた
 戦慄すべきおれの影だ』

『諸君はこの颯爽たる
 
 諸君はこの未来圏から吹いてくる

 透明な清潔な風を感じないのか』

どちらの詩も賢治の作品であり、未来圏という言葉を
使っています。
にも関わらず、二つの詩はあまりに対照的です。

私たち人間の未来は、不安に満ちたものなのか、
明るいものなのか。
この二つの像の間を行き来し、彷徨しているのかも
しれません。

そう思いながら、私は愛する息子にはきっとこの
『透明な清潔な風』を感じさせたい。
そう思います。


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日曜日, 6月 07, 2009

「地球まほろばの尊さを伝える宇宙からの贈りもの」-毛利衛


以前見たNHKの番組「宇宙飛行士
はこうして生まれた~密着・最終
選抜試験」。

とても素敵な内容でした。
子どもの頃から「宇宙に行きたい」
という夢をかなえるため、宇宙飛行士になることを望み、
厳しい選抜試験を受け、最終選考の10人に選ばれた30代の男女
10人の候補者たち。

番組は選考試験の内容を密着取材し、彼らの過酷な試験や
応援する家族とのふれあいを通して何をつかみとったのかを
ルポで見つめたもの。

■NHKスペシャル 宇宙飛行士はこうして生まれた
        ~密着・最終選抜試験~

「2月25日、10年ぶりに2人の日本人宇宙飛行士の候補者が誕生。
 今回、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が実施した選抜試験には
 過去最多の963人の応募があった。
 宇宙飛行士の募集は10年間行われてこなかったため、いったんは
 夢を諦めてそれぞれの人生を歩んでいた人達が「最後のチャンス」
 と、家族や職場を説得し試験に臨んだのだ。
 1月、最終選抜試験まで残った10人も、サラリーマン、技術者、
 パイロットなど、いずれも30代の男女。
 宇宙ステーションを模した施設に閉じこめられて共同生活の様子を
 監視され、2週間にわたる実技試験が行われた。
 その結果、大西卓哉さんと油井亀美也さんが宇宙飛行士として
 選ばれた。」

数年前、日本科学未来館で行った環境シンポジウムにて、館長である
毛利衛さんに講演していただく機会があり、私は事務局であったので
幸運にも舞台の袖でお話を真近に聞くことができました。

毛利さんは、92年と2000年の二度、宇宙飛行士として
あふれるほどの贈り物を受け取ったといいます。

『ますます増えていく人間の数と地球環境との調和を保つのは、
 21世紀に活躍する若い皆さんの役割です。
 若人たちの前途は輝いていると共に、多くの困難も待ち構えて
 います。それに直面するときに、一人一人に必要なものは、
 地球全体と宇宙を視野に入れた透明で強い意志、そして
 生命全体を考えるやさしさだと思います。

 二度目の宇宙飛行でのミッションにおける日本のテーマに
 「地球まほろば」がありました。
 20世紀の最後の時期、日本は経済的にも低迷していて、
 今までの繁栄してきた夢が挫折する感じだったのです。
 それと同時に、今までの高度経済成長が何だったのかということを
 考えさせてくれる、すごくいいチャンスだったような気がするの
 です。
 
 未来ばかり見るのでなくて、やはり過去を見て、今まで日本が
 どうだったのか、地球環境がどうだったのかということを見て、
 はじめて次の21世紀を新しい気持ちで生きていけるのかなという
 思いがずっとありました。
 それにぴたっとくる言葉がないかと探していたところ、
 日本の古来の言葉に「まほろば」があることを思い出しました。
 「まほろば」は、すぐれたいいところということですから、
 誰もが住んでいたいという気持ちになるところだと思うのです。

 私は、地球に帰ってきたときに、湿度とか、空気の匂いとか、
 花が咲いたり、虫がいたりする環境が、やはり人間にとって一番
 いいんだろうなという気持ちになりました。
 もしも地球全体が人工環境になってしまったら大変だという思いが
 ありました。
 
 21世紀は、自然をコントロールして、その人工的な環境に
 近づいていくと思うのです。
 人工環境にするためには、自然を変えていっているわけです。
 しかし、一度自然を変えてしまうと、例えば生物は絶滅すると、
 もうそれが生まれることはないのです。
 新しい化学物質がどんどん生まれてきていますけれども、
 そういうものが地球の生命になじむには、とても千年とか二千年では
 すみません。
  
 人間が生きている間にすべきことは、やはり何千万年、何億年という
 歴史を変えてしまわないことだと自信をもって言えます。
 そういう意味で、もともと「まほろば」と感じているものを大事に
 したいと願っています』

毛利さんが宇宙体験を通して感じた「宇宙からの贈りもの」。
地球に生命が生まれ、40億年かけてその時その時の環境に
適応するように多様化した結果が、現在の地球環境であることの
真の理解。

そして、この自然の適応力と多様性こそは、
人類がこれからも生きていく上で大事にすべきものだと
教えてくれます。


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木曜日, 5月 28, 2009

「地球の生命維持システムの大切さを知る」-ポール・エーリック


5月22日は「国際生物多様性
の日」。
日本ではおそらく多くの方が
知らなかったのではないで
しょうか。
来年2010年は「国際生物
多様性年」ですが、10月
には名古屋で、第10回「生物多様性条約締約国会議」が開催
される予定です。

私たち人間がこの地球という星に住み、生活を送っていられるのは
様々な生き物たちの生命活動によってだということが、あまりにも
あたりまえになっており、その大事なことが意識されていません。

人間社会が作り上げてきた20世紀型の仕組みは、多くの資源を浪費し
大量の生産・消費・廃棄を繰り返しています。
地球のありとあらゆる場所で、穀物や動物、石油、ミネラル、森林、
そして魚介といった資源を消費しているのです。

これを支えてきたのは生態系からの無償のサービス。
しかし、止むことををしらない貪欲な人間社会の活動のために、
破綻し始めています。

私たちは何か新しい体系に転換を図ることが必要です。
それこそが「持続可能な社会」とよばれる地球の生命の循環に
則ったこれからの社会システムです。

「人口爆弾」の著書で知られるポール・エーリック博士は、
こう語っています。

『私たちにとって、またすべての生物学者にとって明らかなことは、
 環境の中で起こっていることが、大勢の人間が地球上に存在して
 いる結果だということです。

 貴重な生息地や農地の上に道路やショッピングモールを人々が
 建設するのを目にすると、大きな感情的衝動にかられます。
 私がこれまでに野外調査をした場所のほとんどが、私の生きてきた
 間に壊されるのを見てきました。

 私たちはつい最近、インドと中国を訪問しましたがショッキングな
 思いをしました。
 先進国の過ちのコピーに走り、超消費文化に向かって狂気のように
 突き進んでいます。
 これはこの国の人々のみならず、他の全ての国々に住む人々に
 とっても悪い前兆です。
 
 私たちは自分達の生涯を現場で、それも主に貧困な国々で過ごし
 ました。盲目的に消費し、破壊し尽くして、その後に訪れる途方も
 ない貧困を見てきました。
 先進国に対抗して破壊を進めようとすることは、発展途上国を破産に
 追いやります。
 
 
 私たちの生存は地球の生命維持システムに頼っているのです。
 生命を宿している惑星は、私たちが知っている限りでは地球だけ
 ですが、このシステムについてはほとんど何も知りません。
 ほとんどの人たちはこの点について無関心ですが、自然の法則に
 無関心であることが、破壊する言い訳にはなりません。

 生命共同体の中にいる生物と、その生息している物理的環境との
 関わりあいが、生態系をつくっています。
 気候は地球規模の生態系の一部で、その中にいる生物によって
 大きな影響を受けます。
 
 たとえば、陸地上の天気は植生によって制御されています。
 植生は地表の温度を変化させるからです。
 大気中の二酸化炭素の量は、生物によって劇的な影響を受けます。
 森林や植物の集落は、陸地と大気の間での水の循環を制御して
 います。
 
 森は水を捕らえて、保持し、そして再循環させます。
 森の中では雨が土の中に染み込み、地下水の補給をし、
 川の流れとして絶え間なく、少しずつ流れています。
 対照的に、ほとんど植物の生えていないような場所では、
 水は地表を流れ、土壌を洗い流しながら洪水を引き起こします。

 自然の生態系は、地球が生物の居住に適するように保つために、
 積極的に働いています。
 私たちがこの生態系を形づくっている生物を絶滅させていくたびに、
 私たちを守ってくれる地球の力を危険にさらしているのです。
 
 私たちの生命維持システムを守れば守るほど、私たちひとりひとり、
 そして私たち全体の生存の可能性も高くなるのです』

私たちが何を食べるか、どこで暮らすか、職場や学校までどうやって
通うかなどのあらゆる選択が、環境に影響を及ぼします。
日本や欧米など最も豊かな国々における資源の消費量は、
最も貧しい国々の平均10倍以上もあるのです。

私たちがどのように自然から恩恵を受けているかを知ることは
生物多様性を保全し持続的に利用していくことへの重要な第一歩と
なります。
私たちを含めてこれからの未来の世代のことを考え、
次の一歩を踏み出していきませんか。


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土曜日, 5月 23, 2009

「38億年受け継がれてきた命を伝える」-小菅正夫


昨夏に生まれたカブト虫の子どもが
少し前からさなぎになりました。

2年前の夏から森でつかまえた
カブト虫を息子と家で飼育し、
昨年はオスとメスが死んでしまった
後、土の中に産んでいたとても
小さな卵を見つけて、以来腐葉土を旺盛に食べる幼虫6匹を
育ててきました。

息子はそれぞれに、
「せかいくん」「ようくん」「まったくん」「やったくん」
「あじあちゃん」「めんくん」
と名前をつけ、
土替えのときにそれぞれが大きく成長をしている姿を
見る度に喜んでいました。

そしていよいよさなぎの姿になりました。
私は子どもの時にやはりカブトを育てていましたが、
土替えをきちんとしていなかったため、さなぎになるまでは至らず、
大人の今になって見れたことに感動しました。

このままいけば7月には成虫の姿を見せてくれることでしょう。
私も妻も息子も皆心待ちに楽しみにしています。


昨年7月に初めて行った「旭山動物園」。
日本最北にして日本一の入園者を集めるこの有名な動物園は、
本当にすばらしい動物園です。

水に飛び込む大迫力のホッキョクグマや、
地上17mの綱を危なげもなく渡るオランウータン、
地上でのよちよち歩きからは想像もつかないようなスピードで
泳ぐペンギンたち。
真近に見えるオオカミやトラ、ライオンたち。
人間の能力をはるかに超えた彼らのすばらしい能力を示す姿に
会えました。

一方で、この旭山動物園では、動物が弱って動けなくなり
死ぬところまできちんと展示しています。
それは『死を伝えることなくして、命を伝えることなどできない』
いう園長の小菅正夫さんを始めとする園の方針からです。

小菅さんはこう語っています。
『動物園にはいろいろな相談の電話がかかってきます。
 あるとき、小さな子どもを持つお母さんから
 「うちの子供が、どこかからカメをもらってきたのですが、
  どうやって飼うのでしょう」という電話がありました。
 
 どこかで知識を得た様子のお母さんは、
 「カメは何か病気を持っているのではないか」と心配して
 いたのです。
 それで、「病気の原因になるサルモネラという菌を持っていますよ」
 と答えると、そのお母さんは、
 「そんな菌を持った恐ろしい生き物は、とても家の中で飼えません
  よね」と言いました。

 カメにとって腸内にサルモネラ菌を持っているのはきわめて
 普通のことで、それでカメが病気になることはありません。
 触った後に手を洗うなど、ごく基本的な注意を守って飼っていれば、
 それが簡単に人間にうつることはないし、
 そもそも、菌が存在すること自体、特別なことではないのです。

 もちろん、お母さん達が知識を持つのはいいことだし、
 子どもたちの心配をする気持ちもよくわかります。
 でも僕は、こんなふうに生き物をきたないもの、人間だけを
 特別なものと考える最近の風潮が、とても気になります。

 少なくとも僕が子どもの頃は、生き物をきたないと感じたことなど
 ありませんでした。
 動くものを見れば触ってみたくなる。
 それが普通の子どもだったのです。
 生き物に触れて、一所懸命育てて、その死に遭遇してわんわん泣く。
 そうした生活の中で、命というものをだんだん理解していきました。

 今、ほかの人の命も、自分の命も大切にできない子ども達が
 増えています。
 これは、人間だけを特別視し、人々の暮らしから人間以外の
 生き物(飼い犬や猫は除く)を遠ざけてきた結果では
 ないでしょうか。
 
 人間だけが清潔で、人間以外の生きものはきたない-こうした、
 ”潔癖症”ともいうべき姿勢が、結果的に「人の命」も
 わからなくさせているのだと僕は思うのです。

 人々が病院で死を迎えるようになったことで、日常生活の中から
 「死」というものがどんどん遠ざけられるようになったことも、
 「命」をわからなくさせている一因かもしれません。

 こうして、現代の日常生活でなかなか伝わらなくなってしまった
 「命」を、何とかして伝えたい。
 僕が今、旭山動物園の園長をしながらいつも心で願っているのは
 このことです。』

私たち人間は今まで、自分たちだけのことを考えて発展してきました。
そして、動物たちの棲む自然環境を破壊してきましたが、
それは当然自分たちの住む環境を破壊する結果になり、
持続不可能な社会を作ってきてしまいました。

地球上に生息しているといわれる生き物は数百万~数千万種と
言われています。
最初に誕生した生き物は、今から38億年前といわれており、
全ての種は人間よりも早く誕生した先輩たちです。

人間以外の生き物と共存して暮らしていけるように、
私たちはまず自分達以外の生き物を見て、
その命を考えていくことが大切ですね。


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金曜日, 5月 08, 2009

「天いっぱいに子どもの星をかがやかせよう」-東井義雄

GWの前半は、埼玉の実家に行き
近場でゆっくりと過ごしました。
息子は歳の近いいとこ達に会えて
大喜び。ワイワイいいながら
家の中で、屋外の公園で
走り回って遊具で遊び、賑やかに
遊んでいる子どもたちの嬉しそうな
姿にとても癒されました。

尊敬する藤尾秀昭さんが以前紹介されていた東井義雄先生の
お話を紹介します。
東井先生は『日本のペスタロッチー』と呼ばれた名教育者。
これは、東井先生が68歳の頃に中学生を前に
あるお婆さんの話をしたそうです。

『私は主人が早くに亡くなりました。
 女の子一人の母子家庭だったんですけど、
 主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、
 女の子を養いました。

 幸い、小学校の頃は、いい子だ、やさしい子だと、
 皆さんから誉めていただいていたんですが、
 中学校になってから、ぐれ始め、
 とうとう中学二年の時には警察の
 お世話になるようなことになってしまいました。

 あのいい子だいい子だといわれた子が、
 なぜこんなことになったんだろうか、
 どう考えても分かりません。

 それが偶然わかったことですが、
 「いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか」
 といわれたことが大きなショックになって、
 「お母さんがあんな仕事をやってるから、
  いくら勉強やったって、みんなからバカにされる」
 と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。

 しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、
 もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
 かといって、ただ一人の女の子が、
 そんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。
 長い間、ずいぶん迷いましたが、
 結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと考えつきました。

 ある時、
 「お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、
  足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、
  家まで車を引いて登ることができなくなってしまったんだ。
  すまんけど、あの下のポストのところまで、
  明日の晩迎えに来てくれないか」

 「ボロ車の後押しなんかイヤだ!」
 思った通り、はねつけられてしまいました。

 「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。
  でもお母さん、足腰がもう痛んで、
  どうにも車があがらなくなってしまった。
  頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか」

 いくら頼んでも、
 「ボロ車の後押しなんてイヤだ」
 「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんて、イヤだろうな。
  でもな、6時には間違いなしに帰ってくるからな。
  あのポストのところまで迎えに来てくれんかい」

 「じゃあ、6時ちょっきりやで。
  すこしでも遅れたらよう待たんで』
 ということで、どうにか承知してくれました。

 あくる日、車を引いてポストのところまで帰って来ると、
 ポストのかげに、恥ずかしそうに、
 しゃがんで待っていてくれました。

 そして、後を押してくれたんですが、
 車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、
 どんな思いで後押ししてくれているかと思うと、
 こんな仕事やってきて、
 そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、
 たまらん思いでしたが、おかげさまで
 家まで車を引いて登ることができました。

 「あんたのおかげで、今日は久しぶりに
  車を引いて帰り着くことができた。
  明日もすまんけどな、お願いするよ」

 そのあくる日も迎えに来てくれていた。
 そんなことが五日ばかり続いたある日、
 ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。

 後押しをしながら、
 「お母さんの仕事って、大変なんだな!」
 と叫んでくれました。

 「お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。
  でも私のために、この仕事、
  足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。
  私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて」

 気付いてくれていたんです。
 そのあたりから、立ち直ってくれました。
 今ではおかげさまで、いい母親になって、
 二人の子どもに恵まれているんですが。
 と聞かしてくれました。』

藤尾さんによると、この話の後に東井先生は
こう語ったそうです。

 『自分を生かしてくれるものに、目が覚めてみるとね、
  ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまが
  できなくなってしまうんですね。
  願いの中に自分が生かされている。
  どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです』

常に子どもの側にある教育を目指し、
命の不思議、命の素晴らしさを説いてきた
すばらしい教育者を思い、胸がいっぱいになります。

『どのこも子どもは星
                 
 どのこも子どもは星
 みんなそれぞれがそれぞれの光をいだいて
 まばたきしている
 ぼくの光を見てくださいとまばたきしている
 わたしの光も見てくださいとまばたきしている
 光を見てやろう
 まばたきに 応えてやろう
 光を見てもらえないと子どもの星は光を消す
 まばたきをやめる
 まばたきをやめてしまおうとしはじめている星はないか
 光を消してしまおうとしている星はないか
 光を見てやろう
 まばたきに応えてやろう
 そして
 やんちゃ者からはやんちゃ者の光
 おとなしい子からはおとなしい子の光
 気のはやい子からは気のはやい子の光
 ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
 男の子からは男の子の光
 女の子からは女の子の光
 天いっぱいに
 子どもの星を
 かがやかせよう

 「東井義雄詩集」より』


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水曜日, 4月 29, 2009

「最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる」-立石一真


GWに入りました。
私は1日だけお休みをもらって
後は暦通りですが、
世間では16連休という
長い休みにした企業もあり、
景気の悪化の中で少しでも
コストを下げたいということで、社員の方からすると
「たくさんの休みはあっても収入がその分下がるのでは・・」
という方もいることでしょう。

米国発の国際的金融危機(ある人に言わせると金融腐敗だそう)が
世界中の経済をおかしくしてグローバル不況が現在も続いています。

競争社会、弱肉強食、マネー優先、格差拡大、貧困連鎖、などの
活字が連日の新聞メディアに載せられていますが、
人間の際限のない欲の拡大によるマネーゲーム、市場の取り引き、
人間性の入り込む余地のない、損得、リスクが口を開けた社会は、
一日も早く変革していかねばなりませんね。


立石一真氏はATMや自動改札機を独自に開発したことで有名な
オムロンの創業者。

 創業時に極貧の中で妻を亡くし、七人の子どもを育て上げたことで
 有名ですが、30代で母を、40代で父を亡くし、
 親を喜ばせることが最後までできなかったことを
 深く悔いていたそうです。

 そして自分にできることは何かを問い、
 『両親の代わりに他人を喜ばせたい、人の喜ぶ顔を見たい、
  役立つことをして幸せになってもらいたい、
  それでこそ納得できるし、自分も幸せといえるのではないか』
 こう考えました。

 1933年33歳の時、大阪東野田に「立石電機製作所」を創業。
 1940年、東大航空研究所からマイクロスイッチ国産化の依頼があり、
 研究を重ねて、国産初のマイクロスイッチの製品化に成功。
 『世の中Badと決めつけるのはたやすい。
  しかし、Need Improvement(改善の余地あり)でなければ、
  創造の将来はない。
  「まずやってみる」がわれわれが築き上げてきた企業文化なのだ』


 難しいと思うことにできませんと言うのは安易だが、
 それでおしまい。
 しかし、いい加減にしないでどうすればできるかを考え抜いてこそ
 頭は鍛えられ、人間は成長する。
 氏の姿勢は終生、変わりませんでした。

 オートメーション市場の開発に取り組む中で、
 氏は「毅然たる経営方針」を模索します。
 1956年、経済同友会で「経営者の社会的責任とその実践」を
 研究し、『企業は利潤追求のためのみにあるのではない、
  社会に奉仕するために存在するのだ』
と結論します。

 また立石氏は情の人であり、
 「身障者が働ける工場をつくってほしい」という訴えに応えて、
 「オムロン太陽」社を設立。
 後に多くの企業が福祉工場を建設する中での先駆けとなります。

 サリドマイド障害児が学齢期を迎えた頃、近畿圏の
 ライオンズクラブで「サリドマイド児に手を与える運動」を展開。
 義手の開発依頼を受けると徳島大学医学部整形外科と協力して
 研究し、一年後に開発に成功。
 初めて電動義手をつけた障害児が、義手の指先に握ったチョークで
 黒板に字や図形を書いたところを見て、
 技術者として経営者として、このテーマに携わったことに
 誇りと満足を覚えたといいます。

 オムロンの社憲は
 『われわれの働きで、われわれの生活を向上し、よりよい社会を
  つくりましょう』
というもので、
 氏は1959年の創業記念日に従業員へこう話したと言います。
 『われわれの生活とは、小乗的には全社員の生活であり、
  大乗的には全人類なのです』

 立石一真氏の言葉
  『最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる』

人を喜ばせ、人の役に立つ、人を幸せにする、他人のためになり
自分も幸せになる、自他共に栄えるということ。
このすばらしきことは、自然本来の原理であり、社会の仕組みでも
あるのです。
この基本に立ち返るということが、現代社会に大きく求められている
のではないでしょうか。


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月曜日, 4月 20, 2009

「自然の原理は大いなる循環」-山下惣一


春麗らかな休日、息子と一緒に
ジョギングをしました。
先週から行っているもので、近所にある
手賀沼沿いのウォーキングコースを
ゆっくり走りながら周りの自然にも
親しむことができます。
川沿いに咲く満開の菜の花が風に
揺れる様は、まるで黄色い花々が
こちらに手を振ってくれているようです。

樹々は新緑の葉を目にやさしく
輝かせており、傍の田んぼや畑、草地にはスズメ、ツバメ、
ムクドリ、セキレイの野鳥達がしきりに虫や植物の種などを
探して忙しくしています。
キジも姿を現し、水辺にはカワセミやコサギもいて小魚を
じっと探していました。

これら様々な生き物を養っているのは、母なる大地、自然の力です。
人間にしても、自分達の食べ物を産みだすことはできず、
他の生き物と同様に自然の恩恵に依存しています。

農民作家として知られる山下惣一さんは、こう語っています。
『私は佐賀県の小さな村で農業を営んでいます。 
 農作物を育てているのは土の力であって人間ではないのです。
 人にできることはその土の力をつけてやることと、
 せいぜい作物の手助け程度のことで、太陽と土と植物それ自体の
 生理によって農作物は育つのです。
 
 だから農業では「つくった」といわずに「できた」というんですよ。
 今年の稲は「出来が良い」とか「出来秋」というのです。
 「できた」という表現には人智の及ばない自然界への感謝と畏敬が
 込められているのです。

 農産物は工業製品と同じような自由貿易には馴染まないと
 思います。
 農産物は人類にとって命のもとであり、それに代わるもの、
 代替品がないわけですから、他の商品と同じように安易に
 売り買いしてはいけないのです。 

 工業であれば世界のナンバーワン企業が同業者を駆逐しても、
 世界中に自社工場を建てれば製品の供給は可能です。
 しかし、農業ではそれは不可能です。
 耕地という制約があるため世界一の競争力をもった国の農業が
 他を駆逐したら、その後の供給ができないのです。
 それゆえにこそ、それぞれの国で食料自給に努力しているのです。

 周知のようにカロリーベースの食料自給率40%の日本は先進国中
 最低、穀物自給率の28%は世界173の国や地域の中で124番目の
 低さです。
 これで不安を感じないということこそが、私は不安ですね。

 また、農産物の自由貿易が世界の飢餓を救わないことも
 はっきりしてきました。
 事実が示すように農産物の貿易は物が余っているところから
 不足しているところへ輸出されるのではなく、
 値段の安いところから高いところへしか異動しないのです。 
 
 そのため、世界に飢えている人たちがいるのに、
 そこへは届かずに日本のように食べ物があり余っている飽食の国に
 世界中の食べ物が集中し、食べ残され、飢餓が拡大するのです。
 日本人のために世界中で農業生産に使われている面積は
 1200ヘクタールで、日本の農地面積の2倍以上になるのです。

 世界中に食べ物があり余っているわけではないのです。
 どこの国の農業生産にも限界があります。
 繰り返しになりますが、それは生命のもととなる食べ物を
 産み出すのは人間ではなく、母なる大地、自然の力、
 自然の恩恵だからなのです。
 
 農業の土台となる自然は近代化も効率化もできません。
 どんな力を使っても沈む夕陽は止められないし、
 オンドリは卵を産まず、オス牛は乳を出しません。
 農業は自然の制約の中でその摂理に従い調和しながら営むしか
 ないのです。

 農業に競争や成長や効率を求めすぎた結果がBSEや
 鳥インフルエンザなのです。
 これは同じ命の一つながりにある家畜たちの死をもっての抗議で
 あり、母なる大地の警告と受け止めるべきです。
 
 自然の原理は大いなる循環であって成長ではありません。
 なんとももどかしいような営みではありますが、
 それでも、どんなに科学技術が進歩しても、工業ではコメ一粒、
 葉っぱ一枚生産できず、しかも、これがなくては
 人は生きられないのです。
 そこに競争や経済を超えて、それぞれの地域、それぞれの国に
 それぞれの農業が存在しなければならない根源的な理由が
 あるのです。』

38億年の歴史を持つ生命の世界を、私たち人間がわずか300年余りで
破壊してしまうかもしれないという現実。
しかしこれは大いに猛省し、変えなくてはいけない現実です。
わが子や孫たちがこの地球上で健やかに生きていくことを
願わない人はいません。
自然に対して謙虚になり、自らの生き方を考え直す時に来ていますね。


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日曜日, 4月 12, 2009

「多様な生命に満ち溢れた地球を感じられるように」-☆森のクマさん☆

9日は息子の入学式でした。

本人は学校に行く前からわりとリラックスしていたので、
私も妻もふだんの延長のような気分で楽しく式を
見守ることができました。

息子がこれから通う小学校は、今年109回目の
入学式を行ったという明治時代の創立で、
かつては妻も通っていた縁ある小学校。
学校にある樹齢が何百年もあろうかという大楠の樹たちが、
これから息子の成長を見守ってくれます。

桜満開に恵まれた入学の式典では、
さまざまなお祝いのお話を聞いた中で校長先生のおっしゃった
『新入生の皆さん、相手のいいところを見つけるようにして
 お友達をつくっていってください』
という言葉が印象に残りました。

1年4組の教室に入って一番前の席に座り、
担当の先生の話を聞いている息子の姿を廊下から見ながら
これから彼の新しい人生の経験が始まっていくのだなあと思うと
感動が胸の裡に湧いていました。


幼い子どもの心は、日々刻々、樹木の芽立ちのように芽を出し、
育ち、伸びてゆきます。
その人生の早期にめぐり合う人々(親や教師)は、
はつらつとした感受性を持って、若々しい子どもの心に
豊かな何かを得させることができるという点で
極めて重要な役を演じるものです。

先の日記でも紹介した服部祥子さんは、
『子どもを囲む大人たちは、多くの知識をふりまわしながら、
 めまぐるしく子どもに働きかけることよりも、
 幼い子どもの心に瑞々しく感ずる感受性を養うことが、
 何よりもまず大切と思う。

 私は幼少期に自然との出会いを持つ幸運に恵まれた。
 岡山の田舎の小さな谷間の村落で育ったため、
 凍て付く冬や、かすかな早春の息づきや、日盛りの夏を、
 身体全体で深く味わい、吸い込んで幼い日々を過ごした。

 家の前の庭は小さな生き物の住処で、私はよくありの行列を
 眺めた。
 一つの穴から出てきた無数のありが、一列になって庭を横切り、
 向こう端まで歩いていくさまを私はまじろぎもせず見つめていた。
 
 私にとって自然は言葉に言い表す必要もないほど
 親しみ深いものであり、自然と自分が何かしらハーモニーを
 盛っているように安らかな心地がしたように思う。
 
 後年母が私の幼少期を振り返り、しばしば語ってくれた。
 「あなたが空や山を眺め、野原や地面に寝そべって草や虫を
  一心に見つめている姿に胸を打たれ、
  そんなあなたの姿を自分も物陰から黙って静かに眺めて
  暮らしたよ」と。

 今は亡き母は、子どもに対する養育や教育に多くのまちがいや
 失敗をしたとよく口にした。 
 しかし私の幼少期をあれほど大切にして、やさしく繊細に
 育んでくれたことだけでも、私の生涯に何ものにもまさる
 宝を与えてくれたわけで、母のことを思うつど、
 胸いっぱいの感謝の念が湧き起こってくる。』
とおっしゃっていました。


息子には、多様な生命に満ち溢れた地球という
この素晴らしい世界を深く理解していってほしいと願っています。

そのために親である私がすべきは、
人生の最良の教師である自然とのめぐり合いを幼い心が
果たせるよう、静かな配慮をしてやることと
自然で素朴ではつらつとした人間の生きた姿を眺められるよう
心がけてやること。

この二つを大事にしていきたいと思っています。


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月曜日, 3月 30, 2009

「生涯に大きな宝ものを授けること」-服部祥子


大相撲春場所の千秋楽、白鵬が全勝で
10回目の優勝に花を添えました。
「心技体」の充実が感じられた今場所
で、これからの相撲道の精進にますます
期待がかかります。

先場所1月の優勝決定戦で、
白鵬が朝青龍に敗れた際、 6歳を
迎えた息子は大粒の悔し涙を
流していました。
2月に観戦した大相撲トーナメントで白鵬が優勝した時、
花道の上から声援を送ることができたと思い出しては
うれしそうに語る息子。

毎日帰宅連絡で電話をかけると、開口一番その日の
取組み結果を話す息子は、白鵬の優勝を心から喜んでおり、
こちらも嬉しい気持ちでいっぱいになりました。


 『 六つになった       
              A・A・ミルン

   一つのときは、
   なにもかもはじめてだった。

   二つのときは、
   ぼくは まるっきり しんまいだった。

   三つのとき、
   ぼくは やっと ぼくになった。  

   四つのとき、
   ぼくは おおきくなりたかった。

   五つのときには、
   なにからなにまで おもしろかった。

   今は六つで、
   ぼくは ありったけ おりこうです。

   だから、いつまでも 六つでいたいと
   ぼくは思います。  』

服部祥子さんは、この詩を紹介し、こう語っています。

『六つの子どもは人間の一員としての知性や情感や意志力の
基礎を相当堅固なものにしてきた。
 自分が「ありったけおりこう」だから
 「六つのままでいたい」という六歳児。
 彼は自分の存在や自分の持つ力に信頼を寄せ、明るく積極的に
 自己肯定をしているのである。

 自他への愛と信頼を積極的に育てるためには、
 豊かな世界に子どもを置いてやることが必要である。
 子どもを囲む人や物-
 洗濯をし、夕餉のごちそうを並べ、やさしい言葉でものをいう母、
 大きくて力強い父、親しい人々、家具や家庭で使っているもの、
 話される言葉、まわりに見える山や河、木々や花々、
 影や日の光等々-
 
 子どもをとりまく世界が豊かであればあるほど、
 子どもはその瑞々しい眼や耳や身体で見たり、聞いたり、
 感じ取るものが多い。

 A・A・ミルンの詩のように、子どもは年ごとに精神発達の
 階段を一歩ずつ昇っていくが、同時に人間関係をも深めていく。
 もちろん愛や信頼関係を確立するまでにはこれから先長い
 歳月が必要である。
 しかし幼き日に、自分及び他者への愛と信頼を積極的に
 育てようと親が努めることは、その子の生涯に大きな宝ものを
 授けることになると私は信じている。』

 
3年間楽しく通った幼稚園を無事卒園し、
今春4月から新1年生となる息子。
新しい環境の中で、良き出会いとそれによって培われる
人間に対する「基本的信頼感」を得るようにと願っています。

理屈でも何でもない、我が子を可愛いと思うこと。
我が子に触れて素直に喜び、自然の生命が満ち溢れるように
愛おしく感ずること。
妻と共にいつも息子への愛を感じ、人生の意義を学べています。


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月曜日, 3月 16, 2009

「混沌とした時代の中で」-星野道夫


夜、星野道夫さんの本を開く。

地球環境問題という正解のない
問いに対し、日々取り組み
前に進み続けようとする中で、
誰かの言葉に後押しされたい時、
この方向でいいんだよと
言ってほしい時、 彼の言葉はいつも
私の心を落ち着かせてくれます。

『混沌とした時代の中で、
 人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、
 私たちはある無力感におそわれる。
 それは正しいひとつの答えがみつからないからである。

 が、こうも思うのだ。
 正しい答えなど初めから存在しないのだと・・・
 そう考えると少しホッとする。

 正しい答えを出さなくてもよいというのは、
 なぜかホッとするものだ。

 しかし正しい答えは見つからなくても、
 その時代、時代で、
 より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。』
                  星野道夫 

そう、私たちには現在において
より良い方向を模索してゆく責任があるのですね。


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日曜日, 3月 08, 2009

「自然を思想することにより魂を取り戻す」ー鶴岡真弓


前の日記では、わが師C.W.ニコル氏の日本でのすばらしき出会いの一つを紹介しました。

ニコルさんは英国のウェールズ出身であり、ケルト民族の血が流れています。彼の桁外れに豊かな感性は、”多様性”を大事にしてきたことから生まれてきていると思います。
鶴岡真弓さんは、このケルト文化をやはり守り継いでいるアイルランドの人々の
自然観についてこう語っています。

『自然や自然環境について語るというのは、
 人間や世界を考え続けていくときの答えのない扉の鍵、
 「考えるきっかけ」のようなものではないでしょうか。

 歴史という人間の危うい経験を何とか役立て、
 私たちが忘れ去った宝物を見つけ出すきっかけにしたい、
 そう思います。
 自然に対する人間の想像力というものが希薄になってきている
 いまだからこそ、余計にその重要さを感じるんですね。

 自然や風土や風景というのは、正直なもので、
 その国民や民族の思想を目に見えるかたちで映し出してしまう
 鍵なのだと思います。

 戦後60年以上経って、いま、日本人の誰もが
 心の中で気づき始めているわけですが、
 戦後の日本人は、アメリカから授けられた民主主義や
 欧米の合理主義の中で生きてきました。

 しかし、その中で日本人の精神文化の中身は、
 得たものより失ったものがあまりにも大きいと思うのです。
 日本の歴史を通じて、もっとも自信のない日本人、
 つまり自然と風土の中に思想を持たない日本人になってしまった
 という落胆があります。

 いくら破壊されたとはいえ、
 まだまだ緑と水に覆われ囲まれているのが日本であって、
 子供のころに山野を駆け回っていたときに感じた
 あの自然というのは、
 超越的な恐ろしいものではなく、
 すぐ自分のそばにある親しみのある自然だったと思うのです。
 そういう環境の中で、日本人は自然を親しい神々と感じ
 敬ってきたのだと思います。
 
 つまり、日本人の神々というのは、
 自然のかそけき声や、風の微妙な肌合いを身近に感じるもので、
 その緻密さとか、微妙さといったものが、
 私たちの思想や文化の根源になっていると思います。


 しかし、そうした風土の思想を持つ日本に、戦後、
 アメリカという強力なプロテスタント国家の自然観が
 教条的に入ってきました。
 
 世の中の全ては、絶対不変の原理と法則によって美しく
 完璧に管理されている、
 自然もまた完璧に人間の英知と科学で統御されるものなのだ、
 という一神教の方法論が、明治以来日本に入り活用されてきた。

 特に戦後は、工場の汚水が自然を破壊したという
 物理的な問題以前に、
 いわば形而上学的に杭が打ち込まれ、
 それによって日本人の自然観は、わずか60年の間に
 大きく変容させられることになってしまいました。

 これは、悪いという意味ではなく、
 キリスト教社会では唯一絶対の「神」が精神生活から
 生産形態、自然までも統率する管制塔なのですが、
 日本において、
 この管制塔方式の「型」が真似された結果、
 それがむりやり学校とか家庭の日常の心情の次元でも、
 その型だけが教え込まれ、
 管理の形だけの民主主義とか、形だけの生活というものしか、
 手元に残らなくなってしまいました。
 
 もうそこには、親しい「自然」の山野を駆け巡ったときの、
 躍動する楽しい心も、アニミスティックな自然への敬いも
 忘却されてしまって何もありません。

 アメリカ人の自然観は、ディズニーランドの池であろうが、
 アンクル・トムの小屋の森であろうが、西部劇の荒野で
 あろうが、すべて彼らの「神=創造主」の管理の下で
 完璧に造られた、神の「完全性のユートピア」としての
 自然なんですね。

 それは、先住していた北米先住民の自然崇拝的自然とは
 まったく異なります。


 この60年の間に、なぜ、日本人が「魂」を失って
 しまったのか。

 それは、自分たちの手で自分たちの表象としての自然、
 環境を度外視して、西洋の借り物である爪先立った
 自然観の中で愚直に生きてきた結果です。
 
 「物理的に自然環境が変わってしまった」と嘆く前に、
 自分たちがしっかりと「自然を思想しているか」を
 自問しなければならないと思います。』


自然を思想するということは、自己の本性に気づき
近づくことにつながります。
名嘉睦稔さんは、そのことについてこんなヒントを与えています。

『私たち一人ひとりの中にある原初的な力
 -自然界(神)と同化するための畏敬の念や
  たくましい野生、深い感性や霊性-
 
 それらをもう一度思い起こし、
 自らの手でスイッチをオンにすることです。
 難しいことはありません。
 自らの奥にあるものを当たり前に認めれればいいのです。』



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土曜日, 2月 21, 2009

「昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う」-バーナードリーチ、C.W.ニコル


縁(えにし)とは、深く味のあるものですね。
人の縁、土地の縁などまるで茶の湯の如く。

先日、息子が入ったばかりのビーバースカウトの活動で、
我孫子駅から手賀沼の辺りまで名所を訪れながら歩く
ハイキングに参加しました。

そこで思わぬ収穫だったのが、我孫子はかつて昭和初期『民藝運動』
を始めた柳宗悦氏が住居し彼を慕い、志賀直哉、バーナードリーチ、
濱田庄司、棟方志功、河井寛次郎という『白樺派』と呼ばれた
一流の芸術人達が集まった土地だったことを知ったことです。

バーナードリーチ氏。
彼は、六代乾山に師事し、東西の伝統を融合し、独自の美の世界を
創造した英国人陶芸家であり、本国でも高い評価を得ています。
私が彼の名前を知ったのは今から10年ほど前のこと。
我が師C.W.ニコル氏を黒姫に訪ねたときのことでした。

いつも執筆に使っている書斎に特別に入れてもらうことができ、
そこで目にした数々の原稿と数冊の本。
私は氏の本はたいてい所有していましたが、その中に未だ
目にしたことのない題が。

『バーナード・リーチの日時計』
来日して間もない頃に知り合った仲省吾さんという老人との交友に
ついて語っている随筆。
この本を元にNHKが1983年、ドラマ「日時計」を放送しています。

 ”英国の若者と日本の一老人の心の交流を1枚のタイルの陶板で
  作られた日時計をなかだちに描く異色のドラマ。
  作者C・W・ニコル氏は長野県在住のイギリス人。
 
  1964年、日本に留学していた24歳の若者ウィリアムは、ある日、
  武蔵野の林の中で日本人の仲さんに英語で話しかけられる。
  ウィリアムは、自分の祖父に対するような親しみを覚える。
  仲さんは老人ホームの庭に日時計を作っていた。
  そこにはめこまれた陶板は、英国の陶匠・バーナード・リーチの
  ものだった。

  秋、仲さんは病いに倒れる。
  仲さんの脳裡を去来するのは、リーチと共に過したロンドンの
  日々である。
  ウィリアムを昔の仲間と思いこむようになった老人をなぐさめる
  ために、彼は仲さんの思い出の中の人物の役をつとめるように
  なる。
  64年冬に老人は衰弱しうわごとのようにリーチについて
  語るのだが、ある日ニコルは新聞でリーチ来日の記事を読み、
  連絡を取ってリーチを老人に引き合わせる・・・。”

その後、1969年仲氏が亡くなった後にニコルさんは氏が生前を
過ごしていた老人ホームを訪ねます。
庭にあった日時計は、既に取り外されていましたが、真鍮の台座は
残されており藪や誇りに覆われていた碑板には、
一人の人の人生の宣言がこう書かれていました。

『昼は栄光の恵に浴して歩み
 夜はその懐に憩う』

ニコルさんはその時のことをこう語っています。
『私はその時初めて、老人が書き残したこの詩の真のこころを
 感じた。
 長い年月の間人の目から隠され、今再び自分が掘り出した、
 その日時計と碑板の前に立っていると、
 何だか老人の霊が私の傍らに立って、微笑んでいるような気が
 するのであった。』


若かりしバーナード・リーチ氏が火災のために自分の家と窯とを
焼かれて困窮していた時に、彼を助けて立ち直らせたのが
仲省吾氏でした。

再びニコルさんの言葉から。
『この二人の人物の間には疑いもなく深い友情があった。
 二人はそういう友情がもっとも大切な人生の時期に助け合い、
 啓発し合った。
 そしてやがて時と戦争と身辺の事情とが二人を引き離して
 しまった。
 しかしどんな邂逅にも、どんな友情にも断ち切ることのできない
 何ものかが常にひそんでいる。
 
 当時、私はまだ24歳の若者で、やっと自分自身の人生に踏み出し、
 冒険や困難や悲劇にまだこれから遭遇することになる時のことで
 あった。
 その私にとって、仲省吾氏は人生の黄昏にいる、やさしい明治人の
 老紳士に過ぎなかった。
 私たちの出逢いはまったくの偶然の賜物であった。
 そうとしか私には思えない。
 大切なのは、私たち二人がお互いにとって役立つ時を持ったことで
 ある。』


ニコルさんの旧い記憶にある懐かしい物語のことを、
私は我孫子の土地を歩きながら思い出していました。
それにしても、『昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う』
という言葉の何と奥深いことと思うばかりです。


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水曜日, 2月 11, 2009

「心優しき金剛力士と息子」-☆森のクマさん☆


先日、大相撲トーナメントを観に、
家族3人で両国国技館へ行ってきました。

6歳になったばかりの息子は以前から大、大、大の相撲ファン
場所中は、ほぼ毎日16時から18時、テレビの前で
NHKにかじりつき、歓声を上げて楽しんでいます。
妻の『そんなに好きなら!』ということで、今回行くことにしたもの。

両国駅に着いてすぐ横にある国技館に向かうと、後ろから
「あ、把瑠都だ」との声が。
見るとたしかにテレビで見る大きな姿が近づいてきて、
握手をしてもらえたと息子は大喜び!
(把瑠都関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=2731


その後、受付を通り中に入ると取り組みを終えて部屋に帰る途中の
力士の姿が。
愛想よく撮影に応じてくれ、息子に「がんばってね」との声まで
かけてくれました。とても優しく感じのいい関取。

帰宅後調べるとその力士は「四ツ車大八」関。
この名前は江戸時代からの由緒ある四股名だそうですが、
ぜひこれから頑張って昇進してほしいと願っています。
(四ツ車関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=1458


館内では二階席からの観戦でしたが、結構よく見ることができ、
息子は取り組みを直に見ることができ、とてもご満悦。
トーナメントが始まると、息子は取り組み表を片手に夢中で
見ていました。

特に、準決勝で「琴欧州」が「朝青龍」に勝つと、先場所の
優勝決定戦で「白鳳」が「朝青龍」に負けて、悔し涙を流していた
息子は「あ~すっきりした」と喜びの笑顔

今回優勝の白鵬が表彰式後、退場していくときには、
息子は2階席の一番前まで行き、手すりから身を乗り出して、
白鵬に向かってこう叫んでいました。

『白鵬~!!! 白鵬~!!
 オレは幼稚園で一番強いんだぞーー』

さぞ、満足したことでしょう。


そして、昨日は「北桜関」と写真を撮ってもらうこともできました。
大勢のファンに囲まれた人気者の「北桜関」の横に息子が行くと、
関取はひょいと軽く抱き上げてくれました。
息子は本当に嬉しそうでした。

後で知ったのですが、「北桜関」は相撲普及に腐心し、
特に子供のファンには、「子供の良心を信じて」自らの
携帯電話の番号を教え友達になって相撲をより知ってもらおうと
しているそう。
現在37歳だそうですが、まだまだ頑張って子ども達にぜひ勇姿を
見せてほしいと願っています。
(☆北桜関のブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/meiko1fight555

初めて観に行った大相撲は、とても楽しいものでした。
今回お会いできた力士の皆さんを来場所応援するのを
今から楽しみにしています。

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木曜日, 2月 05, 2009

「一日接すれば一日の愛が生じる」-西郷隆盛


如月に入りました。

本来であれば真冬の凍て付く寒さに朝晩の通勤が辛いはずですが、
今年は年明け1月からさほど厳しい寒さを感じた記憶が
あまりありません。
たしかに駅へ向かう通勤路でわずかに残された土の見える場所を
朝方通っても、霜が降りた様子を見たのは数回程度でした。

昨日は立春。
昔から、「東風氷を解く」と言われ、春が一歩近づくことを
感じられる時節。

今晩私は、ふと気が向いて「老子」を読み、
ある一章の言葉に心が深く寄せられました。

『埴をこね、もって器を為る、
 その無に当たりて器の用あり』

(粘土をこねて、茶わんや花びんをつくる。
 それぞれの器の内部の、からっぽの「無」の部分があるから、
 役に立つのである。
 粘土をこねてつくった茶わんの形のあるところも、大切だ。
 が、もうひとつ、茶わんの中のからっぽの部分があるから、
 ご飯を入れたり、みそ汁を入れたりすることができる。 
 有形の茶わんを役立たせるのは、
 なんにも見えない茶わんの中の「無」であるということを、
 深く見つめ、その働きを考える)

かつて、人間のえらさを測る一つの物差しは、
その人間がなしとげた事業の大きさであり、
もう一つは、そういう仕事を行ったのがどのような人間であったか
である、と聞いたことがあります。

この「腕と人柄」を両方兼備していたのが、西郷隆盛でした。
徳の高さと私心のなさから、多くの人々に敬愛されました。

『西郷先生は不思議な人格だ。
 一日接すれば一日の愛が生じ、二日接すれば二日の愛が生じる。
 おれはもう数ヶ月接してしまった。
 おれはもう西郷先生とともに死ぬしかなくなっている』
 
 西南の役の折、大分県臼杵の士族隊の隊長が、
 敗戦濃い日、国もとから早く帰れと言ってきたので部下を
 帰国させた時にこう歎じたといいます。

こういう仕事をした人だというよりも、
こういう人柄の人であったという方が、いつまでも
人をひきつけるものですね。
その人の品性の高尚さと、徳の高さが大事なのだと思います。

『敬天愛人』まさしく西郷さんは、天を敬い人を愛した、
無為自然の巨人でありました。


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火曜日, 1月 20, 2009

「自分自身よりも大きな理想を追いかけたときに初めて、本当の可能性に気づく」-バラク・オバマ


20日は、米国の新大統領であるバラク・オバマ氏の就任日。
世界中の人々が高い関心を持っていることでしょう。
「キング牧師記念日」である1月19日、氏は地域社会での
奉仕活動に加わるよう国民に呼び掛け、
自らはワシントンのホームレス支援施設でボランティアの人々と共に壁の塗装を行ったそうです。

約1年前の昨年2月10日、アブラハム・リンカーンに縁の
深いイリノイ州で大統領選の出馬宣言を行ったオバマ氏は、
集まった群衆にこう語りかけました。
『あなたがたは、この国の未来を信じるからここへ来たのです。
 私たちは一つの国民になり、可能性を切り開き、
 もっと完璧な連帯を築くことができると信じているはずです』

そして、新世代が奉仕への呼びかけに応えるときがきたと
訴えたのです。
『この選挙運動は、市民であることの意味を定義し直すもので
 なければなりません。
 力を合わせて何かを成し遂げるものでなければならないのです』



私はこの演説の言葉を聞いてから、旧世代の政治家とはあきらかに
異なる強いリーダーシップに期待を持ち、彼の言う「変革」
未来への望みを持ちたいと想い、大統領に就くことを願ってきました。

オバマ氏は、彼が受け継いだユニークなアイデンティティ-・・・
実父はケニア出身、実母はカンザス出身、幼ない頃に実父と別れ、
ハワイで少年時代を過ごし、6歳から10歳までは義父の住む
インドネシアで過ごし、大人になってからはシカゴで過ごすという
実に複雑で多様な社会の経験をしています。

シカゴでは、大学卒業後にコミュニテイ・オーガナイザーの職に
就きます。
『その仕事は、私の人間としての成長に役立った。
 牧師や専門家でない普通の人々と仕事をした経験を通して
 私は社会奉仕活動のリーダーになる決意を深めた・・・
 私の人種的アイデンティティ-が強まったし、
 普通の人にも普通以上のことができる能力があると
 信じる気持ちも確固たるものになった』

氏はここで一所懸命に活動を行い、最初は関心を持たなかった
地域の人々から次第に高い信頼を得ていきます。
一緒に働いたことのある人たちは、
オバマ氏は献身的で、勤勉で、知的で、人の心を動かし、
聞き上手であったと語っています。

そしてここでの経験が政治家としての考え方を形成したのです。
この仕事から得られた多くのテーマ-
『さまざまな意見の共通の土台を見出す努力、普通の市民を信じる
 気持ち、問題を検証して勝ち目のある立場に持ち込みたいと願う
 気持ち』
-は大統領選で多くの国民から共感を得られました。

07年5月、サウスニューハンプシャー大学の卒業式の講演で
オバマ氏は奉仕への呼びかけを行っています。

『この国では、連邦政府の赤字について多くの議論がなされています。
 しかし、私たちがすべき議論は、思いやりの赤字についてでは
 ないでしょうか。
 すなわち相手の立場になって考える能力や、自分達とは違う人々-
 飢えた子ども達、解雇された労働者、あなたの寮の部屋を掃除して
 くれる移民女性 の目を通して世界を見る能力の欠如についてです。

 歳を重ねると、この思いやりという資質を養うことは、
 容易になるどころか難しくなります。
 現実の世界では、コミュニティへの奉仕は義務づけられている
 わけではありません。
 他人を思いやることは、強制されはしないのです。
 自分とまったく同質な人々が集まる地区に住み、
 皆と同じ学校に子どもを通わせ、自分達の小さな輪の中で起きる
 出来事のみに関心を示して生きる、それもその人の自由ですから。

 しかし、関心の間口を狭めずに広げるよう心がけてください。
 それは、自分よりも恵まれない人々に対して義務があるからでは
 ありません。たしかにその義務はありますが。
 いまの自分に到達する過程で力を貸してくれた人々全員に恩が
 あるからでがありません。たしかに恩はありますが。

 それは自分自身に対する義務だからです。
 また、私たち一人ひとりの救済が、全員の救済にかかっているから
 なのです。
 自分自身よりも大きな理想を追いかけたときに初めて、
 自分の本当の可能性に気づき、
 そして成熟した人間になれるからなのです。』

あと3時間後、オバマ氏はどのような就任演説を言うでしょうか。
混迷する世界経済、不安定な社会情勢、強く望まれる世界平和への
期待の中、彼は現実の世界に真正面に向き合いながら、
こうあってほしいと思う世界を求め続けることでしょう。

そして私たちもこれから彼と共に持続可能で明るい未来社会を
創造していけるはずです。
彼が言い続けてきた言葉、『 Yes, We can ! 』と共に。


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月曜日, 1月 12, 2009

「自然のなかにあるさまざまな時間を感じる」-中村桂子


昨晩は満月が夜空にとてもきれいに輝いて見えました。
寒いのを忘れて、しばしうっとりと魅せられてしまう力を
持っていました。
月を見ている自分と、地球の多くを照らしている月と。
この瞬間に自分と月との間には境がなく、一体化しています。

そしてこの月は、これまでに地球に存在し生成してきた幾多の生命を
見つめてきたことでしょう。
悠久というとてつも長いさまざまな時間が流れてきたことを
感じさせられます。

生命誌の研究に取り組まれてきた中村桂子さんは
こう語っています。

『いまの世の中は効率第一、時間も時計の示している時間
 だけですよね。
 だから何時何分に会いましょうとか、五分でやりましょうとか。
 それはきめないと世の中動きませんから、この時間ももちろん
 大切ですし、速くやる必要のあることもあるんですけれど、
 一本の木が立っていたときに、
 この木がここまでなるのに何年かかっただろうと思うと、
 百年だったり五百年だったりするわけですね。

 そのことを感じないと、ここに家をつくろうと思うと、
 ぱっと伐ってしまうわけでしょう。
 私の家の近くでも、昨日まですてきな雑木林だと思っていた
 ところが、今日歩いてみたら、 
 一本も樹が残っていない平らな宅地になっているということが
 しばしば起きています。
 しかも、その土地を買った人はまた小さな苗を植えるのです。
 伐らずにそのまま売れば買った人は、一本一本を大事に考えて
 家を建てるでしょう。
 この木は何十年立ってるかと思うと、これを生かしてつくる方法は
 ないだろうかと考えると思うんです。

 しかもそれを生かして建てた方が質の高い生活環境になる。
 実は、百年、二百年という時間は、身の回りにたくさんあるのに
 気づかないのです。
 そういう風に考えると、長い時間が身近になるはずです。 
 私が生きものは四十億年も続いているんですよというと、
 そんな時間考えられませんと言われてしまうんですけれど・・・。

 身近な木の時間とか、どうして私はここにいるんだろうと
 思ったときに、両親がいて、そのまた両親がいてと思うと、
 すぐに千年や二千年は戻っていけますよね。
 そうやって、いろいろな時間を自分の気持ちの中に持つと、
 単に大急ぎでやったり、じゃまだから伐ってしまおうみたいには
 ならないでしょう。
 しかも技術は否定しないで生きていくという選択はできると
 思うのです。

 ですから私はみんなが時計の時間だけでなく、自然のなかに
 入っているさまざまな時間を感じて暮らして欲しい。
 それは、自分のなかに入っている時間でもあるわけですから、
 そういう複数の時間を、日常のなかでも感じ取るというのが、
 命を大切にするということの一つの具体的な方法ではないかと
 思っています。』


近年の反省に立ち、科学技術を人間や自然を破壊するのではない形に
変換していくことが求められています。
自然破壊とは外部の自然を壊すだけでなく、人間自身の内なる自然の
破壊でもあることに気づき、「人間が自然の一部である」という
基本を真ん中に置いた発展を
私たちは目指していかねばならないと思います。


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日曜日, 1月 04, 2009

「名こそ惜しけれの心に息子とふれる」-司馬遼太郎、石原靖久


新年あけましておめでとうございます

昨年末からの腰痛は回復し、すっかりよくなってきています。
年末年始は、自分と妻の両親・兄弟や家族8名で冬の北陸を
楽しんできました。
長野、岐阜、富山、新潟の4県をまわり、冬の年始にすっかり
身も心も浄化されてきました。

そして、今日は息子の6歳の誕生日。
心身とも健康に育ってくれていることに大きな感謝の気持ちです。

いよいよこの春からは小学校に入学。
社会に接する場がまた一つ広がります。
私は、息子が小学校に上がったら司馬遼太郎さんの
「21世紀に生きる君達へ」を読んで聞かせたいとかねてから
思っていました。

司馬さんは、小学生にあてたこの手紙の中で、
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
を持つことの大切さを語り、それらは訓練して
身につけるものだと言っています。

『その訓練とは、簡単なことである。
 例えば、友達がころぶ。
 ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
 そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。』



作家の石原靖久さんは、この司馬さんの名文について
こう述べています。

『想像力とは、単純化してしまえば
 自分を見ているまなざしを感じることです。

 友達が転ぶ。
 平然としている自分がいます。
 しかし、それはまずいんじゃないか、
 なぜ手を差し伸べないんだと叱咤する自分もいます。
 他人がいようがいまいが、心の中にいる「もう一人の自分」が
 つねに自分を見ています。

 この「自分を見ている自分」を感じること。
 これこそが「名こそ惜しけれ」で育まれる自律です。

 自分という生身の人間は「名」を持っています。
 生身の自分はさまざまな欲望を持っているけれど、
 それを垂れ流してしまえば「名」まで汚れると考える。
 それが「名こそ惜しけれ」です。
 司馬文学の登場人物たちは、その一点で清々しいのです。

 司馬文学は、誰が「何をしたか」というより
 「どう生きたか」に重心があります。
 読み取るべきは”一人の人間としての生きざま”です。
 
 自分の名に誇りをもつこと、
 自己の人生にいさぎよい覚悟を抱くこと。

 いさぎよさも、清々しさも、勇気も、自立心も
 かつての日本人の説明原理になりえた「名こそ惜しけれ」の
 精神からしたたるようにして出てくるものでした。

 司馬さんは「言葉の正直さ」について
 こだわりを持っていました。
 どうも今の日本人にはそれが足りないのではないかと
 考えていました。
 国会で正論をぶつ政治家が、じつは自分自身その言葉を
 信じていないし、聞く国民も信じていない。
 すべてが茶番めいているのです。
 
 情報化社会を生きる子どもたちの目に映る大人の姿は、
 「あざやか」でも「さわやか」でもないのです。
 今、大人の値打ちはほぼ底値に近いのではないか。
 
 そういう大人が「心の教育」を語り、モラルを語り、
 果ては「日本人の心」や「愛国心」まで語るのです。
 うまくいくかどうか、ハードルはとても高いはずです。

 かつて田中直毅さんは「自分が最初に司馬さんから
 感得したのは、背筋を伸ばす、という人の生き方だった」
 と言いました。
 「名こそ惜しけれ」という言葉は、その背骨に流れる血液のような
 ものなのです。

 「背筋を伸ばす」という生き方を、背筋を伸びた大人が語る。
 これなら子どもにとってはわかりやすいはずです。
 背筋の伸びた大人はときどき暗がりに入って、
 人に言えないようなことに手を染めたり、つまみ食いをするような
 ことはしないからです。
 司馬作品に親しむということは、そういうことがわかるということ
 です。

 父と子が同じ目線で「読み」、そして語り合ううちに、
 背景におのずと「日本人とは何か」「大切にしたい心とは何か」
 という和音が快く横たわっていることに気づくはずです。』

   
 
司馬文学の底流を滔々と流れる日本人のモラルの根幹をなす
「名こそ惜しけれ」。
それこそが、目下の焦眉である子どもたちの「心の教育」
資するものではないでしょうか。

息子良篤のこれからの成長を楽しみに、
こちらも父として恥じぬよう背筋を伸ばすようにし、
この日記のような会話を父と子で紡いでいきたいと願うものです。


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