土曜日, 2月 21, 2009

「昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う」-バーナードリーチ、C.W.ニコル


縁(えにし)とは、深く味のあるものですね。
人の縁、土地の縁などまるで茶の湯の如く。

先日、息子が入ったばかりのビーバースカウトの活動で、
我孫子駅から手賀沼の辺りまで名所を訪れながら歩く
ハイキングに参加しました。

そこで思わぬ収穫だったのが、我孫子はかつて昭和初期『民藝運動』
を始めた柳宗悦氏が住居し彼を慕い、志賀直哉、バーナードリーチ、
濱田庄司、棟方志功、河井寛次郎という『白樺派』と呼ばれた
一流の芸術人達が集まった土地だったことを知ったことです。

バーナードリーチ氏。
彼は、六代乾山に師事し、東西の伝統を融合し、独自の美の世界を
創造した英国人陶芸家であり、本国でも高い評価を得ています。
私が彼の名前を知ったのは今から10年ほど前のこと。
我が師C.W.ニコル氏を黒姫に訪ねたときのことでした。

いつも執筆に使っている書斎に特別に入れてもらうことができ、
そこで目にした数々の原稿と数冊の本。
私は氏の本はたいてい所有していましたが、その中に未だ
目にしたことのない題が。

『バーナード・リーチの日時計』
来日して間もない頃に知り合った仲省吾さんという老人との交友に
ついて語っている随筆。
この本を元にNHKが1983年、ドラマ「日時計」を放送しています。

 ”英国の若者と日本の一老人の心の交流を1枚のタイルの陶板で
  作られた日時計をなかだちに描く異色のドラマ。
  作者C・W・ニコル氏は長野県在住のイギリス人。
 
  1964年、日本に留学していた24歳の若者ウィリアムは、ある日、
  武蔵野の林の中で日本人の仲さんに英語で話しかけられる。
  ウィリアムは、自分の祖父に対するような親しみを覚える。
  仲さんは老人ホームの庭に日時計を作っていた。
  そこにはめこまれた陶板は、英国の陶匠・バーナード・リーチの
  ものだった。

  秋、仲さんは病いに倒れる。
  仲さんの脳裡を去来するのは、リーチと共に過したロンドンの
  日々である。
  ウィリアムを昔の仲間と思いこむようになった老人をなぐさめる
  ために、彼は仲さんの思い出の中の人物の役をつとめるように
  なる。
  64年冬に老人は衰弱しうわごとのようにリーチについて
  語るのだが、ある日ニコルは新聞でリーチ来日の記事を読み、
  連絡を取ってリーチを老人に引き合わせる・・・。”

その後、1969年仲氏が亡くなった後にニコルさんは氏が生前を
過ごしていた老人ホームを訪ねます。
庭にあった日時計は、既に取り外されていましたが、真鍮の台座は
残されており藪や誇りに覆われていた碑板には、
一人の人の人生の宣言がこう書かれていました。

『昼は栄光の恵に浴して歩み
 夜はその懐に憩う』

ニコルさんはその時のことをこう語っています。
『私はその時初めて、老人が書き残したこの詩の真のこころを
 感じた。
 長い年月の間人の目から隠され、今再び自分が掘り出した、
 その日時計と碑板の前に立っていると、
 何だか老人の霊が私の傍らに立って、微笑んでいるような気が
 するのであった。』


若かりしバーナード・リーチ氏が火災のために自分の家と窯とを
焼かれて困窮していた時に、彼を助けて立ち直らせたのが
仲省吾氏でした。

再びニコルさんの言葉から。
『この二人の人物の間には疑いもなく深い友情があった。
 二人はそういう友情がもっとも大切な人生の時期に助け合い、
 啓発し合った。
 そしてやがて時と戦争と身辺の事情とが二人を引き離して
 しまった。
 しかしどんな邂逅にも、どんな友情にも断ち切ることのできない
 何ものかが常にひそんでいる。
 
 当時、私はまだ24歳の若者で、やっと自分自身の人生に踏み出し、
 冒険や困難や悲劇にまだこれから遭遇することになる時のことで
 あった。
 その私にとって、仲省吾氏は人生の黄昏にいる、やさしい明治人の
 老紳士に過ぎなかった。
 私たちの出逢いはまったくの偶然の賜物であった。
 そうとしか私には思えない。
 大切なのは、私たち二人がお互いにとって役立つ時を持ったことで
 ある。』


ニコルさんの旧い記憶にある懐かしい物語のことを、
私は我孫子の土地を歩きながら思い出していました。
それにしても、『昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う』
という言葉の何と奥深いことと思うばかりです。


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水曜日, 2月 11, 2009

「心優しき金剛力士と息子」-☆森のクマさん☆


先日、大相撲トーナメントを観に、
家族3人で両国国技館へ行ってきました。

6歳になったばかりの息子は以前から大、大、大の相撲ファン
場所中は、ほぼ毎日16時から18時、テレビの前で
NHKにかじりつき、歓声を上げて楽しんでいます。
妻の『そんなに好きなら!』ということで、今回行くことにしたもの。

両国駅に着いてすぐ横にある国技館に向かうと、後ろから
「あ、把瑠都だ」との声が。
見るとたしかにテレビで見る大きな姿が近づいてきて、
握手をしてもらえたと息子は大喜び!
(把瑠都関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=2731


その後、受付を通り中に入ると取り組みを終えて部屋に帰る途中の
力士の姿が。
愛想よく撮影に応じてくれ、息子に「がんばってね」との声まで
かけてくれました。とても優しく感じのいい関取。

帰宅後調べるとその力士は「四ツ車大八」関。
この名前は江戸時代からの由緒ある四股名だそうですが、
ぜひこれから頑張って昇進してほしいと願っています。
(四ツ車関:http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/rikishi_joho/rikishi.php?A=1458


館内では二階席からの観戦でしたが、結構よく見ることができ、
息子は取り組みを直に見ることができ、とてもご満悦。
トーナメントが始まると、息子は取り組み表を片手に夢中で
見ていました。

特に、準決勝で「琴欧州」が「朝青龍」に勝つと、先場所の
優勝決定戦で「白鳳」が「朝青龍」に負けて、悔し涙を流していた
息子は「あ~すっきりした」と喜びの笑顔

今回優勝の白鵬が表彰式後、退場していくときには、
息子は2階席の一番前まで行き、手すりから身を乗り出して、
白鵬に向かってこう叫んでいました。

『白鵬~!!! 白鵬~!!
 オレは幼稚園で一番強いんだぞーー』

さぞ、満足したことでしょう。


そして、昨日は「北桜関」と写真を撮ってもらうこともできました。
大勢のファンに囲まれた人気者の「北桜関」の横に息子が行くと、
関取はひょいと軽く抱き上げてくれました。
息子は本当に嬉しそうでした。

後で知ったのですが、「北桜関」は相撲普及に腐心し、
特に子供のファンには、「子供の良心を信じて」自らの
携帯電話の番号を教え友達になって相撲をより知ってもらおうと
しているそう。
現在37歳だそうですが、まだまだ頑張って子ども達にぜひ勇姿を
見せてほしいと願っています。
(☆北桜関のブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/meiko1fight555

初めて観に行った大相撲は、とても楽しいものでした。
今回お会いできた力士の皆さんを来場所応援するのを
今から楽しみにしています。

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木曜日, 2月 05, 2009

「一日接すれば一日の愛が生じる」-西郷隆盛


如月に入りました。

本来であれば真冬の凍て付く寒さに朝晩の通勤が辛いはずですが、
今年は年明け1月からさほど厳しい寒さを感じた記憶が
あまりありません。
たしかに駅へ向かう通勤路でわずかに残された土の見える場所を
朝方通っても、霜が降りた様子を見たのは数回程度でした。

昨日は立春。
昔から、「東風氷を解く」と言われ、春が一歩近づくことを
感じられる時節。

今晩私は、ふと気が向いて「老子」を読み、
ある一章の言葉に心が深く寄せられました。

『埴をこね、もって器を為る、
 その無に当たりて器の用あり』

(粘土をこねて、茶わんや花びんをつくる。
 それぞれの器の内部の、からっぽの「無」の部分があるから、
 役に立つのである。
 粘土をこねてつくった茶わんの形のあるところも、大切だ。
 が、もうひとつ、茶わんの中のからっぽの部分があるから、
 ご飯を入れたり、みそ汁を入れたりすることができる。 
 有形の茶わんを役立たせるのは、
 なんにも見えない茶わんの中の「無」であるということを、
 深く見つめ、その働きを考える)

かつて、人間のえらさを測る一つの物差しは、
その人間がなしとげた事業の大きさであり、
もう一つは、そういう仕事を行ったのがどのような人間であったか
である、と聞いたことがあります。

この「腕と人柄」を両方兼備していたのが、西郷隆盛でした。
徳の高さと私心のなさから、多くの人々に敬愛されました。

『西郷先生は不思議な人格だ。
 一日接すれば一日の愛が生じ、二日接すれば二日の愛が生じる。
 おれはもう数ヶ月接してしまった。
 おれはもう西郷先生とともに死ぬしかなくなっている』
 
 西南の役の折、大分県臼杵の士族隊の隊長が、
 敗戦濃い日、国もとから早く帰れと言ってきたので部下を
 帰国させた時にこう歎じたといいます。

こういう仕事をした人だというよりも、
こういう人柄の人であったという方が、いつまでも
人をひきつけるものですね。
その人の品性の高尚さと、徳の高さが大事なのだと思います。

『敬天愛人』まさしく西郷さんは、天を敬い人を愛した、
無為自然の巨人でありました。


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