日曜日, 3月 08, 2009

「自然を思想することにより魂を取り戻す」ー鶴岡真弓


前の日記では、わが師C.W.ニコル氏の日本でのすばらしき出会いの一つを紹介しました。

ニコルさんは英国のウェールズ出身であり、ケルト民族の血が流れています。彼の桁外れに豊かな感性は、”多様性”を大事にしてきたことから生まれてきていると思います。
鶴岡真弓さんは、このケルト文化をやはり守り継いでいるアイルランドの人々の
自然観についてこう語っています。

『自然や自然環境について語るというのは、
 人間や世界を考え続けていくときの答えのない扉の鍵、
 「考えるきっかけ」のようなものではないでしょうか。

 歴史という人間の危うい経験を何とか役立て、
 私たちが忘れ去った宝物を見つけ出すきっかけにしたい、
 そう思います。
 自然に対する人間の想像力というものが希薄になってきている
 いまだからこそ、余計にその重要さを感じるんですね。

 自然や風土や風景というのは、正直なもので、
 その国民や民族の思想を目に見えるかたちで映し出してしまう
 鍵なのだと思います。

 戦後60年以上経って、いま、日本人の誰もが
 心の中で気づき始めているわけですが、
 戦後の日本人は、アメリカから授けられた民主主義や
 欧米の合理主義の中で生きてきました。

 しかし、その中で日本人の精神文化の中身は、
 得たものより失ったものがあまりにも大きいと思うのです。
 日本の歴史を通じて、もっとも自信のない日本人、
 つまり自然と風土の中に思想を持たない日本人になってしまった
 という落胆があります。

 いくら破壊されたとはいえ、
 まだまだ緑と水に覆われ囲まれているのが日本であって、
 子供のころに山野を駆け回っていたときに感じた
 あの自然というのは、
 超越的な恐ろしいものではなく、
 すぐ自分のそばにある親しみのある自然だったと思うのです。
 そういう環境の中で、日本人は自然を親しい神々と感じ
 敬ってきたのだと思います。
 
 つまり、日本人の神々というのは、
 自然のかそけき声や、風の微妙な肌合いを身近に感じるもので、
 その緻密さとか、微妙さといったものが、
 私たちの思想や文化の根源になっていると思います。


 しかし、そうした風土の思想を持つ日本に、戦後、
 アメリカという強力なプロテスタント国家の自然観が
 教条的に入ってきました。
 
 世の中の全ては、絶対不変の原理と法則によって美しく
 完璧に管理されている、
 自然もまた完璧に人間の英知と科学で統御されるものなのだ、
 という一神教の方法論が、明治以来日本に入り活用されてきた。

 特に戦後は、工場の汚水が自然を破壊したという
 物理的な問題以前に、
 いわば形而上学的に杭が打ち込まれ、
 それによって日本人の自然観は、わずか60年の間に
 大きく変容させられることになってしまいました。

 これは、悪いという意味ではなく、
 キリスト教社会では唯一絶対の「神」が精神生活から
 生産形態、自然までも統率する管制塔なのですが、
 日本において、
 この管制塔方式の「型」が真似された結果、
 それがむりやり学校とか家庭の日常の心情の次元でも、
 その型だけが教え込まれ、
 管理の形だけの民主主義とか、形だけの生活というものしか、
 手元に残らなくなってしまいました。
 
 もうそこには、親しい「自然」の山野を駆け巡ったときの、
 躍動する楽しい心も、アニミスティックな自然への敬いも
 忘却されてしまって何もありません。

 アメリカ人の自然観は、ディズニーランドの池であろうが、
 アンクル・トムの小屋の森であろうが、西部劇の荒野で
 あろうが、すべて彼らの「神=創造主」の管理の下で
 完璧に造られた、神の「完全性のユートピア」としての
 自然なんですね。

 それは、先住していた北米先住民の自然崇拝的自然とは
 まったく異なります。


 この60年の間に、なぜ、日本人が「魂」を失って
 しまったのか。

 それは、自分たちの手で自分たちの表象としての自然、
 環境を度外視して、西洋の借り物である爪先立った
 自然観の中で愚直に生きてきた結果です。
 
 「物理的に自然環境が変わってしまった」と嘆く前に、
 自分たちがしっかりと「自然を思想しているか」を
 自問しなければならないと思います。』


自然を思想するということは、自己の本性に気づき
近づくことにつながります。
名嘉睦稔さんは、そのことについてこんなヒントを与えています。

『私たち一人ひとりの中にある原初的な力
 -自然界(神)と同化するための畏敬の念や
  たくましい野生、深い感性や霊性-
 
 それらをもう一度思い起こし、
 自らの手でスイッチをオンにすることです。
 難しいことはありません。
 自らの奥にあるものを当たり前に認めれればいいのです。』



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