水曜日, 4月 29, 2009

「最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる」-立石一真


GWに入りました。
私は1日だけお休みをもらって
後は暦通りですが、
世間では16連休という
長い休みにした企業もあり、
景気の悪化の中で少しでも
コストを下げたいということで、社員の方からすると
「たくさんの休みはあっても収入がその分下がるのでは・・」
という方もいることでしょう。

米国発の国際的金融危機(ある人に言わせると金融腐敗だそう)が
世界中の経済をおかしくしてグローバル不況が現在も続いています。

競争社会、弱肉強食、マネー優先、格差拡大、貧困連鎖、などの
活字が連日の新聞メディアに載せられていますが、
人間の際限のない欲の拡大によるマネーゲーム、市場の取り引き、
人間性の入り込む余地のない、損得、リスクが口を開けた社会は、
一日も早く変革していかねばなりませんね。


立石一真氏はATMや自動改札機を独自に開発したことで有名な
オムロンの創業者。

 創業時に極貧の中で妻を亡くし、七人の子どもを育て上げたことで
 有名ですが、30代で母を、40代で父を亡くし、
 親を喜ばせることが最後までできなかったことを
 深く悔いていたそうです。

 そして自分にできることは何かを問い、
 『両親の代わりに他人を喜ばせたい、人の喜ぶ顔を見たい、
  役立つことをして幸せになってもらいたい、
  それでこそ納得できるし、自分も幸せといえるのではないか』
 こう考えました。

 1933年33歳の時、大阪東野田に「立石電機製作所」を創業。
 1940年、東大航空研究所からマイクロスイッチ国産化の依頼があり、
 研究を重ねて、国産初のマイクロスイッチの製品化に成功。
 『世の中Badと決めつけるのはたやすい。
  しかし、Need Improvement(改善の余地あり)でなければ、
  創造の将来はない。
  「まずやってみる」がわれわれが築き上げてきた企業文化なのだ』


 難しいと思うことにできませんと言うのは安易だが、
 それでおしまい。
 しかし、いい加減にしないでどうすればできるかを考え抜いてこそ
 頭は鍛えられ、人間は成長する。
 氏の姿勢は終生、変わりませんでした。

 オートメーション市場の開発に取り組む中で、
 氏は「毅然たる経営方針」を模索します。
 1956年、経済同友会で「経営者の社会的責任とその実践」を
 研究し、『企業は利潤追求のためのみにあるのではない、
  社会に奉仕するために存在するのだ』
と結論します。

 また立石氏は情の人であり、
 「身障者が働ける工場をつくってほしい」という訴えに応えて、
 「オムロン太陽」社を設立。
 後に多くの企業が福祉工場を建設する中での先駆けとなります。

 サリドマイド障害児が学齢期を迎えた頃、近畿圏の
 ライオンズクラブで「サリドマイド児に手を与える運動」を展開。
 義手の開発依頼を受けると徳島大学医学部整形外科と協力して
 研究し、一年後に開発に成功。
 初めて電動義手をつけた障害児が、義手の指先に握ったチョークで
 黒板に字や図形を書いたところを見て、
 技術者として経営者として、このテーマに携わったことに
 誇りと満足を覚えたといいます。

 オムロンの社憲は
 『われわれの働きで、われわれの生活を向上し、よりよい社会を
  つくりましょう』
というもので、
 氏は1959年の創業記念日に従業員へこう話したと言います。
 『われわれの生活とは、小乗的には全社員の生活であり、
  大乗的には全人類なのです』

 立石一真氏の言葉
  『最もよくひとを幸せにするひとが最もよく幸福になる』

人を喜ばせ、人の役に立つ、人を幸せにする、他人のためになり
自分も幸せになる、自他共に栄えるということ。
このすばらしきことは、自然本来の原理であり、社会の仕組みでも
あるのです。
この基本に立ち返るということが、現代社会に大きく求められている
のではないでしょうか。


お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

月曜日, 4月 20, 2009

「自然の原理は大いなる循環」-山下惣一


春麗らかな休日、息子と一緒に
ジョギングをしました。
先週から行っているもので、近所にある
手賀沼沿いのウォーキングコースを
ゆっくり走りながら周りの自然にも
親しむことができます。
川沿いに咲く満開の菜の花が風に
揺れる様は、まるで黄色い花々が
こちらに手を振ってくれているようです。

樹々は新緑の葉を目にやさしく
輝かせており、傍の田んぼや畑、草地にはスズメ、ツバメ、
ムクドリ、セキレイの野鳥達がしきりに虫や植物の種などを
探して忙しくしています。
キジも姿を現し、水辺にはカワセミやコサギもいて小魚を
じっと探していました。

これら様々な生き物を養っているのは、母なる大地、自然の力です。
人間にしても、自分達の食べ物を産みだすことはできず、
他の生き物と同様に自然の恩恵に依存しています。

農民作家として知られる山下惣一さんは、こう語っています。
『私は佐賀県の小さな村で農業を営んでいます。 
 農作物を育てているのは土の力であって人間ではないのです。
 人にできることはその土の力をつけてやることと、
 せいぜい作物の手助け程度のことで、太陽と土と植物それ自体の
 生理によって農作物は育つのです。
 
 だから農業では「つくった」といわずに「できた」というんですよ。
 今年の稲は「出来が良い」とか「出来秋」というのです。
 「できた」という表現には人智の及ばない自然界への感謝と畏敬が
 込められているのです。

 農産物は工業製品と同じような自由貿易には馴染まないと
 思います。
 農産物は人類にとって命のもとであり、それに代わるもの、
 代替品がないわけですから、他の商品と同じように安易に
 売り買いしてはいけないのです。 

 工業であれば世界のナンバーワン企業が同業者を駆逐しても、
 世界中に自社工場を建てれば製品の供給は可能です。
 しかし、農業ではそれは不可能です。
 耕地という制約があるため世界一の競争力をもった国の農業が
 他を駆逐したら、その後の供給ができないのです。
 それゆえにこそ、それぞれの国で食料自給に努力しているのです。

 周知のようにカロリーベースの食料自給率40%の日本は先進国中
 最低、穀物自給率の28%は世界173の国や地域の中で124番目の
 低さです。
 これで不安を感じないということこそが、私は不安ですね。

 また、農産物の自由貿易が世界の飢餓を救わないことも
 はっきりしてきました。
 事実が示すように農産物の貿易は物が余っているところから
 不足しているところへ輸出されるのではなく、
 値段の安いところから高いところへしか異動しないのです。 
 
 そのため、世界に飢えている人たちがいるのに、
 そこへは届かずに日本のように食べ物があり余っている飽食の国に
 世界中の食べ物が集中し、食べ残され、飢餓が拡大するのです。
 日本人のために世界中で農業生産に使われている面積は
 1200ヘクタールで、日本の農地面積の2倍以上になるのです。

 世界中に食べ物があり余っているわけではないのです。
 どこの国の農業生産にも限界があります。
 繰り返しになりますが、それは生命のもととなる食べ物を
 産み出すのは人間ではなく、母なる大地、自然の力、
 自然の恩恵だからなのです。
 
 農業の土台となる自然は近代化も効率化もできません。
 どんな力を使っても沈む夕陽は止められないし、
 オンドリは卵を産まず、オス牛は乳を出しません。
 農業は自然の制約の中でその摂理に従い調和しながら営むしか
 ないのです。

 農業に競争や成長や効率を求めすぎた結果がBSEや
 鳥インフルエンザなのです。
 これは同じ命の一つながりにある家畜たちの死をもっての抗議で
 あり、母なる大地の警告と受け止めるべきです。
 
 自然の原理は大いなる循環であって成長ではありません。
 なんとももどかしいような営みではありますが、
 それでも、どんなに科学技術が進歩しても、工業ではコメ一粒、
 葉っぱ一枚生産できず、しかも、これがなくては
 人は生きられないのです。
 そこに競争や経済を超えて、それぞれの地域、それぞれの国に
 それぞれの農業が存在しなければならない根源的な理由が
 あるのです。』

38億年の歴史を持つ生命の世界を、私たち人間がわずか300年余りで
破壊してしまうかもしれないという現実。
しかしこれは大いに猛省し、変えなくてはいけない現実です。
わが子や孫たちがこの地球上で健やかに生きていくことを
願わない人はいません。
自然に対して謙虚になり、自らの生き方を考え直す時に来ていますね。


お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

日曜日, 4月 12, 2009

「多様な生命に満ち溢れた地球を感じられるように」-☆森のクマさん☆

9日は息子の入学式でした。

本人は学校に行く前からわりとリラックスしていたので、
私も妻もふだんの延長のような気分で楽しく式を
見守ることができました。

息子がこれから通う小学校は、今年109回目の
入学式を行ったという明治時代の創立で、
かつては妻も通っていた縁ある小学校。
学校にある樹齢が何百年もあろうかという大楠の樹たちが、
これから息子の成長を見守ってくれます。

桜満開に恵まれた入学の式典では、
さまざまなお祝いのお話を聞いた中で校長先生のおっしゃった
『新入生の皆さん、相手のいいところを見つけるようにして
 お友達をつくっていってください』
という言葉が印象に残りました。

1年4組の教室に入って一番前の席に座り、
担当の先生の話を聞いている息子の姿を廊下から見ながら
これから彼の新しい人生の経験が始まっていくのだなあと思うと
感動が胸の裡に湧いていました。


幼い子どもの心は、日々刻々、樹木の芽立ちのように芽を出し、
育ち、伸びてゆきます。
その人生の早期にめぐり合う人々(親や教師)は、
はつらつとした感受性を持って、若々しい子どもの心に
豊かな何かを得させることができるという点で
極めて重要な役を演じるものです。

先の日記でも紹介した服部祥子さんは、
『子どもを囲む大人たちは、多くの知識をふりまわしながら、
 めまぐるしく子どもに働きかけることよりも、
 幼い子どもの心に瑞々しく感ずる感受性を養うことが、
 何よりもまず大切と思う。

 私は幼少期に自然との出会いを持つ幸運に恵まれた。
 岡山の田舎の小さな谷間の村落で育ったため、
 凍て付く冬や、かすかな早春の息づきや、日盛りの夏を、
 身体全体で深く味わい、吸い込んで幼い日々を過ごした。

 家の前の庭は小さな生き物の住処で、私はよくありの行列を
 眺めた。
 一つの穴から出てきた無数のありが、一列になって庭を横切り、
 向こう端まで歩いていくさまを私はまじろぎもせず見つめていた。
 
 私にとって自然は言葉に言い表す必要もないほど
 親しみ深いものであり、自然と自分が何かしらハーモニーを
 盛っているように安らかな心地がしたように思う。
 
 後年母が私の幼少期を振り返り、しばしば語ってくれた。
 「あなたが空や山を眺め、野原や地面に寝そべって草や虫を
  一心に見つめている姿に胸を打たれ、
  そんなあなたの姿を自分も物陰から黙って静かに眺めて
  暮らしたよ」と。

 今は亡き母は、子どもに対する養育や教育に多くのまちがいや
 失敗をしたとよく口にした。 
 しかし私の幼少期をあれほど大切にして、やさしく繊細に
 育んでくれたことだけでも、私の生涯に何ものにもまさる
 宝を与えてくれたわけで、母のことを思うつど、
 胸いっぱいの感謝の念が湧き起こってくる。』
とおっしゃっていました。


息子には、多様な生命に満ち溢れた地球という
この素晴らしい世界を深く理解していってほしいと願っています。

そのために親である私がすべきは、
人生の最良の教師である自然とのめぐり合いを幼い心が
果たせるよう、静かな配慮をしてやることと
自然で素朴ではつらつとした人間の生きた姿を眺められるよう
心がけてやること。

この二つを大事にしていきたいと思っています。


お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

フォロワー

amazon