日曜日, 4月 12, 2009

「多様な生命に満ち溢れた地球を感じられるように」-☆森のクマさん☆

9日は息子の入学式でした。

本人は学校に行く前からわりとリラックスしていたので、
私も妻もふだんの延長のような気分で楽しく式を
見守ることができました。

息子がこれから通う小学校は、今年109回目の
入学式を行ったという明治時代の創立で、
かつては妻も通っていた縁ある小学校。
学校にある樹齢が何百年もあろうかという大楠の樹たちが、
これから息子の成長を見守ってくれます。

桜満開に恵まれた入学の式典では、
さまざまなお祝いのお話を聞いた中で校長先生のおっしゃった
『新入生の皆さん、相手のいいところを見つけるようにして
 お友達をつくっていってください』
という言葉が印象に残りました。

1年4組の教室に入って一番前の席に座り、
担当の先生の話を聞いている息子の姿を廊下から見ながら
これから彼の新しい人生の経験が始まっていくのだなあと思うと
感動が胸の裡に湧いていました。


幼い子どもの心は、日々刻々、樹木の芽立ちのように芽を出し、
育ち、伸びてゆきます。
その人生の早期にめぐり合う人々(親や教師)は、
はつらつとした感受性を持って、若々しい子どもの心に
豊かな何かを得させることができるという点で
極めて重要な役を演じるものです。

先の日記でも紹介した服部祥子さんは、
『子どもを囲む大人たちは、多くの知識をふりまわしながら、
 めまぐるしく子どもに働きかけることよりも、
 幼い子どもの心に瑞々しく感ずる感受性を養うことが、
 何よりもまず大切と思う。

 私は幼少期に自然との出会いを持つ幸運に恵まれた。
 岡山の田舎の小さな谷間の村落で育ったため、
 凍て付く冬や、かすかな早春の息づきや、日盛りの夏を、
 身体全体で深く味わい、吸い込んで幼い日々を過ごした。

 家の前の庭は小さな生き物の住処で、私はよくありの行列を
 眺めた。
 一つの穴から出てきた無数のありが、一列になって庭を横切り、
 向こう端まで歩いていくさまを私はまじろぎもせず見つめていた。
 
 私にとって自然は言葉に言い表す必要もないほど
 親しみ深いものであり、自然と自分が何かしらハーモニーを
 盛っているように安らかな心地がしたように思う。
 
 後年母が私の幼少期を振り返り、しばしば語ってくれた。
 「あなたが空や山を眺め、野原や地面に寝そべって草や虫を
  一心に見つめている姿に胸を打たれ、
  そんなあなたの姿を自分も物陰から黙って静かに眺めて
  暮らしたよ」と。

 今は亡き母は、子どもに対する養育や教育に多くのまちがいや
 失敗をしたとよく口にした。 
 しかし私の幼少期をあれほど大切にして、やさしく繊細に
 育んでくれたことだけでも、私の生涯に何ものにもまさる
 宝を与えてくれたわけで、母のことを思うつど、
 胸いっぱいの感謝の念が湧き起こってくる。』
とおっしゃっていました。


息子には、多様な生命に満ち溢れた地球という
この素晴らしい世界を深く理解していってほしいと願っています。

そのために親である私がすべきは、
人生の最良の教師である自然とのめぐり合いを幼い心が
果たせるよう、静かな配慮をしてやることと
自然で素朴ではつらつとした人間の生きた姿を眺められるよう
心がけてやること。

この二つを大事にしていきたいと思っています。


お越しいただき、ありがとうございます。共感したら、Click me! 

0 件のコメント:

フォロワー

amazon