月曜日, 4月 20, 2009

「自然の原理は大いなる循環」-山下惣一


春麗らかな休日、息子と一緒に
ジョギングをしました。
先週から行っているもので、近所にある
手賀沼沿いのウォーキングコースを
ゆっくり走りながら周りの自然にも
親しむことができます。
川沿いに咲く満開の菜の花が風に
揺れる様は、まるで黄色い花々が
こちらに手を振ってくれているようです。

樹々は新緑の葉を目にやさしく
輝かせており、傍の田んぼや畑、草地にはスズメ、ツバメ、
ムクドリ、セキレイの野鳥達がしきりに虫や植物の種などを
探して忙しくしています。
キジも姿を現し、水辺にはカワセミやコサギもいて小魚を
じっと探していました。

これら様々な生き物を養っているのは、母なる大地、自然の力です。
人間にしても、自分達の食べ物を産みだすことはできず、
他の生き物と同様に自然の恩恵に依存しています。

農民作家として知られる山下惣一さんは、こう語っています。
『私は佐賀県の小さな村で農業を営んでいます。 
 農作物を育てているのは土の力であって人間ではないのです。
 人にできることはその土の力をつけてやることと、
 せいぜい作物の手助け程度のことで、太陽と土と植物それ自体の
 生理によって農作物は育つのです。
 
 だから農業では「つくった」といわずに「できた」というんですよ。
 今年の稲は「出来が良い」とか「出来秋」というのです。
 「できた」という表現には人智の及ばない自然界への感謝と畏敬が
 込められているのです。

 農産物は工業製品と同じような自由貿易には馴染まないと
 思います。
 農産物は人類にとって命のもとであり、それに代わるもの、
 代替品がないわけですから、他の商品と同じように安易に
 売り買いしてはいけないのです。 

 工業であれば世界のナンバーワン企業が同業者を駆逐しても、
 世界中に自社工場を建てれば製品の供給は可能です。
 しかし、農業ではそれは不可能です。
 耕地という制約があるため世界一の競争力をもった国の農業が
 他を駆逐したら、その後の供給ができないのです。
 それゆえにこそ、それぞれの国で食料自給に努力しているのです。

 周知のようにカロリーベースの食料自給率40%の日本は先進国中
 最低、穀物自給率の28%は世界173の国や地域の中で124番目の
 低さです。
 これで不安を感じないということこそが、私は不安ですね。

 また、農産物の自由貿易が世界の飢餓を救わないことも
 はっきりしてきました。
 事実が示すように農産物の貿易は物が余っているところから
 不足しているところへ輸出されるのではなく、
 値段の安いところから高いところへしか異動しないのです。 
 
 そのため、世界に飢えている人たちがいるのに、
 そこへは届かずに日本のように食べ物があり余っている飽食の国に
 世界中の食べ物が集中し、食べ残され、飢餓が拡大するのです。
 日本人のために世界中で農業生産に使われている面積は
 1200ヘクタールで、日本の農地面積の2倍以上になるのです。

 世界中に食べ物があり余っているわけではないのです。
 どこの国の農業生産にも限界があります。
 繰り返しになりますが、それは生命のもととなる食べ物を
 産み出すのは人間ではなく、母なる大地、自然の力、
 自然の恩恵だからなのです。
 
 農業の土台となる自然は近代化も効率化もできません。
 どんな力を使っても沈む夕陽は止められないし、
 オンドリは卵を産まず、オス牛は乳を出しません。
 農業は自然の制約の中でその摂理に従い調和しながら営むしか
 ないのです。

 農業に競争や成長や効率を求めすぎた結果がBSEや
 鳥インフルエンザなのです。
 これは同じ命の一つながりにある家畜たちの死をもっての抗議で
 あり、母なる大地の警告と受け止めるべきです。
 
 自然の原理は大いなる循環であって成長ではありません。
 なんとももどかしいような営みではありますが、
 それでも、どんなに科学技術が進歩しても、工業ではコメ一粒、
 葉っぱ一枚生産できず、しかも、これがなくては
 人は生きられないのです。
 そこに競争や経済を超えて、それぞれの地域、それぞれの国に
 それぞれの農業が存在しなければならない根源的な理由が
 あるのです。』

38億年の歴史を持つ生命の世界を、私たち人間がわずか300年余りで
破壊してしまうかもしれないという現実。
しかしこれは大いに猛省し、変えなくてはいけない現実です。
わが子や孫たちがこの地球上で健やかに生きていくことを
願わない人はいません。
自然に対して謙虚になり、自らの生き方を考え直す時に来ていますね。


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