水曜日, 7月 01, 2009

「百億の昼と千億の夜と阿修羅」-光瀬龍


先日終了した「国宝 阿修羅展」。

行列が苦手な私は、見に
行きませんでしたが、子どもの頃
に写真で見た阿修羅の
少女とも少年ともとれる姿と
愁いと喜びを併せ持つ表情の
清らかさに、何か不思議な好奇心を感じたことを覚えています。

かつて私は小学6年の時に、1冊のSF小説の虜になりました。
その題名は百億の昼と千億の夜』。
SF界の巨星、光瀬龍氏が詩情豊かに、時の流れの膨大さと非常さ、
その中での人間の営みを謳いあげた名作。
現在でも強く惹かれる作品です。

『寄せては返し  寄せては返し  返しては寄せる波』
という独特の静謐さと淋しさを湛えた文体は、静かに深く心に
沁みこみ、読後に本を閉じた後の気持ちは、
何とも言い表しようのない物悲しさ、透明な悲哀といった
寂寥の思いに陥るのです。

萩尾望都氏によりマンガ化もされましたが、
人類の永遠の命題である
『人はどこから来てどこへ行くのか』『生とは何か』『永遠とは』
を問いかける内容に、12歳の私はしばらく真剣に考えていました。
今は懐かしい思い出です。

先日亡くなられた中島梓さんは、この作品を表す言葉は
『無常感』であるといいました。
そして、破滅と永遠と、そして喪失の、悲しく、透明な、
しかしどこかしら不思議に甘く快い静寂をたたえている、
世界でいちばん美しく、悲しいSF小説のひとつだと評していました。

古来からある阿修羅の伝説の一つに、帝釈天を相手に
勝てぬ戦いを永遠に続けているというのがありますが、
光瀬氏は、興福寺の阿修羅像は戦いの虚無の中で「なぜ」
自らに問いかけているのだといいました。

『神と戦うのか。』
『おお、そうとも。 
 私は相手がなに者であろうと戦ってやる。
 このわたしの住む世界を滅ぼそうとする者があるのなら
 それが神であろうと戦ってやる!』

『百億の昼と千億の夜』に登場するあしゅらおうは、”シ”(死)と
いう生命が、時間が、必ず出会う運命の存在である敵と戦っています。

『・・・・転輪王・・・・
 この世に現れた”シ”とはいったいなんだ・・・・その正体は?』

『彼らは彼岸に住む超越者だ』

『彼岸とは・・・・またはるかな言葉だな
 それはこの世の者にはたどり着けぬ宇宙の果てか』

『阿修羅、宇宙の果てとはなんだ』

『宇宙の膨張速度が高速に達した所に果てがある・・・・
 その時、宇宙全体の質量のため空間が閉ざされ、
 一個の球体の内部を構成する・・・・』

『では阿修羅、その球の外とは?
 閉ざされた内部ということは、さらに外があるということだ
 しかも無限に

 こう考えてくれ、阿修羅
 時もまた同じ

 この内の世界では二千億年の昔
 原初の時点から時は流れ始め
 二千億年のかなたでやむ

 しかし、それすら外の世界の無限の広がりに比べれば
 超時間のほんの切片だ・・・・』

『転輪王、”シ”とは二千億年すら一片となす
 無限の時を支配する超越者のことか?』

『・・・・阿修羅よ・・・・
 すべての時にも、人の心にも
 願いは常にあった

 深い海から生まれた生命にも
 滅びゆく都市にも
 この宇宙にも

 願いとは・・・・
 何だったのだろうか?

 神・・・・超越者にとって
 われわれや宇宙はなんだったのか?

 われわれの・・・・存在の意味とは?

 この世界の外に
 さらに大きな世界の変転があり
 さらにその世界の外に世界が
 そしてまたその外にも

 さらに永遠に世界がつづくのなら

 わたしの戦いは
 いつ終わるのだ・・・・?』

『すでに還る道は無い
 また新たなる
 百億と千億の日々が始まる』

無常と久遠という壮大な世界を
宙空にかかげた3対の腕に抱く阿修羅像。
いつの日か対面したいと願っています。

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